9番ホール:ダブルス①
合宿を終えた児玉組ゴルフ部。大樹の最大の課題である”経験”不足を補おうと、巽部長がダブルス戦への出場を命じる!?
合宿明けの月曜日は少し早めに家を出て会社に行った。
「おはようございます。」すでに榊原さんが出社していた。
「おはよう。合宿お疲れ様。今日は早いのね」
「榊原さんこそ。木曜日の打ち合わせ資料の整理をしようと思って。明日の午前中迄に纏めるつもりです」
「お願いね。それで良いわ」
今日は榊原さんから依頼された課全体の4月から6月までの受注実績と7月以降の見通しを作成する予定だ。
データや補足は指示された通り関係者から収集したので、あとはそれを集計してコメントなどを追記して完成だ。
仕事もきちんとやらないと課長から何言われるか分からないので、期日通りやらなければいけない。
パソコンと睨めっこしながら頭の中を整理していると、10時過ぎに課長が出社してきた。立ち寄りではなさそうなので、月曜日からフレックスのようだ。席に着くと榊原さんが呼ばれた。
「木曜日の資料だけど、いつ見れる?」
「はい。明後日の朝一にはお見せできます」以前課長から依頼されていた期日だ。
「それじゃあ遅いよ。明日朝一で見せてくれ。頼んだよ」
「明後日とのお話だったと思いますが・・・」
「沢田が今回作るんだろ。そのくらいできるだろ!なあ沢田?」もしかしてオレが標的になってんのか!?
「はい、大丈夫です。今日中にまとめるよう頑張ります」
「別に頑張らなくて良いから、結果を出せば言うことはない」
榊原さんは不満そうな表情だったが、末木課長は席を立ってそのままどこかへ行ってしまった。
「沢田くん、ごめんね」
「大丈夫ですよ。最初は間違いなく明後日と言っていたんですから。何かあるんじゃないですか」
榊原さんを困らせるのは本意ではないので、今日中にやるしかない。
「じゃあ悪いけどお願いね。わかんない所があったら、なんでも聞いてね。私も協力するから」
「分かりました。頼りないかもしれませんが、安心してください!ゴルフ以上に頑張りますから!!」
オレの冗談で、榊原さんにも笑顔が戻った。
まずは各チームから集まった数値を集計することからだ。実績はすでに出ているので
集計するだけだが、見通しと今期の予算対比が少し手間がかかる。課全体では予算を達成しているが、
チームで未達となっている場合、理由が明確になっていないと大問題だ。それがあると、担当の主任に確認する
手間が発生する。その理由も筋の通ったものでなければならない。
兎に角集計を急いだ。
あっという間に12時になり、時間の経つのが早く感じた。一応集計は完了したが、やはり予算に達していない
チームが2つあった。状況を榊原さんに説明して、食堂に向かった。
月末なのと合宿で財布が寂しくなっていたので、今日はカレー大盛りにした。
食堂の窓際で一人で食べていると、そこへ千夏がトレーを抱えてやってきた。
今日のトレーには、焼き肉定食が乗っていた。ご飯の盛り具合から大盛りだろう。
「大樹、合宿お疲れさまあ。どう調子は?」
「調子?仕事のことだったら最悪だよ」
「え、どーしたの?」
オレは今朝の課長との出来事を事細かく説明した。
「オレはどうでもいいけど、榊原さんの立場もあるのにひどい話だよ」
「何か急ぐ事情があるならちゃんと説明すれば済むのに。大樹が嫌われているとか?」
「はっきり言うね。オレもそう感じているんだけどね。ゴルフでギャフンと言わせたかったけど、撃沈された」
「それはしょうがないんじゃない。年季が違うし」
「まあね。お陰で多分今日は残業だよ。榊原さんにも迷惑かけたくないからね」
「そっかあ、残念」
「え、何が?」
「時間空いてれば、ご飯でも食べに行こうかなって思って。忘れちゃった?」
「忘れてないよ。オレもちなっちゃんのスケジュール聞こうと思ってたとこ。木曜日はどう?」
「オッケー。多分大丈夫。いや絶対予定入れないから」
「了解。取り敢えず時間は18時で、場所は現地集合にしようか」
「いいわ。お店の場所は後でラインしとくね」
「よろしく。」そう言ってオレは事務所に戻った。午前中はムシャクシャしていたが、今は気分がいい。
千夏の存在がオレの中で大きくなっているような気がする。
午後からは、過去の資料を参考にして各チームのコメントを整理して一覧を作成。
その上で、全体の辻褄があっているか確認した。課全体では予算は達成している。
問題は2つのチームの予算未達理由と対策に正当性があるかどうかだ。
ここまで纏めて、榊原さんに相談した。すでに16時になっていた。
「良くできてるわ。3つのチームは問題なしね。井出さんと村上さんのチームの予算未達理由が少し弱いわね。
これじゃ課長は納得しないわね。今日は二人とも出張でもうすぐ戻るはずだから、
そうしたら打ち合わせしましょう。二人には私から連絡しとくから。会議室を17時から取っておいてくれる。
沢田くんも参加してね」
オレは会議室をパソコンで予約を取り、榊原さんに報告した。
「少し休憩してきていいわよ。課長も出張から直帰だしね」榊原さんはウインクした。
1日デスクワークはどうも苦手だ。身体を動かしてる方がよっぽどいい。
自動販売機でコーヒーを買って、食堂の片隅で携帯電話を取り出しいつもやってるゴルフゲームを立ち上げた。
その時、千夏からL I N Eが入った。
「お疲れさま^^。お店だけど木曜日18時に予約取れたよ。楽しみにしてるから!!
