3-192.追放者のオーク、ガンボン(80)「て、コト、は……?」
「……こりゃひでぇ……。コイツはもう戦えねぇな。文字通りに廃棄処分にするしかねぇぜ……」
顔を歪めてそう言うのは、アバッティーノ商会所属の奴隷闘士の一人、エジェオ。
元々鉄級奴隷闘士の下位グループ、中堅奴隷商会の所属だったのが、ラシードとの賭けに負けた商会主が破格でこちらへ売り渡した。闘士としては特別な所はないが、実はほぼ独学ながらある程度の医術の心得がある。ラシードは俺やセロンからの報告を元に、そういう目立たぬものの能力があり、だが商会主からは軽んじられているような奴隷闘士を積極的に買い取ろうとしている。
そんなラシードの動きもあって、今のアバッティーノ商会組には「戦績はさほどでも無いが何気に有能」、てな感じの面子が増えて来ている。もちろん専門家には敵わないが、色々と制限の多い闘技場内部では重宝だ。
でまあ、そのエジェオに診られているのは、若い東方人系の奴隷闘士のセンツィー。今のアバッティーノ商会組の中ではけっこう戦績の良い方で、色黒で痩せ身だが、素早く軽妙なフットワークと鋭い打撃が売り……いや、売りだった。
そのフットワークの源である脚が、べっこりとヤバい方向に折れ曲がっていて、脂汗を垂らしつつも口にあてがわれた布の巻かれた木の棒を咥えて悲鳴を堪えてる。
「も、持ってきやした!」
そう言いながら駆け込んでくるジャメルが手にしている小瓶は、アバッティーノ商会からの備品である錬金魔法薬。もちろんかなりの貴重品だが、この骨折はかなりヤバいから止むを得ない。
薬を飲ませて落ち着かせ、房内の寝台に寝かせる。やや呼吸が落ち着いて来てから、今度はセロンともう一人がやってくる。
「お、おい、ど、どうすんだよ……?」
周りの奴隷闘士が慌て慄くのは、もちろ戦えなくなった奴隷闘士を「処分」される可能性を恐れてだ。
だが当然のようにセロンはその手を地面と患部に当てながら、【大地の癒し】を唱える。
おお、とは周りの奴隷闘士達の声。治癒術を使える人間自体貴重な上、奴隷闘士相手にわざわざそんな人材を連れてくる奴隷商会なんてまず居ない。よほどの“売れっ子”か、タロッツィ商会みたいな大手以外は、だ。
脂汗かきつつ苦しんでいた東方人系の若い奴隷闘士は、次第に穏やかな表情に変わり、息も整ってくる。
「……すげぇ」
「おれ、はじめて見たぜ……」
ダークエルフ的には基本的な初歩の治癒術も、人間社会では貧民や奴隷が目の当たりにする事はあまりない。この反応も当然ではある。
「ガンターの兄ィ、アバッティーノ商会ってなぁ、とんでもねぇ大物なんすね……」
と、見たこともない偽物の商会主のラシードへの過剰な評価。
繰り返しになるが、そもそもラシード含めて俺たちには、奴隷商として金儲けをする気がないから出来ることなのだ。
治癒術と錬金薬での応急処置をした若い東方人系奴隷闘士は、担架に乗せられきちんとした治療を受けるため、セロン達により運び出される。骨折を治すには、手持ちの錬金薬やセロンの治癒術では足りない。きちんと骨接ぎしギプスを当てて安静にしてから再び治癒術を使えば治りやすくなる。
「にしても……あの野郎、許せねぇぜ」
その様子を見送りながら、元房長の大男、カトゥーロがそう呟く。
それに周りが同調して沸き上がるか……というと、そうでもない。
反発はなく、思いは共有しているが、かと言ってそれを大きな声で言えるかと言うと、まあ無理だ。
相手が悪過ぎるからだ。
