3-136.クトリア議会議長、レイフィアス・ケラー(64)「男子校生マインド強過ぎ」
指名する相手に右の拳を突きつける。
それはこのカーングンスの“血の試練”における一つの作法だ。
もちろん試練の相手となることを名乗り出た相手の中から、だが、これにより試練の挑戦者は、自分のその時の体調や状態によって取捨選択をすることができる。
先ほどマーゴ達から、“血の試練”はあくまで根性試しだ、と言う話を聞いたが、言い換えればつまり、指名した試練の相手がそもそもこちらを認めているのなら、言葉は悪いが出来レース、試練を通過出来るように上手くやってくれたりもするワケだ。
それらも含め、アダンの最後の試練の相手として、この猪人は最悪。どう考えても上手くやってくれるどころか、全力で邪魔してくるだろうし、その気が無くとも破壊力がヤバい。
「ちょっ、待って! 待って! アダン!」
その猪人をご指名したアダンを慌てて呼び戻す僕ら。
「ちょっと……その、何? 何があったの!?」
「何故あいつを選んだ? まさかお前……殴られるのが好きな奴か!?」
「ちげーよ!! んで、分からねーよ、自分でもよ!? 俺だってきちっと考えて、アルークに拳を向けるつもりでいたんだぜ!? なのに……気がついたら、何故か左の……猪人の方を向いたんだよ!!」
僕とエヴリンドのその問いに、慌てて返すアダン。
つまり……手だけが勝手に、アダンの意志に反して動いた……と?
だけど、魔法を使えば呪術師達にも僕らにもバレるはずだ。
「ちょっと待て……ううむ……そうか、やられたな」
ドワーフ合金兜の面を下ろして何やらそう言うイベンダー。
「レイフ、お前もその眼鏡で、微量の魔力痕を探ってみろ」
言われて眼鏡のモードを変える。変えてうっすら浮かび上がるのは……糸状の痕跡……?
「……魔糸か」
大蜘蛛アラリンの魔糸もそうだけど、魔力を込めた糸の魔糸には、込める魔力により様々な効果がある。
その糸に魔力の働きを含めて隠蔽する効果を付与されていると、他の術士にも見つかり難くなる。
それで服や装身具を作れば気配隠しの効果の高い魔装具が作れるが、今回は糸そのもの、またはせいぜいが紐にしたものを、誰にも気付かれずにアダンの腕に引っ掛け……腕の動きを変えた。
「あのとき地均しをしてたリカトリジオス兵がいただろ? 多分その中の誰かだ。
そして、今更そんな事を指摘しても、魔力痕もわずかしかなく、おそらく現物ももう消しただろうしな」
「リカトリジオスは魔法を使わない……。そう思いこんでた僕らのミスだ……」
予断、先入観故の見落とし。
「……で、どーすンよ?」
腕組みしながらJBが唸る。
「……今から変えてもらうとか……は、やっぱ……」
「無理だろう。ここでそんな真似をすれば、カーングンス達からの信頼は地に落ちる」
ダミオンの言葉に、憮然としながらエヴリンドがそう返す。
「……ま、しゃーね~な。とりあえずやるっきゃねーべ?」
肩を回して立ち上がりつつ、軽い調子で言うアダン。
「とりあえずは死ぬなよ」
「死なねーよ!」
「その……まずそうなら、途中棄権しても、良いんですよね?」
「しねーよ! あ、いや、するかもしんねーけど、まあ、そりゃ最後の手段だ」
「まずは最初の一発だ」
つい、と、イベンダーがアダンへと歩み寄り、その両手をぐっと握り締める。
「最初の一発で、だいたいの事は分かる。そこから先は、お前さんの読み次第だ」
「お、おう」
固い固い握手のように、力強く両手で握り、さらにそれを振る。
「おお、わ、分かったよ! 何だよ、辛気くせーなあ! お前ら、もっと俺を信頼しろ!」
振り解くようにイベンダーの手を放し、勢い込んで身を翻して広場の真ん中へ。
そのイベンダーは、アダンから離れると、素早く後ろに下がりつつ、マーゴ達に何やら耳打ち。
「……ね、何話したの?」
「なあに、アダンの勇姿をじっくりとよぉ~ッく観ててくれ……と、お願いしていたのよ」
「何だよ。ま、そりゃああのええ格好しいの馬鹿は、女に注目されてるとなると普段以上の力出すけどなァ」
男子校生マインド強過ぎだよなあ、アダン。
「おぅっしゃ! いいぜ、いつでもよ!!」
その男子校生マインド丸出しで気勢を上げるアダンに、盛り上がるカーングンス達。そしてニヤリとでも言うかに口の端を歪めてから、やはりいななき咆哮を上げる猪人。
「……よかろう! では、“血の試練”の10人め、始め!」
椅子に座りそう宣言するカーングンスの族長、アーブラーマ・カブチャル・カーンの宣言と共に、アダンの最後の試練が始まった。
◇ ◆ ◇
「もう……」
剛毛に覆われ、それでいて指の一本一本までがむっちりとした筋肉に覆われたかのような太い拳。
「……いっっっっっ……」
弓を引き絞るかのように体を反らし───。
「……ッッッぱぁぁぁつッッッ!!」
放たれるのはまるで大砲。
鉄拳……なんて言葉があるが、これは鉄の拳ところじゃない。
天に放てば天を穿ち、地へと向ければ岩をも砕く。多分、技術もへったくれもありゃしない。ただただ、己の筋力のみに頼った、スーパーナチュラル総天然物の拳だ。
食らうアダンはまるで枯れ木。上背はあるがひょろりとした印象のある体格と相まって、まるで今にも折れてしまいそうだ。
が……。
試練に失格する条件は、足の裏以外の体の部位を地面につくこと。ある意味相撲と同じだ。
