#498 「よし、この件については忘れよう」
クギからはヴェルザルス神聖帝国について本当に色々と聞かせてもらった。政治体制とかのお堅い話から、どんな食べ物が流行っていたとか、どんな人達が――種族的な意味で――住んでいるのかとか、そういう話だ。
「なるほどなぁ……そうだ、クギの子供の頃の話って聞いて良いか?」
特に何か意図があるわけではなく、本当にただの興味本位でそう聞いたのだが、クギの反応は俺の予想外のものだった。
「あ、その……子供の頃の話は、ちょっと、できなくて……」
クギは頭の上の狐耳をぺたりと伏せ、まるで怯えているかのような挙動を見せる。なんだ? 子供の頃の記憶にトラウマでもあるのだろうか? 何にせよ、あまり聞かない方が良い話題のようだ。
「気にしないでくれ、興味本位で聞いただけだから。それじゃあ巫女さんの生活について教えてもらったりするのは大丈夫か?」
「はい、そちらであればいくらでもお話しできます」
どこかホッとしたような表情でクギが巫女の修行生活とはどういうものなのか、ということを話し始める。その話を聞きながら、俺はクギの反応について考えていた。あれは一体どういう反応なのだろうか? ミミは特にクギと仲良くしているし、今度ミミに聞いてみるかな。
☆★☆
ニーパック星系までの道程は実に平和なものであった。宙賊の襲撃もなし、襲われている民間船もなし。何故かと言えば今のコーマット星系――クリスが治めている星系だ――はテラフォーミングが済んだばかりの居住惑星が大々的に開発され始めた直後であり、所謂開拓特需というか、開拓好景気というか、そういった状況が発生している最中なのだ。
何故それがコーマット星系からニーパック星系間の安全に繋がるのかと言うと、それはもちろんゲートウェイ経由でコーマット星系へと流入する開拓用物資の流通や移民が滞らないように帝国航宙軍がしっかりと警備をしているからである。
俺達が取ったルートはデクサー星系から始まり、コーマット星系、ウェリック星系、ジーグル星系、メルキット星系、ニーパック星系となるので、物資の流通ルートと丸被りしているわけだ。
ウェリック星系とジーグル星系はなんとかっていう子爵が治める領地なのだが、この開拓特需、好景気に水を差さないように全力で航路の安全確保をするように帝国のお偉いさんから圧力がかかっているらしい。可哀想に。まぁ、移民船や物資を流通させている輸送船が補給や整備のためにそれらの星系の交易コロニーにもカネを落としているそうなので、役得もあるんだろうけど。
ちなみに、ゲートウェイがあるニーパック星系とその隣のメルキット星系は帝国の直轄領である。直轄領なだけあってセキュリティレベルは大変に良好だ。何せ、下手に宙賊どもが暴れようものならゲートウェイ経由で帝国軍の戦力がいくらでも送り込まれてくるからな。そんな場所で活動している宙賊なんてのは一隻で活動するはぐれか、精々三隻程度の小集団で狩りと移動を繰り返す渡りと呼ばれる小物どもである。
尤も、小物と言っても油断のならない連中だったりするんだけども。少数精鋭ってパターンもあるし。
「何にせよ、安全で何よりだよな」
「そうね。ハイパーレーンから出る度に停船命令とセキュリティスキャンが飛んでくることに目を瞑ればね」
アントリオンのメインスクリーンに表示されているセキュリティスキャンを受けているという警告文を見ながらエルマが不機嫌そうにそう言う。
「あはは……まぁ、別にやましいことは何も無いんですから、少し待機するくらい良いじゃないですか」
そんなエルマをミミが宥めた。いつもと違うオペレーターシートに座っていても、ミミはしっかりと落ち着いている。もうベテランのオペレーターだな。俺? 俺はアントリオンのサブパイロットシートに座ってるよ。クリシュナが使えなくなった時のことを考えて、俺達三人でアントリオンを動かす訓練中なのだ。
「まぁ良いわ。それで、クギのことについて聞きたいことがあるって?」
「そうそう、先日の話なんだがな」
まぁ、その訓練というは口実で、実際のところはミミとエルマと俺の三人でちょっと内緒話をしたかったというわけなんだが。
というわけで、俺は先日クギの子供の頃の話を聞き出そうとしたらクギの反応が妙だったのが気になるという話を二人に聞かせた。
「あー、私は聞いたこと無いわね。ミミは?」
「私は前に聞いた覚えがあるような気がするんですけど……うーん? 覚えてないですね。はぐらかされたような……?」
ミミは首を傾げている。まさかテレパシーを使って質問の記憶そのものを弄ったんじゃあるまいな。そこまでして隠す内容なのか?
