3-144.マジュヌーン(77)静寂の主 -ふりむけばカエル
「……いや、まあ、お恥ずかしい話でありますが……」
手にした小奇麗なハンカチで汗を拭いつつそう弁明するのは、バールシャムの河川交易組合の組合長のキオン・グラブス。以前から結構むっちりとした肉付きのややふくよか……肥満体だったが、今はその当時よりも肥えてきてる。
「……何と言うか、とにかく忽然と消えてしまったのですわ」
それは一体どういうことだ? と詰めたところで、出てくるのはその曖昧な話だけ。
監獄島は広い広い河の中洲の島の一つに作られている。
地盤も緩いし、強固な石壁とはいかないが、島全体を高い上に返しまである木の柵で三重に囲われ、見張り塔も各所にある。
木登り得意な猿獣人ならまだしも、ただの南方人のティドや人間、せいぜいが獣人との混血の川賊連中にはそうそう逃げられるモンじゃないと言う。
実際俺も、ちょっと遠目に見せてもらったが、それでもあの高さはどう考えてもよじ登ったり飛び越えたりできる高さじゃねえ。
例えば……そうだな……。
「……長いロープとフックを投げ……ひっかけて」
「返しがありますんで、登っても簡単には超えられませんわ」
「逆に穴掘って下から……」
「その手のものは見つかっとりませんし、実際それやったら、河の水で溺れ死にますわ」
「いっそ空でも飛んで逃げたか?」
「……アスバルはんみたいな空人が居たならあり得ますけども、それでもあの人数が監視塔の目をくぐり抜けて……言うのは、ちと考え憎いですわ」
元々この監獄島は、昔バールシャム近辺を支配していた海賊達の砦の一つで、しかもまさに奴隷の収容所として使われていたらしい。なので、外からの攻撃への備えより、むしろ中から逃げ出せないような構造になっている。
知識としちゃあ知っている、前世での重警備の刑務所なんかに比べりゃそりゃお粗末だが、この世界の基準でならば、魔法だの獣人種のとんでもない身体能力でも使われなきゃ、そうそう脱走などできない作りだろう。
「……まさに忽然と消え失せた……。そういうしかない状況なんですわ」
「……あの偽グリロドには仲間の邪術士が居て、そいつが外から手引きをした……てなのはあり得るか?」
「単に脱獄の手段がどうだったかという点で言うのであれば、確かに今まであげた中では最も可能性のあるものでしょうなあ」
そう、可能性で言うなら多分一番ありえる話だが、偽グリロドに仲間がいたかどうか……そこに関しては単なる思いつきだ。
「ティド達はあの偽グリロドのことについちゃ何か言ってたのか?」
「偽グリロド……クトリアのシャーイダールたら言う邪術士の事は、誰もようは知らんようでしてなあ。ティド含めてあの手下達にも分かっていたのは、とにかくクトリアから逃れて来たと言うことと、邪術……特に呪いの類に長けていた……言う事くらいですわ」
実際のところシャーイダールというのは個人名じゃなく組織の名前。そしてあの偽グリロドは、実際には自称シャーイダール、その名を騙っていた偽物だが、その辺の詳しい事情を他の奴らは知らない。
あの一件の後、俺もアルアジルに偽グリロドの詳しい話を聞いてみようとしたが、あいつにとっても「多分、他のシャーイダールの誰かの弟子か何かだろう」ぐらいのことしか知らないと言う。面識はなくはなかったが、詳しい背景などは全然知らないという。
そういう元シャーイダールや、あるいはその弟子、関係者連中の邪術士が、各地に隠れ潜み悪事を働いている、繋がりがある……というのはあり得なくはないが、情報が何もない以上そこから手繰るのは難しい。
