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遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~  作者: ヘボラヤーナ・キョリンスキー
第三章 クラス丸ごと異世界転生!? 追放された野獣が進む、復讐の道は怒りのデスロード!
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3-154.マジュヌーン(87)静寂の主 -泥んこ道を二人


 

 赤い。真っ赤に染まった空の元、荒野と背の高い石の玉座が見える。

 そこには絞りきった雑巾みてーな、血走りしわだらけの爺が、ぼろ布と言うのも憚られる黒衣を身にまとい座っていた。

 

 かつての記憶では……だ。

 

 今、そこに座って居るのは一人の男。

 宍堂家の跡取り。生徒会長で学業、スポーツ共に優秀。見た目も良く人気者で憧れの的。

「まるで一昔前の少女漫画のイケメンみたいだな」なんて揶揄も、現実を目の前にすりゃ空々しく思える。

 静修さん───俺の腹違いの兄。

 

 その玉座に肩肘をついて座ったまま、地に伏し横たわる俺を静かに見ている。

 俺はしばらくその目に見つめられたまま、だが何をする気も起こらずにただそこで横になっていた。

 どれほどの時間か。あまりに長すぎたのか、それともほんの数瞬なのか、自分でも分からない。自分でも分からないが、あまりに長い間そうしていたような気がして、俺はややバツが悪くなり上体を起こす。

 

 赤く染まった空に、やはり赤い土と岩の荒野。かつて見たその光景に、なんともふわふわした非現実感がまとわりつく。

 

「目覚めたか」

 

 静修さんのその声は、やはり静かで落ち着いた、上品ないつもの声。

 

「いや……ああ、何だか……何だ……妙な……」

 

 ───夢を見ていた。

 

 そう言いかけて、だが内なる何かがそうではないとけ告げてくる。

 

「俺は……長いこと待っていたよ。お前のことを……お前と、“正しい関係”で相対することをな」

 

 静修さんの声が、徐々に嗄れた掠れたものになる。

 そして気がつけばその姿は、白と金色に輝く緩やかなウェーブのかかった毛に覆われた、犬の顔をした兵士のものになっている。

 

「……マジー」

 背後からかけられるその声は、普段は陽気でおちゃらけたカシュ・ケンのもの。

 

「まったく……しくじったぜ」

「ああ、まっだぐな」

 赤茶けた毛並みの猿のその横に、並んでいるのは巨漢の犀人間。あぐらをかき、地面に尻をついたその上に、小柄な猿がちょこちょこと乗っかり話し続ける。

 

「……まあ、なんつーかよ。マーリカとの新婚生活出来なかったってーのは、めっちゃ悔しいけどよ」

「あれヴァ、死亡ブラグ」

「うっせーよ!

 ……ま、けどよ。生まれ変わって、猿人間なんぞになってからの3年……。正直、そんなに悪い人生じゃなかったと思うぜ?」

「……ああ」

 

 まるで猿山の上ではしゃぐ猿だ。


「……かもしれねーな、俺たちよ」

 

 俺はそう、小さく呟くかにしてカシュ・ケンに同意する。

 確かに……生まれやしがらみといったものにがんじがらめになっていた前世のそれと比べりゃあ、はるかにいい人生だったかもしれねぇ。

 

 だが、俺がそう言うと、カシュ・ケンもダーヴェも首を振り、

 

「いや、マジー。

 あいにくだが……お前はまだらしいぜ」

 

 そう返してくる。返したそばから、カシュ・ケンとダーヴェの目が、まるでこの不気味な空同様に赤く染まり、それは眼窩から溢れる血となり全身を流れて行く。

 

「……お、おいッ!?」

 

「ねぇ、マジュ……」

 下から聞こえてくるのはマハの声。

 だがそのマハもまた、カシュ・ケン達同様に溢れ出る血に染まっている。

「───マジュ、わたしネ、きっと……」

「おい、何だ!? 何だよ、マハ───」

 

