3-210. J.B.(133)SURF'IN PAJ(サーフィン・プント・アテジオ)
「遅いではないか」
代官のデジモ・カナーリオがそう叱責してくるのに対し、俺は改まって、
「申し訳ありません、素晴らしい街並みと闘技場の様子を見ているうちに、時を忘れておりました」
と返す。
もちろん後々の為の下調べが本当の理由だが、にしてもそれが助けになったのも事実だ。
何せ、リカトリジオス軍の特使、猪人のイーノス。昨日の夜に代官の館で見かけたそいつが、ついさっきまでこの貴賓席に居たんだからな。
□ ■ □
フォンタナスに案内をさせて闘技場内を下調べし、すれ違ったタロッツィ商会の連中をやり過ごしてから、その後を追うようにしてここまで来た。一人になり、衛兵に見つからぬ位置で、“身隠しの外套”を使いながら様子を見つつ、タロッツィ商会の連中が出てくるのを待ってから入室しようかと考えて居ると、しばらくしてタロッツィ商会の面々と一緒に出てきたのは、“漆黒の竜巻”ではなく猪人のイーノス。
何だ? どういう事だ? って疑問と同時に、やはりまたマヌケにも忘れかけていたイーノスの存在に緊張感が増す。
実際、カーングンスの野営地でイーノスとやりあったのはアダンで、俺は周りの連中とそれを見ていただけ。だがそれでも、ドワーフ合金製の金ぴか装備、“シジュメルの翼”は目立っていたはずだ。今は一応“身隠しの外套”を上に羽織って隠しては居るが、俺の顔までは覚えてなくても、装備の方は覚えててもおかしかぁねぇ。
またも慌てて壁際にへばりつくようにして身を隠す。猪人の方は知らねぇが、お付きの犬獣人は匂いに敏感。“身隠しの外套”の力でも、その嗅覚まではなかなか誤魔化しきれねぇが、幸いにもタロッツィ商会なんかとすれ違うときに端に寄って隠れるようにする奴は珍しくないからか、さほど気にされる事無くやり過ごす。
一安心……と胸をなで下ろし、気持ちを切り替え服を整える。とは言え実際のところ、この先の部屋に居る連中も一安心とは言えない奴らばかりのハズだ。
そして衛兵に首飾りを見せつつ来訪を告げ、入室した初っぱなにデジモから軽く詰められたわけだ。
弁明の後再び改まり、片膝をついてヴェーナ卿へと頭を下げる。
「この度は観覧の同席にお招き頂き有り難う御座います」
「良い。どこか席に着け」
使用人に案内され、ヴェーナとデジモの座る席から二つ離れた席へと座る。各座席横の小テーブルにはフルーツとグラスワイン。
その間に居るラシードと護衛の事はちゃんとスルー。まあかなり驚いた面はしている。
「そこに居るのはアバッティーノ商会と言う商会の者で、今日の最終試合に出る東方オークの奴隷主だ」
より上位者のヴェーナ卿が居ることもあり、代官のデジモがそう紹介する。
「初めまして。アバッティーノ商会のレナートと申します」
事情も分からぬままそう挨拶をするラシードに、
「初めまして、JBと申します」
と軽く返す。
俺はマシェライオスやフォンタナスらに言われていたからそれなりの心構えはあったが、あちらはまさに寝耳に水だろうな。
デジモ、ヴェーナを挟んで反対側にはタロッツィ商会の数人と“漆黒の竜巻”。この後じきに試合のはずが、まだここに残ってるのがちと気になるが……。
「ところで……」
着座するなりそう切り出すのはやや不作法だが、まあここは仕方ない。
「ここへと来る最中、随分と珍しい客人を見かけたのですが……」
もちろんそれは、例のリカトリジオスの猪人の事。
「気になるか?」
「……些か」
ヴェーナは俺がかつてリカトリジオスの奴隷であった事を知っている。俺が直接あの猪人がリカトリジオスの軍属であるとは知らずとも、それを連想するのは当然と考えるだろう。
「遠方よりの古い知人だ」
