3-186.追放者のオーク、ガンボン(74)「アゲにアゲ」
数十隻の小さな葦船と、一隻の幅広でしっかりとした木製の船。
船底は浅く、一本マストで船室はない。左右にオールがあり数十人で漕ぐガレー船のようにもなるが、今は大きく張られた帆によって前進している。
広い、広い湿地帯だ。かなり広い。広すぎる程に広い。多分、下手をすれば日本での市町村の一つ二つ、いや、五つや六つ、いやいや、十くらいはすっぽり収まるくらいには広いらしい。
「山賊団とか言われてるのに、アジトが湿地帯ってな、こりゃ騙りも良いとこだな」
風を受け濃い栗色の髪をそよがせながら、ラシードが楽しげに言う。
「ヴェーナ領サルペン・デポルデ。つまり“蛇の沼地”だ。領地の三割近くは湿地や沼。“巨神の骨”の山間部よりも隠れ潜むにゃピッタリの場所よ」
サッドの言う通り、確かに「快適で住みやすい」土地ではないが、だからこそ「隠れ潜む」のには向いているのかもしれない。
「昔ッからよ。この大湿原地帯にゃあ、あぶれ者はみ出し者、流民、犯罪者やら帝国に追われた落ちぶれ豪族と、色んな奴らが逃げて来ちゃあ隠れ、集まっては討伐されたり魔獣や大蛇に喰われたり……ってのを繰り返してたのよ」
と、続けるアリックさん。それ、やっぱり隠れ住むのに向いてないのでは? どーなん?
「ま、何にせよ落ちぶれ者の溜まり場だな」
自嘲気味の乾いた声でサッドが言う。
「ここらは広すぎる上にぬかるみばかりだ。だから護民兵団もそうそうやって来ない。舟にしても、遠浅で葦の多い湿原地帯は大型のガレー船で進もうとしても、オールに葦がすぐに絡まってなかなか進めねぇ。小型の葦舟や、浅い帆船で風をうまく捉えねぇことにゃあすぐ立ち往生だ。
その代わり、当たり前だが危険な魔獣や猛獣も他の土地よりか多い。糞蛙だの吸血藪蚊だのゲロ蠅だのがわらわら。特に大蛇なんざ、人間丸呑みする糞でけぇのがうろちょろしていやがる」
これはこれで、闇の森と近いような危険地帯だ。
「まあ、そいつら全部、食おうと思えば食えるけどな」
「だが、魔力汚染も強んじゃないか?」
「まあ、モノによるがな。自然浄化にゃちと時間がかかる」
そう言ってる最中にも、離れた所で岩だか泥の固まりだかに見える大きな蛙がゲコゲコしてて、同じくサッカーボール大くらいの大きな蠅を舌で捕まえて食べている。見た目は馬糞と岩の中間みたい、大きさは1人用のソファーくらいか。
「だが、一番厄介なのは“沼潜み”だ」
「沼潜み?」
「沼潜み……沼鬼は、沼地に潜むゴブリンの類だ。魔獣と違ってそれなりの知恵があるし、武器を使うこともあるしな。
まあもちろん、俺たちほどじゃあねぇがね」
とかまあ言うけど、一般的なゴブリンのイメージからすればそう言えるかもだが、ユリウスさんとその仲間たちを知ってしまった俺としてはそうも言えない。
と、そんなことを話した側から襲われる……というようなイベントも特になく、体感で一刻ちょい程度進むと木の柵に囲まれた中州の土地が見えてくる。
櫓から定間隔の鐘が鳴り、見張りが帰還を知らせている。
船付き場に着くとけっこうな人数の出迎えで、まさに英雄の凱旋とでも言うかのようだ。
サッドも軽く手をあげそれに応え、周りの団員達はもっと大きく手を挙げてそれらに応える。
「おおぅ、こりゃーたいした人気じゃあねぇのよ、サッド」
ラシードがそう言うと、サッドは眉根をしかめて、
「必要なんだよ、こういうのも」
とぶっきらぼうに返す。
サッドに団員達、そして俺達に続いて奴隷狩りの馬車に捕らわれていた奴隷や隊商の下働きの奴隷が舟を下りた後、最後に降ろされるのは例の隊商主とその護衛達。荒縄で括られ、繋がれたまま乱暴に蹴飛ばされての下船だ。
「我らの名を騙り、各地で奴隷狩りをしていた極悪人どもを、この通り捕縛したぞ!」
フードの団員がそう気炎を上げると、さらに大きな歓声があがる。
「ざまあみろ、ろくでなしどもが!」
「あいつ、覚えてるぞ! 俺の家族を連れ去ったのもあの野郎だ!」
罵声とともに投げつけられるのは石や土塊、そして腐った食べ物や動物の糞やなにか。……動物の、だよね?