 三人から溢れ出たおびただしいほどの量の血が、まるで小川のようになり、さらには池か湖のようになって俺たちの体を押し流し、渦巻いていく。

 

 その中に飲み込まれたまま、俺は───。

 

 ▽ ▲ ▽

 

 暗い。

 真っ暗だ。

 

 暗く、狭く、暑苦しく、辺りには無数の人の気配。どこか狭く暗い場所、密閉された空間の中に、ざっと数えても二、三十人以上の人で溢れてるように思える。

 

 そこで俺は、横たわり寝かせられているようだ。背は板敷きの上にさらに茣蓙か。蹄獣人(ハヴァトゥ)の綿花製のクッションも敷かれている。

 僅かに声が出る。言葉になってはいない、ただの呻き。

 それに何人かが反応し、よく冷えた水を含ませた手ぬぐいで顔を拭かれる。妙に火照った体に、やけに気持ちがいい。

 

「兄ィ……!」

 最初に聞こえたその声はアリオだ。

 それから、フラビオやミンディにラング……ガキ共の声。

 

「……ああ、耳元で……騒ぐな……」

 がたがたと騒がしい連中の声に耳を塞ぎたくなるが、どうにも腕がうまく動かねえ。

 

「……無理するな。両手両足、どちらも骨が折れ、ヒビがある。添え木して固めてあるが、まだ何もできない」

 骨折? そりゃ参った。道理で身体が重いはずだ。

 

 そんな事を思いつつ、その声の主……ムーチャへと話しかける。

 

「マハや……カシュ・ケン……あいつら……どうした?」

 

 何か夢を見ていたような気がする。どんな夢かは思い出せない。だが、なんとなくあいつらが出てきたような気がするし、そしてなんとなく……とても寂しく、悲しい夢だったような気もする。

 

 ガキども含めてしばしの沈黙。その沈黙から次第に小さな嗚咽が重なり合い、大きくなり、泣き声のフルオーケストラになる。

 その合唱を締めくくるのは、いつもと変わらぬ平素で落ち着いた声のムーチャの言葉。

 

「マハと、カシュ・ケン、ダーヴェは、埋めた。他の死体も、全部」

 

 予想外だと言えば嘘になる。いや、間違いなく俺はそれを予想していた。

 あれは武器と呼ぶのも憚られる、粗雑なガラクタだ。馬鹿でかい岩にただ丸太をくくりつけたような巨大なハンマー。人の力で持ち上げられるようなもんじゃねえ。食人鬼(オーガ)の巨体と怪力で、初めて持ち上げられるもの。

 それが……そのまま横たわる犀人(オルヌス)へと振り下ろされる。

 そしてまた、赤茶けた毛並みの猿獣人(シマシーマ)を粉砕する。

 

 その様を、肩を外されていた俺は、這い蹲り押さえつけられたまま見せつけられていた。

 それからその巨大で粗雑な岩石ハンマーを再び振りかぶった食人鬼(オーガ)を、白と金毛の犬獣人(リカート)が手で制して止め、何事かを言ってから今度は曲刀を振るう。

 何と言っていた……?

 そうだ……思い出した。

 

「そいつは見た目を少し残しておこう。

 後になっても……何年もの間、ちゃんと思い出せるようにな」

 

 それから後のことは、あまり覚えていない。

 覚えていたところで意味もない。

 その記憶の中の光景が、ただ本当にあった事だと言う事実が、ぬらりとした重苦しさで、俺の体へとのしかかってくる。

 

 ▽ ▲ ▽

 

 暗く狭い川を渡る。空も暗ければ水面も暗い。光らしき光はほとんど感じられない真っ暗闇の中、腰ほどまでの高さの水の中、泥に滑る足元に気をつけながら、粘つく水を掻き分けている。

