二章:好きと嫌いと(22)
「ちょっと長いけど、話してもいい?」
「うん。いいよ」
私の話はそう始まった。
「私ね、今まで公平が一番大切なことだって思って生きてきたの。だから、クラスの中で誰か一人がいじめられるのはおかしいと思って助けた。それが友達でも同じように助けるべきだと思った。だから、一人を助けて一人を助けないあなたを非難した。友達になった圭織を今まで以上に助けた自分に疑問を持った。非難した。」
彼は既にコーヒーの入ったカップを置き、私の話を聞いていた。私は続けた。
「でも、それは間違いだって気づいた。ううん、気づかされたの。私達は全ての人に平等になんてできない。それは中途半端になることだって気づいた。全ての人に、中途半端。
人は親しみという感情を誰かに覚えたのと同時に、他の人にはその人とは違う感情を持っている。良い方だけなんて選べない。もし全員を同じようにするなら、全ての人に無関心でいなきゃいけない。
でも、それってたぶん、人として生きてるって言わないんだろうと思う。だから、人は生きるために人を愛して、大切なものを守る。そのために人を憎むって、わかったの。それで、私が前まで圭織のことを助けてたのは同情だったって気づいた。どこかで、私もはっきりしない圭織に苛ついてた、見下してた部分が少しはあったんだと思う。そして圭織を助けて、私は感謝されて、満足してた。私は公平だって、これで公平が守られているってね。
でもね、この前のは違ったの。私は圭織を助けたいって思った。それは私が満足する為じゃなくて、圭織のために助けようって思って行動できたの」
私は一息ついてカップを手に取り、甘いミルクで渇いたのどを潤した。
「それでもっと考えた。この前あなたに怒ったのはそのせいなら、私はそれに気づいたときあなたをもっと簡単に許せる。というより、謝れる、って。でも、私はまだあなたの行動に納得がいかなかった。公平じゃなかったからじゃない。私の中の何かはあなたの行動に対して身勝手な怒りをもったはず。じゃあ、それは何?
それはね、私は私よりも圭織を助けてほしかったから。圭織が助かることの方が私にとって重要だった。だから圭織を助けなかったあなたを怒った。そうだって気づいたの。
けど、それも違うってわかった。違うって言うより、間違っているの方が正しいかな。それは自分勝手だって。私が圭織を助けようと思ったように、あなたは私を助けようと思って助けてくれた。そして何か私にはわからない理由があるのかもしれない、ってことにも気づいた。人には人の優先度がある。なのに、私は私を二度も助けてくれたあなたを……ごめんなさい」
私は頭を下げた。これは自分の考えだった。もしかしたら、違うかもしれない。私を助けようと思って助けてくれたって言うのは自惚れかもしれない。そうとまではいかなくても、ただ単に顔見知りだから助けてくれたのかもしれないし、全然違ってあの彼女、深谷と呼ばれた彼女が嫌いだったのかもしれない。けど、少なくとも私のことを助けてくれて、それで彼にあんな態度をとったのはよくない、謝ることだった。私は今日、それを伝えに来たのだった。
「そんな……頭を上げてよ」
彼は言った。その声に彼のいつもの声の調子はなかった。静かな声だけど、けどはっきりとした意志を持った声だった。彼は、私の話をちゃんと聞いてくれていた。
「僕も、あの後考えたんだ。確かに、僕は彼女、斉藤さんがいじめられているところを見たんだ。そして僕は彼女ら軽く注意したんだ。でも、本気で止めようなんて気はなかった。急ぎの用事があったこともあって、僕は、すぐにその場を立ち去った。急ぎの用事って言ったって、そんな重要だったわけじゃない。彼女を助ける方が重要立ったと思う。けど、あの時彼女、斉藤さんは僕の外側だった。正直、あまり関係ないなんて思っていた。だから神谷さんが言うように言うなら、優先度が低かった。
神谷さんの時は、その、気づいたらかっとなって、深谷さんの腕を掴んでいた。彼女は僕のクラスメートだし、ちょっとしたこともあったから。そして神谷さんも知っていた。僕の内側で起きた出来事だったんだ。
神谷さんに指摘されて、僕はなんて自分が嫌な奴なんだろうって思ったよ。弁解はしない。僕は彼女を助けなかった。それは事実で、謝るべきことだろうって思って僕もここに来たんだ。ごめん」
彼はそう言って頭を下げた。
「そんな、悪いのは私――」
「違うんだ、神谷さん。前の神谷さんがどうだったかは僕は知らない。確かに、そう聞けばその頃の神谷さんは悪いところがあったのかもしれない。
でも、助けていたことは事実だし、それに気づいて、友達のために迷ったとはいえ、動けた神谷さんは偉いんだよ。いじめられている人を見て、そのとき動かなかった僕は悪いんだ。それは動かない事実なんだよ。それを、僕は神谷さんに教えられたんだ。ありがとう」
彼は今度はありがとうと言って頭を下げた。私も彼の言うことがわかった。どちらが悪いとかじゃない。言うなら、両方悪かった。けどたぶん、それを知った私達はそのときよりは良くなった、そう考えていいように思えた。
「そう、ね。そしたら、私達が謝るのは圭織にってことね」
「そうだね」
私達はそれを確認すると、ほとんど同時にカップに手をつけた。二人共長々と話していたので、のどが乾いていた既にミルクは冷めていて、一気に二口、三口とのどに流されていった。
「冷めちゃったね」
彼のコーヒーも同じ様だった。そこで私は一つの提案をする。
「まだケーキに一口も手をつけてないし、もう一杯頼む?」
「じゃあ、それは僕の奢りにしてくれないかな?」
「えっと、それは……」
私は口を濁らせる。胸の内をスッキリさせたところで思い出すと、これは佐藤君が私を助けてくれたお礼なのだ。ミルク――コーヒーになってしまったが――とケーキを休みにご馳走する。それがお礼だった。
お礼だと何だといっても、高校生二人がこじゃれた喫茶店でこんな風に話しているというのは――話している内容は別として――、私が意識していたようにデートに他ならなかった。それを意識すると何だか気恥ずかしくなった。助けてくれたとはいえ、会ったその日にデートの約束をするなんて、その時の私はどうにかしてたのかもしれない。
「僕、まだ一つ、つけたして言いたいことがあるんだ。そのためにも、僕に奢らせて欲しいんだけど」
「?」
私には話は全て解決したように思えていた。このことは明日圭織に二人でそれぞれ謝る。圭織が許してくれるかどうか、たぶん、あの優しい圭織は許してくれるのだろうけど、それ以外は解決したはずだった。
「僕が、なんで神谷さんを助けたのか、神谷さんが言った言葉で置き換えるならなんで僕の中で神谷さんの優先度がなんで高かったのかっていうことなんだけど……」
私はドキリとした。私の中でつっかえていたものが刺激されたような感じだ。私がどこかで回答をほしがっていたもの。それが私はまだなんだかわからず、心臓の鼓動が早くなり、落ち着かせようと最後の一口のミルクを飲んだ。
そこで私は始めて気づいた。私はどれだけ鈍いのだろう。いや、彼も相当なものだ。だってまだ気づいていないのだから。もし、もし気づいているとしたら、知っててやっているのだとしたら彼には勝てそうもない。
中学生みたいなことを……と、馬鹿にされるかもしれないが、今の『私』には結構重要なことだった。このミルクは、既に彼が飲んだものだったのだ。
私は頬をうっすらと赤く染めながらも、彼の提案を受け入れた。