#530 「尻尾のお手入れ……!」
「んっ……あっ! そこ、そこじゃぁ……もっと強くぅ……」
話し合いの結果、俺は九尾美人さんとくんずほぐれつしていた。
「お、おぬし、初めてじゃ……んあぁっ!? しゅごいのじゃぁ……」
「尻尾をブラッシングしているだけなのにわざとらしく艶めかしい声を上げるのやめんか?」
「お主は知らんのじゃろうけど、儂みたいに立派な尻尾を何本も持っておると、手入れが大変なんじゃよ……自分で手入れするのも限界があるしのぅ。しかも、儂の場合こんなことになってしまったから手入れを頼める相手もおらんし……法力でなんとかするのにも限界っちゅうもんがあるんじゃ」
「なるほどな……苦労してるんだな」
一見飄々としている九尾美人さんだが、こういった日常的なことで苦労するほど孤独なのだろうなと思うと、少し気の毒だ。どういう理屈かわからないが、彼女は大社の狼神主でさえ知覚することが難しいほどの存在になってしまっているそうだからな。
あれほど必死に俺と致そうとするのも、道連れというか共に歩める存在を欲してのことなのかもしれない。だからってミミ達を置き去りにして『こっち側』に来るつもりは無いけどな。
ちなみに、手入れできていないと言ってはいるが、九尾美人さんの尻尾はなんか凄くいい匂いがする。香水とは違うと思うんだが、とにかくなんか高貴な香り……? 線香の匂いをまろやかにしたような感じの。もしかしたら香木というやつの匂いなのかもしれない。手入れできていないというから洗っていない犬みたいな臭いかと思ったら拍子抜けだったね。
「お主、今なんかとんでもないことを考えておらぬか?」
「尻尾からいい匂いがするなって思っていただけだ」
「なら良いがの……」
やっぱり勘が鋭いな。実は割と嫌いではないんだけどな。洗ってない犬みたいな臭い。昔、犬を飼っていたことがあったんだよ、俺。犬、犬か……ペットを飼うなんてのも悪くない気がしてきた。犬か猫かそれっぽい感じの宇宙生物でも探してみようかな? 特定の時間に水をやったら増殖するようなのとか、人間に寄生して腹を破って出てくるようなのは勘弁だが。
「で、第三法力ご教授の対価が尻尾ケアで良いのか?」
「うーん、どうしようかのう。今すぐお主にやってもらいたいことはこれ以外となるとのう……あ、そうじゃ」
彼女の尻尾をブラッシングしていると、九尾美人さんがポンと手を叩いた。何か思いついたらしい。ろくでもないことじゃないと良いんだが。
「なんだ?」
「お主の船、なんぞ良い感じに強化されたそうじゃな? あれを使って近く領内に大量発生する光子生命体やら何やらの駆除を手伝ってやってくれ。お主がおらずともなんとか手は足りる筈じゃが、万が一ということがあるからの」
「そりゃ構わんが……そんなに都合よく連中が発生するのか?」
「するとも。本来はいくらお主のポテンシャルが高くとも、次元境界面を突き抜けて連中をおびき寄せるようなことはないのじゃがな。儂らの国はほれ、そういうのが薄っぺらいからの。船を強化した時や、先日の大暴れの際に盛大に波風が立ってしまったようでな。続々と魑魅魍魎が押し寄せてきておるわ」
「マジかよ……」
意図した訳では無いが、やらかしていたらしい。いや、ちょっと待て。
「それじゃあ禊だの祓だのの儀式をしたのは無駄だったんじゃないか?」
「そんなことはないぞ? 穢れ、つまり呪は強烈にあやつらを引き寄せるからの。禊の儀や祓の儀を執り行っていなかったら、下手をすればお主の眼の前に宇宙怪獣級の魑魅魍魎が出てきていたかもしれぬ。そうなったら大惨事じゃな」
「大惨事ってレベルじゃねぇ……ちゃんと儀式を受けておいて良かった」
流石にヴェルザルス神聖帝国が航宙戦闘艦を使って戦うような相手に生身で挑むのは無理ゲーが過ぎる。いくらなんでも死ぬわ。
「それじゃあこの尻尾ケアとヴェルザルス神聖帝国の宇宙怪獣退治が対価ってことで良いんだな?」
