#106 不貞寝と泣き虫と心機一転
大変おまたせしました! 本日から更新を再開します!_(:3」∠)_
不貞寝から目覚めた。なんとなく頭や肩が重く感じるし、微妙に頭痛もする気がする。コンディションは最悪である。自分の身と今の生活を守るために、いたいけな少女の純粋な好意を袖にしたのだ。それを改めて自覚して心がズンと重くなる。
言い訳はいくらでもできる。祖父であり当主であるダレインワルド伯爵が認めるはずがないだろうとか、クリスとそういう仲になったら傭兵稼業は続けられないだろうとか、ミミとエルマとも別れなければならなくなるだろうとか。
もしかしたら伯爵は首を縦に振るかもしれないし、傭兵稼業は続けられなくともクリシュナを駆って宙賊をぶっ飛ばすくらいのことはできるかもしれないし、ミミやエルマだって側室──所謂愛人のような立場でなんとでもなるのかもしれない。
だが、そうなったとしてそれは俺が心からのびのびと過ごせる生活なのだろうか? と考えるとやはり俺はどうにもそうは思えない。入婿とはいえ貴族ともなれば様々な柵に縛られることになるだろう。クリスもきっと色々と苦労するに違いない。
だからこそ俺が支えてやれれば良いのかもしれないが、正直俺が貴族社会でそこまで上手く立ち回れる気が微塵もしな──。
「えいっ」
「おふぅ!?」
可愛い掛け声とともにうつ伏せに不貞寝していた俺の背中に柔らかい感触と程よい重みが襲いかかってきた。なんじゃあ!? と苦労をしてもがき、仰向けに寝返りを打って襲撃者を確認してみると、明るいブラウンの瞳がこちらをじっと見つめていた。その瞳はこちらをじっと見つめながらも、どこか不安に揺れているように思えた。
「ミミか」
俺がそう言うとミミは何も言わずに頭を俺の胸元にこすりつけてきた。犬か何かかな? なんとなくミミの明るい茶色の髪の毛の中に犬のような垂れた耳がついているのを幻視してしまった。
「どうした?」
ミミの頭を撫でてやると、ミミは俺の胸に頭を預けてじっと俺の顔を見つめてきた。その目に急に涙がじわりと滲み始める。
「うぅー……」
「いやほんとにどうした?」
わけが分からず手でミミの涙を拭ってやると、ミミは声もなくグズグズと泣き始めてしまった。俺の胸に顔を埋めて泣くミミの頭を暫く撫でていると、やがてミミの泣き声が治まってきた。終わったかな? と思って胸元に視線を向けると、目を真っ赤にしたミミが鼻水を垂らしながらスンスンと鼻を鳴らしているのが見えた。
「ああもう……かわいい顔が台無しじゃないか」
「う゛ぅ゛……」
枕元から再生利用可能なウェットティッシュを取り出してミミの顔やら鼻やらを拭いてやる。使用が終わったら専用の屑籠に放り込んでおけば再び利用可能なウェットティッシュとして再生されて自動補充されるのである。どういうメカニズムなのかは俺は知らない。
未だ鼻を鳴らしてべそをかいているミミを撫でながら彼女の頭を撫でて落ち着くのを待つ。そうしているだけで先程クリスのことを考えていた時のような鬱屈とした感情が薄らいでいくのを感じた。なんと薄情なのだろう、と思うと同時にやはり俺にとってはミミと、そしてここにはいないがエルマとの生活が安らぎをもたらすのだな、ということを強く自覚する。
「ミミ」
「……はい゛」
「俺はミミとこうしてるのが一番落ち着くみたいだ」
「……ふぐうぅう゛~~」
ミミがまた泣いてしまった。今日のミミはよく泣くなぁ、と内心苦笑しながら俺はミミの頭を撫で続けた。
「ご迷惑をおかけしました……」
「あんまり気にするな」
犠牲になったのは俺が着ていたシャツ一枚である。自動洗濯乾燥機に放り込んでおけばすぐに綺麗になるのでなんてことはない。ウェットティッシュのストックはかなり減ってしまったけど。再生に多少時間がかかるからな。
「それで、なんで泣いてたんだ?」
そう聞くと再びミミの目にじわりと涙が浮かび始めた。だが、ミミはその涙をなんとか堪えてポツリポツリと話を始める。
「その……ヒロ様とクリスちゃんの話をメイさんから聞いて」
「うん」
「私、ヒロ様がクリスちゃんでなく私とエルマさんを選んでくれたということを……喜んでしまったんです」
「うん……んん?」
喜んでくれたということはわかったが、それがなんであの大号泣に繋がるのかがよくわからない。いや、もしかして? と思うことが無いわけではないが、確信は持てないな。
