3-150.マジュヌーン(83)静寂の主 -すっとばす
“銀の腕”から借りた甲羅馬で、山を転がるかに駆け続けて朝方にはラアルオームだ。
城門は完全に閉ざされ、門兵達が塔から警戒を続けてる。城門前を横切る俺に、そそっかしい猿獣人の門兵が矢を射掛けてけてくるのを無視して先へと進む。
ラアルオームの“砂漠の咆哮”野営地は、東城門から川沿いに下った丘の上だ。砂漠の中の他の野営地と違い、生活拠点としてよりも守りの為の野営地と言う意味合いが強く、木製の柵や櫓も多い。
だからそう簡単に攻め落とされる程にヤワじゃない筈だ。
だが、近づいて行けば行くほどに、立ち上る黒煙にただよう血の匂い。
それに引き換え、戦いの喧騒なんかまるで聞こえてこねぇ。
嫌な……嫌な感じしかしてこねぇ。
そして野営地が見えてくると、その有り様に俺はただ言葉もなく息をのむ。
血、血、死体、臓物、死体、焼け焦げ、血、死体……。
木の柵や櫓の半分は壊され、焼かれ、辺りには多くのもの言わぬ躯。
その中には見知った“砂漠の咆哮”の団員もいれば、出入りしていた隊商部族、商人や野鍛冶、狩人らも居るし、又リカトリジオスからの避難民も居る。
リカトリジオス兵の死体も勿論ある。あるが、その数は比較するとそう多くはない。
動く者はさらに少ない。風にはためく破れた天幕、“砂漠の咆哮”の旗、そして方々からの火と煙。
「おい! 誰か居ねぇか!?」
叫んでみると、幾つかの呻き声に反応がある。
その反応のうちの一つが、一際リカトリジオス兵の死体の積み重なった一角から。
その山が動いたかと思うと、ぬっ、と手だけが突き出される。
見覚えのある斑模様の手の主は、“鋼鉄”ハディドだ。
死体をかき分け引っ張り出すと、敵のものか本人のものか分からぬほど全身血まみれ。
だが、今のところ死んでは居ないようで、弱々しくはあるが息はある。
「……ガム……じぃ……ど……」
「あ? 何だ?」
ガムジャム爺さんはどこだ? と、掠れた声での言葉。
俺は他の生存者達を集め、寝かせ、簡単な応急措置をしながら楼閣主の老いた亀人の姿を探す。
倒れた物見櫓の下から見つかった亀老師ガムジャム爺さんは、甲羅に守られた胴は無傷だが、やはり両手足に幾つもの槍で刺された跡がある。けれどもその半分は既に治り始めて居た。
「おい、ハディド、ガムジャム爺さんだ」
「お……お、助かっ……」
さらに弱々しくなったハディドの口を手でそっと閉じさせながら、ガムジャム爺さんは何やら呪文らしき文言を唱える。
その呪文に応じて霧のようなものがぶわっと広がると、ハディド含めた周囲の怪我人達へと降り注ぐ。
幾人かはそれを受けて顔色や呼吸が良くなり落ち着いて来たが、それでもまだ容態の良くない者も多い。
生き残りは思ってたよりは居たようで、崩れた天幕の下や、死体の山の中、また何カ所かの地下壕に隠れて居た連中も、ガムジャム爺さんを中心に集まり出す。
爺さんは集まった連中へとゆっくりながらも次々と治癒術を使い、僅かながらも回復をさせ、治癒術は使えずとも怪我のない奴らは、ガムジャム爺さんを手伝い、救助や手当てをしている。
「マジュ……ヌーン……」
そう、背後から声を掛けられ振り返る。
そこには、白に近い灰色の毛並みを真っ赤に染めた背の高い犬獣人と、その犬獣人に背負われた、かつては立派な角だっただろう残りが頭に生えた鹿人。
鹿人のレイシルドはかなりの重傷。何せ膝から下の右足首が半ば潰され、千切れている。
「……マジュヌーン、のう……農場へ……行け」
地獄の底から響くような、ゾッとするような声音。何よりその言葉の内容も、俺の嫌な予感を増幅させかき乱す。
「指揮官らしき……巨人が言ってました。“次は農場だ”……と」
背負ったレイシルドを地面に下ろし丁寧に寝かせつつ、ルゴイが続ける。
「マハと……ムーチャが……先行して、向かって……る……急げ……」
その言葉と共にレイシルドは意識を失うが、その後を確かめる暇もなく、俺は再び走り出した。
▽ ▲ ▽
頭の中には、幾つもの嫌な予想と嫌な予感が浮かび上がり、混ぜ合わさり、ぐるぐると渦巻いては溢れ出してくる。
止めろ、よせ。
誰に対してかも分からぬ制止の声。口から溢れる事のない幾千幾万もの言葉、叫び。
緩い坂道を飛ぶように駆けさせられる甲羅馬は、無理な追い込みで疲れ果てている。それでも俺は手綱の力を緩めない。
脳裏に浮かぶのは先程の“砂漠の咆哮”野営地の様子。
サーフラジルの山火事騒動で混乱していたとは言え、強者揃いの“砂漠の咆哮”の野営地を、どうしたらあそこまで完膚なきまでに叩きつぶせるのか?
