#549 「安過ぎない……?」
「という話をしていたんだよ」
「大きな権力や沢山のお金を持っている貴族が相手でも一歩も退かない。流石は我が君です」
トレーニングルームで身体を動かしながら食堂でしていた話をクギに共有すると、クギはいたく感心した様子でそう言い、頭の上の白い狐耳をピンと立てながら尊敬の眼差しのようなものを俺に向けてきた。こう純粋な尊敬の念を向けられると、流石にこそばゆい。
「流石じゃないのよねぇ……クギもヨイショするだけじゃなくて場合によっては抑えに回って頂戴ね?」
「道理に外れたことをなさろうとするのなら此の身もしっかりお諌め致しますが、そうでないなら此の身は我が君のお傍でお仕えするのみです」
そう言ってフンスと鼻息を荒くしながら、クギがダンベルを両手にぶら下げてちょこちょこと小さな歩幅でトレーニングルーム内を歩き始める。結構なスピードだ。
あのダンベル、実は俺が使うのよりも重いんだよな。普段はたおやかなサイバー狐巫女といった様子のクギであるが、あれで実は結構フィジカルエリートなのである。流石にエルマには敵わないが、肉体強度という面に於いては俺とあまり変わらなかったりするのだ。
ちなみにこの船で一番体力が無いのは勿論ネーヴェなのだが、ショーコ先生もとても運動音痴である。トレーニングへの参加を促しているのだが、なかなか参加しにこないんだよな。今度無理やりにでも引っ張ってくるべきか?
「そう……はぁ、大丈夫かしら? 先が思いやられるわ」
「そんなに……! 心配な……っ! ことが……! あるんですか……っ!?」
ランニングマシンを使って走りながらミミがエルマに問いかける。うん、ぼいんぼいん……じゃなかった、走りながら無理して喋るとペースが乱れるぞ、ミミ。
「うーん、ダレインワルド伯爵家とホールズ侯爵家の本家は問題ないと思うのよ。ただ、その家臣達がどう出てくるか……ダレインワルド伯爵家の家臣に関しては問題ないと思うけど」
「ブッシュバウム子爵達な。まぁあの人達は大丈夫だろう。問題はホールズ侯爵の家臣達か」
ダレインワルド伯爵の家臣達でさえ顔を合わせて話し合ったりなんだりする前には俺とクリスの婚約や結婚に関して反対したりなんだりしてたのだ。ホールズ侯爵家はもっと多くの家臣を抱えているだろうし、その中にはセレナの伴侶として血縁者を送り込んで、ホールズ侯爵家家臣団の中での地位向上を狙っていた連中もいたりするだろう。
そういった連中にとって、俺という存在は横から出てきて急に獲物を掻っ攫った盗人か何かのように見えている……かもしれない。実際にどうかはわからないけどな。あくまで俺の想像でしかない。だが、エルマも同じようなことを危惧しているようではある。
「どうかのう? あのお転婆のことは色々と聞いたが、過去に婚約希望者を散々叩き潰したという話であろう? その時にそういった連中は軒並み叩き潰されておるのではないか?」
急に口調が変わったクギの方へと視線を向けると、そこには髪の毛や尻尾の色が金色に変わり、顔に化粧のような文様が浮かび上がっているという変わり果てたクギの姿があった。ついでに尻尾の数まで九本に増えているように見える。あれは幻影だけど。
「出てきたのか」
「とれーにんぐとやらが終わったようでの。快く代わってくれたわ」
そう言ってクギ――ではなく彼女の中に宿っていたもう一つの魂、半ば上位存在に足を踏み入れている稀代の法力使いであるタマモが苦笑いを浮かべる。
「しんどいのか」
「身体を酷使しておったじゃろ? こうして表に出てくるとそれを直接感じるわけじゃ。まぁもう大丈夫じゃがの」
そう言ってタマモは適当なトレーニングマシンに腰を下ろし、どこからか取り出した扇で口元を隠しながらクスクスと笑う。こいつ、トレーニング後の疲労を何かしらの方法でキャンセルしたな? 第一法力の治癒の力で疲労を癒やしたのか、それとも第三法力の時空間と運命を操る力で時間を加速でもさせたのかわからんが。無茶苦茶しやがる。
「で、楽観論の根拠についてはわかったが、そう上手く事が運ぶものかね?」
「お主がそのように望み、その結果を掴み取ればそのようになるじゃろう」
「まだそこまで器用なことはできないってわかっててそう言ってるだろ」
「精進が足らんぞ? お主の力を使えば此の世など思うまま、望むままにできるというのに」
「そんなのはできたとしても御免だ」
何もかもが自分の思うままの世界なんてぞっとするね。そこには驚きも意外性も何も存在しないってことじゃないか。そんなつまらない世界なんて絶対に嫌だね。
「それもまぁそうじゃろうの。お陰様で妾は久々に楽しい時間を過ごせておるよ」
「左様か。それは良いが、タマモ。お前身体の主導権を譲ってもらったからってお菓子とかどか食いするのやめてやれよ? この前クギが愕然としていたぞ」
「気が向いたらの」
そう言ってタマモが呵々と笑う。こりゃ聞く気が無さそうだな。またクギが体重計の上で愕然とする姿を見ることになりそうだ。
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トレーニングを終えたら再び軽くシャワーを浴びて汗を流してからコックピットへと向かう。
「おはようございます、ご主人様。ご挨拶もできず申し訳ありません」
「いや、気にしなくて大丈夫だ」
頭を下げてきたメイに手を振って応える。ブラックロータスの管理や運行、俺と女性陣との夜のスケジュール管理や調整、その他諸々の面倒事を一手に引き受けている彼女に朝の挨拶が無いとは何事だ、とか言えるわけがない。寧ろこうして俺が挨拶に出向くのが筋であろう。
「運行に問題は無さそうだな」
「はい、ご主人様。超光速ドライブで同期航行しているだけなので。とはいえヴェルザルス神聖帝国とは規格が違うせいか、パラメータを頻繁に調整しなければ同期航行が解けてしまいますが」
メイの言う通り、グラッカン帝国やその周辺で使用されている超光速ドライブとヴェルザルス神聖帝国の超光速ドライブは規格というか方式がまるで違うようで、同期航行をするのにも何かと不便であるらしい。それはハイパードライブを使ったハイパーレーン航行でも同じで、そのせいでメイはコックピットに張り付きがちであったりする。
なんでも計算に割くリソースが増えて動力の消耗が増えるらしい。このコックピットにあるメイ専用の座席はメイドロイドであるメイへの動力供給装置も兼ねているから、こうしてコックピットに留まっているわけだな。
「もう少しの辛抱だ。引き続き頼むぞ。メイが頼りだからな」
「はい、お任せくださいご主人様。そのお言葉だけで十年は頑張れそうです」
「安過ぎない……?」
「ではハグも追加してください」
「了解」
この後滅茶苦茶ハグされた。柔らかいし良い匂いするし抜けられん。たすけて。




