17番ホール: アクシデント
10月にはいり、今まで以上に仕事に追われたが心地よい忙しさだった。
その忙しさの中でも、ゴルフのことは忘れなかった。というより、イベントが次から次へとやってきた。
ひとつは交流試合だ。児玉社長の学友が社長を務める高富不動産が相手だ。
この会社も企業対抗戦に毎年出場しており、今年も予選を通過し決勝に進出するゴルフの強い会社だ。
うちの会社が企業対抗戦に出場したことを知って、直接児玉社長に試合を申し込んで
きたらしい。うちとしても、試合の経験を積めるいい機会ということで受けたようだ。
はっきり言って実力はうちより上だが、ゴルフは何があるかわからない。
試合の会場は千葉県にあるローズフォレストカントリークラブだ。
当日は、小雨の降る生憎のコンディションだったが、ゴルフ場の名前の通り数十種類の薔薇が咲き乱れ、
雨に濡れた花がいっそう色鮮やかに見える。
今回の対抗戦のルールは、参加者各チーム8名の平均スコアーで勝敗を決めるというものだ。
高富不動産の選手は、片手シングルの猛者が2名、そしてシングル(ハンディーキャップ6〜9)が
2名の合計4名が企業対抗戦の正選手だ。
うちの会社で対抗できるのは、せいぜい巽部長と佐藤課長くらいだろう。
俺も一選手としてチームに貢献したいと思い、目標スコアーを88に設定した。
これまでのベストスコアー89をどうしても更新したかった。それも試合で。
各組2名づつ選手を出し合い、4組でスタートした。俺は、巽部長と同じ組だ。
何度も一緒に回っているので安心できる。
一方、高富不動産はエースの山代さんとハンディーキャップ8の及川さんだ。
山代さんは小柄、及川さんは180cm以上の長身で、二人のギャップに思わず笑ってしまいそうだ。
それでもプレイが始まると、山代さんのプレイに俺は驚愕した。パーオンしなくても絶妙なアプローチで
必ず1m以内に寄せてくる。そしてバーディーチャンスはカップをオーバーした。
ボギーを打たない山代さんのゴルフは、すごく簡単そうに見えた。
初めたばかりの俺でも、いろいろなテクニックを駆使しているのがわかった。
もう一人の及川さんは豪快なゴルフだ。バーディーもくるがボギーもでる、
出入りの激しいゴルフだった。ボギーが続いても全く意に介さず、次のホールでは
果敢に攻めてバーディーは4つを数えた。圧巻だったのは525ヤードのロングホールで、ティーショットを
290ヤード飛ばし、残り235ヤードを5番ウッドでピン横3mに
つけたホールだ。
このホール、俺は2打でグリーン手前20ヤードにつけていた。
ピンからグリーンエッジまで5ヤードだから、エッジに落としてピンに寄せる。
20ヤードの距離はいつも練習している距離だから自信がある。
ところが打つ瞬間、力が入ってしまいザックリ。
結果1mもボールは飛ばなかった。その後寄らず入らずのボギーとしてしまった。
ピンに寄せてバーディーを強く考えてしまった。この辺の力量というか練習と本番の違いを痛感した。
俺はそんな人たちに囲まれ、気持ちだけでも負けまいと必死だった。
おかげで18ホール気持ちを切らさずプレイすることができた。
良かったのは、上がりの3ホールを1オーバーで回ったことだ。スコアーのことは頭の隅に追いやり、
ひたすら目の前の1打に集中した。ミスショットもあったが、なんとかカバーすることができた。
上がってみれば、山代さんと巽部長はパープレー、及川さんは4オーバー、
そして俺のスコアーはなんと85だった。ベストスコアーを大きく更新したが、
三人のプレイを間近で見たせいか満足できる気分ではなかった。
自分の足らない部分ばかり気がついた1日となった。
それでもダブルボギーはラウンドで一つもなかったのは収穫で、これがベストスコアー
の最大の要因だと知った。巽部長からも、アマチュアはパーをとることが最大の目標で、ボギーなら良しとする。
ボギーなら挽回できるチャンスもあるが、ダブルボギーは
バーディーを2つ取らないとプラスマイナスゼロにはならない。
これは、アマチュアにとって容易なことではないと教えられた。
そして山代さんの冷静な判断による14本のクラブをすべて使いこなす技術、
特にアプローチでのクラブ選択や打ち方は、ボールのライ、ピンのポジション、
風などの影響などを考慮した結果だろう。及川さんの常に前を見てプレイする姿勢。
この二つは心にしっかりと刻んでおこうと思った。
