3-250. マジュヌーン(95)混沌の渦 - 空想の戦場
聞き捨てならねぇ単語が二つ。そのうち一つは想像、想定通り。
静修さん……今はシュー・アル・サメットと名乗っている前世での俺の母親違いの兄は、この世界で前世の記憶を蘇らせた、同じように“辺土の老人”とかいう気味の悪い爺、邪神により生まれ変わりをさせられたクラスメイト、同じ学校の生徒たち数人を引き連れてリカトリジオス軍へと投降し、その後地位を上げて将軍にまで登りつめた。
その際、大野や日乃川、猪口、大賀、そして小森や金田たちもリカトリジオス軍へと投降している。
大賀、猪口、そして大野と日乃川がシュー・アル・サメットの指揮の元様々な作戦に従事してるのは知っている。猪口、大賀に関しては、直接やりあってもいる。
知ってる中でその後の動向が分からないままだったのは、小森と金田の2人。
だからこのアルゴードの渡し場砦でこの2人を見たときに、何故ここに居るのかがはっきりとは分からなかったんだが、今の呟きで筋は通った。この2人もまた、変わらずリカトリジオス軍の中に居て、大野含めここでの活動はやはりシュー・アル・サメットの何かの計画のうち……と言う事だ。
が、それとは別のもう一つの言葉、金田のボヤいた「糞先公」と言う日本語。この言葉はまあ間違いなく、学校の教師を指す言葉だ。悪意やバカにした意味合いでな。
金田がその言葉で呼ぶだろう可能性のあるのは4人……俺たち一年生の担任の駒井、副担任の在原のどちらか。あるいは三年生の担任、副担任。
そいつらもまた、俺達と同じ修学旅行の飛行機に乗っていた。だからあの墜落の後に気味の悪い邪神の爺によってこの世界へと生まれ変わりをさせられている可能性は十分にある。もちろん前世の記憶を蘇らせてないか、蘇らせてもすぐに死んだということもあり得るけどな。
だが、それが前世における誰なのか……ってのは、この際そんな問題じゃあない。問題は現世において何者なのか、だ。
「糞先公の下になんか」と言う言葉からすりゃ、つまりは金田たちに指示、命令をする立場だ。ストレートに考えりゃあ“黄金頭”アウレウムが、と言う事になる。
あるいは、リカトリジオス軍での直属の上役……てのもあるかもしれねぇ。
何にせよこの二つの情報は貴重だ。これからどうするのかを決めるのにはな。
△ ▼ △
俺の問いへの明確な回答はないまま残りの作業を終える。金田側に俺を怪しむそぶりはなかったが、心を許してる気配も当然無い。そして会話が妙な感じのまま終わったところで、やつらのイメージする“一般的な猫獣人”はたいていそんなに気にはしない。
これは人間側には分からない事だが、今回みたいな場合特に、相手側の問いへの回答の拒絶、否定的な感情は猫獣人の鼻にはある程度匂いで伝わる。なので、言葉にして発しなくても、「この言葉、この問いに答える気はない」ってのが伝わるので、猫獣人側はそれ以上とやかく突っ込まない、てことはよくある。まあ、アティックみてーな「伝わっては来ても気にしない」奴もそれはそれで少なくないので、全ての猫獣人が“察し上手”な対応ってこともねぇがな。
帰りに小森が肉の塊と固いビスケットを渡して来て報酬代わりにする。それなりの量があるのは、また手伝ってもらいたいという意思表示なのか。
それを懐に納めながら、かなり更けてきた夜の中を歩く。
酒盛りをしてた連中もほぼ寝始め、数人の見張りだけが焚き火周りと何カ所かの見張り台なんかに残っているが、この程度なら俺にとっちゃ自由に動き回れる遊び場だ。
だがまあ……どうしたもんかな。一応の目的……金田たちがここにいる理由と“黄金頭”アウレウムとの関係性については知ることが出来た。
武器庫や捕虜の場所、内容も、ある程度の配置や戦力、人数、派閥なんかも確認した。
あと唯一出来てねぇのは“黄金頭”アウレウム本人のみ。
奴のねぐらはアルゴードのだいたい真ん中あたり。南岸側の崖を背にしたやや大きな二階建ての邸宅に倉庫のある一番ししっかりした建物で、当然周りにも見張りの兵が居る。間抜けだらけで隙だらけのこの砦の中では、まあ唯一マトモな警備がされている場所だ。
2カ所ある扉の表側には3人、裏口には2人の見張り。コッソリ倒すのは簡単だが、今はまだ騒ぎの種は撒きたくない。
闇に紛れ、隙間を縫うように物陰を移動し、二階へとよじ登って死角となる窓の下へ。窓は小さな換気と明かり取りの穴が開いた木戸で、中からつっかい棒をかましてる。
窓のサイズは大きくはない。だがまあ、肩幅程度あれば通り抜けは出来るし、実際この窓は肩幅以上にはある。
きっちりはめ込まれてるほどでもねぇその板窓の隙間に山刀をねじ込んで、内側のつっかい棒を外す。ガタリと大きな音がするが、それを気にする見張りもいねぇ。
