#187 祝杯
「勝利を祝して、乾杯」
「かんぱーい!」
「乾杯」
俺の音頭でミミとエルマが盃を掲げる。もっとも、俺のは帝都産の炭酸飲料で、ミミのは高級な果汁100%ジュースなので、実際に酒を呑んでいるのは一人――いや二人だけなのだが。
「私は貴様に敗れたのだが」
祝いの場に相応しくない仏頂面で耳の長い美男子――エルマの兄であるエルンストが文句を垂れる。
「勝負が終わったらノーサイドだろ? お義兄様」
「だから私を義兄と呼ぶなと……はぁ」
エルンストが諦めたかのように溜息を吐く。こういう仕草がエルマと似てるんだよな。流石は兄妹といったところか。もしかしたら、エルマがエルンストの影響を受けているのかもしれないな。
「ともあれ、私が負けてお前が勝った。エルマもお前のことを認めているようだし、借金を盾に無理矢理という関係でもないようだ。白刃戦で名だたる騎士や貴族を斬り伏せ、銀剣翼突撃勲章にゴールドスター、更にプラチナランクの傭兵ともなれば認めぬ訳にもいくまい。お前に義兄と呼ばれれるのは御免だが、認めてやる」
「なぁエルマ、この人なんでこんなに偉そうなんだ?」
「茶化さないの」
ぴん、とエルマが俺の鼻を弾く。ぬぅ、叱られてしまった。
「やっぱりエルマさんのお義兄さんなんですねぇ……」
コップを両手で包み込むように持ちながらミミがエルンストの顔をじっと見る。だ、ダメだぞミミ! そいつは確かにエルマ似のイケメンかもしれないが……ダメだぞ!
「まぁ、顔は似てるわよね」
「エルマも私もどちらかと言えば父上似だからな」
兄妹が顔を見合わせて互いに肩を竦める。
「いえ、そういうことでなく。ちょっと素直じゃないところとかそっくりだなぁって」
「ミィミィ~?」
「うわぁん」
エルマが据わった目でミミを睨み、柔らかいほっぺたを軽く抓る。微笑ましい光景だなぁ。しかし素直じゃない、ねぇ……? なんとなくエルンストと目が合う。嫌な顔をされた。おいなんだその顔は。
「しかしまさか帝城の賓客室でエルマと食事をすることになるとはな。五年前には想像もしなかった」
「それは私もよ、兄様。帝都には二度と足を踏み入れることはないと思っていたし」
「ヒロ様がエルマさんとエルマさんのご家族との縁を再び結び直したということですね。流石です」
「そのヨイショはちょっと無理があるんじゃないかなぁ……」
「実際ヒロと一緒にいなかったら帝都に近づくことは無かったでしょうから、そこまで大げさな話ではないかもしれないわね」
エルマの発言を聞いてエルンストが目を見開いて驚いている。まさかエルマが帰ってこないつもりだとは思っていなかったのだろう。
「……どんな形であれ帝都にエルマを連れて帰ってきてくれたお前には感謝をするべきかもしれんな」
「急に殊勝な態度になったぞ。どれだけ心配だったんだよ」
「こう言ってはなんだが、私から見れば傭兵などという連中は帝国への帰属意識が弱いゴロツキの集まりだ。そんな中にか弱く可憐な妹が飛び込んで心配しないはずがあるまい」
「か弱く可憐……? まぁ可憐ではあるアイタタタタ!」
エルマが俺の太ももを抓ってくる。そういうとこだぞ!
「でも、兄様は私の家出を助けてくれたでしょう?」
「良いかエルマ。兄は可憐な妹が悪辣で醜悪なゴミ屑の餌食になるのを看過したりはしない。だがそれはそれ、これはこれだ。手の届かぬ危険な場所へと飛び出した妹を心配しない日など一日たりとも無かった」
「これは筋金入りのシスコンだ」
「優しいお兄さんですね、エルマさん」
「過保護なのも良し悪しだけどね……そういえば、あいつは結局どうなったの? 私が姿を眩ましたから、婚約は解消されてるのよね?」
婚約ですと?
