#037 メディカルチェック
「私はキャプテンのヒロ、こっちはクルーのエルマとミミです。よろしくお願いします、ショーコ先生」
「ああ、いいよいいよ。もっと気楽な言葉でね。私も肩が凝っちゃうしね」
「そうですか? それじゃあそういうことで」
その胸部装甲ならさぞ肩も凝るだろうな、と思いつつ頷く。
「今日は総合的な健康診断ということだったね?」
ショーコ先生がどこからかタブレット端末を取り出して問いかけてくる。いや、どこから出てきたの? そのタブレット。さっき両手とも白衣に突っ込んでたよね?
「ええ、特に俺は予防接種の類も何を受けてて何を受けていないのかもわからん状態でして。ミミもターメーンプライムコロニー内で受ける一般的なものしか受けていないはずですから。傭兵としてあちこち飛び回ることになるんで、その辺もしっかり受けたいんですよね。エルマはどうなんだ?」
「私は一通りそういうのは受けてるわよ。そもそも、私みたいなエルフって免疫系が人間よりも強いから、そんなに必要無いみたいなのよね。でも、更新するものもあるかもしれないしやっぱり一通り診てもらったほうが良いと思うわ」
「なるほど。他に気になる点とかはあるかな?」
「あの、ヒロ様は記憶喪し――」
「すまんミミ、それは嘘なんだ」
記憶喪失と言いかけたミミに食い気味に言葉を被せて否定する。俺のその言葉を聞いたミミが目を見開いて俺の顔を見つめてきた。とてもびっくりしているようだ。
「記憶喪失ではないが、ちょっと複雑な事情がな……簡潔に言うと、記憶があやふやではあるんですよ。俺はハイパードライブの事故か何かで船と一緒に突然ターメーン星系に飛ばされて来てましてね。なんでそんなことになったのか自分でもよくわからない。船の寄港記録もターメーン星系以前のものはどこにも見当たらない。まるでこの世界に突然現れたみたいな状況なんですわ」
「……へぇ? それはなんというか、不思議だね」
「不思議なんですよねぇ。そういうわけで、そのハイパードライブ中の事故か何かで前後の記憶とかがあやふやな上に、ちょっと現状と一致しない部分もあったりしましてね。その影響が身体に深刻な影響を与えていないかどうか、詳しく調べてほしいというのもあるんですよ」
「なるほど。ハイパードライブ中のトラブルで心身に何か負担がかかっている可能性がある、と。確かにそれはしっかりと検査したほうが良いだろうね」
ふむふむと頷きながらショーコ先生がタブレットを操作する。カルテでも作成しているんだろうか?
「なにか特別な病歴とかは無いかね?」
「俺は特にないな。思い当たる限りは、だけど」
「私もないですね」
「私もないわ」
首を横に振った俺と同じようにミミとエルマも首を横に振る。俺は特にアレルギーとかも無いし、身体は健康そのもののはずだ。
「じゃあ、早速始めようか。まずは医療ポッドでフルスキャンだね。ここに備えられているのはうちの最新型だよ」
「イナガワテクノロジーの?」
「そうさ。銀河におけるシェアは他社とどっこいだけど、性能は折り紙付きだよ。少々大きいのと価格が高いのが玉に瑕だけどね。うちは高級志向なのさ」
誇らしげにそう言って歩き始めたショーコ先生の後ろについてゆく。ショーコ先生が歩きながらイナガワテクノロジーの医療ポッドの解説をしているが、正直ちんぷんかんぷんだな。専門的な用語が多すぎて理解が及ばない。
「というわけなんだよ」
「二割も理解できませんでした」
「すごいのはわかりました!」
「そうね、すごいのはわかったわね」
「うん、とにかくすごいんだ。それでいいよ」
特に気分を害した様子もなく、ショーコ先生はご機嫌のようである。他人のこういう反応に慣れている感じがするな。どっちかというとこの人、現場で患者に医療を施すよりも研究畑の人なんじゃないだろうか。