まさに“猫のように”しなやかに身体を潜らせて中へと忍び込むと、部屋の中は乱雑で荒れた外の様子に比べると、かなり整理整頓されている。外から見た構造上ココが“主の部屋”だろうってな場所が案の定アウレウムの居室。
真ん中に石組みの焚き火があり、その周りに幾つかの調理器具だの酒の瓶だの食器類がある。
壁際にはいくつかの戸棚や箱があり、部屋の奥にはまた間に合わせではあるが木組みに寝藁、そして毛皮で整えられたベッド。そのベッドに横たわるのは大きな男。いかにも山賊の頭っぽく、酒を飲み散らかし女を侍らせ……てな感じでもなく、外に見張りは置いているものの、中は一人きりだ。
それに、小綺麗に整理されているってのと同じく“らしくねぇ”のは、戸棚なんかの反対側の壁側にある、なかなか重厚な机と椅子、そして書棚がある。
いくらか痛み、また焼け焦げた跡や傷なんかもあるが、元々は結構な高級品だったように見えるそれらはやや色味の薄い木製で、磨かれ滑らかな造りに彫り込まれた意匠もよく出来てる。恐らくは、クトリア王朝末期の役人か裕福な交易商かなんかが使っていたものがそのまま残され、その後はこの場所を駐屯地のように使っていた邪術士の手下たちの“エラい奴”かなんかが使っていたものを、今は“黄金頭”アウレウムが使っている……とか、まあそんな所だろう。
それらと離れた部屋の隅から見ても、机の上や本棚なんかもこれまたやはり整理されていてはいる。
その机の上には開いたままの本……いや、台帳みてぇなものがある。
少し近づいて目を凝らすと、やはりそれは羊皮紙を纏めた台帳に、何枚もの紙きれ、ドワーフ合金製の付けペンにインク瓶等々。書かれているのは……と、さらに近づいて覗き込もうとしたところで、足元の紐に引っ掛かる。
飛んでくるのは小さなダーツの矢。仕掛けは単純、紐にかかると繋がった先の小型のクロスボウから矢が放たれる。それを避けた先にはまた別の紐があり、やはり今度は床の石畳の隙間から刃が飛び出して来る。後ろに半歩後退すると、机の下から仕掛けられた鋸刃のハサミが足首を狙う。飛び上がった先には鎖と鎌が首を刈り取ろうと狙いします。
刈り取られるのは俺の鬣一房。数瞬の間に首を下げて刃を逃れ、同時にその鎖を握って上へと跳ぶ。
部屋の隅。だがさっきと違って床の上じゃあない。天井と二面の壁、つまりは角のところへと飛びついて、両腕両脚、さらには指の力でふんばり張り付いた。
ったく、とんでもねぇデストラップの山じゃねぇかよ。そりゃ女も手下も入れねぇハズだ。半ば錯乱してるかって程のさっきの剣幕に、この整理整頓された室内と病的なまでの罠、仕掛け。魔法にも刃にも傷つけられない無敵の肉体を持つ凶悪な魔人……ってな触れ込みからは、ちと想像出来ねぇ用心深さだ。
▽ ▲ ▽
「いかがでした?」
こちらも見ずにのお出迎えはアルアジル。相変わらず例の“鍵”とやらを作る儀式を続けている。
先に戻ってきていたエリクサールは既に夢の中。
俺はと言うと、そのアルアジルを適当な生返事で受け流し、たき火の当たる位置の寝床へとゴロリ寝転んでから、飛び上がって罠を避けた際にすかさず数枚をちょろまかして来た羊皮紙を眺める。
内容は、取り留めのない日記……いや、日誌のようなもんだ。
物を知らず言うことを聞かない部下、山賊どもへの愚痴、苛立ち。これからの計画や、その不安。分かり易いほどに“人間臭い”ところもあれば、錯乱した殴り書きのようなところもある。
だが何よりも問題は、その殆どが日本語で書かれているってこと。
つまり予想通りに、金田たちの言っていたのは“黄金頭”アウレウムの事。担任だった駒井か、副担任だった在原か、三年の方のどちらかか。
駒井は、どっからどう見ても凡庸を絵に描いたような存在感のないタイプだったし、在原はさらに輪をかけて小動物めいたおどおどビクビクした小心者だ。どっちも今の“黄金頭”アウレウムの感じとはかけ離れているが、だが逆にあの錯乱ぶりやなんかは、そう言う小物の逆ギレと思えば納得も行く。
まして前世とは違って魔人として強大な力も持っている。そこからの慢心と前世からの小心さ。そのない交ぜになったものが、今のアイツ……。
まあ、そんなところかもしれねぇな。
ただ、ここから推測出来るのは、やはりこのアルゴードの渡し場を魔人達に占拠させているのは、シュー・アル・サメットの計画の一つだ、と言う事。
リカトリジオス軍の東征将軍となったシューは、まだ本隊は廃都アンディルの拠点化を指揮しているが、それが済めば次はシーリオ、そしてボバーシオだ。
シーリオはたいした防衛能力もなく、“砂漠の咆哮”が力を失った今、簡単に落とされるだろう。その次のボバーシオは、政治は不安定でも城壁はしっかりしているし規模も大きい。そう簡単には陥落はしないだろうが……まあ、時間の問題か。
その次にどうするか?
