#505 「え? なんですか? その冒涜的な作物は……」
ランシンは強かった。天然物のフィジカル強者であった。その上、自身の身体能力や耐久力を第一法力で強化し、更にそれを制御する戦闘センスにも長けていた。
「メ、メイを相手にするよりもキツい……」
俺の限界を測るように徐々にスピードとパワーを上げていくランシン相手に十分か十五分かわからんがそこそこに粘った末、俺は修練場の床に汗だくで転がることになった。
「ランシン隊長を相手にあれだけの時間攻撃を凌げるだけで大したものだと思いますよ」
そんな俺の傍に屈み込み、コノハが汗だくになった俺の顔やら額やらをタオルのようなものでゴシゴシしてくれている。もうね、指一本も動かしくたくない。
「帝国の貴族などよりも余程歯応えがありましたな。強化していなければ手指が何度も砕かれておりました。某も修行のし直しが必要です」
そう言いつつも、ランシンは汗一つかかずピンピンしている。俺の得物がグラッカン帝国の貴族達が使う単分子の刃を持つ剣だったら、ランシンの手指はとっくにそこらに転がっていただろう。しかし今回の得物は模擬刀だったので、ちょっと痛いくらいで済んだようだ。
「勝ったと思うなよ……」
「もう勝負は着いておりますな。とはいえ、ヒロ殿が法力の使用を制限していたのも、本来の得物でなかったのも事実。実戦でどうなるかはやってみなければわからぬでしょう」
「それはそうだが、あんたと本気で殺し合いは絶対に嫌だ」
正直、勝てるビジョンが見えん。本気じゃないのはあっちも一緒だろうしな。ランシンが全力で身体強化をしたら一体どれくらい強くなるのか想像もつかん。
「それはこちらも同じこと。ヒロ殿とそのようなことになることが絶対にないよう、本国に意見を送らせて頂く」
「そうかい? それは嬉しいね」
まぁ、実際のところ絶対に殺し合いなんてしたくない相手だが、絶対に殺せない相手だとは思ってはいない。殺すだけなら真正面から正々堂々とやる必要はないし。
あと、イクサーマル伯爵の私兵とやり合った時にどうも第一法力の使い方に開眼したようで、あれからいくつか切り札めいたモノを習得したりもしている。無論、切り札というのはいざという時に使う必殺技――本来の意味で『必ず殺す技』――なので、みだりに使ったりはしないのだが。
「さて、ではヒロ殿の実力もある程度測ることができたところで、訓練と参ろう」
「本気で言ってる?」
「無論。さぁ、起き上がられよ」
誰だよ、このクソ脳筋鬼野郎がいる修練場に見学に行こうとか言い出したのは!
俺だわ。まぁ少しは体力も戻ってきたから素直に立ち上がるが。コノハも俺の汗をゴシゴシするのやめたし。
「結構。とはいえ、某は所謂理論的に法力の使い方というものを教えるのが苦手でして」
「そうだろうな」
いきなりぶつかり稽古を始める辺り、さもありなんといった感じである。
「なので、某が身体強化や耐久力強化をするのを目で見て盗んで頂く」
「なるほど……?」
目で見てわかるものなのか? それは。
「実際に目で見て、その効果を実感することによって習得が促進される……こともあるのです」
「なんと微妙な……なんかアレだな。思ったよりも原始的というか、理論だっていないというか」
「結局のところ精神力と想像力がものをいう力ですからな、法力というのは。無論、個人の資質によって習得できる能力は左右されますし、その強さもその者が内包するポテンシャル次第。内包するポテンシャルの高さという意味ではヒロ殿の右に出るものは銀河中を探してもそうおりませぬ」
「つまり、気合と根性でなんとかしろと」
「左様で。それでは、まずは身体強化から」
そう言ってランシンは全身に力を漲らせ始めた。
☆★☆
「あ、ヒロ様! 見てください! これはおにぎ……どうしたんですか?」
悪夢のような訓練を終え、ミミ達がいるという食堂に顔を出すとそこにはミミだけでなくエルマも一緒にいた。ミミが不格好な形の握り飯を手にしているのだが、あれはミミが握ったのだろうか?
