一章:いつもと違う朝(5)
悲しい、しかし私にとっては幸運ともいえる偶然。そんな偶然が私の目の前で起きた。私は今、バスの転落事故の現場にいる。私が今日中に乗り移らなければいけず、既に僅かながら始まっている時空の歪みに怯えていたとき、私の見ているその時に、丁度その事故は起こった。
急にカーブから猛スピードで飛び出すバイク。とっさにハンドルを切ったバス。突き破られるガードレール。そのまま頭から転落するバスと、そのあとを追うように続いたバイク。
正に一瞬、瞬きをする暇もない、瞬きをしていればなにが起こったのかわからないほどの間の出来事。事故現場に残ったのは二台のブレーキ跡と、突き破られたガードレールのみ。
バスはそのまま下まで落ちたが、バイクは偶然途中の木にひっかかった。私はふと気になることがあり、その現場にいくことにした。一つのやましい考えがあったからだ。
バスは転落後、エンジン部で小さな爆発を起こし、悲惨な状況になっていた。その様子からは中にいる乗客も全て死んでいるように思えた。
しかし私は希望を捨てず、中へと入った。既にぐちゃぐちゃになり、身元がわからないような人間だった固まりに吐き気を催しながら、その悲惨さに出来るだけ目を背けないようにして私は奥へと進んでいった。シートベルトをつけ、座席に座ったままの人間。立っていたのか窓ガラスや天井にたたきつけられた人間。中には小さな子供を抱きかかえている女性らしき遺体もあった。そしてそれらを躊躇しながらも跨いでいき、最後の座席に、その人物を見つけた。
おそらく、18程度の年齢の少女。既にその体は生命活動を停止しようとしているが、まだほんの僅かに息はある。偶然かそれとも意志在っての行動か、左右から友人たちに覆われ、被害が少なかったようだ。覆う二つの体はしがみ付くようにも見えて、まるでその友人たちに守られたかのようだった。
決めるなら、すぐに。私は思った。適正年齢の少女。いつこの少女が生命活動を停止するかわからない。こうして考えている一瞬にさえその意識は尽きようとしている。もう助かることのない人間なら乗り移りに最適ではないか。
しかし、死ぬ人間が死なずに帰ってきた場合、この少女は葬られることはない。悲しまれることはない。私が乗り移ればその人間は実質的に死ぬことになる。しかし、その死を知るのは見ず知らずの私だけだ。乗り移った後も、この人の周りの人間たちを皆だますことになる。この他人の体を酷使することになる。果たして、それでいいのか。それは他人の未来、死後を奪うことにはならないのだろうか。死んだからといって、手厚く葬られ、悲しまれることを奪っていいのか。
さんざん迷ったあげく、時間がないことが私を決断させた。私は乗り移ることにした。この世界の時空が歪むまであと七時間ほど。どっちにしろ私に選択肢は残されていない。彼女の周りをだまし、彼女になり、生きているように振る舞う。私一人が、罪を負う。