#516 「いいえ、私は遠慮しておきます」
「ま、つまるところはの。穢れだの罪だのと言うておるが、もっと根源的な言い方をすれば『呪』というものよ。草むらに一歩足を踏み出せばその足の下には踏み潰される大小の虫がおり、同様に踏み躙られた草があろう? ただそれだけでも『呪』というものは発生する。踏み躙られたモノ達の怨嗟、負の法力のようなものじゃな」
「ははぁ、なるほど」
俺が今ひとつピンと来ていないのが面白いのか、ゴージャスお狐美女がくつくつと笑ってこれまた豪奢な装飾の煙管を一つ吸い、煙を吐き出す。
「普通はの、その程度の呪など気にする必要もない。お主、雪はわかるか? なら話は早い。人肌に雪が一片落ちたところで凍えきって死ぬようなことはあるまい? 呪、つまり穢れというのはその程度のものよ。無論、過ぎれば凍傷を起こしたり、凍え死んだりすることもあるがの。お主の場合は吹雪に長時間身を晒した上に、凍った湖に飛び込んで寒中水泳でもしておったようなものだったわけじゃが……異常に身体が頑丈で、それでもピンピンしてたようなもんじゃな」
「異常。異常かぁ……」
「往生際が悪いのう、お主。自分の異常さは自覚しておろうが?」
「自覚していても認めたくはないことってあるじゃん?」
「認めろ認めろ。生きておる限りついて回るんじゃから」
そう言って彼女は呵々大笑する。
禊の儀で最終的に大爆発というか大燃焼? を起こした俺は、あの場に居た一番偉そうな美人さんと一人で対峙していた。対峙と言っても、見ての通り雑談をしているだけだが。
しかしこのゴージャズ美人さん、目のやり場に困る。笑ったりして身を揺する度に、薄い生地に包まれたものがそれはもうぷるんぷるんと。絶対ブラとかしてない。単純に滅茶苦茶に美人だし、本当に困る。
あと、その頭の上のモフモフ狐耳と腰の後ろのモッフモフ沢山尻尾が凄い。何本あるんだ? 九本か?
「うーむ、しかしアレじゃの。お主ちょっと凄いのう。儂に性欲を向けられるとか相当じゃぞ?」
「俺が言うのもなんだけど、物言い。もう少しこう、オブラートに包んでもろて。あと、普通だと思います」
こんなに美人でおっぱいプルンプルンなんだぞ。傾国の美女って言葉がピッタリくるわ。
「そうじゃよな、客観的に見て儂めっちゃエロいよな」
「そうだね、自分で言うのはどうかと思うけどドチャクソエロいね」
「でも普通は儂に性欲を向けられるような者はおらんのよ。好きでこうなったわけじゃないけど、上位存在に片足突っ込んどるから」
「へー」
「全然わかっとらんな。でも正直儂、抱けるじゃろ?」
「抱ける抱ける。俺の本能が絶対やめとけって言ってるけど」
俺の本能がどれくらいやめとけって言っているかというと、セレナに抱いていた絶対アカン感を百倍にしたくらいやめとけって言ってる。完全にアカン。でも抱けるわ。
「はー、寂しいのう。人肌が恋しいのう」
「チラチラ見るのやめてもらって良いすか。というか、何故俺を連行したんで?」
紫色の炎の大噴出を終えたその瞬間、俺はこのゴージャス九尾美女に拉致された。どういう仕組みか全くわからんが、一瞬でこの部屋に移動させられたのだ。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものじゃないね、あれは。恐らく空間転移めいた何かだと思う。
「なに、サシでゆっくりと話がしたかっただけじゃよ。しっぽりしてもええんじゃよ?」
「いいえ、私は遠慮しておきます」
「お主、勘が良いのう……お主が儂のものになってくれたら、色々楽になるんじゃがなぁ」
そう言って九尾美女はとても残念そうに肘置きにだらりと身を預け、すぱーっと煙管を噴かした。
「美人の頼みなら聞ける限り聞くけどな。可能な範囲で。かつ有料で」
「儂の身体を好きにしてええんじゃよ?」
「滅茶苦茶魅力的な誘いだけど、帰って来れなくなりそうだからその報酬はパス」
何がどう帰ってこられなくなりそうなのかは自分でもわからないが、確信を持って言える。彼女と寝たら終わる。何が終わるのかもわからないが、とにかく終わる。何もかもがどん詰まりになる。或いは、永遠に進み続けることになる。つまり、どちらも同じだ。自分でも何を言っているのかわからないが。