「いや、訓練を見学しに行ったら訓練に参加することになって色々な……」
ちなみに、ランシンが得意とする身体強化も耐久強化も俺は習得することが出来なかった。力を漲らせるランシンを見たり、耐久強化を発動しランシンを模擬刀や手足でぶん殴ったりしてその効果を確かめたりしたのだが、ついぞ同じことができるようにはならなかったのだ。
身体強化といえば帝国貴族が手術を受けて実現するもの、攻撃されてもダメージを受けないと言えばシールド、みたいな固定観念がいけないのかもしれないとランシンとコノハは言っていたが、そうだとすると俺が身体強化や耐久強化のサイオニック能力を習得するのは難しそうだ。
「それで、おにぎりか。米を炊いたのか?」
「あ、いえ。加熱器で温めるだけで食べられるおいしいごはん? というやつらしいです」
「ふーん? まぁそういうのがあってもおかしくはないか」
ミミが手に持っていたおにぎりを差し出してきたので、海苔が巻かれていないそれを受け取って口に運ぶ。うん、おにぎりだ。塩おにぎりだ。サ◯ウのご飯的なレトルトご飯なんだろうが、炊きたてみたいに美味しいな。正直、テツジンが作るごはんもどきよりも遥かに美味い。
「うん、美味しい。ミミもこれで立派なおにぎりマスターだな」
「まだまだです、モエギさんみたいにきれいな形にするのは難しくて……手にいっぱいついちゃいましたし」
そういうミミの手にはご飯粒が沢山くっついている。確かにおにぎりって上手に握ろうとすると結構難しいんだよなぁ。俺は手がベタベタになったりするのが嫌なのでラップで握る派だ。モエギは素手で上手に握っているようだけど。
「で、エルマは飲んだくれてるのか。お前、TPOとか弁えようぜ……」
「酔っ払うほど飲んでないわよ。味見よ、味見。ヴェルザルス神聖帝国で栽培してるお米から醸造されたお酒だって」
そう言ってエルマが徳利とお猪口でチビチビと清酒っぽいものを飲んでいるのだが、既に顔が少し赤い。清酒って結構アルコール度数高いらしいからな。普段エルマが飲んでいるビールやワイン類に比べると倍くらいあるんじゃないか?
「おかわりはやめとけよ?」
「わかってるわよ」
唇を尖らせながら俺から徳利を守るかのように抱え込むエルマ。本当に好きだね、お酒。俺も炭酸飲料、特にコーラは大好きだから気持ちは少しだけわからんでもないけど。
「それにしても醸造ね。ヴェルザルス神聖帝国ではお酒が絞れる米とかは作ってないのか?」
「え? なんですか? その冒涜的な作物は……」
「グラッカン帝国では作ってるぞ。ワインが直接絞れるブドウっぽい果物」
「さ、流石は生物工学に強い国ですね……うちにはありませんよ、そういうのは」
俺の話を聞いたモエギが苦笑いを浮かべている。なるほど、ヴェルザルス神聖帝国にはそういう作物はないのか。結構そういうところにお国柄ってのが出るものなのかね?
「ところでその大量に作っているおにぎりはどうするんだ?」
「これは今日の聖堂の晩ごはんですね。提供する前に少し温めて他のお料理と一緒に出すんですよ」
「なるほど」
食堂の奥、厨房ではモエギ以外にも何人かが食事の用意をしているようだ。そういえばそろそろ夕飯時だな。
「ティーナ達は?」
「ティーナとウィスカ、それにドクターとネーヴェは聖堂の奥にあるサイオニックテクノロジーを見に行ったまま帰ってきてないわよ。そろそろ戻ってくるんじゃない?」
「なるほど。で、クギはフウシン殿と話し合い中か。随分と長話だな」
俺が修練場で訓練をしていた時間は結構長い。昼過ぎくらいにブラックロータスを出て、もうそろそろ夕飯時という時間だ。そんなに長く話し合うような案件が何かあったのだろうか?
「あ、ヒロ殿。皆様もお夕飯、食べていかれますよね? というか、既にそのつもりでご飯を用意しているのですけど」
「そりゃ有り難いが……うーん、じゃあご馳走になっていくか。ありがとう」
「いえいえ」
俺の返事にモエギがにっこりと良い笑みを浮かべる。既に用意されているのに断るというのもないし、向こうからの申し出に「良いのか?」と聞くのもちょっとな。ここは素直に感謝しておこう。
「こちらにおいででしたか、我が君」
「おお、クギも来たのか。随分と長話だったみたいだな」
「はい。フウシン様の指導を受けながら我が君と出会ってから今までの報告書をしたためていましたので。モエギ様、此の身もお手伝い致します」
「はい、歓迎致します」
クギも調理を手伝うらしい。ふーむ、俺も何か手伝おうかな? ただボケーっと見てるだけってのもアレだし。食材が乏しくて料理が難しいって言ってたけど、少しくらいは何か無いもんかね?