「今更、こないなことお願いするのも心苦しくはあるんですが、その、もしできれば、そちらさんでもをティドの行方を探ってみてくれませんか?」
やはり脂汗を拭いながら、横に大きな体を小さく縮こまらせ組合長キオンが言う。
「監獄島を抜け出して、ただ遠くに逃げてるだけならまだしも、復讐なんか企まれちゃあたまったもんじゃない……ってとこだな」
「お恥ずかしい限りで」
その辺は俺も組合長も立場は同じだ。ティドは性根のねじ曲がった小悪党で、長年仕えていた組合長に表向き忠誠を誓いつつも、腹の底では軽蔑し、逆恨みをしていた。
その点で言やあ逃げ出して真っ先に復讐しそうなものでもあるが、一時期は我が世の春を謳っていたティドを、直接的に破滅へと追い込んだのはむしろ俺の方。
長年の恨みと強い恨み。奴がどちらを優先するかはわからねえ。
願わくば、河で溺れるかワニにでも食われて死んじまっててもらえればありがてえが、そりゃ希望的観測ってやつだな。
あるいは、恨みを晴らすことよりも保身と命を優先して、どこか遠くへ逃げてってくれてるか……。
「分かったぜ。これから大事な式があるって言うのに、余計なケチはつけられたかねえからな」
俺はひとまずそう答えて、河川交易組合の応接室を後にする。
後に残るのは、その応接室のソファーにも大きすぎる横幅を縮こまらせてる組合町キオンと、ティドの後に昇進した護衛だけだ。
△ ▼ △
そうは言ったものの、正直どっから手を着けて良いものかさっぱり分からない。一応、監獄島の中にも入れてもらって、怪しげなところを調べてみたが、確かに中からどうにかして抜け出したと思える痕跡は見つからない。
忽然と消えたとしか言いようがない……という、キオンの言葉を裏付けするようなことばかり。
それから、逃げ出したティドとその仲間たちの類縁を探って聞き込みをするが、それらはすでに河川交易組合の警備兵たちが行なっている。
記録に残っていた調書も読んでみたが、改めて聴き直した証言にそことの矛盾はあまりない。
誰も新たな証言は持っていないし、何より奴らと関係したことを大っぴらにもされたくない、という感じだ。
つまり、庇い立てをしたり、逃げ出した奴らの手助けをしたりしそうな者は誰もいない。
バールシャムでの調査を切り上げて、その周辺の川賊たちの元隠れ家だった場所なども一通り探ってみるが、河川交易組合によって破壊され、まだ、封鎖されたそれらの隠れ家には、野生の獣や何匹かの魔獣が住み着いている他は何もない。何箇所かには淀んだ魔力の塊ができ、ちょっとした魔物の巣のようになってるところもあったが、そいつらは全部“災厄の美妃”の餌にした。
まったくもって完全な手詰まり。どっからどう調べていいものかも分かりゃしねぇから“闇の手”の聖域にまで顔を出してみるが、あいつらどこにも姿がありゃしねえ。そもそもあの廃都アンディルでの戦い以降、連中とは全く連絡がつかねえ。
何度目かに出向いた時に、聖域の奥にある、じめじめ湿っぽい泉だか水たまりだかみてーな所に、ゲコゲコ言う奴がいた。
何者かというと、猫背でまんまる、体長90センチぐれえの蛙人。獣人種の一種だが、まあ見た目完全に“直立歩行する蛙”そのものに見える種族。
「グェ、ワタ、ワタシ、は、“闇の手”の、薬師、だ。あ、主の、ため、く、薬、を作る、仕事……」
この“闇の手”の聖域には何度か来ているものの、自然洞を改装した複雑怪奇な構造で、内部は思いのほか広い。
正直全く見たこともない区画がまだまだたくさんあるはずだが、かと言って長居して探索したい場所でもねーから、全体の構造なんて全く分かっちゃいねぇ。
「アルアジル……他の奴らはどこ行ってンだ? 最近、とんと見かけねえぞ?」
