3-282.J.B.(140)Pray For Me(私に祈りを)
怒号と雄叫びが空と大地を揺るがす。
以前見たそれとは各段の違いだ。犬獣人達の激しい遠吠えはリカトリジオス軍での攻撃の合図だが、ボバーシオ城内の連中には原初的な恐怖を思い出させる。
まさに、かつて洞窟に暮らし狼やジャッカル、野生の猛獣たちの襲撃に怯えていた時代のそれをな。
繰り返されていた城攻め、攻勢が、ただ単にリカトリジオス軍の城攻めの経験不足からくるもたつきではなく、今後の対クトリア戦を見越しての練兵を兼ねているんじゃねぇかッてな予想は、これを見ると完全にアタリだったと確信出来る。
元々、帝国式の規律だった集団戦をみっちりと身に付けていたリカトリジオス軍は、今や完全に攻城戦の熟練者だ。攻城塔から城壁上の防衛兵を投石と投げ槍で攻め立て、また別の所からは梯子が掛けられてよじ登られる。それらを倒す手数は不足気味。元“砂漠の咆哮”の勇猛な獣人傭兵達が走り回り対応しているが、それも徐々に足りなくなっている。
空からその様子を偵察しながら、時折“シジュメルの翼”の魔術、【風の刃根】や【突風】を使い要所を牽制、迎撃するが、全体からすりゃ焼け石に水。防衛軍の数倍以上は居る攻城部隊の動きは、そうそう簡単に止められるもんじゃない。ましてや、その背後にはまだまだ後詰めが広がっているからな。
『JB、東門方面が手薄になってきた。援護を頼む』
「了解、すぐに向かうぜ」
元“砂漠の咆哮”の策士、今やボバーシオ城壁防衛の要であり司令塔の鹿人、レイシルドから魔導具による念話での遠隔指示。改修された古代ドワーフ遺物である“シジュメルの翼”を使う、敵味方全軍通して唯一の“航空戦力”であるこの俺は、それこそ上へ下へと引っ張りだこだ。
『うむ、それじゃあ俺は西門方面を見てくるぞ』
……あ~、違った。唯一じゃなく、イベンダーのオッサンと俺、2人の、だ。
以前の防衛戦、またシーリオへの奇襲と撤退を手伝ったときも、リカトリジオスの大規模な軍の動きには圧倒された。だがこの攻城戦の様子はそのとき以上。そのときも総数は六千近く居たとは聞いてるが、多分今回の軍勢はもっと居る。そいつがこれほどまでか、ってのは、目の当たりにしてみなきゃ分かるもんじゃない。
ビビってるかといやビビってる。けどそれ以上にあまりのスケールに感覚が麻痺してるってな方がデカい。そしてそれ以上に、これからやろうとしている計画は、あまりに馬鹿げているとも思う。
□ ■ □
俺たちがボバーシオに到着したのは一昨日のこと。まずは俺とオッサンとが上空から偵察をかねた斥候で交互に先行しながら、例のルートで山脈“巨神の骨”東南端側からの河を下りボバーシオへ。その船は以前イスマエルがクトリアへの帰還に使った中型魔導船をさらに改良し、正規にクトリア共和国水軍用として買い上げた「軍船」で、操舵手もボーマ城塞から招いた教官役の船乗りとその訓練生。いわばクトリア共和国水軍の初任務だ。
その軍船に乗ってボバーシオへと向かったのは、船乗りの他にまずは伝令役でもあったスナフスリー。それからまだプント・アテジオから帰還したばかりの“漆黒の竜巻”ことルチア。そして前回の同行者でもあるマーゴ等々など……。
前回のボーノがルチアと入れ替わった形だが、ボーノはボバーシオ防衛隊で弓兵隊長になっている。
マーゴは……なかなか微妙なところだ。今の所厳密にはカーングンスはリカトリジオスとはまだ敵対してない。だからカーングンスの一員としての“公式な”立場じゃなく、まあ“勝手に”やってきたどこの誰とも知れない奴、てなところだが……それを言うなら俺たち全員、表向きはそーゆー立場だ。そりゃリカトリジオス側に対してってだけじゃなく、ボバーシオ側にとっても、って意味でな。
そして、さらにもう1人、俺からしても予想外な人物が来ている。
顔立ちはややクトリア人にも近い、褐色肌のその青年へと深々と頭を下げ傅くのは、中肉中背で丸顔、整えられた口髭に、豪華とまではいかないが、質の良い刺繍入りチェニックと鮮やかな赤紫のトーガを身に付けた男。
「王妃殿下、王太子殿下、御尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉ります」
