目覚めと把握
まるで底なしの泥沼の中のような、深くて重い闇の中からゆっくりと意識が戻ってくる。
「う……」
思考ができるようになり、少しずつ覚醒する。
瞼はまだ重くて開かない、ので意識を失う直前のことを思い返す。
(確か……子どもを助けて大怪我をした)
とても悔いたが過ぎてしまったことは仕方ない。
(俺はどうなったんだ)
ここは天国かはたまた地獄か。
そんな不安と共に少しずつ音が聞こえるようになる。
(風に木々が揺れる音……)
徐々に感覚が戻ってくる。
(この手触りは、土?)
なんだか自分の状況が全くつかめないが、ようやく瞼に力が籠められるようになった。
万感の思いを込めてゆっくりゆっくり、亀の歩みのごとく緩やかに瞳をこじ開ける。
そして開いた寝ぼけ眼の先に広がっていたのは、鬱蒼とした森だった。
「……………………」
仰向けに横になっていたので、上体をゆっくりと持ち上げる。
そして周囲をぐるりと見渡す。木々の葉が上空に生い茂っていて滅茶苦茶周辺が薄暗い。
「あれ!やっぱり俺、死体遺棄されてる!」
あまり呂律の回っていないため、まだ未覚醒と思しき脳から口へと伝達され発せられた一言はギャグで済んだらどれだけ良かったかと思えるほど不条理極まりない現状を表していた。
病院のベッドの上でも棺桶の中でも雲の上でもなく森の中、地獄にしてもイメージと違う。
驚き飛び出た大声がかすかに木霊する。
「あら、ケガしてない」
声を出しても胸が痛まない。喀血もしない。
起き上がり、身体を見回してみると不思議なことにどうやら無傷の様子。
Tシャツ、パーカー、ベルト、ジーンズ、スニーカー、靴下まで全く破けてない。
立ち上がり、ぴょんぴょん跳ねるも足は痛まない。完全復活だ。
まるで事故直前に戻ったようだ。少し離れた位置に手荷物のリュックサックまでも置いてあるのも見つけた。
「で、ここどこ……」
改めて周囲を見渡す。
木々に囲まれているがジャングルと呼ぶにはそこまで熱帯でもなさそうなので森林が相応しいだろう。そんな深い森の中に俺は放置されていた。まぁ、ちょっと怖い。
「怪我したはずなのに治ってるし、そもそも埋めずに放置するのも理由はない……」
そして「閃いた!」と言わんばかりに掌の上に拳を勢いよく乗せ
「もしかしてこれは巷で流行りの異世界転生ってやつなのでは!!」
と堂々と宣言した。
その後、どれだけ考えてもこんな場所に放置されてる理由はそれしか思いつかなかった。
徐々に頭が冴えてきて、見知らぬ場所に一人ぼっちでいる寂しさと不安をかき消すように声量が大きくなり独り言が加速する。
「転生ではなく転移かも知れないけど、なんにせよ!異世界かもしれないってことはなんか能力とか貰ったのでは」
明るい妄想をしテンションだけでも保とうと努力する。しかし、妄想とはいえあまり馬鹿にもできない。
死にかけて目が覚めたら樹海の中、という現実離れした現状を何とかしたいのも事実だったので、色々と思いつくだけ試す。だが残念なことに、気を練ってもオリジナルの呪文を唱えても、空は飛べないし炎も出ない気弾も出ない黒龍も出ない。もしかしたら能力無効化系かも知れない。
そんなこんなで15分ほど遊んで、俺は内なる才能を覚醒させることを諦めた。人間諦めも肝心。
「あっ、そうだスマホ」
一番大事なアイテムを思い出し、事故当時のままポケットの中に入っていたそれを取り出す。
これも不思議なことにぶっ壊れるどころか液晶画面すら割れていなかったが、圏外だった。
念のため荷物も確認する。大学の教科書、ノート、筆箱、イヤホン、タオル、ティッシュ、飲みかけのペットボトルのお茶、食べかけの菓子パン、など大まかなモノは全部無事を確認した。
食べかけの状態すら事故当時のままだった。
「仕方ねぇ、電波が通じるとこ探すか……」
溜息混じりにリュックを手に取り、適当な方向にとぼとぼ歩きだす。
そもそも事故自体が夢で、俺は最初からここに連れ去られたのではないかとも思えた。