そう聞くと、薬師を自称する蛙人は、グェグェと喉をならしてから、
「グェ、主さま、彼らのこと、ワタシ知らない。ワタシ、いつも泉か調合室。彼ら、外をウロウロ。ワタシ、中でケロケロ」
初顔合わせでこんなこと言うのもなんだか、確かに“闇の手”の連中はそれぞれにクセの強い連中ばかり。だがコイツの場合は、今までの奴らとはさらに毛色の違う妙な奴だな。
「……お前は、ずっと前からここに居るのか?」
「ワタシ、ずっと居る。ナ、ナガい、ナガいあイだ、泉で寝てる。起きる、薬作ル。疲れル、寝ル」
おそらく要するにこいつはこの泉を寝床としてて、薬を作るかここで寝るかをずっと繰り返しているということらしい。道理で今まで見かけなかったハズだぜ。
それからそいつは、ぴょんこぴょんこと跳ねるような動きで、泉のすぐ横にある毛皮のカーテンで区切られた奥の区画へと俺を案内する。
「ここ、ちょ、調薬室。この棚、完成品。主さま、好きなの、もって行く……」
薬といえば、俺は“砂伏せ”達の作ったものを常に携帯している。シンプルな傷薬もあれば、痛み止めに下痢止め、また便秘薬といった丸薬もある。
“砂伏せ”達は基本的にはそういう一般的な調合薬を作る部族だが、量産は出来ずともいわゆる魔法薬というのも作れる。魔法薬というのは調合薬と違い、調合の際に魔力を使うことで、普通の調合薬よりもより高い、あるいはそれらはでは得られない不思議な効果を引き出すことができる薬だ。
普通に買うなら当然高価。より効果が高けりゃさらに高額になる。ストレートに値段と効能が比例してるワケだ。
「どんな薬があるんだ?」
蛙人にそう聞くと、
「コ、この棚、毒」
「毒……かよ」
「グェ、グェ、ワタシ、毒、得意。ワタシの、体液、毒、ある。それ、混ぜる、毒効果、高まる……」
う~え、マジか。
「痺れ毒、下痢毒、腐敗毒……コレ、は、目眩と悪寒の毒……、コレは、幻惑毒……そして、即死毒……」
グフェッ、グフェッ、グフェッ、と喉を膨らませながら笑っ……ているのか? とにかくまあ、嬉しそうだ。
「毒以外はねえのか?」
「ゲレ、ゲレ、ある。色、々。
これは、匂いを嗅ぐと、ス、すごく腹が立って、腹が立って、シ、仕方がなくなる、薬。コ、こっちは、逆。悲し、くなる薬」
なんだそりゃ? 役に立つのか立たねえのか、よく分からん薬だな。
「もっとフツーの薬はねぇのかよ? 回復薬とか、毒消しとかよ」
そう聞くと、蜥蜴人のアルアジル以上に表情の読めない蛙ヅラを何やら歪めて、
「……ある、けど、そ、そんな、つまらない、薬、は、主さま、相応しく、ない」
どーゆー基準だ。一番必要だっつうの。
その後も、その蛙ヅラのたどたどしい説明を聞きながらいくつかの薬を見定めていると、そいつの作るへんてこな薬の中でも、かなりへんてこだがちょっと面白いものが出てきた。
「その……降霊薬……ってなあ何だ?」
前世の感覚で言葉通りに解釈すると、イタコだの霊能者だの、目に見えないはずの幽霊や亡霊を呼び出す薬……てな風に考えてしまいがちだが、この世界だと意外と幽霊だの亡霊だのってのも、けっこう普通に見えたりするんだよな。
なんでもああいうのは霊と魔力が結びついて半実体化しているもんらしい。
何にせよ俺にはよく分からんその降霊薬とやらの効果を蛙ヅラに聞くと、なんとも意外な答えが返って来た。
△ ▼ △
降霊薬は基本的には生き霊を擬似的に作り出せすことが出来る……てなものらしい。
ただし、対象の霊的な残り香みてーなものを見れるようになるだけだと蛙ヅラは言う。
まず、対象の持ち物か肉体の一部を用意する。
特に、常に使っていたものや、愛着のあったものが望ましい。
