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四章:Intermission-present(3)

 

「ねえ、由里。昨日聞いたココなんだけど……」

 

 そう言って愁也君は電車の中で片手に持った教科書を開き始めた。私は愁也君が指差したその教科書の部分を反対側の上から眺める。

 

 今日は私が立つ番。明日は愁也君が立つ番。愁也君は私よりも前の駅から乗ってきて、そこではまだ席はがらがららしい。だから毎日座れるけど、愁也君一人なので取れる席は一つだけ。愁也君は最初、当然のように譲ってくれたけれど、それを私が断った。些細なことだったがお互いに何故か譲らず、結局交代で座るという無難な所に落ち着いた。

 

 私が愁也君の親切を断った理由は単純。女だからって寄りかかって生きていくというのが我慢ならないからだ。それは、多少はあれども、尽くす側、尽くされる側に分かれるのは嫌い。惚れた側の弱みなんてのは許しても、あくまでも私のなかの恋人というのは対等な存在でありたい。

 

 ……といっても、やはり頼ることにも憧れる。だから私が出来ることはしっかりやる。まずは目の前の質問を片付けることから。

 

「ああ、これはね、こっちのthatにかかるわけ。それで、このthatはここからここまでに相当するから――」

「ああ、なるほど!」

 

 狭い電車の中に愁也君の声が響きわたる。私は思わず手でその口を塞ぎ、愁也君もその上から手を被せた。二人で真っ赤になりながら周りに小さな声で謝る。

 

「まもなく~~、まもなく~~。お降りの際はお忘れ物のないように……」

 

 車掌のアナウンスではなく、あらかじめ登録された女性の声が次の駅が近いことを告げる。その後は英語で同じ内容を繰り返す。

 

 今から止まる駅は私たちにとって流れていく他の駅とはちょっとだけ違った意味を持つ。いや、意味は違うけれど、今この電車に乗る多くの人たちに意味があると言っていい。電車がホームに入り、ゆっくりとブレーキをかけながら止まると、ドアが一斉に開いた。それとともに乗客のほとんどがそのドアに向かう。今まで立っていた人も、座っていた人も、その多くが降りるここは都心へと繋がるJRとの接続駅なのである。私は愁也君の隣に空いた席に腰掛けた。そして電車から出ていく人たちの波が途切れると、それよりは少ないが結構な人数が乗り込んでくる。「逆もまた然り」ということだ。

 

 そして毎朝変わらずこの時間のこの車両、必ず先頭に立っているのは小柄で頭の緑のリボンが映える友人、斉藤圭織だった。

 

 

「ああそこ、私もわからなかった……」

「確かに、ここはちょっとわかりづらいからね。でもだからこそ狙われやすいし、穫れたときは周りと確実に差がつくような問題だから」

 

 私はそう言って他にも狙われやすそうな難しい箇所をチェックしていく。

 

「周りと差をつけるのか、俺そんなこと考えたことないよ。英語なんてただひたすら詰め込むだけ」

「そうそう、単語とか熟語とか」

「それだとどうしても無駄が出て来ちゃうから」

 

 私は説明を始めた。

 

「まず、基本的な問題は取りこぼしなく取る。これは先生たちとしても取ってほしい問題だから、授業をよく聞いていればそれはわかるの。で、それとは別に先生たちとしてはどうしても出さざるを得ないところがあるわけ。昨日愁也君に説明したグラマーとの共通部分とかね」

 

 そこで圭織が慌てて教科書を開く。

 

「それって、この辺とか?」

 

 圭織の教科書には英文の下に赤のボールペンで線が引いてあり、メモ書きがちょこちょこっとしてあった。

 

「そう、あとこの辺とかも」

 

 よく考えれば圭織が来たのは途中からだったから、その辺の話は聞いていないはずである。私は他にも何カ所か指定した。

 

「話を戻すけど、基礎をとって、そういうところを全ておさえるだけで他の人たちとは確実に差がつけられる。平均は確実に越える。そしてピンポイントでそういうところをおさえていけばその分時間に余裕が生まれるでしょ? そしたらさっき言った難しい部分なんかを何カ所かやっておけば一つあたっただけでさらに点は上がるし、なんならその時間は苦手な教科に回してもいいし。結局、わからないところは時間をかけてごり押しすれば解決しちゃうから、苦手な教科にどれだけ時間を回せるか、そのために他の教科の時間をどれだけ削るか、っていうのが重要だから」

 

 私はそう締めくくった。私の正面では愁也君と圭織が真剣な顔で頷いていた。

 

「わかりました、由里先生」

「えっ!? 愁也君、せ、先生っていうのは……」

「もっと教えてよ、由里ちゃん先生」

 

 確かに教えていることは教えているが、なんというか、「先生」というのはこそばゆい感じがする。しかも、圭織の「由里ちゃん先生」なんてのはなんだか複雑な気分になる。

 

「何々、由里先生のテスト前対策講座?」

「うわっ、ユリリンっ、千晴も入れてっ! というか千晴が受けなくて誰が受けるのさっ!」

「だめだよ千晴ちゃん、先生ってつけなきゃ」

「カオリン、そうなの!? プリーズスタディマイティーチャー・ユリリン!」

 

 そのめちゃくちゃな英語に私は吹き出しながら近づいてきた二人の姿を見た。私よりは小さいが、女子としてはかなりの身長に男の子とも見間違うようなショートカットは祐子。しかし白い長い足は確実に女の子のものだ。

 

 それとは対極的に年齢を疑うような背で髪にパーマをかけてクリンクリンにしているのは千晴。もう見た目から元気オーラが出ているような錯覚を覚える。

 

「それじゃ勉強するのはちーだよ」

「そうなの? ゆーちゃんはやっぱ頭いいねー」

 

 近頃は私と圭織、そして愁也君はこの二人と仲がいいが、元々小学校から一緒だという二人の仲は相当なものだ。その証拠に祐子は千晴のことだけを愛称で「ちー」と呼ぶ。普段はクールなキャラで通っている祐子が「ちー、ちー」と言うのには最初、若干の違和感があったが、二人を見ている間にその違和感は消え去った。ちなみにこのことを本人に話したら「ミス・クール」の話を出されるという反撃にあったというのは別の話だ。そして語る必要はないはずである。

 

「それじゃあ放課後に勉強会しない? 図書館とかに集まってさ」

「それだっ!」

 

 千晴が勢いよく人差し指を愁也君につきつける。

 

「でもちーが図書館って、周りに迷惑でしょ」

「なっ!?」

「森さん、じゃあどこかある?」

 

 祐子は少し迷うような素振りを見せる。そこへ圭織がさっと割って入った。

 

「祐子ちゃん、何か考えがあるんでしょ?」

「まあ、ないことはない。……けど無責任な話になる」

「……誰かの家?」

 

 私が聞いた。図書館でなく、放課後この人数が集まって騒いでも問題がない場所なんていうのは自然と場所が限られている。

 

「そう、でもうちは無理」

「千晴の部屋はね――」

「散らかってるから無理」

 

 本人ではなく祐子が答える。しかし千晴は文句はないらしく、まさにその通りらしい。

 

「私の部屋はちょっと広さが……」

 

 圭織がそう続けた。みんなの視線がそのまま順番に愁也君へと向く。

 

「俺の部屋も無理かな」

「あ、見られたくないものがあるとか?」

「芳乃さん、そのネタは定番だけど古い。圭織ちゃんと一緒だよ、単に部屋が狭い」

「じゃあ――」

 

 そのまま全員の視線は最後の一人へと移った。

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