四章:Intermission-present(10)
「パース」
「ほいっ」
「それっ」
浅瀬で円を組んだ四人の間を白と緑のビーチボールが行ったりきたりしている。私と圭織は海の家で借りたパラソルの下にシートを敷き、座りながらそれを眼で追っていた。
「みんな、楽しそうだね」
その様子を見て圭織が私に話しかける。どうやら、大分具合はよくなったようだ。顔色も悪くない。
「暑い中あれだけ歩いたからね。やっぱり冷たい水の中は気持ちいいよ」
私達は海の家で少し休憩をした後、着替えて浜辺へと出た。皆長距離を炎天下の中歩いてきて体力は大きく奪われていたが、いの一番に着替え、海の中へと走り去っていった千晴を追いかけて海へと繰り出してみれば、その水の気持ちよさで疲れなど忘れ去ったかのように体が動いていた。圭織はまだ体調があまりよくなさそうに見えたので借りたパラソルの下で日に当たらないように休憩していることになった。
私はその圭織が心配で最初、圭織についていたが、圭織があんまりにも私にも遊んでくるように勧めるのと、裕子が私の代わりに圭織の側にいると言い出したので、「じゃあ少しだけ」と言ってあの中に混じってビーチボールをやっていたのだ。一度言い出したことを引っ込めない圭織の意志の強さはもう十分に実感していたし、圭織が私に申し訳ないと思っているように感じ、私は遊びに出た。そうしたほうが圭織の負担にもならないと考えた。ただ、パラソルの下とはいえ未だ暑いこの日光の下、大量の汗でべたつく体を潮水につけたら心地いいだろうという気持ちがなかったかと言えば、それは全くの嘘であることも確かだった。それから言葉通り少し――と言っても当初私が考えていたのよりは大分長く――遊んだ後、私はまた裕子と交代し、圭織の側に戻った。
「それに、結果はどうあれ、試験も終わったしね」
そう、私達は試験が終わったので、前に言っていたようにこうして皆で海水浴に来ることになったのだ。あの場では何となくでた話に過ぎなかったが、それを裕子と千晴の前で話したところ、話を持ってきた私と圭織、そして愁也君には有無を言わせずに千晴が話を纏め上げてしまった。と言っても、話を纏め上げたというのは行くことを決定したという意味だけで、千晴の欲望を垂れ流しにする話から千晴の求める条件を上手くピックアップし、場所や日にちなどの段取りなどをきちんと纏め上げたのは裕子だった。
そうして愁也君には暇な男子を三人探し出して来いという指令が下された。愁也君は二人しか見つけられなかったらしく、一人は私達のクラスで話を偶然聞いていた一人の男子を誘った。これは余談だが、なにやら千晴が聞いた噂によると立候補する男子は山ほどいたようだが、愁也君がそのほとんどを無視し、結局人数が足りなくなってしまったのだという。なぜ愁也君がそうしたのか、私の中で疑問は消えなかったが、私はしょせん噂に過ぎないので、考えるのをやめた。
「ははは……」
私の言葉に対して圭織は珍しく苦笑いをした。顔色はさっきとはちょっと違った具合に悪くなる。それもそのはず、私は圭織がそうなるだろうと思ってわざと意地悪してそう言ったのだから。
結果から言ってしまえば、圭織の成績は上がった。それも順位で言えば一学年二百人中の半分よりもむしろちょっと下側だった圭織が三十位ほどまで上昇したのだから相当なものだろう。しかし、愁也君もそれぐらい上がったのだ。二人の得点と順位は僅差だった。これを成功と見るかどうかは人それぞれだが、私は失敗としか思えない。いや、愁也君の方は成功と言っていい。問題は圭織だ。圭織の実力と私や裕子の助力があれば圭織の成績はもっと上、具体的には十位以内に入ってもおかしくはないと私は見ていた。
元々実力はあるのだ。しかし、圭織はいつものようにその順位を下げた。その原因は勉強以外への興味。今回においては私は圭織が二十位以内に入った場合、圭織に例の特別授業をやる約束をしていた。圭織はそれを目標に努力したが、そのことを勉強中に考え、聞きたいことを考えるなどしてしまい、試験前の最後の追い込みを甘くしてしまったのだ。最後の追い込みあたりは圭織自身のペースもあるだろうから、私は幾つか忠告をするに留めていたため、その様子を見たわけではない。しかし試験後、結果が出る前に圭織から渡されたB5のルーズリーフ二枚にびっしりと書かれた質問の束を見ればその状況が手に取るようにわかった。
