五章:ひとつひとつ(7)
5時限目終了のチャイムが鳴る。色々と考えてみたが結果は出ない。こんな状況で他人を100%巻き込まずに済ませる方法なんてマニュアルには存在しない。戦術のエキスパートがあらゆる場合を想定して作り出したマニュアルを上回る手段を、冷静じゃない一介の戦士である私がポンと思いつくわけもない。そして、他人を犠牲にすることをよしと割り切れるような感性も持ち合わせていない。けれど、もたもたしている時間もない。次の、6時限目の最中にことは起こる。なんにせよポイントに向かわないことには話は始まらないのだ。私はノートや教科書などを手早くしまうと、頭に手を当てて立ち上がった。
「笠原さん、ちょっといい?」
「何?」
同様に片づけをしていた彼女はその手を休めてこちらに向き直った。
「私、少し頭が痛くて」
「本当? 大丈夫?」
「うん、ありがと。少し横になれば直ると思うの。次の授業笠原さんも一緒でしょ? だから、先生に保健室に行くって事伝えておいて欲しいなって」
私は早口にならないよう気をつけて、だるそうに、ゆっくりと喋った。
「うん、もちろんいいけど。あ、私保健室まで一緒に付き添うよ。ちょっと待って」
彼女はそういうと急いで机の上を片付け、次の授業の準備を始めた。私はそれをとめる。実際に保健室に行くと抜け出すのが面倒だ。だから、誰かについてこられるのは困る。
「でも……」
「ほんとに大丈夫だから。それに、あの先生何かとうるさいし」
そこで突然、肩に誰かの手がかけられる。私がそれに振り向こうとする前に、その手の人物は私の一歩前に出た。
「笠原さん、由里ちゃんは私が連れてくよ。次の授業の先生、どうせ最初の5分くらい来ないし」
「そう、じゃあそうしてもらおうかな。神谷さんも、斎藤さんの方が安心だろうし」
「そ、そんなことはないけど」
私は少し慌てて言った。
「いやいや、そういう意味で言ったんじゃないよ。ただ、周りから見てても羨ましいくらい、二人は仲いいからさ」
「あ、ありがとう」
私は気恥ずかしくなり、顔を伏せた。
「じゃ、行こうか、由里ちゃん」
「うん」
私は圭織に手を引かれて教室を出る。するとドアの近くの席に座る千晴がこっちをじっと見ていた。
「ユリリン、具合悪いんだ」
「うん、ちょっと頭がね」
そう言って私は額の辺りに手を当てた。しかしその後の千晴の返答の言葉と、眼は普段とは何か違った。
「ふーん。私にはそんな風には見えないけどなぁ」
「え?」
私の表情が固まる。すぐにほぐして笑顔を作るが、一瞬とは言え今の私の表情は見られたに違いない。
「まあ、しょうがないか。優等生のユリリンにだってサボりたいときはあるよねー」
「そんな、サボりたいだなんて私」
「千晴」
こちらは普段どおり、冷めた声で裕子が千晴の名前を呼ぶ。
「あまり意地悪言って困らせないの。本人が言ってるからそうなんでしょ」
私は何もいえなかった。裕子の方を向くが、彼女はこちらを見てもいない。私は困り果て、もう一度千晴の方を見たが、その目つきは変わってはいない。
「ほら、本当に由里ちゃんの顔色悪いよ。じゃあ私たち行くね? いくら遅れてくるって言っても間に合わなくなっちゃうし」
「そうだね。由里、お大事に」
「ユリリンお大事にねー」
圭織に肩を支えられて教室を出た私の体調は、もはやあながち嘘でもなかった。
圭織は私を保健室の方向に誘導してくれた。その間圭織は無言で、私がチラッと顔を伺い見てもこちらを向くこともしなかった。保健室がいよいよ近くなったころ、周りの人影が少なくなったのを見計らって私は圭織に声をかけた。
「圭織、実は私――」
「わかってるよ。またあの化け物とかいうのが出るんでしょ?」
圭織は足を止め、こちらを向かずに言った。
「そう、なの」
「わかるよ。由里ちゃんが体調悪くないことくらい。もっとも、この顔色じゃ今はどうか知らないけど」
「……どうして?」
私は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。まだ何も言っていないし、してもいない。そもそもどうするかすら決まってない。