それは分からん。今、分かるのは……とにかく急がなけりゃならねぇッて事だ。
野営地からの距離はそんなに離れてねぇ。甲羅馬なら一刻もしない。
だがその僅かな距離が、永遠にも長く感じられる。
近づくに連れてやはり強くなる、野営地同様に血と煙の匂いに……今度は多数の人の気配。
激しい争いの様子はない。だが、野営地から立ち去った兵達の何人か、いや何部隊かは、まだ農場に残って居るのが感じられる。
まだだ。まだ、間に合う。
そう考え、即座にまたそれへと返す別の声がする。
間に合う? 何に?
その問いへの答えは無い。いや、その問いへと返せる答えは無い。
俺は再び甲羅馬を走らせて農場へと急ぎ───天地がひっくり返る。
瞬間、何が起きたのかの理解が出来ず、こんがらがり茹だっていた頭がさらに混乱する。
だが猫獣人ならではのバランス感覚で身体をひねり、くるり半回転して四つん這いに着地。そこへ数本の手槍が投げ込まれるのを事前に察して転がり避ける。なだらかな登り坂、まばらな低木と岩のあるの荒れた道。隠れる所なんざほとんどないが、その低木のあいだに張られたロープに足を取られた甲羅馬は、勢いよく転倒して首の骨を折ったらしく、奇妙に捻れて痙攣している。
手槍を投げたのは当然、リカトリジオス兵の一隊。一班五人、二班合わせて十人一隊のリカトリジオス軍編成の十人隊が、周りの岩陰から現れ規律正しく整然と俺を取り囲み出す。
突き出された幅広い短刀と構えた長盾。投げ槍の投擲からの隊列での制圧を得意とする、帝国流でお馴染みリカトリジオスの盾兵部隊だ。
その真ん中には長身痩躯の犬獣人。兵装からしてもこの隊の隊長。そして痩せ身ではあるが貧相じゃねぇ。重すぎる筋肉は無いが鍛えられた肉体だ。
「また“血の決闘”でもするか? だが、テメーらに構ってる暇はねぇんだよ」
ここにどんくらいの部隊が来てるか。そんなのは分からねぇ。だが、どんだけの部隊が来ていても、ここで足を止めるワケにはいかねぇ。
右手を上げる隊長らしき犬獣人。短毛で鼻先のシュッとした黒ブチまだらな外見は、“不死身”のタファカーリによく似てる。つまりは多分、奴と同じリカイオス族の者だろう。
それを合図に隊列を組んだまま兵士たちがにじり寄る……かと思いきや、そのまま静止。何だ? と思っていると、
「マジュヌーンだな? 閣下がお待ちだ」
と告げてくる。
お待ちになられる筋合いもねぇが、今更引けるワケもねぇ。一瞥くれてそのまま見切ると、倒れた甲羅馬を置いて駆け抜ける。
遠目にも見える物見櫓は、リカトリジオスからの難民キャンプと、そこからやや離れた猛き岩山の野営地のものそれぞれで、キャンプは完全に燃えて壊滅状態。猛き岩山の岩山野営地では、どうやらまだ戦闘が続いている気配だ。
だが、悪いが今はそっちに関わっては居られねぇ。
そのまま横を突っ切ると、畑を抜けて家の前の広場。
そこに見えるのは整然と隊列を組むリカトリジオス部隊に、巨漢の姿。
一人は犀人のダーヴェ。もう一人は……食人鬼の大賀だ。
前世では静修さんのクラスメイト。学校の中じゃあ体育会系エリートのトップでラグビー部主将。大柄でいかつい外見をしていた前世から、この世界ではさらに大きな巨人の様な種族へと生まれ変わっていた。
猪口同様、三年前、クトリアの下水道で化け物ドラゴンと死闘を繰り広げ、なんとか撃退して以降初めての対面。
その大賀が、立ち尽くすダーヴェと並んで俺へと視線を向ける。
「ハッ! 俺の負けだ」
「何?」
「賭だ。俺はお前が間に合わない方に賭けた。だが、シューはお前が間に合うだろうと言っていた。イーノスは詰めが甘い、最後にどうせお前にしてやられる……とな」
ぞわりとする、あの嫌な予感。それが腹の底から膨らみ湧き上がる。
「間に合うと、何か俺にご褒美でもあるのか?」
「ああ、あるぜ。仲間の死に目に会える」