 どこへ向かってる? 何を目指してる? 分からない。自分でも何故こんな所でこんなに必死になって足掻いているのか、さっぱり分からねぇ。

 いっそ、全身すべての力を抜いて、このヘドロだか何だかも分から無い、汚ねぇ水の流れに身を任せてしまえばいい。そんな思いも浮かぶ。

 

 その水面には、さらにいろんなものが流れてくる。

 汚い毛並みの、禿げかけた酔いどれ猿獣人(シマシーマ)。前歯が三本折れていた、味のある絵付けの南方人(ラハイシュ)。コイツらは確か……避難民の中にいた犬獣人(リカート)の家族か。

 農場や酒造所、小物作りなんかで働いていた小作人、職人連中。いや、そうだったモノ……その一部だ。

 水面をかき分けると、腕やら指の先やらに、連中の頭や腕や髪の毛、耳に目玉に脳みそとか……そういった、かつて奴らだったものの一部が絡まり、ぶつかっては流れていく。

 

 その次に流れてきたのは、ああ、見慣れた不細工ヅラの犬獣人(リカート)達。ブルドックみてーな鼻の潰れたむくれっ面。猛き岩山(ジャバルサフィサ)のお馴染み連中に、少年兵達。

 そして……カシュ・ケン、ダーヴェ……相変わらず美しい白い毛並みの“白き踊り子”……。

 

「……マハ」

 

 俺はそう呟いて、流れてきた白い塊を腕に抱えあげる。

 こんな汚ぇ川の水に浸かり、首だけになっても、やはりマハの毛並みは白く滑らかで美しいままだ。

 その首を抱きしめながら、俺はそこに立ち尽くしている。

 時間の感覚ももはやない。どれほどの間そうしていたのか。数分かもしれない。数時間か、あるいは数日かもしれない。いや、そもそも今ここにおいては、時間なんてものには全く意味がない。

 俺はただ、そのヘドロのように汚く暗い川の中で、マハと二人だけの時間を過ごした。

 

 気がつくと、俺の腕の中のマハの首は、首だけではなくなっていた。


「───マハ」

 

 そう言いかけて、きつく、強くその体を抱きしめようとして、改めてその顔を見返すと、そこに浮かぶ微笑みはいつものあのマハのもののようでいて、けれども同時に、まるで見たこともない見知らぬ女のそれのようでもあり、同時に何年もの間深く強く関わり合い結びついた女の顔のようでもあった。

 

 そのマハが、すうっとゆっくりと右手を上げて、別の場所を指し示す。

 愉悦に満ちた笑い声を上げながら、まるでそこへと向かえと言うかのように、だ。

 その指の先には───。

 

 ▽ ▲ ▽

 

 ばくばくと乱れ踊る心臓の感触に跳ね起きる。

 場所は変わらずの暗闇。

 薬師部族の“砂伏せ”達のために作った仕掛け付きの隠れ家洞窟。

 カシュ・ケンとダーヴェが凝りに凝って作ったそいつは、自然の岩場そのものの見た目でありながら、仕掛けで入り口を開け中に入ると結構な広さの倉庫に居住空間。

 リカトリジオス兵の襲撃があった時、ガキどもや使用人たちを真っ先にここへと避難誘導させたのはムーチャとマハ。

 この隠れ家洞窟の周りには、臭いによる探知も妨害できるよう、きつめの臭いのする果実や花の木や低木なんかも植えてある。

 それでも犬獣人(リカート)の追跡力は侮らないからと、アスバルとマハは囮役を買って出て……結果……ああなった。

 

 俺がもっと早く戻ってこれれば。

 いや、そもそも俺がサーフラジルになんぞ行ってなければ。

 いやいや、何より反リカトリジオスの連中となんか連まなければ……。

 

 全て無意味だ。

 その思考、その後悔。

 こうしていれば……こうだったなら……。それらは全て無意味だ。

 

 意味のあることはただ一つ───。

  

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