「息災で何よりだ」
東地区代表のクレメンテへの堂々たる受け答えは、ボバーシオ王家のイングェ・パンテーラ王太子。場所は王宮の中でも公式な謁見の間ではなく、王太子の離宮。
その広間に居るのはクレメンテを代表とする俺たちと、元“砂漠の咆哮”の防衛隊レイシルド。 相対するのは離宮の主である王太子イングゥエ・パンテーラにその母であり第二王后と側近、護衛たち。
つまり、俺たちを救援として招いたのは、現王ではなく王太子たちとなる。
まずは、なぜクレメンテが居るのか、だ。
クレメンテは元々東地区代表になる前は、クトリア王都解放後にやってきたボバーシオからの流れ者。その出自背景はほとんど誰も知らないが、それでも実直な働きぶりと、流れ者とは思えない教養、知識から、そう長くない期間で高い信頼を得た。
で、その出自背景が何か、ってのが、今ココにクレメンテの居る理由。
「もったいなきお言葉でございます」
再び恭しく頭を垂れそう言うクレメンテは、実はかつては王太子の家庭教師をしていたと言う。
しかし貴族間の権力争いの末にクレメンテを庇護していた貴族の地位が失墜し、本人は追放される。そのまま流れ流れた先がクトリアの東地区だった。
当時はまだリカトリジオスの勢力も本格的に東征に動いてはおらず、俺が生まれた村のようなボバーシオ勢力圏の砂漠の村々が散発的に襲われはしていたものの、ボバーシオの王族、貴族達はさほど深刻視はしていなかった。それよりもクトリアが邪術士支配の無法地帯から、実質ティフツデイル王国の監視下におかれると言う状況にどう対応すべきかが議論されていて、結論から言えばボバーシオの選択は「様子見」となった訳だが、そう言う細々した意見の対立も、政局的な貴族間の争いに繋がる。だがそこでだいたい割を食うのは、大きな貴族よりもその勢力下にある下級の、または貴族とも言えないくらいの立場の弱い者たち。
クレメンテは元々別の有力貴族のお抱えだったが、教師としての能力を買われ王太子の教育係の一員となる。その貴族が地位を追われ、それでただ教育係からお役御免となる……だけなら良かったんだろうが、「教師を通じて王太子に良からぬ事を吹き込んでいる」との嫌疑……まあ、難癖をつけられ、クレメンテは追放刑に処される事になる。この場合の追放刑は、シーリオ含む当時のボバーシオ勢力圏からの追放となるから、“残り火砂漠”を南下して獣人王国のアールマール方面へ行くか、カロド河を越えてクトリア方面へ行くかしかなく、財産全て没収されてのそれは実質死刑に等しい厳罰だ。だがそれでも、なんとか伝手を得て東地区までたどり着いた。
そこでまあ、クレメンテの第二の人生が始まる訳だが、政争により追われたとは言え、教え子でもあった王太子に恨みがあるワケじゃない。東地区で働きながらも、ずっとその後のことは気にしていたのだと言う。
「クレメンテ、そなたの忠心、喜ばしく思うぞ」
王妃がそう言い、再び畏まるクレメンテ。
王太子、王妃と来て、さてじゃあ王様は? ってのが次の疑問だが……。
「陛下はもう長くはない」
との事だ。
リカトリジオスの包囲が始まって以降、元より弱っていたのがさらに悪化。ここ数ヶ月はほぼ寝たきりで、治癒術師であり医師でもある神官の見立てじゃもって数日の容態。
国民にはまだ子細は伏せているものの、その不穏な空気は伝搬しつつあり、飾りの王でも王は王。その崩御は志気に大きく響くだろう。
生きてる間もさして役に立ったとは言えない王だが、それでも死ねばそれ以上に悪影響があるって事か。
スナフスリーの言った「ボバーシオはもうじき陥ちる」と言うのは、リカトリジオス軍の攻勢が強まると言うだけの事ではなく、ボバーシオ側の内部事情が大きいようだ。
「クレメンテ、そなたには苦労をかけた。我が不徳、恥入るばかりだ」
王太子がそう改まるが、端で聞いていても当時まだ少年だった王太子にどうにか出来た話じゃあないだろう。
感極まる、とでも言うかに震えるクレメンテと見つめあうこと暫く。その沈黙の間を王妃が打ち破る。
「クレメンテよ、此度は我ら王族の脱出を手引きして貰う」
続く王妃のこの言葉、俺たちからすればちょっとばかし……いや、随分と……、