「だって私、由里ちゃんの親友だもん。由里ちゃんが嘘ついてるのなんかもうお見通しだよ? それで授業でないってことは、化け物っていうのが出たのかなって」
そうか。そもそも嘘をついていることがばれていたのか。そんなに私の演技はあからさまだったのだろうか? でも、笠原さんは別に何も言わなかった。けど笠原さんも気づいていたのけど言わなかっただけなのだろうか。
「二人も、気づいてたみたいだね」
「うん……私千晴のあんな眼、初めて見た」
明らかに、私を非難していた。嘘をつく私にだろう。それとも、何も言わなかったことにだろうか。
「でも、二人は直接言ってくれたよ?」
そうだ。笠原さんが私の演技に気づいていたのなら、そこをつっこんで聞いてこないのは彼女がそれだけの仲だということだ。気づいていなかったのなら、やはりそれだけの仲ということ。つまり、二人は……。
「私、幸せなんだね」
「そう、だね」
暗い気分は消えた。二人に事を隠し続けるのは心が痛むが、二人が私の友達だからこそ、巻き込むわけにはいかない。こんなところで、しょぼくれてる場合じゃない。
「圭織、私行かなきゃ」
「由里ちゃん、私何か手伝えないの? この前みたいに……」
「ダメ。この前は状況が状況だったから特別。あれが二人が生き残る最善の手段だったからああしたの。それに、もう圭織のそのリボンには力は残してないから。私は、圭織を巻き込みたくない」
圭織は緑のリボンにさっと手をやった。
「でも、由里ちゃんが一人で戦っているのに、私だけ授業を受けてるなんて……」
「一人じゃないよ。今までは一人だったけど、今は圭織が私が戦っているのを知ってくれてる。この世界で、頑張ってる私のことを一番氏って欲しい人が知ってくれてる。それだけで私は一人じゃない」
自分のしたことを知ってくれている。私の存在を、認めてくれている人がいる。それは本当に心強いことだった。それだけで、私は頑張ろうという気になれる。
「でも……」
圭織はまだ何かをいいたそうだった。私は圭織に近づいてそっと髪に触れると眼をつぶって圭織に語りかけた。
「じゃあ、圭織にお願いがあるの。圭織にしかできないこと」
「なに?」
「圭織には、私の大切な人たちを守っていて欲しい。今度の戦いは犠牲者が出るかもしれない。出したくないけど、難しい。だからせめて、その犠牲者が私の大切な人たちじゃないように――千晴、裕子、愁也君、そして圭織。4人で安全な場所にいて。何とか言って引き止めて、学校に留まっていて。私の戦いが終わるまで」
「……わかった」
「ありがとう、圭織」
そう言って私が圭織の頭から手を離し、目を開けようとした瞬間。何かが私の唇に触れた。
「え?」
「半分はわかったけど、由里ちゃんだけが危険な目にあうのは納得いかないから、その罰。愁也君とのキス、まだなんでしょ? だからもらっちゃった由里ちゃんのファーストキス」
「か、圭織!」
「あれ? もしかしてファーストキスはほかの人と済ませてた? でも、『由里』ちゃんとしてはどっちにしろ初めてだよね?」
私はふと、ある人を思い出す。彼とも、していない。そして由里も、したことがないらしい。だから、正真正銘のファーストキスだった。
「じゃあ私、そろそろ授業行かなきゃ。あ、愁也君には私から謝っておく?」
「い、言わなくていい! そんなこと!」
そんなことをしたら、互いに意識することになってしまう。
「じゃあ愁也君と初めてするときにでも自分でいいなよ? そのときには愁也君に私がごめんって言ってたって伝えておいてね」
「もう、わかったよ。……圭織、恨むからね」
圭織は笑って私に背を向けて歩き始めた。そして二、三歩私から離れたところで一度立ち止まり、もう一度振り向いた。
「じゃあ、由里ちゃん、頑張ってね」
私はその声を聞くや否や、側の開いている窓から飛び出した。
きっと、圭織にその姿は見えなかっただろう。
長いこと休載していましたが、再開します。
更新頻度は前と変わらず、週二で水土です。
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