ラウンド終了後のパーティーで成績が発表された。
高富チームの平均スコアーは81.4、我が児玉組は83.2。その差は1.8打差だった。
たった1.8打だが、されど1.8打だ。
俺のスコアーは全体で12番目、児玉組の中では5番目だった。
あと3打縮めれば、児玉組で4番手に上がれる。やはり課題はアプローチの精度をいかに上げるかだ。
練習場ではそこそこ打てるものの、本番ではそれにランが加わる。正直こうなるとよく分からなくなる。
以前佐藤課長からは、本番で距離感を養うことが必要だと言われたが、
毎週ゴルフ場にくるわけにもいかないし、どうにかしないといかん!懇親会では、いろいろ情報交換を
することができた。
といっても、俺の情報などたかが知れており、もらうばかりだった。
ラウンド中の心構えや練習方法を、山代さんや及川さんが教えてくれた。
「沢田さんは聞いていた通り、気持ちのいいプレイをしますね。リズムがいい、
これからも大切にしてください」
山代さんからお褒めの言葉をいただいた。
「山代さんはラウンド中、何を大事にされてるんですか?」俺は聞いた。
「そうですねえ。ゴルフを、そしてゴルフ場を楽しむことかな」
「ゴルフはわかりますが、ゴルフ場を楽しむとはどういうことでしょうか?」
「それはね、ゴルフ場は自然の中にある。フェアウェイ、ラフ、バンカー、樹木、池、川、海、空、風、
雨、自然がたくさんあるでしょ。すべていろいろな顔を見せるんですよ。
1日のうちでも違うし、日が変わればもちろんね。注意深く見ていると飽きないんですよね」
俺にはまだ自然を楽しんだり、観察する余裕がないような気がする。
ゴルフのプレイのことさえまだできていないが、山代さんは、結果としてプレイにも余裕が生まれると言っていた。
この懇親会では俺だけでなく、うちのメンバーも勉強になったようだ。
こんな対外試合も楽しいものだ。これだからゴルフは楽しい。
最後に両チームお互いに健闘を称えあい、山代さんと巽部長が握手をして再戦を約束した。
帰り際、巽部長から呼び止められた。
「沢田くん、今日のゴルフは良かったね。プレイ中に態度が堂々としていた。
ミスをしても動揺したそぶりがなかったし、常に前を向く姿勢は立派だったよ。
技術面はまだまだ勉強しなきゃいかんけどな」そう言って車に乗り込んだ。
帰りの車の中で、部長から言われたことを思い出しながら今日のラウンドを振り返った。
一打一打が映像になって思い出された。
高富不動産との対抗戦が終わって3週間が経ち、ダブルス選手権の地区決勝に向けて、
以前からの課題であるアプローチを徹底的に練習した。
西垣プロに52度のサンドウェッジ1本を使って指導をしてもらい、ピッチエンドラン、ランニングアプローチ、
ピッチショットの3種類のアプローチを打ち分けられるようになった。といってもボールの位置を変えるだけで、
球筋をコントロールするものだ。
さらに西垣プロの紹介で、アプローチができる練習場にも行った。
最近、天地さんの図書館の仕事などでほとんど二人で出かけていなかったので、千夏を誘って朝から出かけた。
最初に打ちっ放しで1時間ほど練習してから、アプローチ練習場へ移動した。
俺は、西垣プロから教わったサンドウェッジ1本で、早速試してみた。
まずは基本となるピッチエンドラン。わかったことはキャリー7に対してランが3というのが俺の距離だった。
ランニングアプローチは4対6、ピッチショットは俺には難易度が高くヘッドの芯で捉える確率が低く安定しない。
西垣プロも当面は使わないほうがいいといっていたので、諦めることにした。
天然芝から打つことによってキャリーとランの距離感を大体掴むことができた。
後は本番でこのテクニックを使いこなすだけだ。
千夏は相変わらずシャンクが出ていて、悪いことに俺が背を向けているときにシャンクしたボールが
俺のくるぶしを直撃した。まさに骨折でもしたのではと思うほどの激痛で、しばらく足を引きずる羽目になった。
笑いながら謝る千夏に昼飯で手を打ってやったが、他人の痛みをわからないやつだ。
その晩風呂に入る前にくるぶしを見たら、一目で赤く腫れているのがわかる。
グループL I N Eで携帯電話で写真を撮って、“千夏のシャンクで犠牲者出る!!”と題し、
写真付きで送付したら、田之倉や由佳ちゃんは心配してくれたが千夏だけはスマイル(それも泣いて喜んでる)の
スタンプを返信してきやがった。
そのうち彼女の人生のためにガツンと言ってやる!!