「……っせ!」
「……っせ!」
怒りの声は次第に、ある一つの言葉の合唱となっていく。
「殺せ! 大蛇に食わせちまえ!」
「バラバラに切り刻んで、ナマズの餌だ!」
うへぇ。
まあ当然予想してたことではあるけれども、彼らの怒りの声はまるで収まりそうにはない。
仕方がないといえば仕方がないし、当然といえば当然の話。
この奴隷狩り商隊の者たちこそ、彼らをこのような境遇に追い込んだ連中の手先であり、また、さっき一人の男が言っていたように、彼らのせいで家族もろとも捕縛され、その後バラバラにされて二度と会えていないと言うような目に遭っている者達も少なからず居るだろう。
憎んでも憎みきれない、殺したとしても飽き足らないほどの怨敵。
そこに、ドドンッ、と響く太鼓の音。
続いて、殺せ殺せの大合唱の中にカッカッと響く規則正しい木を叩く音が、まるでシュプレヒコールのリズムをとるかのように鳴り始め、そこに続いてフルートのような木の笛の音に弦の音。
そして始まるラシードの口上。
「さあさあ、皆々様の皆の衆、ご機嫌いかがかお伺いに参りました我ら山高帽一座の旅の者。
珍奇なる樽オークに闇の射手、そして軽業男と座長の美男子が、ジメジメ湿った沼地の奥のさらに奥、あぶれ者はみ出し者のその巣窟へ、まかる越したるその理由とは?
そう、我ら一座は皆様の頭、サッドとの古くからの盟友なのであります!」
ドドン! と、決めの音。
それに合わせ、ラシードが横に居るサッドの手を取り、高く掲げて挨拶をする。
その突然の演奏、口上に、集まり興奮していた者たちは、まずは驚きざわめき、次第に呆然として静まり出すが、最後にラシードがサッドの手を取り掲げると、ちょっとしたどよめきに称賛の声。
「さてさて、まずは我らの良き友、偉大なるサッドと同朋の勝利に、我らからの賛辞と共に演奏を贈らせていただきましょう!」
ドドン! カッ! と、俺が首から下げた小太鼓に樽を木バチで叩くと、アリックさんが笛を奏でる。それぞれあまり巧みな奏者とは言えないが、単純なフレーズの繰り返しで分かりやすく、弓の弦を爪弾き奏でるセロンの音も軽やか。
そこに、低音で深い響きの声での詩が始まる。
「───かつて帝都は富み栄え
数多の人々に溢れ返り
その片隅に彼は生まれた
若き 少年は エルフの母と
勇敢な 戦士の 元に生まれた
勇気と機知と 巧みな技と
周りを導く 声の持ち主
帝都は愚かな過ちにより
水底へと沈み 滅びて消えた
けれども彼は 人を助けて
救いの主と 呼ばれる事に
偉大なるサッド 勇気と機知とで
数多の貧しき人を 救う」
まるで北方人のスカルドのような叙事詩の英雄譚。盛り盛りの盛り助さんな誉めっぷりだ。
あんまりサッドの事を知らない俺ではあるけど、端々に聞こえる評判からすれば全く違う。
「さらなる高みを 目指す彼は
強者の集う 戦士の庭へ
巧みな技と 明敏な機知で
多くの仲間の 命を救う
偉大なるサッド 誉れあるサッド
栄光と勝利をもたらす男」
山高帽に眼帯と、変装込みでの奇矯な格好をしてはいるが、元よりラシードは美丈夫だ。その上声も良く歌まで巧い。んで、歌の内容は彼らの頭であるサッドをアゲにアゲ、褒めに褒め称えるもの。そりゃ盛り上がる。
拍手喝采に歓声を浴び、俺達はラシードに倣い四方にお辞儀。真ん中で手を振り応えるラシードは、また再びサッドと固い包容。
上がりに上がった盛り上がりだが、その盛り上がりの方向性は先ほどまでの殺意と憎しみにまみれたそれとは全く違う。純粋な喜びと歓喜の声だ。
「さあて、後ほど再び、今宵の宴には、皆様を喜ばせ楽しませるための出し物を提供させていただきます」
ラシードの締めの挨拶で、全体がふっと落ち着く流れに。
そこへサッドがすかさず、
「さあ細かい報告はまた後でだ! みんなひとまず自分たちの仕事に戻ってくれ」
と解散を促す。
まだ興奮冷めやらぬという感じの聴衆たちだが、数人は名残惜しげに、多くの者は満足げに、三々五々散っていった。
捕らえた奴隷狩り商隊のことなど、スッカリ忘れたかのように……だ。
この茶番劇には理由がある。
俺達とサッド、双方の利害に基づく理由が、だ。
今回ラシードが歌った「サッドのアゲアゲ節」の伴奏のイメージは、ケルティックっぽい感じをイメージしてください。
分かりやすい例をあげますと、2019年どぶろっくがキングオブコントで優勝したネタ、「おおきないちもつをください」の曲調です。もしくはスカイリムっぽいやつ。




