#578 「本当にやめてやれよ……」
誰かの……いや、愛しい人の気配と体温で目が覚めた。注がれる視線から伝わってくるのは深い慕情と満足感。目を開くと、深く輝く紫色の宝石の瞳と目が合う。
「……おはよう、クリス」
「おはようございます、ヒロ様。いえ、これからは旦那様と呼んだほうが良いでしょうか? それともあなたって呼ぶのが良いでしょうか?」
そう言ってクリスが微笑み、俺の頬を手の平で撫でてくる。俺みたいな男の頬を撫でたところで何も嬉しくないと思うんだが、クリスにとってはそうでないらしい。
「やっと貴方を手に入れました。誰憚ることなく……わたしの、わたしのあなた……ふふふ。私だけのものにはならないのが少しだけ残念ですけど」
「重い重い、愛が重い」
ハイライトの消えた瞳で重くて少し危険なことを囁くクリスの頬に手を伸ばしてこちらも撫で返してやる。目を細めてすりすりと手に頬を擦り付ける様はまるで大きな猫か何かみたいだ。実際には猫というよりもっとこう、猫は猫でも豹とか虎とかもっと力強い何かのような気もするが。まぁ豹でも虎でも懐けばデカいだけの猫って言うしね。似たようなもんだろ。
「……重い女は嫌いですか?」
「俺にはそれくらいで丁度良いんじゃないかな」
これ選択肢間違えたら死ぬやつ? と内心で思いながらイエスともノーとも言えない曖昧な返事をしておく。何にせよクリスは可愛いからヨシ! なんだが。
「煙に巻こうとしてますね~? 悪い男です」
「それは本当にそう」
クリスに頬を抓まれ、ムニムニと捏ねられながらその言葉に深く同意する。自分でもどうしてこうなってしまったのかはわからないが、今の俺は三人の嫁さんに加えて七人の事実婚の嫁さんがいる悪い男である。悪い男だと言われると申し開きのしようがない。
「でも良いんです、私は耐える女ですから。暫くの間は一緒にいられますしね」
「うん。なんというか色々頑張ります。はい」
にっこりと微笑むクリスに頷きながらそう返し、これからの旅程に思いを馳せる。
俺達がこれから向かうのはある意味で俺とクリスの始まりの地、みたいな場所なんだよな。
☆★☆
「なんというか、本当に遠慮なく夫婦の営みをしますよね。こう、遠慮する気持ちとかそういうのはお持ちではない?」
「新婚なんだからしないほうが問題あるだろ。文句があるなら今すぐ脱出ポッドにご案内するぞ」
「帝室の者に対しても全く阿ることのその態度、良いですね!」
朝っぱらからテンションの高いロイヤルクソガキが満面の笑みを浮かべてサムズアップする。
良いですね、じゃねぇんだよ良いですねじゃ。ミミにそっくりの顔で朝っぱらからウザ絡みしてきやがって。本当に脱出ポッドに詰め込んでやろうか? いや、そんなことをしたらファッキン皇帝陛下や彼女の父親である皇太子殿下がブチ切れるな。我慢しよう。落ち着け、俺。
「あの、ルシアー……いや、ルシアちゃん。そのくらいに」
そっくりさんではないミミ本人がルシア――ルシアーダ皇女殿下を諌める。この場でルシアに苦言を呈すことができるのは非公式ではあるが一応親戚にあたるミミと、帝室の権威なんて屁とも思っていない俺と、そもそも現世の柵なんぞに縛られないタマモくらいだからな。
「胃が痛くなりそう」
「私もです」
少し離れたところでエルマとセレナが胃の辺りを押さえて顔色を悪くしている。生粋の帝国貴族、その子女である二人にしてみれば明らかに不敬を通り越しているような俺のルシアーダに対する態度に思うところがあるらしい。
でもこいつ、俺からしてみれば皇帝陛下の勅状を盾に勝手に船に乗り込んできた厄介者だからな。しかも公式に皇女殿下として乗り込んできているならまだしも、勅状はあってもお忍びの非公式なお客様だし。そんな奴に過剰に気を遣うつもりは俺にはない。嫌なら船から降りてもらう。
問題は、そのぞんざいな扱いをこのロイヤルクソガキお姫様がかえって気に入ってるということなんだが。普段、こうやって雑に対応されることなんてあまりないから逆に新鮮らしい。無敵か?