どんなに強く激しく殴られても、とにかく膝を折らず、倒れず、その場に立ち続ける。
アダンは枯れ木ではなくいわば柳。しなやかで柔軟な動きで、ゆらゆらと揺れつつも折れることはない。
周りからは、赤壁の渓谷をどよもすかのような歓声が湧き上がっている。
恐らくは誰もが最初の一発を受けた時に、吹き飛ばされ、倒れ、地に伏すアダンを想像していた。
だが既に今ので六発目。
僕なら最初の一発どころか、この猪人のデコピンだけでも撃沈してしまいかねないほどの威力の拳を、既に六発も受けている。
目は腫れて鼻血は吹き出し、顔の皮膚も何ヶ所もが破れ、そして腫れている。
半ば原形を止めぬアダンの顔だが、しかし僕らへの向けて拳を突き上げながらもニヤリ……と、不敵に微笑んだ つもりだろう表情を向ける。
歓声を上げるカーングンス等とは異なり、僕らの方は皆一様に押し黙り、息を呑みながらそれを見つめ続ける。いや、見つめ続ける以外に何も出来やしないのだ。
「……大した奴だ」
誰に言うでもなく……というより、おそらく口にするつもりすらなかったであろう言葉をエヴリンドがぼそりと漏らす。
「ああ、大した奴だぜ、あの野郎はよ」
僕らの中では最も付き合いの長いJBが、そうまたぼそりと呟き返す。
ただ、ひたすらに殴られ続けている。それだけだ。
体育会系の根性主義。考えようによっちゃあただのパワハラ、いじめ、可愛がりの集団リンチとしか言えないような状況。
それだというのに、今この場においてのアダンの姿は、何よりも気高く、誰よりも美しく、まるで崇高ささえ感じさせるほどだ。
「いや~、さすがさすが。なかなかやるじゃねえか」
拳を撫でさすりしつつ、猪人がそう言う。言葉面は誉めているが、明らかに舐めた響きの声。
「そろそろ俺も、もうちっとばかし気合い入れてみっかな~……ッと!」
猪人はそれまで直線、つまりはストレート一本だったのが、右腕を外側から弧を描く軌道のものに変え……アダンの左頬へとぶちかます。
再びの鮮血。左眉の上が切り裂かれ、夜の暗闇と篝火の灯りに影を彩る。
「……野郎、やりやがった!!」
JBが鋭く毒づく。
「え? 何を!?」
「右フック……に見せかけて、肘で眉の上をカットした! ボクシングでもやられる、セコいが効果的な反則だぜ」
周りのカーングンス達に気付いてる様子はない。鮮血もただの不運。そう見られてるだろう。
だがそうじゃない。恐らくは狙ってのものだろうとJBは言う。
「後の三発、全て右が来るだろうな」
「ああ。血止めも治療行為だから今は出来ない。流れる血で目潰し、死角を作ってアダンが防御術を使うタイミングを奪う腹だ」
「……それ、全部計算なんですかね?」
驚異的な戦士だが、オーク同様に所謂「脳筋突撃バカ」だと言われる猪人。
ここまでもただ力任せに拳を振り回すだけの、「威力はあるが単調」なものだった。
……これまでは。
アダンが耐え続けていられるのも、さっきイベンダー達が言ってたように、まさにアダンからすれば、拳を受けつつダメージを最小限にするテクニックを存分に使える、「相性の良い」相手だからでもある。
だが、こういう卑劣なワザを使う……使える相手となると、話は変わってくる。
「仕掛けてくるぞ」
エヴリンドか鋭く言うと同時に、今度はコンパクトな……左ジャブ?
しかも死角になってない右目側で、アダンはよろけつつもきっちり受けて耐える。
そこへ、間髪入れずの右ストレート!
ボクシングで言うところのワン・ツー。
アダンの意識は完全に左ジャブに持って行かれつつも、それを耐える為の防御術でしっかりと受けていた。
その死角……つまりは、物理的に視界に入らないという意味の死角と、このタイミングで続けざまに来るとは思ってなかったところへの意識の死角。
二つの意味での死角から、ど真ん中への一発。
「アダン!?」
ぐらり、と崩折れるアダン。だが……なんとか踏みとどまり膝はつかない。
「……まだまだ、ゲンキイッパイだぜ……」
明らかな虚勢、ハッタリ。それでも……。
「目は、死んでない」
そう、エヴリンドの言う通り、まだ目は死んでない。
わずかに、わずかにだが猪人の態度が変わる。苛立ちか、これで決まると考えていたが故の焦りか。
それまでの余裕ぶった仮面が剥がれ落ち、再び勢い込んで、テクニックもなにもない大振りの拳が、よろけて体勢の整ってないアダンの頭上から振り下ろされ───。
「あれはマズい!! あの体勢で頭上からの打撃には対応出来ないぜ……!!」
───光った。
閃光、そして魔力の爆発するかのような衝撃……。
その中心に立ち尽くすアダンに、まるで弾き飛ばされたかに尻餅をついた猪人。
「……やりおった!!」
小さく叫ぶのはイベンダー。
けどこれ……。
「魔力だ!?」
「魔法を使ったぞ!?」
「“血の試練”が汚されだ!!」
ざわめき、どよめくカーングンス達。彼らの視線は僕らとリカトリジオス双方に同等に注がれている。
その中で、さらに注目を浴びる存在が───。
「ザルケル……」
呪術師長、壮年で地黒のカーングンス男性。この部族の中で魔術や錬金薬、治癒術などを取り仕切る人物。
「何が起きた? 裁定せよ」
族長、アーブラーマ・カブチャル・カーンからのご指名。
何が起きたのか? 僕にもまだ分からないそれが、どう裁定されるのか……?




