#518 「王侯貴族にでもなった気分だよな」
身体を揺すられて目が覚めた。温められ、火照っていた身体の熱はいつの間にか去り、全身を巡る血液がいつにも増してスムーズに流れているのを感じる。身体が軽い。
「んー……いつの間にか眠ってしまっていたねぇ」
そう遠くない場所から聞き慣れてきた声が聞こえる。いつもは俺を含めたクルー達の健康に細心の注意を払っている彼女も、今この瞬間はその責務から解放されているようだった。
半ば顔を埋めていた枕に顔を擦り付け、首を捻って声が聞こえた方向に顔を向ける。すると、そこにはこちらに視線を向けてニマニマと愉快そうな笑みを浮かべている我らが船医の姿があった。
「おはよう、ヒロくん。よく眠れたねぇ」
「おはよう、ショーコ先生。王侯貴族にでもなった気分だよな」
俺達の会話を聞いた按摩師のお兄さんとお姉さんがカラカラ、コロコロと笑う。
大社での儀式を終えた俺達は、同じ惑星上に存在する保養地に用意された宿で至れり尽くせりのサービスを受けていた。
「ヒロくんは貴族じゃないか」
「ああ、そういえばそうだった。なろうとしてなったわけじゃないからつい忘れるんだよな」
クスクスと笑うショーコ先生にそう答えながら、按摩師さんの介助を受けてマッサージ台から身を起こす。ああ、本当に身体が軽いな。憑き物が落ちたみたいだ。こう言ったら怒られそうだが、大社で受けた禊だの祓だのって儀式なんかよりもここの温泉とマッサージのほうがよほど悪いものを身体から落としてくれている気がするな。
☆★☆
「あ、ヒロ様! マッサージはどうでした?」
「ああ、ミミ。凄い良かったよ」
あてがわれた部屋――和風旅館の一室のようにしか見えない――に戻ると、そこには人懐っこい笑みを浮かべた浴衣姿の少女が待っていた。明るい茶色の髪の毛が少しだけしっとりとしている気がする。また温泉に入ってきたのかも知れない。
「マッサージねぇ……ああいうのの気持ちよさってよくわかんないのよねぇ」
ミミの隣に座った俺を眺めながらそう言ってお猪口を手にしているのは、銀糸のように美しい髪の毛を肩口まで伸ばした美女である。銀髪の隙間からは笹穂のように尖った耳がぴょんと飛び出ており、彼女が普通の人間ではないことをこれでもかと主張していた。
「エルマくんはしっかりと中程度の身体強化が施されているからねぇ……そりゃ筋肉の凝りとかとは無縁だよねぇ」
そう言いながらショーコ先生がエルマの隣によっこいしょと座ると、エルマは空いているお猪口にお酒を注いでショーコ先生の前へと置いた。
まぁ、エルマの場合は身体強化をしていなかったとしてもショーコ先生やミミと違って肩こりとは無縁だったろうけどな――などと考えていると、エルマにジト目で睨まれた。相変わらず勘が鋭いな。
そういえばそろそろ腹が減ってきたな、などと考えていると部屋の襖がスパァン! と凄まじい勢いで開いた。
「やっぱ帰ってきとぉやん! 兄さん、メシいこうで! メシ!」
襖を勢いよく開いた犯人が――赤い頭の小柄な人影――ダダダーッ! と走って俺に突撃してくる。そのままの勢いで突撃されると、俺だけでなくミミを吹っ飛ばされそうだ。
「ぬんっ」
「おぉっ!?」
気合を込めて俺と突っ込んでくる彼女の間に『柔らかい空間』を作り出し、走ってくる勢いを殺す。目には何も見えないが、本人は目に見えないクッションか何かに突っ込んだような感触を味わっているはずだ。
「捕獲っ」
「捕まったー、って今の何なん? なんかふわーってしたんやけど」
「最近習得した衝撃吸収フィールドめいた超能力」
「なにそれこわ……人間シールドジェネレーターやん。順調に人間の枠からはみ出してきてんなぁ」
可愛らしい顔で俺を見上げながら酷いことを言っている小柄な少女――いや、俺とほぼ同年齢の立派なレディである彼女の名はティーナ。ドワーフの整備士姉妹の姉の方である。こう見えて非常に力が強く、骨密度と筋肉密度が高いせいで見た目以上に重かったりする。重いって言ったら万力みたいな膂力で抓られるから絶対に言わないけど。
「お姉ちゃん、子供じゃないんだからそういうふうにお兄さんに突撃するのやめなよ……」
そう言って姉の後を追うように部屋に入ってきたのはティーナの妹のウィスカだ。双子の妹である彼女の顔はティーナとそっくりだが、髪の毛の色は姉と正反対の青色で、活発な姉に対して落ち着いた性格の淑女である。テクノロジーが絡むと姉よりも暴走しがちなのが玉に瑕だが。
「流石に一室にこの人数は狭くないかな?」
若干おぼつかない足取りで真っ白な少女が部屋に入ってきた。見ていて不安になるほど肉付きが薄く、儚い彼女の名前はネーヴェ。とある国の軍用艦で『生体指揮ユニット』として小さなカプセルに詰め込まれ、部品として利用されていた少女――のように見えてその実れっきとした成人女性である。彼女は生体ユニットとして都合が良いように大量の薬剤を投与され、身体が成長しないように生体改造を施されていたのだ。
