一章:いつもと違う朝(7)
私、神谷由里はあの事故での唯一の生存者、奇跡的な生存者として救急車で近くの病院へと運ばれた。病院側はいくつもの検査をしたが、私の体には何も異常は見つからなかった。しかし、念のためという形で入院することになり、個室の病室のベッドで横になったところだった。
私がベッドに横になってからすぐに、病院には似合わない悲鳴のような大声とやかましい足音が聞こえてきた。その足音は段々と近づいてきていて、私のいる部屋の前で止まった。その止まった足音の代わりに勢いよくドアを開ける音がした。そして廊下を通じてドア越しに聞こえていた声が、間に挟むものが無くなったことでより大きくなってある名前を呼んだ。その音と声と一緒にお母さん、神谷由里のお母さんが飛び込んできた。
彼女は私の無事を確認するとその目から涙をこぼし、「良かった、良かった」と繰り返した。私はその姿に罪悪感を覚えながらも、頭の痛みがひどかったために少し寝かせて欲しいと言った。彼女に遅れて医師と警察が入ってきた。どうやら彼女は警察や医師側から説明を受けるようだ。
そこで寝ようと思った瞬間、彼女たちが出ていくのと入れ替わりに、病室のドアが開いた。そこには手にノートと弁当箱を抱えたあの、教室で出会った斉藤圭織がいた。
「お見舞いに来たんだ」
私の頭は若干の違和感を感じつつ、制服姿の彼女を招き入れた。追い返すわけにもいかないし、その必要もない。しかしそれとは別に私の頭の中にはそうしなければならない、そうするものなのだということがわかっていた。
「これね、休んでいる間のノート。困るかと思って。ねぇ、一緒にお昼食べましょ?」
休んでいる間? 私は今日事故に遭い、今日入院を始めたはずだ。旅行に行ったのはゴールデンウィークで、今日はその最終日のはず。ベッドの横のテレビの上に置かれたデジタル時計も私の思考を裏付けている。何かがおかしい。それに、私は前にこのノートを受け取った気がする。
段々と疑念が膨らんでくるが、私の頭はそれを容易に無視してしまった。
「どうして?」
私は問う。問わなければいけない気がしたからだ。
「だって私と由里ちゃん、友達でしょ?」
そうだ。圭織とは友達になったんだ。私がこっちに来てからの、初めての友達。私は差し出してくれたノートを受け取ろうとする。
「ありがとう、圭織」
しかし、その私の指は差し出されたノートをつかめなかった。親指が人差し指と中指に直接触れる。汗で湿って、ベトベトしたリアルな感触。私はこの先がどうなるのかを知っている。私が私にそれを、その結末を伝えるための方法としてとった一つの方法だということはわかった。だが、わかったところでどうしようもない。
「あなたじゃないわ」
友佳里の口から頭のどこかで考えていた言葉が出る。私が怯えていたその言葉。
「私が友達になったのは、あなたじゃない」
やめて、言わないで。それ以上は、言わないで。
私は出した手を震わせる。次第に体中が震え、自分の体を両腕で抱える。息をうまく吸い込めなくなり、呼吸が荒くなる。噛み合わない歯がぶつかり合う音が頭蓋骨を通じて耳に響いた。
「このノートを作ってあげたのも、お昼を食べようと約束したのも、友達になったのも――」
「やめてっ!」
私自身の声が部屋に響いた。その自分の声と布団を濡らす汗でベッドから飛び起きた。目を開くと、そこは病室ではなく、『由里』の部屋だった。
「はあっ、はあっ……」
荒くなった息を必死に落ち着かせようとする。寒気を体が襲う。かけていた布団をぎゅっと握りしめるが、体の震えはとまらない。
途中まではいつもと同じ夢だった。事故から間を二日とおかずに頻繁に見る夢。でも、まさかあそこで圭織が出てくるなんて。
「圭織……友達、私の、友達だよね……?」
私はこの世界に来たとき孤独だった。しかし、私だった。今は私は私でない。やはり、私は孤独だった。生暖かい液体が私の顔を伝い、再び枕を濡らした。