「ああ、それは心配ない。本人が小型戦闘艦に乗って飛び出して行方知れずとなっては婚約関係をそのまま維持するわけにもいかないからな。父上が上手く立ち回って婚約関係は綺麗さっぱり解消されている。これでこいつが居なくて、エルマが戻ってきてくれるのであれば全て丸く収まったんだがな」
そう言ってエルンストが俺に冷たい視線を向けてくる。
「お? なんだ? やんのか? 真剣でのチャンバラは御免被るぞ? 殴り合いもNGだ。俺は平和主義者なんでな。どうしてもと言うなら船を使った模擬戦なら受けてやろう」
「強気なのか弱気なのかはっきりしなさいよ……しれっと自分の得意なフィールドに引き込もうとしてるし」
「お前、斬り合いでも私に勝てるだろうが……」
「それはそれ、これはこれ。剣での命のやり取りなんて御免だ。斬られたら痛いし血が出るし死ぬじゃないか。船での戦闘なら俺に負けはない」
「随分な自信だな」
「勿論です。ゴールドスターですから」
皮肉を飛ばしてくるエルンストにドヤ顔で対応してやる。ふはは、我ゴールドスターぞ? プラチナランク傭兵ぞ? こう言ったらなんだが、一対一の船での戦闘で負ける気はしない。PvPは面倒だからあまりやらなかったが、傭兵業をやっていれば自然と対人戦に特化してしまうものだ。何せ相手は基本的に宙賊や宙賊プレイヤーだからな。宇宙怪獣とも結構やり合うけど。
「ふん……三日後には白兵戦のトーナメントだろう? そこで恥をかかなければ良いがな」
「ああ、それな。白兵戦のトーナメントって、具体的にはどうやるんだ? まさかパワーアーマーやレーザーガンで殺し合うわけじゃないだろう?」
白刃戦トーナメントは剣での斬り合い、宙間戦闘トーナメントはつまるところ船を使った模擬戦だ。しかし白兵戦はそういうわけにはいかない。基本的に白兵戦というのは大型船や戦艦などに接舷し、直接船内に戦力を送り込んで制圧するというものだ。一対一で戦うなんてことはあり得ないし、個人個人で装備の差というものもある。一体どうやって白兵戦の実力を確かめるというのか?
「なんだ、知らんのか? なら教えてやろう」
そう言ってエルンストは偉そうに白兵戦競技の講釈を垂れ始めた。つまり、この白兵戦競技というのはエクストリーム障害物競走、あるいはエクストリームSAS○KEみたいなものらしい。
まず、大前提としてそれぞれ自前で用意した装備を用いることになる。勿論経済力によってこの時点で差がつくが、実戦を想定しているこの競技においては装備を揃える経済力もまたその参加者の実力ということで、装備の公平性などというものは最初から投げ捨てられている。対戦相手のほうが装備が良い? それは同じ装備を揃えられないやつが悪いのだという理屈らしい。
うーん、エクストリーム。
そして対戦者はそれぞれのバトルフィールドに突入し、戦闘を開始する。バトルフィールドは様々なシチュエーションを想定されたものが用意されることになっており、それは例えば敵対船に乗り込んでの白兵戦であったり、コロニーの市街地での白兵戦であったり、どこかの惑星上にある密林での白兵戦であったりする。
ホログラムとレプリケーターなどを組み合わせ、そういった環境をごく短時間で再現する軍の訓練施設があり、それを使って今回の白兵戦トーナメントを行うというのだ。
「すげぇ技術の無駄遣いだな」
「ちなみに、敵役は帝都に工場を持つ各種ロボットメーカーの戦闘用ボットやその試作品となる予定だそうだ。ついでに戦闘データを収集するらしい」
「転んでもただでは起きない連中だなぁ……」
機密保持とかそういう方向の心配は大丈夫なんだろうか? しかしなるほど、装備は自由か。なるほど。後でルールをよく読むとしよう。ああ、ブラックロータスに置いてある武器の類を全部送ってもらわないといけないな。クリシュナから移したものものあるし。いや、消耗品はこっちで調達したほうが良いか? よく使う装備やパワーアーマーはクリシュナに積んであるから、グレネードとか弾薬の類だけ手配してもらえばいいか。
「何かヒロ様が悪い顔をしています」
「何か企んでるわね」
「何を言っているんだ。人聞きの悪い。流石に小型反応爆弾とかを使うつもりはないぞ」
「当たり前だろうが!? エルマ、大丈夫なのかこいつは」
「大丈夫……いや、どうかしら。前に歌う水晶を……」
「歌う水晶!?」
おっとエルマ、その話はそこまでだ。あれは限りなくブラックに近いグレーなムーブだったからな。発覚したら怒られる程度では済まないアレなので、それ以上はいけない。
