3-212.追放者のオーク、ガンボン(85)「めっちゃヤバないですか?」
どわわわわ、っと、闘技場内へとなだれ込んでくる水、水、水。高波と聞いて想像する、何十メートルもある大きな波の壁……てのとはちと違う。けれども既に試合場の中にまで入り込んできた水は、下から猪人の膝を極めている俺の顔をぬらす。
うへ、しょっぱい! 海水だ。そりゃそうか、港町だもんな。
けどこれ、試合どーすんの? と、一瞬思う。中止ともなんとも声は掛からず、けれども観客達は立ちすくんだり逃げ出したりざわついたりで、もう試合どころじゃない。
それらの状況を見回して、俺はゆっくりと極めていた膝を離して立ち上がる。ラシードやセロンからの棄権宣言もないけど、こりゃ全くどうにもなんないしな。
だが……、
「て……めぇ……」
おわっ!? と、驚き足首を捕まれる。膝にかなりのダメージを受けて這いつくばっていた猪人が、その太い腕と大きな手で俺の足を掴んで……、
「どこ行く気だ……ゴルァッ!?」
「ンがっ!?」
引き倒す。
ちょ、ちょ、周り観て、周り! めちゃくちゃ海水! だいたいまだ30センチぐらいだけど、もし本当に高波が迫ってきてたら、第二波、第三波とか来るかもしれないじゃん!? 避難でしょう、この状況!?
顔面をしたたかに試合場の地面へ打ち付けられ、また鼻から口から海水が入りむせてしまう。
その俺の上にのし掛かるようにして、猪人は後頭部を掴んでさらに地面へと押し付ける。
がばごべごばびべ!
ちょ、何すんの、息できない!
押し付けながら、さらに反対の手で後頭部を殴りつけてくる。パンチの威力はさほど無いが、それよりとにかく息ができない。
しかし体力、腕力は衰えてるものの、体重差だけは変わらない。全身でのし掛かられ、押さえつけられているこの体勢、なまなかなことじゃ返せないぞ。
……が。
どががが、と勢いよく猪人を蹴り飛ばす蹄の音。
悲鳴をあげて倒れのたうつ猪人を、さらに追い討ちで蹴り飛ばす、頼れる相棒、“聖なる獣”巨大地豚タカギさん。未だ毛長牛コスプレで変装中のまま登場だ!
「この……豚野郎……!!」
変装してるけど分かるの? てかそれめっちゃブーメランですよ? とか思うけど、とにかくこの状況、普通じゃねーからな! てなワケで、まずは右手を前に出しつつ、停戦合意を取り付けるため何かしら語りかけよう……とは思うのだけど、さて何と言うべきかしらん?
「やめ、よう。それどころじゃ、ないし」
我ながらたどたどしいな。まあ意図は伝わるか? と思うのだけど、痛めた膝をかばいつつも、まるで何かに取り憑かれたような血走った目で迫ってくる。
体力にも、足にも結構なダメージがあるので、距離をとってれば捕まることはない。だがこの、なりふり構わぬ、周りの状況も省みずの執念は、恐ろしいとともにかなり引く。
水もかぶったんだし、もう少し頭冷えても良いんじゃないの? だめ?
こっちはこっちで、実際水かぶったのもあって結構クールになってますよ? 頭冷え冷えなのですよ。なので猪人のあのテンションには全然ついてけないし、完全ドン引き。怖い、と言うよりドン引きだ。
「水が……どうした、あぁ? 決着……つけてやるぜ……」
いやいや、止めましょうよ、ね? 避難しましょ、避難。
にじり寄る猪人に、タカギさんが唸り返す。完全にやる気ない俺の代わりに、タカギさんが受けて立つ気なのか。
「ブルゥゥアアア!!」
猪人は荒い息から大きな雄叫び。魔力のある人狼のそれとは異なるが、コレはコレでビビってしまう迫力だ。そして漲る闘気とでも言うか、全然やる気に満ちて居る。
俺はタカギさんへと(主観的には)ひらりと騎乗。普通に歩いても追いつかれる事は無さそうだが、早くに離れたい。
「逃げ……んな、テメ、この……!」
いやしつこい! だがその後ろ、猪人の後方から、何人かのフード姿の集団が現れる。何か? と思うとその集団は、いきり立つ猪人を取り囲み、押し留め連れて行こうとしているようだ。多分、猪人の敵ではない。味方、身内。彼らは俺同様に、今の状況は試合どころじゃないとの判断で、避難する気の無い猪人を呼び戻しに来たようだ。
「うるせぇ、離せよ! 俺ァ、まだ……やれんぞ、オルァ!」
半ば錯乱、喚き散らす猪人をなだめるように、俺の知らない言葉で口々に話し掛け押し留めてる。
俺としてはこれ幸いとタカギさんに乗ったまま反対側の入場口へと駆け出すが、その最後、半分はまともな言葉になってない猪人の喚きの中、気になる単語が聞こえたような気がする。
「……ノリオ、また、勝ち逃げ……す……のやろう……!!」
……ん? それ、俺の前世の名前? まさか……ねぇ?
