3-193.追放者のオーク、ガンボン(81)「もしかして俺、狙われちゃいます?」
「座れ」
無愛想に着席を促すのは、この闘技場の管理人、全身入れ墨の南方人大男のポロ・ガロだ。
場所はそのポロ・ガロの執務室。奴隷身分とはいえこの闘技場のすべてを取り仕切る元締めだけあり、あてがわれた部屋もなかなか豪華で金もかかってる。
座れと言われて、やはりなかなか作りのしっかりとした革張りのソファーへとちょんもりと座る。スプリングなど無いなりには座り心地も良いだろうそれだが、けれどもなんとも居心地は悪い。
闘技場の総支配人であり古参拳闘士でもあるポロ・ガロに、正面から相対し、じっと見つめられる俺。その視点が見ているのは、俺、なのかそれとも、俺の背後に居るであろう誰かなのか。
「お前は、東方から来たのだそうだな」
その居心地悪い沈黙の中、ポロ・ガロが不意にそんなことを聞いてくる。
東方から来た小柄なオーク、というのは、俺を売り込む際の箔付けの為にラシードが考えた嘘設定。
まあ、このプント・アテジオか見れば北北東方面に位置する俺の生まれたオーク城塞は、東から来たと言っても差し支えはないといえばない。いやあるけど、この際ないとしておこう。「消防署の方から来ました」みたいなもんだ。いや、それじゃ完璧に詐欺か? まあ良いや。
ポロ・ガロの問いの意図はよく分からぬものの、取り合えずばコクリと頷く。
それを見てポロ・ガロは、巨大な岩石を削り取ったみたいなゴツゴツしたした無表情な顔を全く変えることなく、ただ軽く目を伏せる。
「───戻りたいか、故郷に?」
続いての問いに、俺はやはりやや間を置いてから、今度は首を横に振る。
俺の故郷、つまりは俺が生まれ育ったオーク城塞には、良い思い出はほとんどない。のみならず、俺は“狂犬”ル・シンの呪いにより人狼と化してしまったことで、そこから追放された身。
戻りたくはないし、たとえ戻りたくとも戻れない。
またしばしの沈黙。
この闘技場の支配人であるポロ・ガロのことは、俺はあまりよく知らない。
古株で事情通のジャメルに聞いても、おそらくは昔は歴戦の闘技者であったこと、やはり南方で捕らえられ連れてこられた奴隷であっただろうことぐらいしかわからない。
その上本人は愛想のあの字もないほど無表情で口数も少ない。別に闘技者、奴隷たちを粗雑に扱う、虐待するなんてことも全然しないけれども、その風貌も含め、やはり誰からも恐れられている。
「───試合が決まった」
そのポロ・ガロが、それまでの話の流れをぶった切るかのように、少しの沈黙の後切り出した言葉はそれ。
「ヴェロニカ・ヴェーナ卿が来られる、来週末の大会だ」
この辺は、セロンにラシード、そしてジャメル等この闘技場の運営等々に詳しい事情通から聞いた話、予想の通りだ。
だが、それだけならばいつも通り、通路の掲示板に対戦表を張り出し、また発表すればいいだけの話。
問題は、なぜわざわざ執務室へと俺を呼びつけ、その話をまるで他には聞かれたくない内密事であるかのように話すのか……ということだ。
「お前は負けろ」
「ふへ?」
あらやだ、ちょっと待って、それもしかして、え~……八百長ってやつ? 八百長ってやつじゃないですか?