「まぁ、君たちは私の命の恩人だからね。最高の設備でしっかりと診断するから安心してほしい」
「命の恩人……? あの船の乗っていたんですか?」
俺達の方を振り返ったショーコ先生にそう問いかけると、彼女は大きく頷いた。
「そうさ。あの時はもうだめだと思ったね。私は女だけど地味だし、もし宙賊が船を撃破しないで乗り込んできたとしても『処理』されてた可能性が高かったから」
そう言って彼女は肩を竦める。いやー? それはどうですかね? ショーコ先生はよく見れば美人だし、胸部装甲も厚いから宙賊に攫われてたかもしれないよ? それが『処理』されるより幸運なのかというと、正直そうとも思えないけどね。
「まぁ、そういうわけでね。実は君達の健康診断を担当する件も割と無理矢理気味にねじ込んだんだ。本当は私は研究開発部の人間でね……ああ、心配はしないでほしい。ちゃんと医師としての免許は持っているし、医師としての腕だってそこらの医院の自称敏腕よりは上だと自負しているよ」
「なるほど」
なるほどとしか返しようがねぇ。チェンジとも言えないし、言うことを疑うのも失礼だし。
ミミとエルマ西線を向けてみると、二人とも微妙に不安そうな表情をしていた。そうだよな。そうなるよな。でも、自分で大丈夫だと言っているし俺達は彼女を信じる他ない。
なに、納得できなかったら他の医療機関でもう一度健康診断をするって手もある。ここはおとなしくショーコ先生に診てもらうのが吉だろう。
「さ、この部屋だ。どうぞどうぞ、入って」
「はーい……おお」
「わぁ」
「へぇ」
ショーコ先生に案内されて入った部屋にはクリシュナの医務室にある簡易医療ポッドとは比べ物にならないほど立派な装置が何台も並んでいた。これは確かにデカイわ。クリシュナの医務室にある簡易医療ポッドはちょっと横幅の小さなベッドって感じの大きさだが、この部屋にある医療ポッドはクリシュナの医務室と同じくらいの大きさがある。高さはおよそ2m、奥行きもおよそ2m、横幅は軽く3mを越しているんじゃないだろうか。
「でかいな」
「でかいだろう。だが、こいつには一台一台にデータ分析用の陽電子コンピューターが搭載されているんだ。性能には自信を持っているよ。さぁ、服を脱いで各自医療ポッドに入ってくれ」
「ええと、どこまで?」
「全部だよ」
「全部っすか」
「全部だ。ああ、検体の裸は見慣れているからね。私のことは気にする必要はないよ」
「あっはい……」
気にするのはショーコ先生ではなく裸になる俺達なのでは……? そう思ったが口には出さず、上着とトレーニングウェアを脱いでチラリとミミとエルマの方を――。
「おうふ」
エルマの投げた上着が俺の頭にクリーンヒット。ばさっと広がった上着が俺の視界を奪う。
「ミミ、さっさと脱いで入っちゃいなさい。あんたは私達が入るまでそのままでいなさい。いいわね?」
「アイアイマム」
ビシッと敬礼をしてその言葉に従う。しかし俺は既に素っ裸なわけで、頭に女物の上着を被ってブラブラさせてるのって変態度高くない? 誰も気にしないって? そうですか。
「二人は医療ポッドに入ったよ」
ショーコ先生に声をかけられたので、頭に被った上着を取って俺が脱いだ服を入れていた衣装籠に放り込む。
「ありがとう。お見苦しいものをお見せしまして」
「いえいえ、結構なお手前で」
なんとなく頭を下げ合ってしまった。このまま見つめ合っていても仕方ないので、俺も医療ポッドの蓋を開いてその中に身を横たえる。うーん、微妙に窮屈なこの感じ。なんかあれだ、以前健康診断でMRIを受けたときのことを彷彿とさせられる。
あれなー、検査前に飲んだ薬の効果なのか身体が芯から熱くなるような不思議な感覚なんだよなー。身体が熱くなっちゃううぅ! って感覚を自分の身で体験することがあるとは思わなんだ。あれは革命的な体験だったね。