◆ ◆ ◆
何だか妙な引っかかりはありつつも、俺は反対側の入場口へとたどり着く。鉄柵の門の向こう側には、下半身を海水に浸したアバッティーノ商会の奴隷闘士たち。闘士たちのスペースは、試合場より少し低いので、海水がザバザバ流れ込んでいる。
「ガ、ガンターの兄ぃ!!」
「こりゃ、試合はどーなっちまうんですかい!?」
試合はもうどーしょも無いだろうけども、それより俺が気になるのは計画の方だ。いやまあ、ほとんど内容ん聞かされて無いけども、ラシードやサッド達は今回の御前試合に合わせて何かしら計画立てていたはず。知らんけど。
そう考えて居ると、一人の奴隷闘士に肩を借りて現れるのはセロン。ありゃ? セロンはラシードの護衛という役割で、今は貴賓席で“毒蛇”ヴェーナと居るはずだ。なにやら……ヤバい事になっとる?
「ガンボン、やられた……」
「え? 誰に……?」
「それが、分からん……。ラシードの後ろを歩いて共に貴賓席へと向かう途中、何者かに不意打ちをされ意識を失ってしまった。そいつは俺のこの衣装と同じような格好をしていたから、俺になりすまして貴賓席に乗り込んだ可能性がある」
「うぇ!?」
ちょっと待って、それ、めっちゃヤバないですか?
「あぁ~~!?」
そこで古株奴隷闘士の1人、ジャメルが大声をあげて闘技場内の上方、観客席側を指差す。
何じゃら? と見ると、貴賓席のバルコニーから、乗り出すようにしてラシードが姿を現し、いまにも落ちそうになっている。
タカギさん、いきまっせ! 軽くおけつを叩いて走り出すブーブータッグ。飛び上がり駆け上がったそのとき、ラシードはバルコニーから落下! 高さとしては2、3メートル。即死とは限らないが、あの落ち方はちとマズい!
と、その寸前で、まるで波乗りのように激しい水流の波に乗った何者かがラシードを受け止める。
肩すかし食らった形の俺とタカギさん、そして……、
「おおう、JB何やってんのよ?」
へ? JB? 見ると、俺同様にぽかんとしているJBの姿。何々、ちょっと、ドユコト? いつ来たのよ?
「何やってんだじゃねーよ、お前! マジで刺されたのかと思ったし、マジで落下したんかと思ったぞ!」
「わははは、そうかそうか、悪い悪い」
全然悪びれてる感じの無いラシードだが、え? 刺された? 何の話!?
「ラシ……て、JB……?」
いや、どこから驚けば良いのか分からないよ!?
「おう、試合観てたぜ。スゲーなお前」
あ、はい、ドーモです。
「ま、それよりラシードよ。とりあえず刺されてバルコニーから落下、までは、計画通りの演技……ってことでいいんだよな?」
「もちもちロンロン、もちろんよ~。その辺俺ちゃんには抜かりはねーって」
「じゃあお前の護衛のふりをしてた猫獣人戦士も、計画のウチか?」
「そうだ、あいつ何者だ? あの野郎、俺を思いっきり蹴り飛ばしやがって!
予定通りなら、俺が血のりを使って刺されたふりをして倒れ、ネミーラ達が来るまでの時間稼ぎをする計画だったのに……いつの間にセロンと入れ替わったんだ? ってか、セロンはどこだ?」
何が何やら分からないが、とにかく貴賓席で一悶着あり、それはひとまず難なく終わった……のかな? いや、全く何が何やら分からんけども。
落下してきたラシードを受け止めた波乗りジョニーさんとは別れ、俺たちは再び観客席を降りて先ほどの入場口へと向かう。
またも出迎える奴隷闘士たち。そこで、突然ラシードは急に半死半生みたいにゲホゲホ咳き込んでから口に手を当てて血を吐き出す。
うぇ!? と驚いちゃったけど、いやいや待て待て、確かさっき……うん、話してた、話してた。刺された演技をしたとかしてないとか。
当然、俺以上に驚き慌てる奴隷闘士たち。
そこから、闇エルフ団の拠点に着いた初日の熱演を思い起こさせる演説ぶり。
どうやらラシード、このタイミングで偽りの身分である「アバッティーノ商会のレナート」と言うのを捨てるつもりか、自分はもう死ぬから奴隷闘士全員を解放する、などと言い出す。
……まあ、そうだね、その方が良いか。俺の偽りの身分、東方オークの人気奴隷闘士ガンターさんも、ここで引退だな。
……ん、それほど人気、でもなかったか?
そしてさらに、闇エルフ団の潜入工作員を名乗る男が集まった奴隷闘士たちを先導する。
この場に残ったのは、俺、ラシード、セロンにタカギさん、そしてJB。その他、最初の房に居た頃からの付き合いがあるジャメルにカトゥーロ、それにエジェオやセンツィー他数名。
ざぼざぼと水の溢れる通路を進みつつ、ラシードが彼らに反乱に加わらないのか? と聞くと、ガンターの兄ぃと一緒に戦う、なんぞと言ってくれる。うへ、なな、何ですのん!? てか、俺、まだ戦うの?