なぁに、装備を有効に使うだけだ。大丈夫だ、問題ない。
「それよりもさっきチラッと言っていたエルマの婚約者の件が気になるんだが。まさかちょっかいをかけてきたりはしないだろうな?」
「それはないと思うけど、もしそんなことがあってもヒロに迷惑はかけないわよ」
そう言ってエルマが唇を尖らせる。俺はそんなエルマのおでこをつっついた。
「馬鹿。別にそんな迷惑とかそんなのはどうでも良いんだよ。もしそういうことが考えられるなら、何かしらの手を打とうって話だ」
「私の前で妹とイチャつくのはやめてくれるか?」
「やなこった。それで、そいつはどんな奴なんだ? お義兄さんもエルマも随分嫌ってるようだが」
「だから義兄と呼ぶなと……はぁ、まぁ良い。エルマの元婚約者の名前はエルザル侯爵家の次男坊でな。三度の飯より女が好きな屑だ。単に女好きなだけなら良いんだが、侯爵である親の権力を笠に着て好き放題している」
「なんというか絵に描いたようなダメ貴族っぽい感じだが、そんなのが何故放置されてるんだ? というか、いくら相手が侯爵の次男坊でも子爵家の令嬢であるエルマにそんな無体を働けるものか?」
侯爵と子爵では勿論貴族としての階級というか地位は向こうのほうが上なんだろうが、それでもそんな評判の悪い息子にわざわざ自分の可愛い娘を差し出すわけもないだろう。
「侯爵直々に父上に頭を下げてエルマを次男坊の嫁にくれと頼まれたんだ。あまりの放蕩ぶりに手を焼いて、エルマと身を固めさせて首輪をつけようとしたわけだな」
「なんでまた……」
「エルマは可憐で美しく、それでいてウィルローズ子爵家の令嬢として恥じない芯の強さを持ち併せていると評判だったからな……まぁ、それが高じて帝都を飛び出したわけだが」
「それってつまり放蕩息子押さえつけられるくらい強――ガアァァァァッ!?」
エルマが素早く俺の腕を取り、関節を極めて痛めつけてくる。そういうとこ! そういうとこだぞ!
「ええと……じゃあその、エルザル侯爵家の次男坊様とやらがまたエルマさんに接触してくる可能性は……?」
タップしてもなかなか解放してくれないエルマの暴虐に耐えていると、ミミが話を引き継いでくれた。流石ミミ、できる子だ。でも、できればこっちの凶暴なエルフをどうにかしてはくれまいか?
「陛下直々にその男――ヒロの身内に手を出すべからずと勅が発されているからな。これは勿論今回のトーナメントの景品として貴女や我が妹、それに同行者の整備士の姉妹に手を出すことはならんという意味で、トーナメントが終わればその勅も効力を無くす。だが、トーナメントが終わっても帝国貴族が貴女達に手を出すことは躊躇われるようになる。陛下の不興を買う恐れがあるからな。普通に考えれば心配は無い、と思うのだが」
「その次男坊は手を出してくる可能性があると」
エルマの関節技から解放された腕をさすりながらそう言うと、エルンストは頷いた。
「可能性は全く否定できん。奴は我慢がきかない性質だからな。だが、その場合危険なのはエルマよりも寧ろミミ、貴女の方だろう」
「私ですか!?」
ミミが大げさに驚く。だが、俺は驚かない。普通に考えて、ミミの方が手を出しやすい相手だろうからな、そのエロザルだかなんだかの次男坊にしてみれば。
エルマは子爵家令嬢で、下手に手を出すとウィルローズ子爵家を敵に回す可能性がある。だが、ミミはただの平民だ。少なくとも公式にはそのようにアナウンスされている。権力を笠に着て悪さをする貴族としては相手が平民の方が面倒事は少なくて済むというわけだ。
皇女殿下という存在は侯爵家の次男坊という身分をもってしても高嶺の花だろう。下手すると面会すらできない相手なのではないだろうか?
そんな皇女殿下と瓜二つの容貌を持つ平民の娘という存在がいたとしたら? 女好きの放蕩息子としては手を伸ばさずにはいられないのではなかろうか。
「それにしたって、普通は無いよな」
ルシアーダ皇女殿下とは比べ物にならないかもしれないが、俺の船のクルーであるミミという存在もまた帝国貴族にとってはかなりアンタッチャブルな存在であるはずだ。既に俺は白刃戦の部で力を示したし、この後のトーナメントでも力を示すつもりだ。そんな暴力の権化みたいな俺の怒りを買うような真似は普通はしないのではないかと思う。
「まぁ、そうだが……奴は普通ではないからな」
「そっかぁ、普通じゃないかぁ……」
まだまだ気は抜けそうにないな。まったく、やれやれだ。
まずは三日後の白兵戦の部に備えて動くとするか。何はともあれ、目の前のことからコツコツと片付けていかないとな。