詳細を語らず話題を切り捨てるヴェーナ。
実際のとこ、奴が何故ここに居るのかはマジで気になる。気にはなるが、かといってこう素っ気なく返されても食い下がるのはさすがに出来ない。
だが、そのあとに続いた言葉には、別の意味で驚かさせられる。
「今日は“漆黒の竜巻”が最終試合をする予定だったが、本人たっての希望で、先ほどの猪人が対戦する事になった」
□ ■ □
あのイーノスとかって名前の猪人は、ぱっと見はガンボンよりふた回りでかい上位互換みたいな体格だ。何より太さ。みっちりと筋肉の束が詰まりに詰まった腕、脚、首、胸、そして腹。薬漬けで、大会向けに脂肪を落としに落として絞り切ったようなボディービルダー体型じゃない。より実戦的な力と頑強さの塊とでもいうかのような肉体だ。
実際、最初はある程度手加減してただろうとは言え、あれに十発も殴られ続けていたアダンはマジでたいしたもんだと思うぜ。
その上あの時と違うのは、今回はカーングンスの“血の試練”のときのようにただ拳で殴るのみじゃなく、肉体を強化するような魔法を使っても許されると言うルールでの格闘試合。
そしてあの時はおっさんの、「最後の最後の決着の時には、魔力で拳を強化して確実に仕留めるつもりで攻撃してくるはず」という読み通りに魔力を纏わせたワケだが、今回は最初っからそれを使って攻撃することができる。つまり、アダンを殴ってたときよりはるかに「キツい」拳になるのは間違いない。
その拳の乱打を、ちびっこくはあるが肥満体のガンボンが危うくも器用に避ける。
実際あの魔力を纏わせたうえで本気の拳を受ければ、一発でダウンを取られてもおかしかねぇぜ。
「逃げ回るばかりで、まるで歯が立ちませんなぁ」
と、蔑むように言うのはデジモ。
「あの猪人殿は見せ方を心得ておりますな。まずは手加減をしつつ力を誇示し、じわじわ追い詰めるつもりのようで」
タロッツィ商会の代表バルトロスが続ける。
「しかしこれでは、我が商会の“漆黒の竜巻”が出ていたら、呆気なく終わってしまっていたでしょう」
ハハハ、と笑うタロッツィ商会の面々。
「いやいや、“見せ方”を言うのであれば、ウチのガンターもさるものですぞ。巨漢を相手に逃げ惑う小兵……これほど観客の注目を集め盛り上げられる展開はありますまい」
にやりと不敵に笑い返すのはラシード。
「ほう、この展開もまた想定通り、と?」
「それはこの後の試合運びを見ていただければ……お、ほら!」
試合場ではいつの間にか、ガンボンが猪人の後ろへ回り込み引き倒しての裸締めに入っている。おいおい、あのぽっちゃりボディーでやるじゃねぇのよ。
裸締めは決まり方がまだ不完全だったのか力ずくで強引に外されるが、観客からの歓声も大きく、タロッツィ商会にデジモも、小さく驚きの声をあげる。
「なかなか面白い技を使うな」
愉しげにそう言うヴェーナは、続けて
「“竜巻”、お前ならどう防ぐ?」
と“漆黒の竜巻”へと問い掛ける。
“漆黒の竜巻”は平易な声で、
「近付けさせず、戻しの際に捕まらぬ事です」
と返す。
「捕まらぬ、か?」
「……難しいでしょう。あの者は見た目以上には素早く、格闘の技の熟練者です。こちらの返しを見逃さず、カウンターで掴みに掛かります。いかに相手の間合いに入らず打撃を与えるか……。
しかしその打撃も、あの肉体にどれほど効くものか……」
鋭く的確な分析。
魔術、薬物で操られているのでは、との俺の予想だが、今の会話からしても完全な自由意志を奪われている、と言うものでは無さそうだ。だとすれは、タロッツィ商会が同じく奴隷兵として使っていたフォンタナスらにかけていたような、「反抗心を萎えさせる」類の術、魔導具を使われているのかもしれねぇ。もしそれなら、俺でも解除出来るか?