「私、クリスちゃんが選ばれなかったことを喜んでしまったんです。ヒロ様は私達を、私を選んでくれたって。私、なんて嫌な子なんだろうって……それで、部屋で一人で悩んでいたら寂しくなって、ヒロ様が優しい顔でどうしたって心配してくれて、なんだかもう頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃってぇ……」
「おおう、よしよし……」
再び目から涙を溢れ出させるミミを抱き寄せ、胸に抱きながら頭を撫でてやる。
ミミ的には仲良くしていたクリスが傷ついたにも拘らずそれを喜んでしまったという自分が許せないんだろう。
「こんなつもりじゃなかったんです。ヒロ様もきっと落ち込んでるだろうと思って、それで、私、ヒロ様を慰めようとしたのに……なのに逆にヒロ様に甘えて……私、自分がこんなに卑怯で、浅ましくて、嫌な子だったんだって……」
ミミが俺の胸元でそれはもうとても深い溜め息を吐く。ついでに俺の胸元にじんわりと湿った感触が感じられるようになってきた。二枚目のシャツも犠牲になったのだ……まぁいいんだけれどもさ。
「どん底の気分から平常時より少し沈んだくらいの気分に戻してもらえたのは間違いないから。ミミはちゃんと仕事を果たせてるから。そんなに思い悩まないでくれ」
「うぅー……」
ミミが胸元から涙目で俺を見上げてくる。折角拭いてあげたのにまたひどい顔になってるな。ほら、拭いてやろう。ちーんしなさい、ちーん。しかしこのままで俺の部屋のウェットティッシュが全滅してしまう。再生速度より消費速度が速すぎるのだ。さもありなん。
「なんか小腹が空いたな。食堂に行くか」
「はい……」
ミミをベッドから立たせてもう一度シャツを着替え、連れ立って食堂に向かう。ついでにシャツを自動洗濯乾燥機に突っ込んでおく。ミミが申し訳無さそうな顔をしていたのは見なかったことにしよう。
「あら、早かったわね……ってミミ、目が真っ赤じゃないの」
「直ちに処置致します。ミミ様、そちらの席にお座りください」
食堂ではエルマがちびちびと酒らしきものが入ったグラスを傾けており、メイもその側で待機していた。ミミの顔を見たメイがテキパキと何かを用意し始めるのを横目に見ながらミミと並んで食堂の席に着く。
「エルマは落ち着いてるな」
「そりゃね。だってどうしようもないわよ」
そう言ってエルマはグラスをテーブルの上に置き、苦笑いを浮かべた。
「現実的に考えてダレインワルド伯爵がヒロとクリスのお付き合いを認めるわけがないもの。そもそも、クリスにそんな暇は無いだろうしね」
「どういうことだ?」
エルマの言う『暇が無い』という言葉の意味がわからず首を傾げる。
「跡継ぎになるべきミミの父親が死んでバルタザールも処分するとなると、クリスが領地を継ぐしかないわけでしょ。ダレインワルド伯爵は貴族だから延命治療も思いのままだろうけど、それでも限界があるわ。これで万が一ダレインワルド伯爵がぽっくり逝ったりしたら、ダレインワルド伯爵家には未熟なクリスしかいなくなってしまうじゃない。まぁ、そうなっても良いように何かしらの手は打つでしょうけど、いずれにしてもクリスの教育は急務でしょうね」
「なるほど」
「クリスは当分厳重な監視下のもとに領主として、貴族としての教育を詰め込まれるはずよ。色恋にかまけている暇は無いでしょう。幸い、クリスはまだ成人年齢までは時間があるから教育そのものは間に合うでしょうけど、代わりに行動の自由は一切無いんじゃない?」
「それはそれで可哀想な気がするが……」
「それが帝国貴族の務めってやつよ。貴族としての力を振るう代わりに、やることはちゃんとやらなきゃならないわけ。まぁ、気の毒ではあるわね……ただ」
エルマがジトリとした視線をメイに向けた。そんな視線を向けられたメイは何やらタオルのようなものをミミの目の辺りに当てて泣き腫らしたミミの顔を処置中である。
「どうした?」
「なんでもないわ。何事も無ければ良いわね」
「ちょっと待て。なんだその怖い発言は」
「帝国の機械知性はねぇ……恋愛成就至上主義というか、ハッピーエンド至上主義というかなんというか」
メイにジトリとした視線を向けながらエルマが不穏な発言をする。
「恋と愛は銀河を救います」
メイもメイでエルマの視線を平然と受け止めながら極めて不穏な発言をする。待て待て待て。メイさん、一体クリスに何を吹き込んだんだ?