ダブルス戦の地区決勝当日、足の晴れもなんとかひき痛みもほとんどなくなった。
会場となるここ神奈川県の名門コース相模ゴルフクラブ湘南コースは、住宅街の閑静な場所にあり
男女プロトーナメントも行われた事のある超名門コースで、難易度が非常に高い事で有名だ。
距離はバックティーで7,200ヤード、グリーンは常に11フィート以上、フェアウェイはさほど狭くはない
もののラフが深く、まさしくハザードとなる。
スタート1時間以上前に入り、ドライビングレンジで所定の30球を打ち身体を慣らした。
ほぼ同時刻に巽部長も来られ、一緒に練習グリーンに移動した。
紅葉にはまだ早いが、新緑の深い緑が目を休ませてくれる。
やっぱり人間はビル街ではなく、自然の中で生活するのが一番だとつくづく思う。
アウト、インにそれぞれ練習グリーンがり、スタートとなるアウトの練習グリーンで早速練習を始めた。
最初のパットはいつも気持ちの良い振り幅で何も考えず2球打つ。
2球ともほぼ12ヤードの地点で止まり、安定したストロークで打てている。
「部長、とんでもなく速いですね?」
「こういうグリーンは我々アマチュアはなかなかお目にかかれないな。
マスター室で確認したら、今日は11.5フィートだそうだ。3パットに気をつけないとな。
たくさん転がして慣れておくといいよ」
俺は言われた通り、今まで以上に時間をかけてパットをした。
パットにはそれなりに自信があったが、距離感がなかなか掴めなかった。結局掴めないままスタート時間がきた。
今日一緒に回るチームは、二人とも千葉県のゴルフ場のメンバーさんでシングル
プレイヤーだ。そういえば一色さんたちも来ているはずだったが、顔を見ることはなかった。
全国大会への切符は、地区決勝ではあるが難易度の高いコースということもあり過去3〜5アンダーくらいが
カットラインだ。
出だし5番ホールまではパープレーと堅調な滑り出しだが、そろそろバーディーを取っていかなければいけない。
アクシデントは6番ミドルホールで起きた。
ティーショットで俺は右ラフ、部長は珍しくひっかけ左のラフへ。
俺の方が距離が出ていてピンポジションも左サイドだったので、俺のボールが採用となった。
ボールは深いラフで上から見ないとボールが見えない状態だった。
残り150ヤードだったが、部長は届かないと判断して9番アイアンを手にした。
ところが、ボールは30ヤードくらい飛んでまたしても右のラフに止まった。
視線を部長に戻すと、部長はそのまにうずくまっていた。
「部長!大丈夫ですか?」
「芝にクラブが取られて手首を痛めてしまったようだ」
痛みのせいか表情がかたい。部長はゆっくり立ち上がり、グー・パーを繰り返した。
「まあ何とかなるだろう」そう言って次の地点に歩いて行った。
俺も部長がそう言うなら大丈夫だろうと気楽に考えた。
残り120ヤードをピッチングウェッジを短く持って、ラフに負けないようコンパクトにしっかり打ったボールは、エッジに落ちてピン手前2mくらいに止まった。
俺らしい奇跡的?なショットだった。このホール、部長が1パットで沈めパーで凌いだ。
次の7番ホールは、部長のティーショットは明らかに力のないスイングで、ボールは200ヤードも
飛んでいないようだった。やはり、先ほどの痛めた左手首が悪いようだ。
一緒に回ったチームも心配そうにしていた。
「部長、棄権しましょう。その状態でやっても悪くするだけですよ」俺は部長に言った。
「ありがとう。でも、もう少し様子を見たい。9ホール終わってから考えよう」
残り3ホールをパープレーで凌いだものの、俺から見ても部長のスイングは見ていて痛々しかった。