おそらくは、いや、もしくは結構かなり、ぽかーんとした表情で固まっていただろう俺に再び、
「ヴェーナ卿の御前試合で、巧く負けろ」
と、続ける。
「アバッティーノ商会にも、お前にも、相応の報酬を払う。
本来なら商会主の方にだけ話を伝えれば済むが、お前はオークだからな。己の戦いに誇りというものを持ってるだろう。だが、今回はそれを引っ込めてくれ」
恫喝や脅し、命令という感じではない。顔は相変わらず強面のいかついままだが、これは提案、あるいはお願いとでも言うかのようだ。
で、実際のところ俺には別に、この闘技場での戦いに対しての誇りとかそういったものは全くない。そもそも俺がここにいるのは、闘技場で勝つことが目的じゃなく、このプント・アテジオでの奴隷売買、そこでクリスティナの行方が分からないかどうかを探る為の潜入、情報集めが目的だ。
つまり、この八百長を受けるかどうかは、それにより情報がより手に入りやすくなるかどうか。
んで、そーなると、俺の判断よりかはラシードの判断になるだろう。
なので、少しの間そんな事を考えていてから、俺は、
「俺は、決められない」
と返す。
再びまた少しの沈黙の後に、ポロ・ガロはまたほとんど変わらぬ強面の顔のまま、
「そうか」
とだけ返し、ここでの会話はそこで打ち切られることになった。
◆ ◆ ◆
「提案を受ける、とのことだ」
というこれは、セロンからの伝言。アバッティーノ商会の一員、つまり名目上は拳闘奴隷であるところの俺の主、ということになっているラシードに、今回の八百長の件が伝えられ、それをどうするかということに関しての指示。
ま、この結果には驚きはない。
ラシードのことだ。八百長を引き受けることでそれ以上の利益、つまりは俺達の目的であるクリスティナの探索に必要な情報を得る何らかの交渉をしたのだろう。
だが、それを伝えるセロンは何やら苦々しげな顔。
「どったの?」
そう聞くと、セロンはやや間を置いてから、
「ガンボン、お前には屈辱じゃないのか? お前は強い。堂々と戦えば、負けることなどないはずだ……!」
と言い出す。
いやいやいや、ちょいちょいちょい、セロンさん、あなたちょっと目的見失っていますよ?
「いや……もともと、勝つのが目的じゃ……ないし?」
「いや、だけど……!」
だけどちゃいますがな!
「……そうか、奴らがそういう卑怯な手に出ると言うのなら、いっそこちらも今のうちに……」
待て待て待て~い!? 「今のウチ」に何やらかす気ですか!? 落ち着いて、落ち着いて!
何やらあらぬ方向に思考が暴走しかけるセロンを、なんとかなだめ落ち着かせる。
う~む、どうしたどうした?
主に社交を中心とした工作をやるラシードや、どうやら裏社会などで情報収集をしてるらしいサッドらと違い、主に連絡役としてよく接しているセロンだが、なんというか日に日にこう、落ち着かなくなってきている感じがある。
そこでそう言えば……と色々思い返してみると……。
「無理、してる?」
「……あ、あぁ、いや……そう言うわけじゃ……」
と、俺の問いへと返しはするが、やや言いよどむ。
言い淀んでから、今度は頭を抱えテーブルに肘をつくかのようにして深くため息。
「……すまん、疲れているかもしれん」
と。
セロンは若手のダークエルフレンジャーとして、今回初めて闇の森の外の「人間社会」へと来ている。その中で様々な文化的衝突……まあカルチャーギャップにも直面している。
特に、闇の森ダークエルフの文化には存在しない奴隷売買を主とするこの町のあり方は、思っている以上にストレスを与えているようだ。
「他に、何か進展、あった?」
その気持ちを紛らわそうという意図もあり、話の矛先を変えてみる。
「あぁ……そうだな。ラシードは代官のデジモと懇意になってきた。まあまだ他の……タロッツィ商会なんかに比べればたいした伝手でもないみたいだけどな」
デジモ・カナーリオは、ジャメルなんかから聞く話からも、結構謎めいた人物像だ。
闘技場の持ち主でもあり、度々観戦もしているが、観覧席は特別な区画で周りとは離れていて、薄い絹のヴェールのような仕切りで姿は見えない。稀に垣間見れる事があっても、その顔もまた薄絹のヴェールで覆っているらしく、やはりハッキリとは見えない。
俺のデビュー戦であった対多頭蛇戦の内容なんかも、ラシード曰わくデジモや他商会周りの交渉で決められたらしい。それだけ聞くと、魔物に奴隷を食わせる見世物の好きなヤベー奴か、悪い意味でエンタメ精神に富んだバブル期のバラエティー番組のヤベーディレクターみたいな人物像が思い浮かぶけど、他の情報も含めていくと、単純にそういう「分かりやすいヤベー奴」と言う感じでもなさそうだ。
「タロッツィ商会の“漆黒の竜巻”とやらとの試合は、デジモも“毒蛇”ヴェーナも観戦するのはまず確実、との話だ。
まあ、だからその“毒蛇”ヴェーナのお気に入りだという“漆黒の竜巻”に花を持たせよう、と言う事なのだろうけどな」
話がそこに戻って、またもやや不満げな声の調子になる。いやいや、抑えて、抑えて。
が、そこでセロンはさらに別の方向へと話を続ける。
「ヴェーナの“お気に入り”には、ある傾向があるらしい」
ふむ?
「強く、美しい女。或いは、強く、醜い男……そのどちらかをヴェーナは好む……そう言う話だ」
あら、もしかして俺、狙われちゃいます?




