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三章:欲しかったのは(9)

 

「今、愁也君にお粥作ってもらってるから」

 

 私が玄関でうずくまっている間に圭織が近所の人たちに説明してくれたらしく、騒ぎは収まった。私は動転していてその時のことを覚えていない。気付いたらこうしてベッドに横になっていて、圭織がそのベッドの端に腰掛けて、私の髪をとかしている。

 

「ごめんね、急に来ちゃって」

 

 服を見てみればいつの間にか替えのティーグリーンの無地のパジャマに着替えており、この締め付けられる感触からすると下着もつけている。それを確認しようと胸元を覗こうとしてみても、一つしか開いていないボタンの前には無意味だった。体にじっとりと纏わりついていた汗も拭き取ってあるように感じる。これらのことを自分でした覚えはなく、出来るとも思わなかった。しかし、その場で立てないだの嫌だだの言ってた記憶は少しあり、これがまた恥ずかしい。

 

「ううん……ありがとう」

 

 さらにはお粥を男の子に作ってもらっているなんて、なんだか理想とは逆だ。

 

「圭織は悪くないし、むしろこうして色々とやってくれて助かってる」

 

 そう、悪い人がいないので、それが私の怒り、いや、拗ねてるのかもしれない、とにかく、その感情の行き場を無くしているのだ。

 

 そこへ、軽いノックの音が二つ。

 

「由里ちゃん、もう大丈夫?」

 

 圭織が耳元でつぶやく。近所の確かに恥ずかしいが、どうせ会わなきゃいけない、いや、むしろそれを抜きにしたら会いたいのだ。私は小さく頷いた。

 

「とりあえず大丈夫」

「じゃあ、愁也君どうぞ」

 

 ドアが開き、片手にお盆を持った愁也君が現れる。とりあえず、と言ったのは、たぶんまだ顔は直視できないだろうから。

 

「その、熱は大丈夫?」

「……大丈夫」

「大丈夫みたい。平熱くらいまで下がってるよ」

 

 私の言葉を補足するように圭織の助け船が出る。実際、体の怠さも大部分がとれ、傷の痛みももうあまり無い。後はこのまま一日も寝ていれば明日からは学校に行けるだろう。

 

「良かった……」

 

 大きく息をついて出たその言葉が、さらに私を安心させた。

 

「何かまだすることあるかな」

「うーん、ないかな。私はこれを洗濯機に入れてくる」

「あ、じゃあ僕が……」

「これはダメ」

 

 圭織はそう言って私が脱いだ――脱がされた?――ものを一つに纏めたものを持っていった。確かに、中には男の子には見られて困るものも入っているし、私の汗で濡れた服に触られるのにも抵抗がある。こういう時は圭織の気づかいが嬉しい。

 

 しかし、圭織が出ていくと必然的に部屋に二人となり、そのことをちょっと意識してしまう。彼、愁也君も同じことを考えているだろうか。どちらにしろ会話は生まれず、二人の間にあるのは沈黙だった。

 

「ほんとに良かった、直ぐに下がって」

 

 最初に言葉を発したのは愁也君の方だった。私は小さく頷いた。壁の方を向きながら。

 

「結構心配したんだ。連絡もないし」

「……ごめん」

 

 話したくないわけではない。むしろ、話したい。けどこの状況とさっきあったことが私の恥ずかしさに拍車をかけている。また二人の間に沈黙が訪れる。

 

「とりあえずお粥どう? お腹減ってない?」

「うん。実は朝から食べてなくて」

「じゃあ冷めないうちに……」

 

 そう言ってお盆ごと差し出してくる。しかし、そこには何かが足りなかった。

 

「どうぞ」

「ありがとう。でも」

「どうしたの?」

「その、どうやって?」

「どうやって、その、まさか、食べさせて欲しいとか……?」

 

 私はその様子を想像してまた顔を赤くする。下がっていた体温が僅かに上がる。

 

「そ、そうじゃなくて!」

 

 そう。お盆の上にのっているのはお粥の入った鍋だけ。スプーンやれんげといったものがない。どうやら愁也君も気付いたようだった。

 

「ほんとだ、今取ってくるね」

 

 ドアが開く音がして、愁也君と入れ替わりに圭織が再び部屋に入ってくる。恥ずかしくて直接話せない今は圭織がいてくれた方が気が楽だ。私はほっとしてドアの方を見た。

 

 圭織は何かを見つけたようだった。

 

「あ、まだ洗濯するものあったんだ」

 

 圭織はちょっと不思議そうな表情でベッドに近づき、しゃがんだ。

 

――まずい。

 

 ベッドから素早く飛び出そうとするが、既に圭織はそれを手にしていた。

 

「駄目!」

「どうしたの?」

 

 圭織今拾い上げた黒のブラウスに軽く目を向けながらそう言った。目がある一点を通った時、圭織の目線はそこで固定された。

 

「何これ?」

 

 素材の黒とは違う、微妙に赤がかった黒。それは明らかにデザインとは言えなかった。圭織はそれが血だと知っているだろうか? その量は普通に生活していれば人生で一度もみない人もいるに違いない。果たして、それでもそれが血だと気付くことが出来るだろうか?

 

 圭織は服を広げて高く上げる。ただのシンプルなブラウスのはずなのに、左側の布が不自然に減っていた。つまり、そこには穴が開いていて、丁度その穴から圭織の困惑した顔が見えた。ということは当然、圭織には私の顔が見えているだろう。私は今、どんな顔をしているのだろうか?

 

 先ほど見た不自然な黒はその穴を中心に広がっている。これがクイズや何か、落ち着いて考えられる状況だったなら圭織も正解に辿り着ける可能性はあったかもしれない。しかし、この唐突な状況では圭織の頭はろくに働かないはず。いや、この沈黙、圭織が何も言えないという様子から判断すれば、圭織は既に正解に辿り着いていると見るべきか。けれど、例え頭が働いたとしても、その答えを正しいとは判断できないはず。

 

――と冷静に考えてみたところで、私の体も動かないじゃないか。

 

「これ……」

 

 その声のニュアンスからして、少なくともそれが普通じゃないとはわかっているであろう圭織が声を出したのと、私が圭織の手からそれをひったくったのはほぼ同時だった。


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