「ご主人様、どうぞ」
ミミとルシアがやいのやいのとやっているのを眺めたり、エルマとセレナが謎のジェスチャーで無言でやりとりを始めるのを眺めたりしていると、完璧にメイド服を着こなしたクールな美人さんが朝食の載ったプレートを持ってきてくれた。
「ありがとう、メイ。ティーナとウィスカは?」
メイドロイドのメイにお礼を言いながら、いつもこのブラックロータスを含めて俺達が運用する船の面倒を見てくれているドワーフ姉妹の所在を尋ねる。
「お二方はスペース・ドウェルグ社の商品カタログを昨晩遅くまで精査されていたようで。まだお休みです」
「あー、母艦乗り換えの件か。確かスペース・ドウェルグ社にスキーズブラズニル級をスケールアップしたような大型艦があるんだっけ?」
俺のクリシュナは小型艦としては若干脱法レベルにスケールアップしてしまったし、エルマのアントリオンに加えてセレナのモリガンと中型航宙艦を二隻運用することになったしということで、小型艦の運用しか出来ないスキーズブラズニル級のブラックロータスでは少々手狭になってきたんだよな。人も増えてきたし、それに応じて艦内の設備も色々と必要になって人員運用面でも余裕があまり無くなってきたというのもある。そこで、そろそろ母艦の乗り換えを行おうという話も進めていたんだ。
「はい、フリングホルニ級ですね。船としては一定の砲戦能力と艦隊運用能力を併せ持つ偵察巡洋艦という位置づけになります。中型艦を二隻、小型艦を五隻収容、運用可能な設備を有しており、大きさから内部構造にも相応の余裕がありますので、大規模傭兵団の移動拠点として古くから一定の人気があります。問題はブラックロータス――スキーズブラズニル級に比べて輪をかけて鈍足という点でしょうか」
「デカい分脚が遅くなるのは仕方ないわな。うちの場合はゲートウェイも使える分、帝国内に限って言えば他の傭兵よりは長距離移動が有利なわけだし、そこまで気にすることはないと思うが」
今のところ活動範囲を帝国の外に広げるつもりはないので、脚の遅さという欠点についてはあまり気にしなくて良いと思う。それよりも運用している船をちゃんと収容して整備できるようにする方が重要だ。
予算についてはブラックロータスを買った時よりもずっと豊富なので、まぁなんとかなるだろう。最悪、ダレインワルド伯爵家やホールズ侯爵家に頼るという方法も無くはない。後が怖いので絶対にやりたくないが。
今なら宙賊退治だけでなく、グラッカン帝国内外で起こっている紛争に介入することも吝かではないので、場合によっては傭兵ギルドやダレインワルド伯爵家、ホールズ侯爵家から仕事を貰って戦場の掃除に回るのも良いかもしれないと考えている。
何せクリスやセレナ、エルマと正式に結婚したことによって俺の旗幟は鮮明になったわけだからな。グラッカン帝国所属、かつダレインワルド伯爵家とホールズ侯爵家の身内という感じで。
今までは戦力面での不安に加え、帝国外の勢力や帝国内の特定の貴族と明確に敵対することも不安材料となりかねないので宙賊以外との戦闘は積極的には行ってこなかったわけだが、旗幟が鮮明となった今は逆にそこを明確に意識して行動していかないと所属する貴族家の勢力内から突き上げを喰らいかねない。特に、クリスは時期ダレインワルド女伯爵なのだから、その夫である俺がグラッカン帝国やお家に貢献しないのはとても外聞がよろしくないわけだ。
「今後は仕事の傾向も変えていかないとな」
「ご主人様の思うようになさるのが一番かと。私は全力で後押しを致します」
「キャプテン、ベレベレム連邦だよ。あのクソ連邦をやっつけよう。お金にもなるし帝国への貢献にもなるから一石二鳥だよ」
「ネーヴェくんはその辺強火だよねぇ……」
メイと今後の身の振り方について話をしていると、横から全身真っ白い少女――実際には俺とほぼタメくらいの歳――がスプーンを振り回しながら対ベレベレム連邦の依頼を受けてまわろうと熱弁し始める。
彼女――ネーヴェはベレベレム連邦に戦闘艦の生体部品として長い間酷使されてきたっていう経緯があるので、ベレベレム連邦に対する態度はかなり強火である。そりゃ物心ついた頃から何年にもわたって狭苦しい金属のカプセルに缶詰にされて生体部品として扱われていたんだからそうもなるだろうけど。
そんなネーヴェの隣で苦笑いを浮かべているのは我が傭兵団の船医にして優秀な研究者でもあるショーコ先生だ。彼女の出自も違法に製造されたデザイナーズベイビーという特殊性があったりするのだが、実は帝室の血をバリバリに引いているミミとかそもそもこの世界の住人ですらない俺とかもいるので、うちの傭兵団の連中は誰も気にしていない。本人も最近は気にしていない様子である。
「しかしまぁ、増えたもんじゃの。お前様、あの姫も手籠めにするのかえ?」
「しねぇ。絶対にしねぇ。運命を捻じ曲げてでもそれだけは絶対にしねぇ。余計なことするなよ、タマモ」
「わかっとる、わかっとる。お前様の思う通りに行けば良いの」
そう言って煙管を片手にニヤニヤと笑うのはタマモである。正確には、クギの身体を借りているタマモである。本来銀色の髪の毛に銀色の狐耳、銀色の五本のモフモフ尻尾を持つクギであるが、タマモが身体の主導権を握っている今はその全てが金色に輝き、尻尾も五本から九本に増えていた。実際には増えているのではなく、幻影のようなものでそう見えているだけらしいが。
「その身体で喫煙するのはやめてやれよ……」
「別にええじゃろ。身体を返す時は綺麗さっぱり綺麗にしとるし。旨いものを食うのはやめられんがの」
「本当にやめてやれよ……」
最近、クギが必死にトレーニングルームで運動をしていることがあるんだよな。クギが寝ている間にタマモがこっそり間食をキメたりしているせいで、最近体重が気になるらしい。あまりにお労しいので本当にやめてやって欲しい。
「ご主人様、まもなくゲートウェイの通行許可が降りそうです」
「ああ、了解。暫くは何も無いと思うけど、一応警戒していこうか」
現在、俺達は二ーパック星系に設置されているゲートウェイの近傍でリゾート星系であるシエラ星系に向かうため、待機中であった。
今、このタイミングでリゾート星系に向かう理由とは何か? 当然、新婚旅行である。




