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二章:好きと嫌いと(1)

 

 カップの取っ手に指を通し、片手で持ち上げる。そして目をつぶり、立ち上る湯気に鼻先を近付けると、何とも言えぬ香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。それを十分に楽しんだ後、更に持ち上げて口元まで運んだ。何度か軽く息を吹きかけて丁度いい温度まで冷ますと一口、その液体を口に含んだ。黒い液体が口の中を動き周り、舌にふれて特有の苦みを……

 

「ん~っ!」

 

 私はつぶっていた目を見開き、うめき声を上げた。声を出そうとしても依然液体は私の口の中にあり、口は開けることはできない。

 

 吐き出すことだけはなんとしてもまずいと思い、しかしそのまま口の中に入れておけばその苦みは消えない。外にも出せず、そのままにしておけないとなってしまえば、その行き着く先は私の喉の先に受け入れるしかなかった。まだ冷えてなかったそれは私の喉を焦がすようにして胃へと運ばれる。

 

「げほ、げほっ!」

 

 その熱さと舌に残る苦みに思わず咳き込む。静かな休日の朝のこの時間、まだ人は少なく、テラスにいた数人の客がこちらに一瞬だけ目を向けた。しかし他人のことには興味を見せないのがこの世の現代。すぐに興味を失ったようにして各々がそれまで目を向けていたノートパソコンなり、文庫本なりへと視線を戻していった。その一方、お店にとっては代金を払うお客様が神様とも言われるのがこの世の現代でもある。そのお店に教育されたウェイターは私が咳き込んでいるのを見るとすかさずやってきて声をかけてくれた。

 

「お客様、大丈夫でしょうか」

「だ、大丈夫です」

「冷たいお水をお持ちいたしましょうか?」

「いえ、結構です。すいません」

 

 私はそのウェイターにほほ笑みかけつつ、テーブルの上に置かれたポーチからハンカチを取出して口元を抑えた。

 

 今日は日曜日。私は今、由里の、つまり私の行きつけのコーヒーショップに来ている。特に予定のない休日の朝はとりあえずここでモーニングコーヒーを楽しむのが私の習慣らしい、習慣なのだ。

 

 しかし、ここで問題となるのは今の私の頭と心と体の問題である。私の中ではこの苦さを楽しむ頭と、苦さを嫌う心と、その味を知る体とがせめぎあったいた。

 

 その結果、結局勝ったのは心、つまりは『私』の好みだったわけである。家で出される料理の好き嫌いの感じからしておおよそ結果はわかっていた。だが、そもそも味覚というのは脳によってどうこうなるはずなのだ。しかし、乗り移りによって脳がどうなるのかというのは未だ全くわかっていないことなのである。

 

 もし元の生物の脳が残るとすれば乗り移った側の意識んどはどこに存在するのか、しかし乗り移った側の脳に物質的に変わるというのもおかしい。などなど、私の世界の遥かにこの世界を超越したテクノロジーですらわかってないことだらけなのだから、この世界の知識では解ける事のない謎だ。

 

 そもそも、そういった事を考えるのは私の専門じゃない。こういう事を求められるのは学者であり、私に求められるのは戦闘やアクシデントを乗り越えられる機転と能力である。

 

 そして今解決すべきは『由里はコーヒー(苦いもの)が好きなのに、私は甘いものが好きでこんな苦いコーヒーなど飲めない』という問題だ。流石に急に好みが180度変わってしまっては周りは変に思うだろう。しかし、今飲んで試してみてわかったが、この由里の体になったからといってこんな苦いものを楽しむどころか、飲めるようになったわけではない。

 

 あれこれ考えている間も私の舌に残る苦みは消えてくれない。この苦みを中和すべく、体が甘いものを欲している。

 

 ふと、テーブルの上にあるものに目がいった。全てのテーブルに備え付けられた、小さな容器に入った白い粉。


「……そっか」

 

 私はその蓋を開けると中のスプーンでそれをどぼどぼとコーヒーの中に入れていく。加減がわからないので、とりあえずは感覚で甘くなりそうなぐらい。

 

 それを自分のティースプーンでかき回して溶かす。中々溶けなかったが、まだコーヒーが暖かかったため、なんとかなった。

 

 少し身構え、再びカップに口をつける。既に熱は引いており、躊躇なく口に入れることができた。今度は口の中に甘味が広がる。中々おいしい。

 

――ちょっと甘過ぎかな? でもこのざらつく食感も結構……食感?

 

 少しの疑念は無視することにし、その新しい味を楽しむ。これならまあ、飲めそうだった。由里はブラックなどの苦いのがお好みらしい――色々と豆の種類やブランドにもこだわっているらしい――が、とりあえずはこれで我慢してもらおう。ちょっとずつ砂糖の量を減らして慣れていけばいい。

 

 私が一人で納得し、軽く頷いていると急に後ろから声が聞こえてきた。その声は小さい声だったが、私の耳にはしっかりと届いた。

 

「ねぇ……それ、甘く、ないの……?」

 

 短い髪にほとんど隠れた控えめな緑のリボンは制服の時と変わらない。圭織だった。


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