「クギに子供の頃の話は地雷っぽいな……あまり話題に出さないようにしよう」
「そうね。別に危険を冒してまでして聞きたいことでもないでしょ?」
「それはそうですけど、なんだか少しもやもやしますね」
ミミの言うことももっともだが、埋まっているのがわかっている地雷を踏みに行くのもな……エルマの言う通り危険を冒してまで聞きたい話というわけでもないし、話したくないなら聞かないというもの一種の優しさというか、配慮というやつだろう。
「よし、この件については忘れよう。少なくとも、そう努力することにしよう」
「そうするのが無難ね」
「わかりました」
それはそれとして、折角こうしてアントリオンのコックピットに集まったんだからシミュレーターでも起動して慣らし運転くらいはしておくか。エルマ先輩の操艦術、見せてもらおうじゃないの。
☆★☆
セキュリティスキャンを受け終えたブラックロータスは、俺達が乗ったアントリオンをくっつけたままニーパックプライムコロニーへと到着した。ニーパックプライムコロニーはゲートウェイが設置されている星系の主要コロニーなだけあって、艦としては比較的大型であるブラックロータスが下部外部接続ハッチにアントリオンをドッキングさせたままでも停泊できる港湾設備を有していた。ゲートウェイ星系ってのは軍事だけでなく物流の拠点にもなる星系だからな。港湾設備に関しては充実してるってわけだ。
「おつかれちゃん。有意義な訓練はできたん?」
軽くシャワーを浴びてくるというミミ達と分かれて休憩スペースに到着した俺にティーナが声をかけてきた。どうやらウィスカと一緒にソファでのんびりしていたらしい。
「それなりにな。クリシュナが動いている間はそうそう問題はないと思うが、万一に備えることは重要だよな」
「クリシュナのジェネレーター回りは完全にブラックボックスですからね……急に動かなくなったらお手上げです」
それは本当にそう。ウィスカの言う通り、クリシュナのジェネレーター回りは完全にブラックボックスになっていて手が出せないので、動かなくなったらそれで終わりなのである。一応ジェネレーターが暴走したりして大爆発、なんてことにはならないようにセーフティなどは存在するようなのだが、それすらもどうやって動くのか解析できていない。エンジニアの二人曰く、あのサイズでどうやって巡洋艦並みの高出力を発揮しているのか全くわからない謎のジェネレーターであるらしい。
ちなみに、この世界で一般的に使われている船用のジェネレーターは対消滅炉の類である――らしい。らしいというのは、俺の頭ではこの世界のジェネレーターがエネルギーを発生させる原理が理解できなかったからだ。出てくる単語を見る限り、エネルギー生成のサイクルに反物質が使われているということはわかったのだが、それがどのように利用され、どのように作用してエネルギーを生成するのかは理解できなかった。
そもそも、生成される『エネルギー』とは何なのかということが理解できなかった。電力なのか? というとそういうわけでもないようだし。いや、電力も発生させているのは確かなようなのだが。
ついでに言うと、クリシュナが装備している対艦反応弾頭魚雷に使われている反応弾頭というのも反物質を利用した弾頭であるらしい。俺は知らず知らずのうちに反物質兵器をぶっ放していたようだ。
まぁ、テクノロジーの全貌を理解しなくても利用することはできる。原理を理解していなくても家電製品やらスマートフォンやらパソコンやらを使えるのと同じことだ。少々そのスケールというか、危険性が段違いなだけで。
「解析は難しいか。スペースドウェルグ社でも無理っぽかったもんなぁ」
「せやねぇ、うちらも頑張ってはいるけど、正直手に余ると思うわ」
「あ、でもヴェルザルス神聖帝国ならどうでしょう? 私達とは全く別系統の技術体系を持っているわけですから、もしかしたら何かわかるかもしれませんよ?」
「ああ、それは有り得るな。そもそも、クリシュナは俺がこっちに落ちてきた時に生成された船なんだろうし。そう考えるとヴェルザルス神聖帝国なら、って可能性は十分あるか」
そうだとしたら、ヴェルザルス神聖帝国に行く目的が一つ増えたことになるな。あっちのシップエンジニアにクリシュナを見せてみるってのは大いにアリだ。
『ご主人様、入港完了致しました』
「了解。それじゃあ皆で船を降りて息抜きがてらコロニーを散策しつつ、クギの手続きについていくとしよう。皆を集めてくれ」
『はい、ご主人様』
さて、好景気に沸くコロニーの様子ってやつを見に行くとしますかね。はぐれないように注意をしないとな。




