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四章:Intermission-past(8)

 

「はい」

「ありがと」

 

 私は彼からカップを受け取った。中には芳しいお茶が入っていた。私は甘党なので普段は好んでお茶は飲まない。甘いものを食べるときに一緒に飲むくらいだ。しかし、彼が入れてくれたお茶だけは特別だった。何やら葉から拘りがあるらしく、私でもおいしく飲むことができる。

 

 自分のカップを向かいに置き、彼もソファに腰をかけた。

 

「悪いね、今茶うけのお菓子切らしてるんだ」

「そんな。さすがに私、もう入らないよ」

 

 さっきお店で食べた量を思い出す。あのメニューを制覇したと考えると、それはもう驚異的な量だった。驚異的な量と言うことは、彼が払った金額も驚異的なものということになる。細かいところはわからないが、今ざっと計算してみれば、手当のうちから食費分は軽く飛んでいきそうな金額だ。

 

「ごちそうさまです」

 

 私は彼に向かって頭を下げる。

 

「いや、あれだけ喜んでもらえればお菓子も、お金も本望だと思うよ。僕、あんまり使わないし」

 

 そうなのだった。彼がお金を持っていても、使い道がわからない。趣味はといえば研究だし、他に読書と言ってもその本を書うお金は機関から経費として別口で支給されている。服やなんやだって、彼は安い服でも華麗に着こなす。食費だって大食らいというわけではないし、私のように特別好きなものがあるわけでもない。他にもいろいろと検討してもお金のかかるものというのが見つからない。

 

 次に行う授業で教えることも、彼はなかなか楽しんでいる。知識を互いに深めていくことに喜びがあるということらしいが、私には到底理解できないことだ。私はそこまで考えて一つ思い出す。

 

「そういえばお邪魔しちゃってるけど、次の授業の準備はしなくていいの?」

 

 そういうことで彼は早くこの研究室に戻ったのである。そのことを考えればここで悠長にお茶なんてしてていいのだろうかと、不安になってきていた。

 

「ああ、それなら片手間にできるようなことだから気にしなくてもいいよ。時間にも余裕があるしね」

 

 そういいながら彼はテーブルの上にある数枚のプリントされた紙をめくった。

 

 邪魔にならないのなら別にいい。片手間程度にというなら、私とお喋りしてても別に大丈夫なのだろう。しかし、私はそこでひっかかった。しかし、声を荒げて怒るようなレベルの問題ではない。あくまで冷静に、何かの勘違いだと困るので態度に出さないようにして私は言った。

 

「そんな片手間にできることを時間に余裕があるのにここにやりに来たの?」

 

 言ってから私は後悔した。こんな直接的な言い方をしてしまっては、どんな優しい言い方をしたとしてもその意図は明らかである。

 

「えっと、実は研究が今いいところだからちょっとでも手を着けておきたいなって思って――」

 

 現に、彼の表情には少々緊張の色が混じっている。ゆっくりとための時間を作ってから、彼は私に問いかけた。

 

「もしかして、スウォン怒ってる?」

「…………」

 

 ほら。けど、そうだよ、なんて言えるだろうか。あの場で誘ってくれたのは彼で、代金を支払ったのも彼で、「嬉しそうに食べているのを見てるだけで幸せ」なんてまで言われて。それでちょっとないことを用事にして早くプライベートな部屋に戻られたからといって、そんなことを言うのはあまりにも非常識だと言うことくらいなら私にだってわかる。しかも、その理由というのは彼のやりたい研究のことで、私にそんなことで怒るような権利があるのかさえ不明瞭で、とどめに今は嫌がりもせずその研究の続きを止めて、こうしてお茶まで入れて歓迎してくれているのだから。

 

「……別に、怒ってない」

 

 口の端からそう言うのが私には精一杯だった。しかし、カップの中に視線を落とすと、そこに反射して写った私の顔には怒ってると、そう書かれていた。

 

「ごめんね」

 

 彼が謝る。謝られると、謝っているその申し訳なさそうな彼の顔を見てしまうと、今度はこんな些細なことで腹を立てる自分が憎たらしくなってくる。

 

「謝らないでよ……怒ってないんだから……」

「うん。でもごめん」

 

 沈黙が続いた。彼は私をじっと見て、瞬きすらしない。私はそれに耐えられなくて、カップの中のお茶越しに彼の表情を見る。

 

「ごめん……なさい」

 

 結局、その沈黙にも耐えきれなくなった私は謝りの言葉を口にした。

 

「こういうの私、嫌いだったのに。私のわがままで他の誰かを拘束なんて……」

 

 もうどうしていいかわからなかった。こんなわがままを言って、こんなことで彼に嫌われたくなかった。彼との間にある沈黙に耐えきれなくて口は勝手に動いていた。だからといってこうして弁解をしても、それはさらに穴を深くすることに他ならない。そのことも知っていたはずなのに。結局またどうしていいかわからず、考えていることをそのまま口に出してしまっていた。

 

「嫌いに、ならないで、私のこと…………」

 

 そうして口にして初めて、私の中の彼に対する想いの占める割合の大きさに自分で気づき、驚いた。お茶を通して見る彼の顔がぼやけていた。お茶だけではない、カップも、その下にあるテーブルもぼやけていた。生暖かい滴が一つ、服の上に落ち、その色を周囲よりも濃く染めた。

 

「嫌いになんかならないよ」

 

 優しい声だった。

 

「嫌いになんて、なるわけがない。それに、僕が怒るとするなら、それはこうして僕がスウォンにあまり信用されてないってことの方かな。そっちはちょっと本気で怒りたいかも」

 

 今度は、真剣な声。嘘一つないと、はっきりとわかる声。私は間を置かずに反論した。

 

「そんなっ、信用してないなんてっ!」

「じゃあ、そんなことくらいで僕がスウォンのことを嫌いになるなんて思わないで欲しい」

 

 そして、断固として言い切る、力強い声。そして声の調子がまた代わり、彼は言葉を続けた。

 

「それに、どちらかと言うと逆、かな」

「逆……?」

 

 その意味がいまいちわからず、そのまま彼に聞き返した。

 

「われわれの持っている天性で、徳となり得ぬ欠点はなく、欠点となり得ぬ徳もない」

 

 その声はいつもの彼のものに戻っていた。そして、こうして異世界の誰か――彼が尊敬してやまぬその人――の言葉をこうして引用するのも、いつもの通りだ。

 

「分かりやすく言えば、短所は長所、長所は短所。そうして僕と一緒にいたいと思ってくれることが、僕には嬉しいよ」


更新頻度を週3(火木土)から週2(水土)に変更したいと思います。

その理由としては一話ごとの文章量の増加が大きなものとなっています。

他には、書き溜めたストックが無い時に文章を寝かせる時間が無い、プロットの僅かな変更を行うときに余裕がない、という理由があります。

ただ、ストックに余裕ができたときなどは合間に更新したいと思います。


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