今はショーコ先生の手によってグラッカン帝国の優れた生体工学技術の恩恵に与り、こうしてなんとか歩ける程度まで身体能力が回復した。もっとも、歩けるようになったのはつい昨日の話なのだが。
「確かに少し狭いかもしれませんね……我が君、今からでもお部屋を替えて頂きましょうか?」
まだ歩行がおぼつかないネーヴェを介助しながら一緒に部屋に入ってきたのは、頭の上に狐のような尖った獣耳と、腰の辺りから同じく狐のようなモフモフとした尻尾を三本生やした美しい娘さんだった。
「いや、大丈夫だ。あまり広いとかえって落ち着かないし。ありがとうな、クギ」
「いいえ、我が君。気が変わったらいつでも言って下さいね」
クギが柔らかな笑顔を浮かべる。うーん、美少女。それに、普段から巫女服を着ているからか、旅館の浴衣もばっちり似合っているな。早速着崩しているどこかの残念呑兵衛エルフとは格が違うぜ。あれはあれで俺的にはイエスなんだけども。
「で、飯か。もう用意できてるなら行くか」
「そうしよそうしよ。うちもうお腹ぺっこぺこやねん」
「楽しみですね! ヴェルザルス神聖帝国のお食事!」
膝に乗ったティーナとすぐ横に座っているミミからの圧力が強い。二人とも目がキラキラしてる。でもよだれはやめろ、よだれは。いくら美少女のものでもよだれは嬉しくない。
☆★☆
「なんだかリーフィルⅣのエルフの料理と似てるかもですね?」
「そうだな」
「確かにグラード氏族の料理に少し似たところがあるかもね」
俺の印象としてはこちらの神聖帝国式の料理のほうがより洗練された和食に近い感じがするな。
リーフィルⅣでご馳走になったグラード氏族の料理は煮込み料理が中心でどこか郷土料理感漂うものだったが、この宿で出てきた料理は小鉢に入った多種多様な料理や魚介のお造り、食卓で直接焼いてそのまま頂く生鮮肉や小鍋料理など、まさに俺のイメージする『旅館の料理』という感じであった。
「生肉をそのまま食うんか……?」
「チャレンジ精神溢れる料理だね……」
ドワーフ姉妹が魚介のお造り――刺し身を前に戦慄している。そういえばドワーフ料理って粉物とか酒のつまみになりそうな味の濃い炒め物が多くて、刺し身みたいな料理は無さそうだったよな。
しかし生肉、生肉か……確かに刺し身は薄切りの生の魚介肉だな。そう言われれば確かにそうだ。
「コリコリしてて美味しいよ?」
「こっちは柔らかい……」
ショーコ先生とネーヴェは全く動じることもなく平然と刺し身を口にしている。元々食に関心の薄い――というか、拘りが無いショーコ先生と、そもそも固形食物を食べること自体が嬉しい時期のネーヴェにとっては生肉食なんぞは気にもならないものであるらしい。
ちなみに、刺し身を何の問題もなく食えるのはうちのメンバーの中ではショーコ先生とネーヴェ、それともちろん俺と、ここが地元のクギ。あとはエルマだけであるらしい。
「私は昔色々食べる機会があったからね」
そう言ってエルマは肩を竦めてみせた。エルマは元子爵令嬢――いや、今も籍を抜けたわけじゃないから現役のグラッカン帝国子爵令嬢だからな。傭兵になる前は貴族のお嬢様をしていたわけだし、刺し身みたいなものを食べる機会もあったんだろう。
「お、女は度胸です……! あ、美味しい」
「ミミが何処かから仕入れてくるゲテモノに比べればそりゃなんてことないよな」
というか、どう見てもフ◯イスハガーとかチェ◯トバスターみたいな生物の真空パックみたいなものとか、よくわからんミミズめいたワームだとか、目玉めいた何かの卵だとか、パンケーキからウニョウニョと触手の生えたようなナニカに比べればだいぶ穏当な食べ物だと思うよ。あくまで俺の主観だけど。
「我が君、先程連絡が来たのですが、クリシュナの受け入れ準備が整ったそうです」
「お、そうか。じゃあ明日はクリシュナを聖遺物研究施設とやらに持っていくことにしよう」
「おー、ついにやな。楽しみやわー」
「サイオニックテクノロジーにも触れられるかな?」
「解析はあちらに任せて、私達はサイオニックテクノロジーについて学ぶってのもアリだよねぇ」
うちの技術者連中のテンションが爆上がりし始める。テンションを上げるのは良いんだが、あまりはしゃぎすぎて先方に迷惑をかけないかが心配だな……一応今夜にでもしっかりとお話をしておくとしよう。じっくりと。
すっかり告知を忘れていましたが、新作を始めていました。
概ね同一世界観のような何かです。良かったら読んでみてね!!_(:3」∠)_
フェイスレス・ドロップアウト https://ncode.syosetu.com/n6067jh/ #narou #narouN6067JH