「話が違う」
そう、ルチアのその言葉通りだ。
「不敬ぞ!」
腐っても王族。その言葉を遮り、また求められても居ないのに行う勝手な発言は不敬も不敬、場合によっちゃ処刑もあり得るが、ルチアは意にも介さず言葉を続ける。
「我々が請けた“依頼”は王家の脱出ではない。クレメンテがそれを行うのは構わないが私は違う」
実際その通り。スナフスリーはレイシルドからの依頼を俺たちへと伝えにきた。そしてそのレイシルドの依頼は、なんでもレイフとの密約に依るものらしい。いや、いったいいつやったンだよそれ、とは思うが、とにかくそう言う事らしい。
とは言えそのレイシルド達“砂漠の咆哮”の残党達はボバーシオの王家に雇われた傭兵集団でもある。本来そう言う傭兵集団は、あくまで金で雇い主の命令を聞くビジネスの関係。
そう言う意味じゃあこりゃむしろ俺らこそが横紙破り。筋を云々されれば立場が悪いなこちらの方だ。
「レイシルド、どういうことじゃ?」
なので当然、王妃の矛先はそちらに向く。
そのレイシルド、問われて慌てるかと言うとそうでもなく、むしろこちらが王族かと思えるほどの堂々たる態度で、
「もちろん、我ら“砂漠の咆哮”は王家の御意向に沿います。
ただ彼らは今回の任務において協力をしてくれるクトリア共和国からの援軍であり、彼らの任務はやはりクトリア共和国議会の意志の元にあります」
これもまた道理。俺たち、つまりクレメンテを除く俺たちは、別にボバーシオ王家に雇われてるワケじゃなく、あくまでもクトリア共和国により組織された……現段階ではあくまで議長であるレイフの私兵、人民の守護者だ。
その指揮系統から言えば、第一に従うのはボバーシオ王家ではなくクトリア共和国議会、またはレイフの指示。
で、だから問題はそのレイフの指示が何か……って事になる。
「王妃殿下、ちょいとばかしよろしいかな?」
それまで特に発言をしてなかったイベンダーのオッサンが、ここでそう切り出してくる。
「……申せ」
「さてまずはお初にお目にかかる、俺は魔導技師にして魔鍛冶師、運び屋であり探鉱者でもあり科学と医術の担い手、そして商人でもありつまるところは砂漠の救世主。今はクトリア共和国評議会名誉顧問も勤めているイベンダーと言う者だ」
さらに長くなった恒例のアレ。もちろん王妃も王太子も目を見開いているが、それでも最初と最後の言葉は把握出来ただろう。
「そのクトリア共和国議会名誉顧問としての公式なメッセージとして第一に伝えられるのは、『問題ない』と言う事だ。
この『問題ない』は、王妃殿下のご要望に対しても、そしてクトリア共和国議会の計画においても、という意味でしてな」
ドワーフらしからぬ短さに整えられた口髭を軽く撫でながら、オッサンはにんまりと微笑んで続ける。
「……つまり、手筈は整っておるということか?」
オッサンの安請け合いとでもいうかの言葉に、やや訝しげに眉根を寄せつつ王妃殿下が問う。
「既に! ただし問題はタイミングだ。遅すぎてもダメだが、早すぎてもダメ。リカトリジオス軍の動きを読みつつ、最も適切な時を捕まえる必要がある。……あー、もちろん、王さまの御意向も含めて、だがな」
死にかけとは言えまだ生きている。そして生きてる以上はまだ実権は王にある。王妃がどう思っていようとそこは変えられない。
そして特に、“滅びの七日間”によるクトリア王朝崩壊後の政変、権力争いの流れで、現王に引き立てられ権力を握った派閥の連中は、なんとしてもその命を長らえさせようと必死だ。或いは、まだ生きてるウチに様々な工作で権力の維持に務めようと、な。
街をリカトリジオスの大軍に包囲され攻撃を受け続けているのに、まだ城内の権力争いが無くなってねぇってのは、人間らしいっちゃらしいのかもしれねぇな。
「ならば、いついかなる手筈となっておる?」
ややせっつくように王妃が聞くと、少しだけ間をとってから軽く肩をすくめるようにして、
「マーゴ、下拵えはどのくらいまで進んだ?」
“伝心の耳飾り”にて確認する相手は、今ここに居ないカーングンスの呪術騎兵マーゴ。
出先は……北のマレイラ海、ボバーシオ周辺のとある群島の1つだ。
ボバーシオ防衛戦、でー……あります。
今月しばらくは連続更新で一区切りまで。




