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二章:好きと嫌いと(20)

 

 日曜日。目の前のドアが開き、私はさっとホームに降りた。その瞬間に私は一瞬解放感で満たされる。あれ以来、意識しまいと思っていても、そうそう簡単に忘れられる出来事ではなく、電車は苦手になってしまった。

 

 そうやってついこの間、一週間ほど前のことを思い出しかけ、私は小さく首を振った。今そんなことを思い出して自分から気分を下げる必要はない。ただでさえ、これから下がるかもしれないのだから。

 

 でもその記憶の中から都合の良い記憶だけを思い出そうとする。あの出来事が印象的だったため、その後の出来事も私には印象的だった。吊り橋効果、なんて言われてしまえば否定はできない。あの肩をそっと支える暖かい手。私はそれで思わずドキリとしてしまった。彼に好感を持っていた。そして、次の日曜日――つまり今日の予定を楽しみにしていたはずだったのだ。

 

――なのに今は。

 

 ようやく慣れてきた普段のホームとは違い、階段を昇る必要はない。そのまま出口へと向かい、定期券を通して改札を通る。

 

 結局、悪いことを思い出してしまう。それは、何事でも楽しいことばかりじゃなくて、歩いていればいつかは嫌なことに突き当たるだろう。でもそれは、歩いているからのことであって、この前私自ら道を断とうとしてしまった事柄には当てはまらない。あの後色々あり、自分の身勝手さを思い知り、彼と真剣な話がしてみたいと思ってみても、今は一言を交わすことすら難しい。そんな状況だと理解しているのに、私は今万が一という言葉だけを頼りにして、未練たらしく約束の場所に向かっている。

 

「はぁ……」

 

 そう考えてみれば、私はなんて馬鹿なのだろう。途端に自分のやっていることが滑稽に思えてきて、さらに気分は落ち込んでいく。

 

「もう、帰ろう……」

 

 けど、今通ってきた改札を一分とたたずにまた通るのも恥ずかしいし、そのまま帰ってももっとむなしくなるだけ。そう考えて私は一部予定通り、喫茶店に行くことにした。毎週のモーニングコーヒーをたまには違うところまで飲みにきた、そういうことにしよう。

 

 私はずり落ちてきた鞄を肩の元の位置に戻し、目的地に向かって歩くことにした。しかし、そこには私よりもちょっぴり背の高い影があった。彼だった。

 

「どうして……」

 

 向こうも思っていたのか、私が口にしようと思っていた疑問が彼の口から出る。私が来たのが心底おかしいと思っている口振りだ。彼も私が来ないと思っていたらしい。ならば、彼は他の人との待ち合わせではないのか。そう考えながらも、私はそれを否定する。万が一にでも来るかもしれない相手がいるのに、全く同じ時間に、全く同じ場所で待ち合わせをするはずがない。

 

「来てくれたんだ」

 

 彼が言い、私の考えは裏付けられる。私の口はどうしたらいいかわからなくなって、勝手なことを言い始めた。

 

「お礼は、お礼だから……」

「そっか」

 

 ふざけたことを言った自分に怒りながらも、それが私の素直な思いであることを私自身はわかっていた。しかし、今のではなく、三日前の私の本音だ。なぜそれを私は今言ってしまったんだ。

 

 彼がすこし悲しそうな顔をする。これは三日前、彼にあの疑問を投げかけた時から決めていたこと。来ないだろうけど、私は行く。約束は守る。ひたすら公平が正しいと信じて疑わなかった頃の私と由里の気持ち。

 

 でも、今の『私』の本音は違う。この三日間で考えを変え、ここに来よう、来たいと決めた気持ち。それをなんとかして自分の口に言わせる。

 

「でも、この三日間であなたに言いたいこと、聞いてほしいことができたの。だから私はここに来た」

 

 彼は落胆の表情を僅かに変化させる。

 

「でも、なんであなたはここに来たの?」

 

 私は続けて濁すことなく、はっきりと言った。約束をしていたのに、来ると思って来たはずなのに、お互いがここに来たことを不思議に思うというのは、これまた不思議な話だ。

 

 彼は口を開いた。

 

「僕も、言いたいことができたから。自分なりに考えたんだ、何で彼女を助けなかったのか、何で神谷さんを助けたのか。あの時答えられなかったことを。だから来たんだ」

 

 じっと彼の眼を見る。それは真剣で、覚悟を決めた眼だった。私はわかった。やはりこの彼に言わなければいけない。謝らなくてはいけないのだと。

 

「行こっか」

 

 私は彼の横を抜け、目的の喫茶店に向かって歩みを進めた。足音を聞き、彼もその後に付いてきたのがわかった。私の足取りはさっきよりも少しだけ、軽くなっていた。


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