四章:Intermission-past(12)
目の前から発せられる悪意。そして、目の前に立つのは彼のみ。これまで冷静であり一つに纏まっていた私の頭が二分され、迷いが生じる。新しく生まれた方は過去の事象に目を向け、この状況を説明しようとする。元からあったほう、つまり冷静な部分では現在の事象に目を向け、この状況におこるに至った過程を説明しようとしている。
過去から現在を、現在から過去を。異なった二つの考え。どちらが正解なのか、それともどちらとも間違いなのか。二つの考えが混じり合い、正解を編み出そうとする。しかし、この状況はそれを待ってはくれず、後者の考えに有利な事象を提供する。彼の手に握られた両刃の剣は私たちがいたところを裂いた。
「説明、してください」
研究員を抱えたまま大きく後ろに下がった私は結局、自分の頭で悩み、考えることを放棄し、現状を最も正確に把握する術を取った。彼は今、確実に悪意を私たちに向けて持ち、危害を加えるために武器をふるった。このことから、そうしなかった場合、考える頭が残る可能性が減ると考えたからだ。
できれば、前者であってほしい。過去から現在とは、彼がその状況に陥ることは難しい。そのことをふまえればその可能性を外した上でこの現状を説明するという考え。
「……申し訳ありません」
「説明、してください」
今求めているのは現状に対する謝罪ではない、説明だ。その意味を含ませて、再び要求する。研究員は彼に動きがないことを確認し、口を開いた。
「実験は成功しました」
話始めはその言葉だった。まるで、成功したことが失敗であるという言いぶりだった。
「実験は主任の理論を元にしたもので、『他の死の世界から侵入する化け物をこの世界に進入させる』というものでした」
彼の話を思い出す。詳しくは覚えていなかったが、そのようなことを言っていたのは覚えている。
「時空の歪みをこの部屋に作り出し、それを他の世界の歪みとつなげる。理論を元にした実験と言うよりは、理論を実証するための実験でした。そしてその意味では完璧な成功をおさめたんです」
彼の声が次第に暗くなっていく。
「しかし、手順にミスがあったんです。化け物となる魂が歪みを作り出して他の世界に侵入するときは死の世界で無理矢理歪みを作りだし、そこを通り抜けます。外から侵入された場合はその世界の中のどこかにいる異物を除去、もしくは定着させればいいため、それが除去された場合に追い出すためのものとして歪みは開いたままです。しかし何かが外にでた場合は実質無限大な世界の狭間、デッドスポットと呼ばれる部分からそれを連れて戻るのは無理だと判断し、世界は自己修復を始める。つまり自らの死の世界からその分の魂を転生させ、歪みを閉じます。そうして通り抜けた化け物となる魂はデッドスポットから身近な世界に侵入します。
今回の実験の手順もそのような順番を取る必要がありました。つまり本来なら向こう側の歪みを作り出し、数体の魂をデッドスポットに出した後、向こうの歪みを閉じてからこちらの歪みを作らなければならない。そうなれば魂は歪みを開ける努力をしなくていいわけですから、この世界に侵入してくるわけです。しかし、実際に行った手順では向こうの歪みを閉じる手順を忘れてしまっていた。簡単なことですが、目先の実験の凄さにチェックを怠り、誰も気づかなかった。
魂が無理矢理歪みを作り出した時とは違い、私たちは歪みの生じる理論を理解し、合理的に開けたわけですから世界は自己修復を行いませんでした。結果、両方の歪みが開いたままになってしまいます。つまり、外に出たい魂がいくらでもこの世界に入れるようになってしまったのです」
研究員がそこまで一気にまくしたてた。いつもなら理解できそうにない解説だったが、重要だと思われる部分だけを拾って聞くことでなんとか私の頭はついていっていた。
「気づいたのはこちらの歪みを作った時です。予想よりも遙かに多い魂が化け物となってこの世界に侵入し、主任含め数人が何が起こったのかを理解しました。最初にあがった声は『歪みを閉めろ』というものでした。その部分を担当していたのは私でした。私はとっさに両方の歪みを閉めようとしましたが、主任は『こちら側は閉めるな』と言いました。私は疑問に思いながらも指示に従いました。その場はすでに大量の化け物で埋め尽くされ、その場にいる全ての人員が戦うことを要求されていたため、判断する余裕はありませんでした。自分の頭と主任の頭を天秤に掛けた上で、傾いた方を選んだにすぎません。今こうして考えてみれば、主任はデッドスポットに大量の魂が残るのを避けたのでしょう」
そう説明されれば私にも意味が分かった。そうしてデッドスポットに大量の魂が残った場合、それは確実に他の世界に侵入を始める。それがテクノロジーの進んでいない世界だとしたらそれは致命傷となりかねない。結果、彼の判断は正しかったわけだ。他の世界にとっては。
「倒しても倒しても次から次へと襲いかかる化け物達、この狭い部屋で決して少なくない数の仲間。広範囲の能力を使うことは許されず、地道に数を減らすしかありませんでした。しかしあまりに多くの魂が一度に侵入しようとしたために、入り口が足りなくなったのか、その化け物達はさらにいくつかの歪みをこの場に作り出して侵入しました。一対一の力量の差は歴然でしたが、どうにも数が多く、死骸が消えるスピードが追いつかずに、それがまた邪魔になり、一人、また一人と乗り移られていきました。そのことに怯え、さらに仲間が急に襲いかかってくる。攻撃には躊躇いが生まれ、判断は鈍り、そこをまた乗り移られていく…………」
想像しようとした。地獄絵図以外の何ものでもない。しかし、実際は私の想像を超えているはず。そう考えるとその場にいたわけでもないのに吐き気がする。私が手を口に当てた時、彼の体が動き始めた。その動作はついさっきの模擬戦の時とは違い、あまりに緩慢に見えた。
「侵入してくる化け物の数は次第に減りました。しかし、こちらに残ったのも私と主任だけになっていました。勢いを考えるともう主任の戦闘能力を考えればどうにかなるかもしれない。皮肉にも、仲間の数が減ったことで広範囲な能力の使用も可能になったこともあり、そう思ったときです。一体、明らかに他とは違う動きの化け物が侵入しました。おそらくあれは私たちが作った歪みからではなく、別の世界からきた、上級の化け物でした。主任も私も、急には戦闘のスピードを変えられず、主任が他の化け物を全て倒した時、不意をつかれ…………」
そこで私は近くにあったナイフを手に取った。そのナイフで私に向かって振り下ろされた剣を受け流す。もうそこから先の説明はいらなかった。私が見た彼の目を見れば何が起こったのかはわかった。彼が私の言葉をきっかけに理論の完成へと辿り着く時に呟いた言葉の一つ。『目を向けるべきは過去ではない、現実。今実際に起こっている現象そのもの』。条件さえ揃えばどれだけ彼が強くても、乗り移りは成功する。彼は乗り移られたのだ。その最後に残った上級の化け物に。
私は――――選択肢が一つしかない選択を迫られたのだ。