『聞こえるかい? 今からスキャンを開始するからそのままリラックスしててね』
「へーい」
『身体はできるだけ真っ直ぐに。両手の甲を太ももの横にぺたっとくっつけてね』
「了解」
言うとおりにして待つこと暫し。医療ポッド内に何度も薄緑色の光が走り、俺の身体をスキャンしていく。俺はこの世界の人間じゃないからなぁ。なんか変なことにならなきゃいいけど。
『はい終了ー。ポッドを開けるから出て服を着ていいよー』
プシュー、と空気の抜ける音がして医療ポッドの蓋が開く。さして時間もかからずに検査が終わるのは流石SF世界ってところだろうか。MRIは結構な時間がかかったからな……なんか身体は熱いし、あまり何度もやりたいものじゃないよ、あれは。
いそいそと服を着込み、エルマの上着を返してやる。
「私とミミはともかく、あんたの結果がちょっと怖いわよねー」
「何事もなければ良いんですけど」
「言うな、不安になってくる」
「あはは、心配はいらないと思――んん?」
タブレットを見ていたショーコ先生が急に細目になってタブレットの画面を凝視し始める。先生、眉間に皺、皺寄ってますよ。
「いや、うーん? えぇ……?」
「めっちゃ不安になるんですけど」
「いや、うーん……ヒロ君、ちょっと聞いていいかな?」
「はい」
「いろいろ腑に落ちないというか、聞きたいことがあるんだけど、まずは……君、多言語翻訳インプラント入ってないみたいんだけど」
「そうなんですか」
入れた覚えも無いから入っていないのも当たり前だろうな。でも、入っていないとおかしいみたいだな、この反応を見る限りは。ミミとエルマも『え? 嘘でしょ?』みたいな顔してるし。
「入ってないとおかしいんですね」
「おかしいね」
「おかしいわね」
「おかしい、ですね」
俺以外の三人が声を揃えて頷く。どうもこの多言語翻訳インプラントというのは銀河中に普及しているもので、生まれた直後に脳に移植されるのが当たり前のものであるらしい。出生申請をすればどんな立場の人間でも無料で移植されるものであるらしく、俺の歳になって移植されていないなんていうのはほぼありえないのだとか。
「でも、ヒロ様は今までに言葉に不自由してないですよね?」
「そうね、そういうのは見たことがないわね。常識は知らないみたいだけど」
「そうなのかい? ちょっとテストしてみて良いかな?」
「どうぞ」
ショーコ先生がタブレットを操作しながら口を開く。
「今からこのタブレットで多くの異星言語を流すから、そのタブレットから聞こえたのを同じことを復唱してくれるかい? 多言語翻訳インプラントのテストプログラムなんだけど」
「勿論」
「じゃあ、始めるよ」
ショーコ先生の持つタブレットから日常会話のようなものが流れ始めたので、聞こえたとおりに復唱していく。全部日本語で聞こえるんだけどね、俺には。
何の問題もなくテストプログラムが終了する。
「問題ないみたいだね。一体どういう仕組みなんだろう?」
「俺にはさっぱりわかりませんが」
なんだろう、異世界転移ものでよくある言語翻訳ボーナス的なものなんだろうか? ここSFの世界ぞ? そんなのよりも一般人と同じようにインプラントぶち込んでおいて欲しかったよ……というかマジで意味がわからない。どう解釈すれば良いんだ、これは。
「えー、とりあえず大丈夫そうということでインプラントが無いことに関してはスルーでお願いします」
「えぇ……個人的に凄く気になるんだけど」
「ノゥ、俺はショーコ先生のモルモットになるつもりはありませんので。次の項目お願いします」
「仕方ないなぁ……ええと、次に気になったのはね。君、どこ出身?」
「俺の認識だと太陽系の第三惑星、地球ですね。ソル星系って言ったほうが良いのかな」