「本当に口惜しいのう……まぁ、ええじゃろ。にっちもさっちもいかなくなったその時には、儂の元へと来るが良い。儂はその時が来るのを待っておるよ」
「そうならないように気をつけるよ。あんたのことは嫌いじゃないけど」
俺がそう言うと彼女は一つ微笑んでから自分の唇に手を当て、その手を俺に向けて息を吹きかけた。
☆★☆
「何故投げキッス?」
気がつけば、俺は禊の儀式場に立っていた。
「ヒ、ヒロ様? 今、いきなりそこに現れませんでした?」
「多分そう」
ミミにそう返事しつつ、頭を掻く。一体何だったんだ、今のは。狐に化かされたのだろうか。
「ヒロ、あんたそれ……」
「あん?」
「見事なキスマークだねぇ。真っ赤な口紅の」
「あいつか……どこについてるんだ?」
俺がそう言うと、しずしずと俺の傍に寄ってきたクギが手に持ったハンカチでゴシゴシと俺の左頬を拭いてくれた。ちょっと痛い。
「物凄い炎を噴き出したと思ったらいきなり消えて、どうなってんのよ」
そう言ってクギと同様に俺の傍まで歩いてきたエルマが俺の足をゲシッと蹴る。手加減はされているが普通に痛い。
「儀式を執り行ってた人の中に凄い豪奢な衣装のとんでもない美人が居ただろ。モッフモフの尻尾が九本あった人。その人に怪しげな空間転移めいた力で拉致されて、その後同じ力で戻されたんだよ」
俺がそう言うと、エルマは眉間に皺を寄せた。
「そんな人いた?」
「え? 居ただろ? 俺の炎がなかなか消えなくて、クギがどうしましょうって感じで視線を送ったりしてただろ。皆の前で俺もマザークリスタルの話とかしたじゃん」
「???」
エルマだけでなくミミもわけが分からないという顔をしている、何故かクギまで。クギが視線を向けた先に居ただろ!
「いえ、我が君。此の身は誰か特定の人物に目を向けたわけではなく、儀式を執り行っていたどなたかに助けを求めようと視線を逸らしたのです。そして視線を戻すと、我が君が突然物凄い勢いで炎を噴き出して消えてしまったのですよ」
「……俺を担ごうとしてたりは?」
「此の身はそのようなことは致しません」
「えぇ……? なにそれ怖。軽くホラーじゃん……」
つまり、あの九尾美女は俺にしか認識できていなかったということか? あちらに飛ぶ前に俺があの美女としていた会話もクギ達には聞こえていなかったってことは、目が合った瞬間にもうあの九尾美女の術中に嵌まってたってことか? 何者だよ……恐ろしいなオイ。
「あの、九尾の美女と言われましたか……?」
オオカミ系イケメン神主が神妙な顔で俺にそう聞いてくる。
「ああ、クギみたいな尻尾が沢山ある美女だった。薄手の巫女服みたいなのを着てて、煙管をスパーっと噴かしたりしてて、身動ぎする度にそれはもうぷるんぷるんと……いってぇ!?」
再びエルマに蹴られた。確かにぷるんぷるんは素晴らしいものだが、エルマの薄くて感度の良い胸も――痛い痛い。わかった。悪かった。何も言っていないのに心を読んだかのようにゲシゲシ蹴るのをやめてくれ。
「なんか上位存在に片足突っ込んでるとかなんとか、儂に性欲を向けられるのは凄いなお前とか色々言われたぞ。ああ、あと穢れや罪というのは根源的な話をすれば呪だとかなんとか」
「ああ……間違いなくあの方ですね」
イケメン狼が何故か遠い目をする。何か問題のある人物なのか? いや、問題しか感じない人物だったが。間違いなくヤバい奴だったが。
「持ち前の才覚と弛まぬ修行……いえ、とにかく結果としてヒトの枠を踏み越え、高みへと至ったお方です。私程度の凡庸な者ではその存在すら捉えることが出来ません」
「半分神様みたいな人ってことか?」
「そのようなものです」
つまりあれか。俺が漠然と感じていたアカン感じってのは、もしあの九尾美人としっぽりしていたら、あっち側に行って戻ってこれなくなってたってことか? おっかねぇなオイ! というか、そんなもんが闊歩してんのかよ! ヴェルザルス神聖帝国怖すぎるだろ!