お店はU R L参照してください。 https://www.lalala.co.pp」
連絡が早いけど、あいつ仕事してんのか?でも千夏と二人で食事なんて楽しみだな。
何とも自販機のコーヒーが美味しく感じた。
席に戻ると榊原さんが打ち合わせの準備をしていた。
「すいません。準備手伝います」
「大丈夫よ。資料のコピーは取り終わったから。沢田くん、何か良いことあったの?」
「え!いや何もないですよ。なんでですか?」
「なにか嬉しそうな顔していたから」
嬉しそうな顔していたのかな。いかん、千夏と食事するくらいで浮かれていては。
「会議室に先に行ってます」
「そう、お願いね。時間になったら二人と一緒に行くわ」
「よろしくお願いします」
5分ほどしてから、榊原さんが井出さんと村上さんと一緒に会議室に入ってきた。
「昨日からネチネチ細かい事をうるさいんだよ。何度も説明してるんだぜ。」村上さんの愚痴のようだ。
「それだけ心配してるのよ」
「自分の成績のことをだろ。他の課からも有名だぜ、うちの課長」
村上さんは榊原さんと同期の先輩だ。よく愚痴を言っているのが聞こえてくる。
井出さんは二人より1年後輩で、常に控えめだ。
「さっさとはじめましょ」
要点は予算未達見込みの理由とその対策だ。
井出さんの方は、代替案件でほぼカバーで切る見込みだということですんなり終わったが、村上さんのチームは
代替案件もなく、対策がなかった。
そもそも今期見込んでいた案件が、顧客の業績悪化に伴い来季以降に延期されたものだから顧客都合と
いうことになるが、リスクヘッジという点で責められたら返す言葉がない。
唯一、来季ほぼ受注が確定している案件を前倒しできないか可能性を探った。
榊原さんから、この案件に関しては課長に出馬してもらい、顧客と折衝するという提案だった。
可能性は高くはないが、課長の出番を作ってダメなら課長も納得するだろう。
もちろん、課長出馬の前に村上さんが顧客と折衝するのは当然だが。
どちらにしろ課長から二言三言罵詈雑言を言われるのは覚悟しておかねばならないだろう。
他人事ながら、村上さんが気の毒になってきた。
打ち合わせは、1時間ほどで終了した。
明日の打ち合わせは、課長の他に榊原さん他主任の面々だ。課全体では予算は達成する
見込みなので大荒れになることはないだろう。
席に戻ると巽部長に呼ばれた。
「仕事の話ではないんだが」部長はにこやかな表情で話し始めた。
「君のゴルフをここ数ヶ月見てきたが、これから1年の練習が非常に大事な期間となる。これからの練習や経験を
積めば、シングルプレイヤーも夢ではないと思う。実は社長も君には期待しているんだ」
巽部長が何を言おうとしているのか、皆目検討もつかず黙って頷いた。
「日々の練習は、練習場の西垣プロに指導を受けているから大丈夫だろう。技術的なことを除けば、
君の課題は実践の不足だ。そこで君には来月行われるダブルス戦に出場してもらおうと考えている。
パートナーは私だ」
仕事の話ではないが、雰囲気は仕事の話をしているみたいだ。それにしても、なんでこれほどまで真剣なのか
分からなかった。
「一つ伺ってもよろしいですか?とてもありがたいお話ですが、何故そこまで自分に期待してもらえるんで
しょうか?」
「忘れてはいないと思うが、我が社が日本一になるためだよ。君は我が社の戦力になりうると私も社長も考えて
いる。社長はゴルフ経験者を新人採用して、ゴルフ部を強化しようとは考えていない。今ゴルフ部員あるいは
社員で日本一を勝ち取りたいと考えている」
部長は続けた。
「君は野球をやってきたこともあって、体力面やゴルフのセンスもある。何より上達する為に努力が必要なことを知っている。そういう人材は仕事でも必要なんだ。仕事もゴルフも根本は一緒なんだよ。仕事もゴルフも部下の育成に力を注ぐのは、上司として当たり前のことだろ」
「試合では部長にご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。」ためらわずありがたい申し出を受けた。