参考までに述べておけば、千晴の成績は六十位前後で変化なし、裕子は持ち前の要領のよさを発揮し、私の助言を上手く取り入れたようだった。その証拠にあれだけ教える側に時間を割いたというのに十二位と、かなり優秀な順位を獲得した。私はといえば、周りの具合がわからなかったので苦労したが、何とかセーブしてギリギリで学年トップの成績を取ることを回避することができた。
「ねえ、由里ちゃん。謝るからさ……」
「駄目、約束でしょ」
「うう……」
このやり取りも何度繰り返したかわからない。自分に引け目があるから強くは言わないが、自分の興味のあることなだけに、圭織は教えてもらうというその強い意志を変えようとしない。最近では、可哀想に見えてきて、もう教えてしまおうかと考えてしまうくらいだ。
「まあ、じゃあそれはまた今度話すことにして……由里ちゃん遊んできていいよ? 私ももう大分よくなったし」
さっきと同じく、執拗に私に遊ぶよう勧める圭織の優しさをわかりながらも、私はちょっとだけ圭織をからかうことにした。
「さっきから圭織は私をここから追い出そうとしてるみたいだけど、もしかしてそんなに私邪魔かな?」
私の言ったことを真に受け、圭織は擬音が飛び出しそうな勢いで首と手を振った。
「ち、違うよ! 全然違うのっ! そういうわけじゃなくて、由里ちゃんが居てくれるのは凄い私も嬉しくて、でも、由里ちゃんには楽しんでもらいたくて! それに……」
「それに?」
言いよどむ圭織に私は先を促した。
「その、さっきみたく由里ちゃんに悪いことしちゃったのに、これ以上由里ちゃんに迷惑はかけられないというか……」
「さっきみたく? 何かあったっけ?」
圭織の顔は言っていることが冗談じゃなく、本当に何かを悪いと思っているようだった。しかし、私には心当たりはなかった。
「え? だから、その、愁也君の肩借りたりしちゃって……由里ちゃん嫌だったでしょ?」
――ああ、なるほど。
私は合点がいった。さっきとは歩いていた時のことをさしているのだ。
「別にあんなの気にしてないよ。あの状況だったら女子より体力のある男子の誰かがああしなきゃいけないことは仕方なかったし、圭織が他の慣れていない男子に抵抗あるだろうなって私も思ったもん。愁也君が言い出さなかったら私が愁也君に頼んでたことだよ? それに……」
「しゃあっ!」
少し離れた所で愁也君の友人の一人が水面から顔を出して高々と手を上げた。その手はしっかりと握られており、どうやらガッツポーズのように見えた。
「くそっ!」
少し遅れて、愁也君が水面から顔を出した。こちらは握った手で水面を叩く。そこに小さな水飛沫が上がった。彼らは泳ぎで向こうに見える岩で折り返し、戻ってきたのだ。勝敗は今見たとおり、愁也君の負け。特に何が、というわけではないが、やはり応援していたのは愁也君の方であって、少しは残念な気持ちがあった。
「ははっ! 見たか、愁也!」
「もう一回やろう、なあ!」
「もう一回やっても結果は一緒だと思うけどな。どう由里ちゃん、愁也じゃなくて俺と付き合わない?」
私はその冗談に対して彼を見てにっこりと笑った。
「あっ、お前! 人の彼女口説くな! もう一回やるぞ、次は絶対勝つ!」
「はん、言うねぇ。よし、じゃあスタートっ!」
そう言って彼は一人スタートを切った。それを追いかけて愁也君も海へと飛び込んでいく。
「あ、ちくしょう! こら待て!」
私と圭織はそれを笑って眺めていた。私はさっき言いかけた続きを話す。
「それにね、私は誰よりも圭織と愁也君のこと信じてるから。圭織が私と愁也君のこと応援してくれてるのは知ってるし、こうして眼を見ればわかるから」
「由里ちゃん……」
私は圭織に見つめられ、自分の言ったことが思いのほか恥ずかしい台詞だったことに気付き、それを隠すように立ち上がった。
「ほら、それより圭織も一緒に遊ぼう? 具合よくなったんだし、苦労してここまで来たんだから楽しまないと損だよ」
圭織は私の顔を見てまたにっこりと笑い、差し出した手を取って立ち上がった。
「うん!」