どこまで進んでも頭上には木々の葉の傘が深く被さり(元々天気は曇りだったようだが)周辺がそこそこ暗い。
人のいた痕跡を見逃さないように、そもそも人に出会えないか願いながら注意して歩く。
幸い、この願いはすぐ叶うことになる。
「村や人どころか川すら見つからない!」とぼやきながら20分ほど歩いていると俺は変な臭いを感じた。
煙やガスとはまた違う、重い、少し嫌な臭い、ついさっき嗅いだことのある鉄のような香りだ。
それを思い出すのにそんなに時間は要さなかった。血の匂いだ。
俺は隠れながらしばらく辺りを探る。そして木の陰に隠れていたそれを見つけた。
この樹海でのファーストコンタクト、しかし残念ながらそれは命ある生き物ではなく、物言わぬ亡骸、即ち――死体だ。
「あ……」
それは中世の作品のような白銀の鎧をつけていた。
線は細いが恐らく男性で日本人ではない。
イケメンというよりはハンサムに該当する、と言っても低俗な表現になってしまうほど整った壮麗な顔立ち。
その顔を真っ赤に化粧され、それを悲しむが如く空虚に見開かれた虚ろな眼。
白金と呼べるほど荘厳で、この薄暗い森の中ですら美しく輝く金色の髪。
その髪を濡らし地面に滴る、赤い雫。
そして何よりも目立つ、地面に大きな赤黒いシミを作り、白銀の鎧の腹部を染め上げる鮮血の源泉、左胸にぽっかり空いた穴。
虫も集らず腐ってもいないので、文字通り新鮮な死体だった。
脈は取ってないが、この穴と地面に広がったシミから推察される出血量で生きてる人間はまずいないだろう。
意識を失う直前まで自分がほぼ同じような状態だったとはいえ、やはり自分がなるのと他人のを見るのでは大違い。
一瞬吐きそうになり、死体から目を逸らし嗚咽をかみしめようとしたが、それよりも気になることを見つけた。
「耳が……尖ってる」
それは不自然なほど尖った耳。
いくら個人差があるとはいえ、この形はおかしい。
とりあえず彼の目の前で手を振ってみるもやはり反応なし。そっと彼の瞼を下ろした。
それから手を合わせる。
そーっと耳に触り引っ張ってみるもどうやら作り物ではないようだ。
そうなると必然的にこの結論にたどり着く。
「せ……整形……?」
先程までファンタジーを夢見ても、しっかりとした形で非日常に遭遇すると人間は意外なほど現実的になる。
よく考えてみるとこの現代社会において例え外国だとしても、言わば古めかしいデザインの白銀の鎧を身に纏い、森の中に惨殺死体で転がってるのはおかしいのではないか?
「コ〇ン君もビックリだわ」
と一人でツッコミを呟きつつ、彼の服装をよく観察すると左の腰に剣を差している。
見た感じロングソードと言えるくらいのサイズだ。
それをちょっとだけ鞘から抜いて触ってみる。両刃だった。
そっと刃先を撫でると指先が切れた。ぷっくりと血が出る。刃が潰されてない本物だ。
「指で触ったのは失敗したな」
と後悔しつつ元に戻す。
今度は剣とは反対側の腰に巾着のようなものがくっ付けてあるのに気がついた。
死体漁りのようでとても申し訳ないが、彼の腹部から零れた血で赤く染まった袋を開ける。
すると中から、紐で結ばれた変な草の束が2つと緑色の液体を詰めた小瓶3つと折りたたまれた古そうな紙が出てきた。
「もしかしなくてもこれらは……薬草とポーションとスクロールではなかろうか……」
こうも証拠が揃ってしまうと、ずっと背けていた考えが急に現実味を帯びてくる。
と言うよりも結論は出ていた。俺が認めたくないだけだ。非現実過ぎるのだ。ネタにして笑うことが出来ないからだ。
だが認識してしまうと、事実が揃ってしまうと人は目を背けられない。
俺はついにボソッと呟いた。
「エルフだ」
そう、亜人族、妖精、精霊、ファンタジーものには欠かせない、尖った耳が特徴の種族、そしてそこから更に導き出されるもうひとつの事実。
それも口に出すのを止められなかった。
「ここは異世界なんだ」
その発言を肯定するように一陣の風が木々を揺らした。
起きましたね。