「迷惑ではないよ。参加する限りは、全国大会出場が目標だ。頼むよ、パートナー!」
オレは期待される嬉しさと不安を抱えながら席に戻った。榊原さんも帰り支度をしているところだった。
「部長なんだった?」
部長から経験不足のオレをダブルス戦に誘われたことを説明した。
「良いじゃない。沢田くんはどんどん実践経験を積んだ方が早く上達するわよ。全国大会はどこでやるの?」
「宮崎県です」
「あら遠いわね。じゃあ、お土産頼むわね!」
「任せといてください!いつになるか分かりませんが期待していてください!!」
半分冗談を言いながら、二人で帰路についた。
駅までの道すがら明日の予算の打ち合わせの事を話した。榊原さんの話では、明日は
それほど問題はないだろうとのことだった。朝から課長の機嫌が悪くなると雰囲気が
暗くなるので、それは避けたかったが榊原さんなら大丈夫だろう。
俺は少し遅くなったが、目黒の練習場に向かった。
月曜日の夜だというのに、駐車場にはベンツやB M W、ポルシェ、レクサスなどの高級車がずらりと並んでいて
練習場は混んでいた。オレが乗るならB M Wの700シリーズがいいなあ。ここに来るといつもそんな事を考えて
しまう。
カウンターには社長の天野さんがいた。
「1階の29番でいいかい?」天野さんはオレの好みの打席をわかっている。
「いつも有難うございます」
「今日はひとりかい?」
「ええ、みんな仕事ですね。明日はレッスンなんでみんな来るはずですよ」
預けているゴルフバックを受け取り、打席に向かった。
オレの前方には28打席あるが、ほぼ埋まっている。それにしても、十人十色色々なスイングがあると感心した。
オレのスイングは人からどう見えているのか。
自分で見る限り、どこがどうとは言えないがイマイチのような気がしてならない。
いつも通り7番アイアンをバックから抜き、ハーフショットの練習を繰り返した。
ニュークラブにも徐々に慣れてきたのが、実感できることが嬉しかった。
その後益々練習に熱が入り、200球ほどハーフショットを練習した。
上体の力を抜いて下半身主導で打つ打ち方がだいぶイメージ通り打てるようになった。
ドライバーを打ちたくなったが、締め括りはサンドウェッジでアプローチだ。
スコアーを作るにはアプローチで如何にピンに寄せるか、その重要性は合宿でのラウンドで嫌というほど
思い知らされた。
それには基本となる20ヤードの距離感をしっかり作る事だ。まずは1m以内に確実に落とせるように
なりたいものだが、成功率は50%くらいだ。焦らずゆっくり反復練習あるのみと分かりつつも思うように
いかない自分にもどかしさを感じる。
時間の経つのは早いもので、既に9時を回っていた。
そろそろ切り上げようとしたところで、また携帯電話が鳴った。千夏からだった。
「今何してるの?」
「ゴルフの練習だよ。どうしたの、何か用?」
「何か用とは冷たいんじゃない、用がなかったら電話しちゃいけないの!?」
「いや、そんな事ないよ。電話くれて嬉しいよ!」明らかにイヤイヤ言わされた格好だ。
「ほんとかな。ところで部長とダブルス戦に出るんだって?」
「早いね。誰に聞いたの?」巽部長以外で知っているのは榊原さんだけだ。
「榊原さんよ。」やっぱりそうだ。女子の間では情報共有が徹底されているようだ。
「部長の足引っ張らないようにね!頑張ってよ。バイ!!」“プチ”・・・。
いったい今の電話は何だったのだろう。ほとんど一方的に喋って終わってしまったが千夏らしいと言えば
千夏らしい。そういえば、後ろが賑やかだったような気がする。居酒屋で飲んでたのか。
オレはすっかり気がそがれてしまい、今日の練習はこれで終わることにした。
翌日の朝一での課長との打ち合わせは、課長の都合?で午後からになった。
村上さんはぶつぶつ文句を言っていたが、それには俺も賛成だ。
それでも榊原さんはグチの一つも言わず、資料を眺めて打ち合わせに備えていた。
結局、打ち合わせは30分ほどで終わり、主任の皆さんは何事もなかったように仕事に戻った。
俺の感想だが、課長に振り回された2日間と言うのが正直なところだ。