で、そいつにこの降霊薬をぶっかける。
そうすると、その持ち物に残っていた霊的な残り香と混ざり合い、持ち主の擬似的な霊を作り出す。
そいつは霊的なリンクで本人と繋がっていて、本人と会話をするように話を聞き出せる。ただ、複雑な会話は出来ないし、本人の知らないことは答えられない。また、本人に聞いても答えないだろう事柄にはやはり答え渋る。
要は、本人の居ない場所で本人に尋問が出来る様になる薬だ。
持ち主が死んでたらどうなるのか? てーと、一応それでも降霊出来るらしい。ただ、生きている場合より不鮮明で応答もし難い。死霊とうまく交流したいなら、死霊術士になるしかないとか。
まあ、そんなイカしたイカれ魔法薬があるってンなら、使わねーって手はねえぜ。
貴重な原料が必要だからそうそう簡単には作れないという蛙ヅラからそいつをいただき、一旦またバールシャムへと取って返してティドの愛用していた剣を預かってくる。
蛙ヅラに言わせると、本当は身体の一部……爪とか髪の毛とかがあればより良いらしいけどよ。あの雑居牢に落ちてたそれの、どれが誰のだかなんて分かりゃしねーぜ。
それから、聖域で蛙ヅラの指示通りに薬をふりかけ様子を見ていると、モクモクと立ち昇る煙が次第にぼんやりと、あのハゲ親父の面へと変化していった。改めて見ると、アイツ、ちょっとカエルっぽい顔してたな。
「マジで出てきたぜ。すげーな」
「グへヒヒへ、コイツ、猿獣人じゃない、のに、猿獣人みたいな、顔。グエ、グエ」
何がツボったのか、変な笑い声を上げる蛙ヅラ。いや、お前にも似てるぞ。
「で、コイツに質問すりゃ良いのか?」
「もう少し、形が、と、とのった、ら、聞ける。グエ、グエ、ポー」
やや小躍りするみてーな動き。何か妙にテンション高くなって来てるな。まあ知るか。
顔かたちもある程度ハッキリしてきて、ティドの姿をしたもやだか煙だかは、何やら呻き声を上げる。
「おい、ティド。聞こえるか?」
声をかけても唸るばかりで反応はない。
「反応ねえぞ?」
「グエフヘ、もっと、脅して、ど、怒鳴りつけると、良い……」
蛙ヅラの言うままに、俺はティドの姿をした煙相手に大袈裟な怒声をあげて呼び掛ける。
ばかばかしいとも思いつつ、だが煙はまさにビクリとでも言うかに反応し、まるで怯えるみたいにゆらゆらする。
「おい、ティド。てめー、今どこに居んだよ?」
とりあえずストレートにそう聞くと、よく聴けば僅かに言葉になってる呻き声。
「……く、ら……い」
「ああ?」
「……くら……い。ここは……暗い……いやだ……暗い……」
俺に答えていると言うより、ただ周りの状況を漠然と言葉にしている……そんな感じだ。
「おい、これで大丈夫なのか」
「グフェフェ、コイツは、い、いま、怯えてる……こ、降霊薬では、普通の会話、より、心のウチが、ハッキリ、分かる……グフェッ、フェ……」
何だか楽しそうだが、だとしたら絶対に俺には使われたく無いな。
まあ良い、とにかく続けよう。
「ティド、てめーどうやって監獄島から逃げ出した?」
蛙ヅラの言うように、またも脅しつけるような口調で聞くが、
「……く、暗い……怖い……。嫌だ……俺は……何も知らない……そんなの……何も……知らねぇよ……」
と喚くばかり。
確かに怯えちゃ居るようだが、どうも様子がおかしい。そもそも俺の質問とかみ合ってる感じがしねぇ。
いや、それどころじゃあねえ。次にコイツは、突然妙な事を言い出した。
「知らねぇ、だから、お、俺は何も知らねぇよ……! だ、誰が……裏切り者か……誰が……奴を裏切ってるのかなんて……俺が知るワケねぇだろ……!?」