「それだけじゃ足らぬのう。とはいえ欲張ってもいかん。そうじゃな……こちらにいる間、こうして儂の世話を定期的にみてもらうということでどうかの?」
「……俺の意思に反してそっち側に連れて行かないって約束するなら良いぞ」
「わかったわかった、無理矢理はせん。約束する」
「なら契約成立だ。契約が生きている以上、良心に誓って俺はあんたを裏切らない。あんたも俺を裏切らないでくれよ」
「良心に誓って、か……あいわかった。儂も約束しよう」
彼女は尻尾を櫛で梳かしている俺を振り返りながらそう言って苦笑いを浮かべた。こんな曖昧な約束で大丈夫かって? 大丈夫さ。彼女が欲しいのは供に歩む輩なんだろうからな。俺に徹底的に軽蔑され、嫌われるようなリスクは冒せないさ。
そもそも、彼女に良心というものが存在しないなら、俺はとっくに彼女の強大なサイオニックパワーで人形にでもされて、彼女の隣に侍ることになっている筈だ。
もしこの読みが外れていたら……そこまでだな。どちらにせよ彼女がその気なら抵抗の余地は殆ど無い。精々刺し違えるのが関の山だろう。その時は諦めよう。
☆★☆
「頭おかしなるでこれは……」
九尾美人さんが居る『向こう』で第三法力の手ほどきを受けて元の場所に戻ってきた俺は頭を抱えてそうぼやいた。第三法力の修練として彼女の感覚が捉えている時空間の有り様や運命の有り様を共有されたわけだが、アレを四六時中捉えていたらそりゃ人間辞めることになるわ。
俺のサイオニックパワーのポテンシャル自体はああいったモノを扱うだけのものがあるのかもしれんが、あれだけの情報を処理する能力が俺の脳にはない。多分無い。もしかしたらあるのかもしれんが、少なくとも今は無理。
「我が君、一体……これは……」
「というか今、一瞬姿がブレませんでした?」
こちら側に帰ってくるなり頭を抱えた俺をクギが心配し、コノハが不審げなジト目を向けてくる。イナバやフグルマ、それに白猿の老爺や眼帯の白蛇美人さんも驚いたような表情を見せたり、息を呑んだりしている。
「例のお方にあっちに連れて行かれて第三法力の手ほどきを受けてきた……自分の知らない感覚器の情報をねじ込まれるのってすげぇ消耗するわ」
「さらっと凄いこと言ってますね……よく戻ってこられましたね?」
「普通に帰してくれたし……一応対価というか、彼女のために働くことにはなったけどな」
「あの方のために働くとは?」
眼帯の白蛇美人さんが首を傾げる。
「ヴェルザルス神聖帝国にいる間、定期的にあの人の尻尾の手入れを手伝うことになった」
「尻尾のお手入れ……!」
俺の言葉を聞いたクギが今までに見たことのないような表情でわなわなと震えている。他の面子も「ほう」とか「わぁ」とか「へぇ」とか様々な反応をしているが、フグルマはなんか悔しそうだし、イナバと白猿の老爺と眼帯の白蛇美人さんは興味深げな様子な様子だし、コノハはジト目である。どういう反応なんだよ、君達のそれは。
「ああ、あと強化したクリシュナでヴェルザルス神聖帝国の手伝いをしろって言われた」
「手伝いとは?」
「なんでもこれからヴェルザルス神聖帝国の領内に宇宙怪獣がたくさん出現するらしい。クリシュナが強化した時とか、先日の俺が大暴れした際に出た俺のサイオニックパワーの波動が連中を引き寄せたらしいが……実際のところはどうかわからん。多分ヴェルザルス神聖帝国の艦隊だけでも対処できるだろうけど、念の為手伝えって感じで言われた」
コノハにそう答えると、彼女は表情を険しくした。コノハも武官の一員だからな。彼女にとって今の俺の発言は、とてもじゃないが聞き流せるものではなかったのだろう。
「今の情報を至急軍の司令部に伝えます。ヒロ殿も協力してくださる、ということで良いのですね?」
「ああ、約束だからな」
「わかりました。すみませんが、私はこれで」
そう言ってコノハが急いでどこかへと駆けていく。連絡を取りに行ったんだろうな。俺の方は……これ以上頭を使うのは正直つらい。休憩をさせてもらうとしよう。