何せ、タロッツィ商会の中でも生え抜きの生え抜き、魔獣狩り部隊の隊長格でもあると言うのだから、まあビビるのも当然。ましてや……あの戦いぶりだからねぇ。
◆ ◆ ◆
俺が直接見たのは一番最後の場面のみ。それまでの展開については他の連中からの伝聞だ。
まずは午前中。食事前とか食事を終えてからとか、まあその辺はそれぞれだが、大体がトレーニングの時間となっている。
我がアバッティーノ商会では、まずは起きてすぐに柔軟とランニング中心の軽いトレーニング。
それから全員で食堂へと行き、基本メニューの豆スープに、商会からのそこそこの差し入れ朝食。最初に周りの連中にガツンとかますために差し入れられたほどの量は、さすがに今はない。
それからある程度食休みを経てから、再び修練場の中庭へ行って各自いわゆる筋トレから組み手中心のメニューをこなす。
場合によってはセロン先生のブートキャンプもある。
これらはだいたい商会ごと、派閥ごとでまとまってやる。まれに、他の商会や派閥とのちょっとした練習試合のような形で訓練をすることもあるが、そうはない。 特に小勢力同士ならまだしも、今やそこそこ大きな派閥となっている俺達みたいなのは、やはり内輪でまとまって行うようになる。
ましてや、最大派閥のタロッツィ商会と、今最も勢いに乗ってる我らアバッティーノ商会の奴隷闘士同士での練習試合……なんてのはまずあり得ないわけだが、そのありえないが起きてしまった。
きっかけは、タロッツィ商会側からの軽い挑発。
まあ、「お前んとこのあのオーク、東方から来たって話だけど、本当はただのガキオークなんじゃねえのか?」だののしょーもないからかいだったらしい。
その手の揶揄、当てこすり的な挑発は度々行われている、と言うか日常茶飯時だ。とはいえ試合で実績を出してる俺がいる時には、そういうことを言ってくる奴はほとんどいない。その時はまあ、ちょっとばかし普段より多めの食事、長めの食休みをとっていた俺がそこには居なく、また、その挑発してきた奴というのが、前々からセンツィーとは仲の悪い、因縁のある相手だったというのが関係してくる。
そんなこともあり、センツィーは挑発に乗って口論になる。ただしこの闘技場内では喧嘩は厳禁。どんな理由であれ、喧嘩を行った者は厳罰を受けるが、審判立会いのもとに行われる練習試合なら別だ。
そこで相手の出した条件が、「今この修練場にいるお互いの商会の中で一番の闘士同士で練習試合をして決着をつけよう」
と。
これを、センツィーは、「ははーん、コイツ、今ガンターの兄貴が居ないのを目ざとく確認して、後から出てこないように条件をつけたな? 今現在この修練場に居るそれぞれの一番の拳闘士は俺とコイツだからな」
と、そう判断した。
だが、それが罠だったワケだ。
そのとき、修練場の端の方に、 普段ならここにいるはずのない拳闘士が連れて来られていたからだ。
それが、魔獣狩り部隊の隊長格であるその拳闘士。
背が高く、黒い肌をした痩せ身の南方人。革製の鎧……と言うか、 むしろボンデージファッションかと思うような着衣と、同じく革製のまるでフルフェイスヘルメットのような兜。その兜も革鎧も、真っ黒に染め上げられ艶やかに光を反射する。
通り名は“漆黒の竜巻”。露出の多い漆黒の肌には、渦を巻くような入れ墨で、文字通り竜巻のような凄まじい蹴りを得意とするストライカーだ。
低身長で短足、基本組み技が主体の俺からすると、対戦相手としては明らかにめちゃめちゃ相性が悪い。
そして相性だけではない。実力も文句無しにある。
俺が目にしたのは、最後の一撃だけではあったが。
