四章:Intermission-past(2)
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「来ないの?」
――まだだ。
「行くよっ!」
――今だ!
彼のかけ声に先んじて、私は腰のすぐ側で構えていた右手を動かす。腰につけたベルトから三本のナイフを人差し指から小指までの間に挟む。相手に向けられた手のひらを手首の間接のみを曲げて返す。その時に中指と薬指の間に挟んだダガーナイフから力を抜き、相手の喉元めがけて放る。そのダガーナイフが中指の先から数センチも離れぬ間に今度はさっきと逆の動作をし、小指と薬指の間のダガーナイフを放った。
二つのナイフの軌跡は約十度の角度を作りながら互いの間の距離を開けていった。彼までの到着時刻には若干の時間差が作られ、彼の避ける先を制限する。
私は彼が私の思惑通りに、向かって左に避けようとするのを膝の動きから確認し、二本目のダガーナイフよりもさらに左に、再び相手側へと向けられた手のひらを向けた。
すると彼の膝が予想よりも深く沈みこむのが見えた。一本目のダガーナイフが彼の目前に迫る。彼はそれを直前まで引きつけて大きく斜め方向に跳躍する。その直後に彼がいた場所をナイフが通り過ぎ、二本目のナイフは必然的に彼の足下を抜けていった。
私は当初考えていた量よりも大きなエネルギーを右手に注ぎ込み、彼の跳んだ先へと大きな火球を発生させる。最初に予定した彼が斜めではなくそのまま横に移動したときの位置を中心に、その誤差を無視するほどの火球が形成され、彼の行く手を阻む。
しかしその火球は氷り、その氷は瞬間的に地面に足をつけ、彼が触れる部分に対して面を作り出した。彼は恐らくそれを予想してエネルギーを込めていたに違いない。その火球が出現してからでは到底間に合わないであろうエネルギー量の使用した能力と見てとれるからだ。
彼は作り出された面に足をつけ、手をつけた。そして氷は彼を乗せた面のみを残し、何事も無かったかのように消え失せる。それに気づいた時と同時に私は火球があった場所に起こった小さな火花を見た。爆音とともに彼を乗せた氷の面は私の目前へと迫る。その爆発に耐えきれなくなった氷は砕け散り、私の視界一杯に広がって私を襲う。私は前面に暑い熱気の壁を作り出し、その氷のつぶてを溶かした。
溶けた氷は蒸発し、辺り一帯を覆う水蒸気と熱気を作り出す。その立ちこめる熱気のうち中心のみが破れ、肌に冷たい一陣の風を感じさせる。私は最初にナイフを投げたときから体の後ろに回していた左手で、腿の内側につけられたベルトをはずし、最後の一本の片刃のナイフを取る。そのナイフと右手に残した一本のダガーナイフを構え、吹き抜けてきた風の中から威圧感を感じる場所を二カ所探し出してそれぞれを両手のナイフで突いた。
鋭い金属音が響き、爆発の加速度がつけられた彼の重さがナイフ同士が触れた二点から伝わる。私は足に力を入れたことでそのまま押されて四、五メートルほど後方に移動した。かかる重さが軽減したところですかさず、受け止めた彼のナイフを左右に捌く。
私と彼、ナイフを持った両手は共に広げた状態になり、互いに自分の身を相手に晒すことになった。私の両手が内側にあるだけ、私の方が有利か。しかし、その判断は間違っている。ナイフを捌く行為は両方ができたこと。そしてどちらが早く出来たかと考えれば、力をかけた彼の方が早く出来たはず。となれば、この私が有利という状況は彼によって作られたもの。そうみていいだろう。
――ここから相手が有利になる行動は……?
彼との戦闘では、いつも一秒以下、コンマ数秒の判断の遅れが勝敗を左右する。数十パターンの彼の行動を予測し、それに対する対応を練る。しかし、どのシミュレーションも最終的に私の一撃でけりがついてしまう。
既に戦闘が始まってから、私がナイフを手にした瞬間から四、二秒が経過している。彼との戦闘の平均時間は五、一秒。もうとれる行動はあまりないと考えるべきか? いや、前例を宛にするのは無意味だ。この思考は廃棄。
けど、彼の勝ち筋が見えない。常に私の思考の上を彼のこと。また私には及ばないさらに上の思考があるのだろうか?
仕方なく、最終的に私が勝ってしまうものの、彼に最も有利なものを選び、それに対する方法を取る。恐らく互いにエネルギーは大技とこれまでの姿勢制御によってゼロ。後はナイフと格闘による接近戦のみ。外側に両手をよけられた彼が私より先に攻撃する術は手首を返したナイフ投げによる遠距離攻撃。両手にある二本のナイフを角度を変え、時間差をつけて投げれば、私がそれを目視した後に後方に下がっても回避は不能。そう思ってるうちに彼の両手の手首がひねられる。
――予想通り!
後ろに下がってだめなら前に出れば良い。彼の手の位置からして内側には投げられない。私は足場を蹴り、既に詰まっている彼との距離をゼロにする。後は体当たりをくらわせ、ナイフを投げて武器のなくなった彼の喉元にナイフを当て、制圧完了。しかし、私の筋書き通りに事が進むことはなかった。
私の体は彼にぶつかったが、その衝撃は予想よりも少なかった。彼も私より少し遅れて後ろに下がったからだ。その異常に気づきながらも既に行動を始めた私に作戦を変えることはできない。両手を広げたまま彼に向かって投げ出される形になった私の体は彼の肘によって押され、二人の間に空間が出来る。それと時を同じくして鋭い音が響き、両手に持ったナイフがたたき落とされた。
――彼はナイフを投げていない!?
交差するように彼のナイフが喉元に突きつけられ、私は無駄な抵抗とわかっていながらそれを蹴り上げる。蹴り上げられた彼の両手はその私の蹴りの勢いを殺さずに降り抜き、大きな円を描きながら私の体を襲う。それを私は必死に避けるが、反対側からもう一本のナイフが私を襲う。それを避けようとするがそのナイフは軌道を変え、逃げる私を追い続ける。
ナイフでの近接戦闘時の原則、直線と曲線を巧みに使った二本のナイフ捌き。
「やめっ!」
既にその前からこの展開は決まっていたのだろう。私がその状態に陥った瞬間に怒声が私の耳元で響く。
戦闘開始から七、九秒。勝敗は決した。私の負け。これで、記念すべき三十敗目。彼との戦績は三十七戦で七勝、三十敗となった。