と、そんな所へとまた、別の人物がやって来て……さらに状況が分からなくなる。
◆ ◆ ◆
「お前と───コイツらが……。
何故連んでいるのかは……知らんし、興味も無い。
だが……“砂漠の砂嵐シジュメル”の名に賭けて……お前に伝えておくことがある」
怪我をしながら現れた闘技場の総支配人、ポロ・ガロが、何故かJBへとそう告げる。
「……聞くぜ」
応じるJB。
JBが何でここにいるのかも分からないし、そのJBが何故ポロ・ガロと知り合いっぽいのかも分からない俺としては、ここで何が話され、何を聞くことになるのかもさっぱりわからない。
「デジモは元々クトリアでザルコディナス三世に仕えていた邪術士集団のひとりで、研究していた専門は……精神支配。他者の感情、思考、意志をいかに効率よく操るか。その技だ」
突然出てきたその話題。デジモというのはもちろん、このプント・アテジオで代官をしているデジモ・カナーリオの事だろう。
そのデジモが……元クトリアの邪術士? 何の話?
「お前も気付いてただろうが、タロッツィ商会やこの町の奴隷達の反抗心を抑え込み、闘技場での闘い以外で大人しくなるようし向けていたのも、奴の作った魔術具と町の結界の効果だ。奴自身はそれこそ【魅了の目】のような直接的な暗示、支配の術は巧くはないが、それらに類似する効果を持つ魔術具、魔導具を作り、利用するのには長けていた」
俺はラシード、セロン等をちら見。確かそう言えば、2人で何かその手の話をしていたような気がする。
「かつての……ザルコディナス三世が“巨神の骨”の巨人たちにやったように……か?」
「ああ。そのとき帝都に攻め行った邪術士の一団の1人だ」
東方人によるティフツデイル帝国侵攻。その際に帝国に助力すると見せかけて、密かに密約を結んだ東方軍へほ支援として、ザルコディナス三世が“巨神の骨”の巨人族を邪術で支配、使役したのは有名な話。俺もグイドさん達と巨人族の集落まで行って直接話も聞いている。
そのときの邪術士のひとりが……ここ、プント・アテジオの代官、デジモ・カナーリオ?
「……悪ぃが、先に要点を言ってくれ」
JBがそう返すと、ポロ・ガロはやや黙ってから、
「……デジモは“漆黒の竜巻”に幾重にも支配と服従の術をかけた。
それはデジモ自身がそれらの術を研究してはいたが、決して有能な術師ではなかったからでもある。
その一つ……副産物があの黒革の闘士装束だ」
あの、兜で顔のほとんどを隠し、同時に肉体美を見せ付けるような半裸に近い鎧……と言うよりは装束。
「もとよりあの娘は、長年かけて彫りながら、魔力循環を鍛えなじませることが必要な“加護の入れ墨”を無理矢理か短期間で入れた事で歪んでいた。その上で、こちらへと送られて来たときには様々なダメージの蓄積、長年の酷使によって、既に1人で立つのも難儀なほどになっていたのだ」
JBの、また周りの空気がざわつく。
「つまり……どーゆーっこった?」
「あの装束は支配の術を強化すると同時に、魔力循環を整え、まともに立つことも出来ぬ“漆黒の竜巻”を、再び一流の闘技者とするのに不可欠なものとなっている。
あれを失う……あれの機能が失われる事があれば、あの娘は……」
その言葉も終わらぬウチに、JRが再び“シジュメルの翼”を使い通路を勢い良く飛んでいく。
驚く俺達一堂だが、その中でもラシードはやや落ち着いた感じで、
「……あ~、それで、アンタ。そいつをアイツに伝えて、何がしたいのよ?」
と、ポロ・ガロへ。
問われたポロ・ガロは、またもやや口を閉ざしてから、
「……あいつなら……“漆黒の竜巻”と同郷のあの男なら……或いはあの娘をここから救い出す事が出来るかもしれん、と……。
そう、期待してしまってな」
と、そうボソリと吐き出す。
それを聞きラシードは、妙に嬉しそうに口の端を上げで笑い、それから懐のポーチから小瓶を一つ取り出してポロ・ガロへと渡す。
「いいね、アンタ。実に悪くない。いや、結構好きだぜ、俺は。
まあ、今の情報の御礼ってことで、そんな大したもんじゃないがこの魔法薬を渡しておくよ。そのぐらいの傷だったら、取り敢えずは動けるようにはなるんじゃねえの? 無茶さえしなきゃな」
と言う。
不審げに、あるいは訝しげに、その薬とラシードの顔を見比べるポロ・ガロ。
「で、あと……もう一個」
再び別の薬瓶を取り出して目の前に掲げると、さらにこう付け加えて続けた。
「ついでなんで、ここの支配人だっていうアンタなら知ってるかもしれない、別の情報について聞かせて欲しいんだよな。
半年ぐらいかその辺りに、こっちへと光属性の強い魔力を持つ気位の高そうなべっぴんさんが売られてこなかったがどうか……?」




