四章:Intermission-past(3)
彼の手から力が抜かれ、私に突きつけられたナイフが彼の腰に収められる。お互いが一歩ずつ下がり、間にあった緊張感がゆっくりと抜けていくのを感じた。彼の眼を見て一礼する。
「また……」
周囲の緊張はまだ消えていなかったが、私の体から力は抜けていた。無酸素運動を終え、酸素を欲しがっている体が大きな息を一つ吐き出し、新鮮な空気を取り入れた。
「また負けた……」
私と彼から十メートルほど離れた位置には、さっきこの戦闘を終わらせた声を出した、顎に無精髭を生やしたおじさん――というと怒るけど――が立っている。そしてそこから更に十メートルほど離れたところに私と彼を中心とした人々の円ができあがっていた。その人々は私や彼と同じ生徒であり、声を出したおじさんはここにいる私たち全員の教官だ。つまり、ここは学校のようなもので、今は模擬戦の授業中である。
学校……いや、訓練所と言った方がいいのか。機関による化け物の撃退訓練を行う教育機関。この世界やほかの世界に訪れ、人の体を奪う化け物に対して自己防衛が行えるように、他の進んだ世界からの技術提供により作られた機関の支部。ここでは様々な能力――例えば身体能力、頭脳など――が秀でている者たちが自ら集まり、自分の世界の安全、そして世界の崩壊を止めるべく訓練や研究に励んでいる。
私もそのうちの一人で、偶然持ち合わせた類まれなる身体能力を手にこの学校へと入った。入った理由は自分の持つ力が人のために活かせるならという至極単純なもの。そこで両親の元を離れ、ここで訓練を重ねている。この学校にはいわゆる卒業というものはなく、その分野においてもっとも優秀な者や、単純に人に教えるのが上手い者が教官となり、互いに自らの能力を高めあっている。なので、昨日までの関係が明日真逆になるということもあるのだ。――といっても、教える側と教えられる側がコロコロ変わってもやりづらいという都合から、一度教官になればある程度の期間はそのままだ。
「二人は検討、次の組み合わせ入れ!」
教官の張りのある声が響き、次の二人が私と彼がやったように模擬戦を行う準備を整えている。今戦闘を行った私たちは教官の言ったとおり、休憩を兼ねて今の試合の検討を行う。
「よし、検討しようか」
彼はそう言ってメモと筆記具を取り出した。要点をメモにしておくのは彼のスタイルだ。たいていはその場で頭に入れてしまう人が多い。
「じゃあまずはいつも通り互いの勝因と敗因から?」
これはいつも決まっていることで、普通勝者から始める。彼は頷き、自分の勝因を一言で述べた。
「心理的な読み合いで上回ったから」
私は嫌々頷き、続いて自分の敗因を述べる。
「深読みのしすぎ」
「そうだね」
彼もそれを肯定し、互いに大きな勝因、敗因に相違がなかったので、本格的に検討に入る。
「やっぱりさ、スウォンはいつも裏を読みすぎなんだよね」
「かなあ……」
私、スウォンは欠点を指摘されて顔を背けた。これは誰と検討をしても毎回言われることで、特に彼には口を酸っぱくして言われている。彼には検討でも、日常生活でも言われているので倍どころの話ではない。そして、私が顔を背けたのにはもう一つ理由があった。彼は私を名前で呼ぶ。これには慣れなくて、未だに照れてしまう。
「人が実際の値打以上に思い上がること、実際の値打以下に評価すること、共に、大きな誤りである」
彼は突然言った。彼自身の口調とは違う、言葉遣いも違う。けど、私は驚かない。これは度々あることだからだ。彼がこういうことを言った時、私はその言葉の解釈を思いつけばそれがあってるのかどうかを聞く。わからない時は黙って先を促す。そういう暗黙の了解が私達の間には成り立っていた。そして私は今、黙ったまま彼の次の言葉を待っている。
「スウォンは僕がスウォンの思考の上を行くと考えている。だから、あんな完全に有利な状態を僕側から作って見せれば、それは僕が仕掛けた罠だと思う。そうだよね?」
私は頷く。作って見せれば、なんて行っていると言うことはやはりあれは彼の作った罠であったということだ。でももしそうだとすれば私の考え方は間違ってはいないはずだった。
「けど、僕はスウォンのそんな性格を知っている。今回の勝負はだから僕が勝った。ここまで言えばもうわかると思うけど、僕はスウォンが僕のことを評価してくれていると考え、スウォンの有利な状況を作り出し、深読みをさせ、その末に勝ったわけだよ。どれを取っても勝ち筋しか見えない。そう考えたならすぐにそれを行動に移すべきだった。その一瞬の思考の停滞が生み出した時間、それだけで全てのあの状況は変わった。僕が投げるフェイントを作る時間を生み出したんだ」
彼は言った。確かに、もうわかった。単純に言ってしまえば私の敗因は私の言ったとおり『深読みのしすぎ』。けど、もっと根底にある敗因がある。『自己の過小評価』、これが私の一番の敗因だ。
「スウォンはさっきの言葉の前者は守れている。いや、守りすぎている。だから後者が疎かになる。つまり、自分の実力と相手の力量の正確な判断。これを身に着けるのが一番だね」
「わかった。後は他に気になったことある?」
負けたのは私なので、主に私が彼に指導を請う形になってしまっているが、彼はそれくらいのことでは文句は言わない。その辺りのことでは彼に甘えてしまう癖がついてしまっていた。
「人はみな、わかることだけ聞いている」
「?」
まただった。私は首を傾げ、続きを促す。
「たぶん、なんでダメだったか、つまり、あの状況に僕が持ち込めてしまったかでしょ? それはスウォン自身が一番わかってるんじゃないかな」
そういうことか。私は思いつく理由を上がるだけ上げてみた。
「火球の威力のコントロール、戦闘の過剰システム化、後は焦り……そんなところかな?」
「うん、その辺は気になるところだよね。システム化はデメリットに対するメリットが多いとはいえないし、戦闘中に時間を気にするのはよくないよ。後気になったところは、そうだな……」
彼は一瞬考え込み、メモを書きながら言った。
「ナイフを手放しすぎかな。僕がナイフを投げるという選択肢を取るだろうと考えたことも含めてね。ナイフの利点って言うのはこの扱い易さだから、投げるのが悪いって言うわけじゃないけど、直線と曲線を活かして相手にジワジワと傷を与えて動きを鈍らせるっていうのが持ち味の一つだから。まあでも、スウォンくらい素早く正確に物体変化の能力が使えれば、投げても作り出すことができると思うけど。でもそれだと強度は落ちるし。後はこの模擬戦で勝ちたいのか、化け物に勝ちたいのかっていう方向性の話だと思う」
彼は検討をそう締めて、メモを仕舞うと立ち上がった。そろそろみんなのいる輪に戻る時間だった。