結局午前の9ホールをパープレーで終わった。
ホールアウト後、部長に意を決して言った。
「部長、棄権しましょう。やっぱりこれ以上やったら手首によくないですよ」
野球でも打撲や捻挫はよくあり、関節は無理をすると長引いてろくな事にならない。
同伴のチームも棄権を勧めてくれた。部長も申し訳なさそうに納得してくれた。
俺は事務局に事情を説明し、棄権する旨を伝えた。事務局の女性がフロントに連絡を入れて、
湿布を用意してくれた。帰り際には支配人まで出てきて、心配いただいた。
名門コースとなるとやはり配慮の仕方が違うと心から感心した。
今日の試合は残念だったが、ラフの強さがこれほど身体にダメージを与えるものかと身にしみて感じた。
部長のことだからスイングに間違いはなかっただろう。
その日の夜、部長から電話があった。
「今日は済まなかったな。君には迷惑をかけてしまった」
「とんでもないです。部長がいなければ地区決勝にも行けませんでしたし、それより早く手首直してください。
病院は明日行かれるんですか?」
「朝、様子を見てから決めるよ。ゴルフで怪我したなんて社長に言ったら笑われるのが
オチだからな」
冗談が言えるくらいだから大丈夫かもしれないと思いながら、
「関節は気をつけた方がいいです。後になって後遺症みたいのが出る時がありますから。経験者語るです」
「おいおい、そんなに脅かすな。まあ、心配してくれてありがとう。それじゃ」
恐らく明日の方が痛みや腫れがひどくなるかもしれない。しかしゴルフでこんな怪我をするのかと初めて知った。
千夏への結果報告を兼ねて、部長の件は聞かれる前に言っとくかと思いK L I N Eをした。
数分後、早速電話がかかってきた。
「もしもし、部長大丈夫なの?」いきなり本題からきた。
「まだ分からないよ。明日の朝、様子を見て病院に行くと言ってたけどね。
スイングする度にかなり痛そうにしてたから、長引かなきゃいいけどね。正直ちょっと心配だよ」
「そうねえ。ほんと心配だわ。大したことなきゃいいけど。
ところで、試合は棄権したのよね。残念だったわね。いい線言ってたんじゃないの?」
「午前の9ホールでパープレイだったから、ちょっと全国には届かなかったかもな。
でも部長のお陰でいい経験ができたよ。レベルの高い人たちのプレイを間近で見る
こともできたし、試合になると緊張感がいつもよりグッとくるから、それがたまらなく興奮するよ」
「普通は緊張して思うように力を出せないっていうけどね。でもその気持ち私もわかるかな。
剣道の試合直前は、ドキドキというかワクワクというか私も好きかも」
「だろ!よし、来年ミックスダブルスに出ようぜ。きっといいチームになれる!」
「まったく怖いもの知らずね。もう少し修行してから考える事にするわ」
「その言い方、冷たいね。俺は寂しいよ」
「勝手に寂しがってれば!枕でも抱いて早く寝なさい!」
「ああ、そうするわ。枕に千夏の写真でも貼って言われた通り寝るよ」
「キモ!無断で私の写真使うな!!肖像権侵害で訴えるわよ」
千夏との冗談半分の会話はいつも楽しいと感じる。多分千夏も楽しんでるに違いない。
そんな千夏がどんどん大切な存在になっていく気がする。
翌日、部長は朝から出社したもののやはり手首の痛みが引かず、定時後に会社近くの
整形外科に行った。後で聞いた話では手首の腱が炎症を起こしているらしく、最低2週間はゴルフは禁止との
診断であった。
2週間後に固定されていた手首の湿布は取れたものの、柔軟性を取り戻すために
さらに2週間を要した。部長は歳を取ると怪我の治りが遅くなってかなわんと珍しくぼやいていた。