センツィーは自分の体格が軽く、小柄なことを自覚している。だから軽妙なフットワークと的確なヒットと手数で勝負するタイプだ。
体幹もバランスも良く、ブレずに不安定に見える体勢からも打撃が放てる。まだ経験不足なところもあるが、正直かなり伸びしろのある拳闘士だ。
彼の戦績があまり奮っていなかったのは、実力よりも性格的な問題。せっかち、と言うか短気と言うか、待ちが出来ない。
とにかく攻め、攻め、攻め、攻めで、一本調子になりやすいのだ。
だから、格下相手に圧勝したかと思うと、格上相手に手も足も出ない……という、ムラのある戦績だった。
タロッツィ商会の拳闘士に挑発され、それに乗っての“練習試合”。
だがそこに現れたのは見たこともない長身の南方人。試合形式にもよるが、たいていは革製の防具までは許される中、所謂ソフトレザー、柔らかい皮と布の折笠ねである華美な装束で、相手はあまり機敏には動かず、手足の長さでこちらを近付けないタイプと考えたセンツィーは、素早い足運びから内に潜り込むようにして入る。
その足元に、ローキックが一閃。
その瞬間だけは目撃した俺からしても、まさに「目にも留まらぬ」速さだった。
骨折する程のダメージになったのには、速度、タイミング、角度にすね当ての強度などなど様々な要因があっただろうが、それを差し引いても凄まじい。
俺はどうか、と考えると、ベリーファッティな肉鎧もあり骨も強いから、そう簡単に折られる事はないだろうが、あの速度の打撃に反応できるかと言うと、難しい。
その人物が何者で、何があったのかをウチの派閥の連中が聴き周り情報を集め、それをまとめて報告もらったのが、まあつい今さっき。
そしてそれらを集めたほぼ全員が俺へと向ける視線の意味は……当然、リベンジマッチへの期待だ。
◆ ◆ ◆
「“毒蛇”ヴーナェのお気に入り、らしいな」
改めて、治療を終えたセンツィーを連れて戻って来たセロンから、新たな情報の追加。
辺境四卿の1人、ここサルペン・ディポルデの領主、ヴェロニカ・ヴェーナ卿。
当然まだ会った事はないが、ここに来る前からも来てからも、様々な噂は聞いている。主に、怖い噂だが。
ここプント・アテジオも“毒蛇”ヴーナェの支配下で、闘技場もまた、娯楽、奴隷商の勢力争い兼宣伝の場であると同時に、タロッツィ商会がそうであるように、“毒蛇”ヴーナェへの売り込みの場でもあるらしい。
クトリアや闇の森に比べれば、王国領や辺境四卿の領地は魔獣、魔物の驚異は多くない。だが、その中で比較すれば、ここ、サルペン・デポルデは多い方らしい。
南に“巨神の骨”があり、また“闇エルフ団”の拠点もある大湿地地帯なんかも、けっこうな魔獣生息地だ。
つまり、戦争以外でも有能な戦士の需要は沢山ある。
その中で、この闘技場から這い上がった頂点が、ヴェーナ護民兵団、例の魔獣狩り部隊だ。
で、そのヴェーナ護民兵団の中でも隊長格だと言うその“漆黒の竜巻”は、中でもかなり、“毒蛇”ヴェロニカ・ヴェーナのお気に入りなのだという。
「いくつかある護民兵団の部隊の中でも奴隷兵中心の部隊の所属で、最も過酷な任務につくらしい。死人も多いから入れ替わりも激しいが、その中でもかなりの歴戦だそうだ」
むむぅ、と口がへの字に曲がります。
「普段は闘技場に出ることは無いが、“毒蛇”ヴェーナが観覧に来るときだけは別……だそうだ」
「んあ? て、コト、は……?」
「ああ。ラシードの掴んだ情報じゃ、来週の特別試合を観にヴェーナが来る。
で、おそらくはガンボン……お前がその対戦相手としてマッチングされる可能性が高いそうだ」




