三章:欲しかったのは(3)
「由里?」
遠慮がちにドアが開いた。部屋の中で鳴り響いていた目覚まし時計のアラーム音が廊下を通じて家中に行き渡る。私はなおも覚醒しきれていない頭を働かせ、目の前で声を出した人物が誰なのか、確認するために被っていた布団をずらす。
「もう時間過ぎてるわよ、どうかしたの?」
お母さんはドアの横のスイッチに手をかけた。部屋には隅々まで人工の光が行き届き、私は頭まで被った布団を介してその突然の眩しさに顔をしかめる。その布団を下げてみると、心配を隠せないと言わんばかりの眼が二つ、こちらを見ていた。
「どうしたの?」
深夜、三時から始まった三度目の戦闘が終わり、帰ってきたのはつい一時間程前だった。
あの後私は残り僅かのエネルギーを使い、ゆっくりと帰ってきた。戦闘で受けた傷は完全に治す余裕はなく、残りの傷はエネルギーが戻ってから治すつもりだった。家に着いた時にはろくに体力も残っておらず、起床時間まで一時間しか無くても私は睡眠を貪った。
記憶にはないが、いつの間にか布団を被っていた。起き上がろうともしたが、体が暖かいベッドに未練を残すようにへばりついていたのだった。それに、体がちょっと重かった。
体に力を入れると、何とか体が持ち上がった。左の脇腹にズキズキとした痛みを感じる。目の端でベッドの横に置かれた目覚まし時計を見ると、普段ならとっくに起きている時間だった。しかし、布団を被っていたことにせよ、起こされたとはいえこの時間に目が覚めたことにせよ、習慣とは恐ろしいものだ。私はそこまで考えて、あくまでもそれは由里の習慣であることに気付き、苦笑した。
――こんなになっても学校には行けと?
由里の心は私の中にあり、それは消えずに残っていることは先日確認した。それを踏まえると何だか根は真面目な由里が布団も掛けずにだらしなく寝た私に、いつまでも寝ている私に抗議しているような感じがする。
私はうるさくしていた目覚まし時計を止めた。その時に脇腹にある傷のせいではなく、寝起きの怠さとも違うものが体の重さの原因であると感じた。
「ちょっと、体がだるいかも……」
私の言葉にお母さんは一言「あら」とだけ言って、私の側へと近づいて来た。お母さんは私の額へと手をやった。
「あら、少し……熱い?」
お母さんは焦った様子でかけていき、その手に体温計を持ってすぐに戻ってきた。
「はい」
「ありがとう」
私はその体温計を受け取り、着ている服に手をかけた。が、その時、体の怠さとはまた違う違和感があった。
「あら、あなたなんで服着てるの?」
昨日戦闘から帰ってすぐ寝たので私服のまま寝てしまったようだ。さり気なく布団をあげて傷のあたりを見ると、その周辺の服が穴が開いているのが分かった。マグロ頭が貫通した証拠でもある。暗くてよくは見えないが、黒いブラウスには血の跡も残っているはず。
お母さんから見ればこの様子は全く見えないはずだが、この前も制服のまま寝てしまったので、そういった観点から見てもおかしくは見えるだろう。
「えっと、ちょっと早く起きたんだけどやっぱ怠くて横になったの」
「でもあなた朝御飯食べてから着替えるじゃない」
「それは……」
そうだった。私は毎朝起きたら顔を洗い、朝御飯を食べ、歯を磨き、やっと着替えるのだ。私がなんと答えたらいいか困り果てていると、そこに思わぬ助け船が現れた。
ピピピピピ!!
電子音が鋭く耳に入ってくる。私は驚いて肩をすくめた。が、すぐに目覚まし時計にもう一度手を伸ばし、今度は電源のスイッチをオフにした。
続いて控えめな電子音が鳴った。今度は驚かずにそれを手に取り、自分の眼で液晶に表示された三つの数字を確認して、それを無言でお母さんに差し出した。
「あら!」
お母さんはそれを見て元々大きな方である眼を更に見開いた。今にも眼が飛び出しそうだ。
「38.0度もあるじゃない!」
そう言って私の額に手をやった。そして自分の額に空いた手をやり、私の熱を確認すると慌てて部屋から出ていった。