「あの子何歳だったっけ? 12くらい? だとしたらあと三年もすれば成人年齢か……その頃までに心変わりしていれば良いわね」
「大丈夫です、エルマさん。三年もあればヒロ様は私達に完全にメロメロです」
メイに処置されて完全復活したミミが両手をグッと握ってふんす、と気合を入れる。そんなミミにエルマは「あー、はいはい。そうね」とぶっきらぼうに返事しながらも長い耳を少し赤くしていた。ミミも立ち直ったようだし、エルマもいつも通りのようで大変よろしいのだが、俺の心は全く平静ではいられなかった。
「メイ、クリスに何を吹き込んだんだ?」
「大したことではありませんが」
「いいから、教えてくれ」
「はい。クリス様は貴族ですから。誰にも文句を言われないように完璧に次期ダレインワルド伯爵として文句のつけようもないほどの力をつけて、御主人様を囲ってしまえば良いのですと助言しただけです」
平然と恐ろしいことをサラリと述べるメイ。
「メイ……あのな、俺は貴族になるつもりは」
「ええ、なるつもりは無いのでしょう。ご主人様は束縛されるのも窮屈なのもお嫌いのようですから。ですが、それならそれでいくらでもやりようはあるものです」
メイが口角を僅かに上げる。
「ヒェッ」
ゾクゾクする笑顔であった。愉悦? 愉悦なの? 何を企んでるのかわかんねぇな! こええよ!
「ご主人様が恐れる必要は何もありません。私の全てはご主人様の快適で幸福な生活のためにあるのですから」
「そうですよ、ヒロ様。メイさんを信じてあげてください。メイさんは良い人です」
「まぁ、ヒロのためにならないことは絶対にしないだろうから安心はしておくと良いわよ。人かどうかは別として」
ミミはいつの間にかメイにとても懐いているようであった。対してエルマはどこか投げやりと言うか、諦め気味である。長いものに巻かれる者特有のオーラを感じる。
「とにかく、これでクリス関連のゴタゴタもひとまず終わりね。あとはダレインブルグに行って、報酬を貰ったら気ままな傭兵生活よ。キャプテン、今後の活動方針を決めてちょうだいね?」
「お、おう……そうだな。心機一転して次のことを考えないといけないな」
ゲートウェイを通って随分離れた場所まで移動したし、周辺恒星系の情報収集もしなければならないだろう。金もそこそこ貯まったから、母艦の購入も検討しても良いかもしれないな。そうすれば輸送でも稼げるようになるし、クリシュナのカーゴスペースを縮小して他の装備や設備を積むこともできるようになる。
俺としては母艦の購入をしたいと思うが、そうなるとできるだけ安く、良いものを買いたい。被撃破時の修理代金なんかは基本的に購入時の金額が基準となるので、船の本体や改造するためのパーツの購入費が安ければ安いほど維持費も安くなるのだ。そして、安く買うなら生産地に行くのが一番である。つまり、シップメーカーのある星系だ。
ふむ、この方向性で話してみるとするか。