太陽系第三惑星とか日常的に言うことも聞くこともあまりないよな。俺はゲームとかで聞くからスッと答えられたけども。
「ソル星系……聞いたこと無いなぁ」
ショーコ先生がミミとエルマに視線を向けるが、彼女達も首を横に振った。
「俺の出身はとりあえず横に置いておいて、一体それがどうしたんで?」
「うん、君の遺伝子データなんだけど、今までに観測されたことのない値が多いんだよね」
「うん……?」
「調べた限り、身体の機能そのものは一般的なヒューマノイドと変わらないみたいだから問題はないんだけどね。とっても興味深いね。今までに観測されてない遺伝子データということは、今まで我々が持っていなかった特殊な因子を抱えている可能性があるってことだからさ」
「もっとわかりやすく」
「君の遺伝子データは未開拓のフロンティアに溢れているね。ちょっと分けてくれない?」
「えぇ……」
チラリとミミとエルマに視線を向けると、二人はどう判断したら良いのかわからないといった顔をした。そうだよな、俺もわからん。
「そうすることによるメリットは?」
「そりゃもう高いよ。高く買うよ。未知の遺伝子データというものはこの宇宙と同じくらいのフロンティアだからね!」
ショーコ先生が興奮した様子で迫ってくる。近い近い。眼鏡の奥から飛んでくる視線が強いって。彼女の両肩にそっと手を置き、少し間合いを離してもらう。
「俺にデメリットは?」
「特に無いと思うよ。うちは情報セキュリティもしっかりしてるから、漏れることもないだろうしね。ただ、よそで同じような検診を受けることはおすすめしないね。下手なところに当たるとそれこそモルモットにされるかもだし。うちはしっかりしてるからね、遺伝子データを貰えるならつきまとったり不当に拘束したりしないということを約束するよ」
「うーん」
大事になってきた。予想していなかったわけじゃないが、こんなに大事になるとは思わなかったな。どうしたものか……ここは要求に従って、健康面でのケアをイナガワテクノロジーに一任するのが良いだろうか。
「わかった、遺伝子データの提供に関しては前向きに考える。こちらからの要望としては、今後の医療的なケアを全面的にイナガワテクノロジーに任せるから、便宜を図ってもらいたい。あと遺伝子データの買取金額、そして解析したデータの利用や権利に関しては時間を取って詳細に話を詰めさせてもらいたい。今日のところはメディカルチェックと予防接種を……」
「予防接種は遺伝子データの採取後にして欲しいな。データが変異する可能性があるからね。出来るだけナチュラルなデータが欲しいんだ」
遺伝子情報が変異する予防接種ってどういうものなんだよ……ちょっと怖いんだけど。
「また来なきゃならないのか……」
「先に遺伝子データを提供してくれれば今日一日で済むよ?」
「売買契約の締結前に商品を渡す商人なんて居ないでしょうが」
「信用してくれるなら先渡しでもいいんじゃないかな?」
ショーコ先生がニッコリと微笑んで小首を傾げてみせる。意外とあざとい仕草をするな、この先生。
「信頼関係の構築が出来てないから無理です」
「残念だ」
「スキャンしたデータがあるでしょう」
少なくとも、俺の遺伝子データが特殊であるということが分かる程度のデータは医療ポッドのスキャンで得ているはずだ。
「やっぱり実物にはかなわないよねぇ。血液とか精液が欲しいところだよ」
「条件が折り合うまで我慢してください」
仕方がないなぁ、と言ってショーコ先生が溜息を吐く。やっぱこの人は研究者だな。間違いなく医者の思考じゃないと思う。
「それじゃあ済ませられるものはササッと済ませちゃおうか。早くヒロ君の遺伝子データを解析したいからね」
ショーコ先生が再びにっこりと笑みを浮かべた。へいへい、もうどうにでもしておくれ。