クトリアだ。
つまり、リカトリジオス軍の本隊には組み込めない魔人達を密かにクトリアへと送り込み、遊軍、または工作員としてクトリア侵攻の足掛かりとする。
それか、西カロド河の渡河点であるアルゴードを確保した上で、ボバーシオ攻略にも別働隊として利用するのかもしれねぇ。
手下たちには表向き「魔人の国を造る」なんて事を吹いているが、実際にはリカトリジオス軍の手駒。つまりはそう言う事なんだろう。
で───。
「いかが致します?」
「うぉあ!?」
集中していた為全く気配も察知出来なかったアルアジルが、後ろからのぞき込むようにしながらそう言う。
「……糞、驚かすなよ」
「これは失礼。ずいぶんと熱心に読んでいるようでしたので」
「……別に、ンな事ぁねぇがよ」
コイツは元々、蜥蜴人って種族の特性か個人的な特技か、普段の動き自体なかなか気配が薄くて隠密スキルが高ぇ。その上結構な幻惑術の巧者でもあるから、半端な猫獣人なんかよかよっぽど暗殺者向きだ。
「それで、如何様に処しますかな?」
奴の言うのは、“黄金頭”アウレウム含むアルゴードの渡し場に居る魔人を“災厄の美妃”の生け贄として捧げるかどうか……つまり、殺すかどうか。
元々かなりの恨みも買ってるらしいアウレウムは、“災厄の美妃”の信奉者、またそこまででなくともある種の呪いとして死を望まれていると言う。まあ、呪いの藁人形にちょいちょい名前が書かれてる、てなところか。
そう言う連中を贄とし“災厄の美妃”に捧げる、てのも、持ち手たる俺の役割の一つだ、なんぞとコイツらは言う。
そして魔力を吸い取り、命を捧げれば捧げるほど、“災厄の美妃”は強くなるのだ、とも。
「……連中、リカトリジオスの尖兵だぜ。下っ端は別だが、アウレウムとか上の方の奴らはな」
「ふむ、やはりそうでしたか」
「知ってたのか?」
「いえ、厳密には。ただの状況からの推論で」
全く、相変わらずすっとぼけた野郎だ。
「オメーの策とやらじゃ、リカトリジオスの東征軍をなるべく引き伸ばし隙を作ってから仕掛ける……て事だよな。その仮想の最前線がクトリア。だからこのレフレクトルの“門”はきっちり確保しておく必要がある、てよ」
「はい、主どの」
「なら、今奴らに仕掛けるのは得策じゃあねぇ……よな?」
奴らがシュー・アル・サメットの策で尖兵としクトリア攻略の下準備をしてるなら、そのままにしておいた方が良い、と言う話になる。
だが、それに対してアルアジルは少しずつ間を置き、
「まぁ……そうですな」
と、曖昧な返事。
「おい、リカトリジオス軍の戦線をなるべく引き伸ばしてクトリア近辺まで来させるってのは、お前が言った策だろ?」
そう返すとまたも小首を傾げるかにして、
「ええ。ですが、前にも言いましたが、現段階でのクトリアの政情にはさほど意味はありません。まあ、さすがに王国軍が完全に支配統治をするだとか、王族が現れ王国を復興するだとかは別ですが、そうでもなければ暫くは今のグズグズの状況が続くでしょう。
アルゴードの賊どもも、そもそも本格的な侵攻の尖兵と言うよりは……そうですね、渡河点となる場所を確保しておくのと、ある種の保険……何か状況が変わったときにすぐに動かせる捨て駒を確保しておく……せいぜいはその程度のものでしょうから……」
「何だ?」
「結局は、殺そうが生かそうが、大局に影響はないかと」
再び、しばしの間。
石組みかまどで燃える炭の火が、壁に長い影を映し出し揺らいでいる。
「───主さまには何か別のお考えが?」
そう聞いてくるアルアジルに、俺は、
「さあな」
とだけ返し、そのまま寝床でゴロリと横になった。
▽ ▲ ▽
状況が変わったのは三日ほどして、だ。
「そろそろ攻めてくるみてーだぜ」
とは、朝になり適当な飯を食っているエリクサール。
「何がだよ?」
「王国軍だよ」
「何だって?」
「いや、だから王国軍」
「それは分かってんよ。だが……いきなりだな」
「別にいきなりでもねーぞ。前々からこの動きはあったしな」
聞いてねぇよ、と言いたいところだが、駐屯軍の対魔人討伐部隊のアウグスト隊長とやらがやたらやる気になっているだとかの話は聞いている。
「いつだ?」
「んー? ま、数日、てとこかね?」
後数日で、アルゴードは戦場となる……として、じゃあ俺は? 俺は……どうする?