「お前はどうだ? JB」
そう考えているところに、不意に俺へ話を振ってくるヴェーナ。
「……基本は“漆黒の竜巻”の言う通りですね。小柄だが体重もあり重心が低く、打撃で倒すのは難しい。一見緩んでいるようで、脂肪も筋肉も見事に打撃への鎧になっている。速度で翻弄し、地味にダメージを重ねて疲労を誘う持久戦に持ち込むか……何よりこちらの起こりを掴ませないよう出来れば」
改めて頭の中でガンボンとの対戦をシミュレーションしてみるが、あいつ結構な難敵だよな。
「そうか、“加護の入れ墨”を持つ者からしても難しいか……」
口の端を軽く歪めるように笑うヴェーナ。
「面白い」
まさに、獲物を狙う蛇の目だ。
だがこの言葉に慌てるのはタロッツィ商会のバルトロス。
「な、何をおっしゃいます! 確かに東方オークなどというのはもの珍しくはありますが、戦力となるかは別の話で……」
「だがあのオーク、魔獣戦でも好成績なのだろ?」
「そ、それは……」
口ごもるバルトロスに対し、
「ええ、まさに仰せの通り。対人戦における格闘術もなかなかのものですが、我らアバッティーノ商会のガンター、本領発揮は対魔獣戦にあります」
と、ラシード。
まあ確かにガンター……じゃねぇ、ガンボンの奴、アルベウス遺跡での対闇の魔獣戦では、光の豚の力もあったとは言え縦横無尽の大活躍をしていた。ダンジョンバトルとやらでの経験もあるんだろうが、なんつーか対人戦のときよりもこう……変に考えすぎずに戦えるからか、ある意味「相性が良い」んだと思う。
あいつ、ぱっと見だと何も考えてねーぼんやりボンクラ感すげーあるけど、意外と変な時に変なこと考え込んじまってる風でもあるんだよな。考えるのが得意じゃないのに、たまに余計なこと考えちまうタイプ。
だがそれはそれとして、いや、ラシード、普通にヴェーナに「売り込み」してて良いのか? そう言う場合なのか、今?
いやまあ、ラシードのことなんてのを気にしてる場合じゃねえな、俺の方も。
俺としては試合の展開も気になりはするが、それよりこの場この状況に対してどうしたら良いのかってのが、まるで浮かばねぇ。元々の目的だった俺と同じ村の生き残り、“漆黒の竜巻”は目の前に居ると言うのに、俺は苦し紛れに立場を偽り、ノープランで流されるまま何も出来ないで居る。
試合は再び佳境を迎えている。ガンボンは三角締めを噛みつきで解かれ、逆に馬乗りになられての乱打の雨。これまた……分かり易く窮地になり、流されるままなすがまま……だ。
「ああ、ほら、やはりこの程度ですな! 動き過ぎて体力が尽きたようですぞ!」
興奮した様子でタロッツィ商会のバルトロスが叫ぶ。「ヴェーナ卿のお気に入り」と言う地位を失いたくないのが丸分かりだ。
対するラシードは、信頼なのかどうなのか、じっくりと対戦の様子を見ている。
「なに、勝負は最後まで分かりませんよ」
と言いつつ、ちらりと遠く……海の方へと視線を向ける。
「……あぁ!?」
「ほぅ」
再びの驚きの声は、ガンボンが起死回生の返し技で、下から猪人の膝を極めた事へ。
「な、何だ、あの技は……!? “漆黒の竜巻”よ、知っているか!?」
「……分かりません」
俺ににも分かんねーぜ、こんな技。
下から足を絡め取り、その膝を逆方向へと攻めているが、かけられた側はそれを防ぐために前屈することも後ろに倒れることもできねぇ。どっちの動きも、そのまま自分の膝にダメージがくる。かと言って手もうまく届かないから反撃も難しい。体格差があるとは言え、あの猪人は、身長に対しては手足も短く体重もかなり重い。だからどんな動きも自分に跳ね返る。
あいつがこれを逃れるには、最悪膝を壊されることも覚悟しての行動をするしかねえ。完全な詰み、負け確定の展開。その展開、逆転劇に、貴賓室の中も、外の観客達も湧き上がっている。
ただ……ラシード達を除いて。
今か? マシェライオス達が言っていた「何かが起きる」というのは? だが、試合場で何が起ころうと、ここには関係ない。だとしたら……。
「高波だーーーー! 避難しろーーーー!」
その思考の外側から、突然聞こえる外からの叫び。
何だ? 何の話だ? そして感じられるのは、次第に大きくなる音と振動。
「な、何だアレは……!?」
バルトロスの指し示す先は、街の南側、海に面した方からの高波だ。だがそれは、普通に想像する高波とは様子が違う。
視界いっぱい横に広がる巨大な波の壁……ではない。数十、数百もの、高く盛り上がった幅半パーカ(1.5メートル)程度の高い波の上に人が……いや、シーエルフの戦士たちが乗っている。
そう、高波のように盛り上がった水の柱に乗った、シーエルフの戦士団だ。
その姿をきちんと見定めるにはまだまだ遠い。だが俺の脳裏には既にその真ん中にいるシーエルフの、第七王女の姿がはっきりと浮かんでいた。




