3-118.マジュヌーン(70)砂漠の砂嵐 -裏切り者のレクイエム
「……き、貴様、アルアジル!?」
ゴリラによく似た猿獣人のムスタにより、危うく生き埋めにされかけた砂の山から引っ張り上げられた時に、死霊術師がそう叫ぶのが聞こえる。
「おや、これはこれはお久しぶりです。いかがですかその後……? お変わりないようで」
憎しみに満ちた死霊術師の声とは真反対の、ガラガラとざらついた声の調子に無感情な平易な喋り。
「……あいつら知り合いか」
深く息を吸って吐いて整えつつ、俺を支えるムスタにそう問うが、
「さあな。知らんし興味もない」
とにべもない返事。
仮面の死霊術師があの仮面の正当な所有者……つまりはアルアジルと同じく、元“王の影”の一員なら、旧知の仲でもおかしかねぇ。
だとしたら……問題は、この出会いが偶然かそうじゃないのか……そのことだ。
「貴様はもともと信用ならぬ者だった! 王が貴様を王の影として取り上げると言ったとき、最後まで反対しなかったが我が不覚……!!」
絶叫するようなその糾弾の声。それと同時に奴が手にした赤い髑髏の杖を振りかざして何事か呪文を唱える。
まずは地面から立ち上る例の黒い煙。それが何体もの大きな闇の蛇のようになり、アルアジルへと躍りかかる。
それに対しアルアジルは、避けようと体を動かすこともなく、ただ指の先をす、す、す、と動かす。すると、まるで目に見えない壁に阻まれるかのようにして、闇の蛇が弾かれる。
その弾かれた闇の蛇は、今度は再び動かされたアルアジルの指の動きに応じて、うねうねとまとめ上げられさらに巨大な一本の蛇のようなものとなり、俺へと向かってきた。
痛みと大量の出血でめまいがするほど衰えた俺だが、体重の全てをムスタへと預けると、すべての力と意志力を右手に集中してその巨大な闇の蛇を“災厄の美妃”で切り裂く。
切り裂くと同時に、そいつに込められていた魔力が“災厄の美妃”へと吸収されるのがわかる。
怒りの声とともに発せられる命令に、重戦車食屍鬼とその他の食屍鬼たちが反応する。
アルアジルへと殺到する食屍鬼の群れを、背負っていた巨大で不格好な金属のハンマーで粉砕し蹴散らすムスタ。
そのムスタでも、重戦車食屍鬼とのタイマン勝負は容易じゃない。
俺を乱暴に地面へと突き放すと、ムスタは旋風のようにロングハンマーを振り回す。
その数撃で、残っていた雑魚食屍鬼と変異食屍鬼の頭をかち割ったものの、重戦車食屍鬼の超ヘビー級のパンチを正面から食らった。
ムスタの巨体が地面から浮き上がり数メートル後方へと吹き飛ばされるのは、なかなかに信じられない衝撃的な光景だが、重戦車食屍鬼の巨体怪力からすりゃ当然にも思える。
だが、吹き飛ばされ砂地に背中から落ち倒れたムスタは、その勢いのまま後方に一回転し素早く起き上がる。
「……グフフフ……フハハハハ……ッ!」
アールマールでいた時にはほぼほぼずっとふてくされたようなむっつり顔だったくせに、突然そう大声を出して笑い出すムスタ。強烈な重戦車食屍鬼のパンチは両手のゴツゴツした金属の長柄のハンマーでガードをし、さらにはその勢いを殺すため、自ら後ろへと飛び退いたようだ。
「ハーハッハッハッハッ!!」
「ウゴォウアアアァァァッ!!!」
楽しげなムスタに対し、死霊術師を乗せた重戦車食屍鬼は苛立ちと怒りの叫びを上げながら、落とされまいとその背にしがみつく死霊術師の事などお構いなしにムスタへと走る。
お互い攻撃速度は遅い。だが、一発が重く破壊力も絶大。
重戦車食屍鬼の拳とムスタのロングハンマーがぶつかり合い、火花を散らすかのような打撃戦。
パワーも体格も重戦車食屍鬼の方が上だ。だがムスタの奴はああ見えて、かなりきっちりとした戦闘の訓練を積んでいる。
その技術戦術の差が、じわじわと重戦車食屍鬼を追い詰める。何より、ハンマーの如き巨大な拳を、ムスタのロングハンマーが殴り、抉り、突き、払いしつつも、確実にその形を変えんばかりのダメージを与え続けてる。
そこへ……飛来するのは赤く燃える数本の矢。
そのうち一本が重戦車食屍鬼へと当たり延焼し、別の一本はムスタの足元すれすれへ。
「青狐め! 邪魔立てするな!!」
矢の射手であるフォルトナへと激しく悪態をつくムスタ。
「これは失礼。あまりの醜さ故に食屍鬼かと」
「次にそのひょろひょろのしなびた矢が俺のところに来たら、貴様の首を吹き飛ばすぞ!」
こいつらの顔合わせを見るのは初めてだが、予想通りと言うか予想以上に仲悪ィな。
だが、フォルトナがこっちに来たってことは、タファカーリとその親衛隊たちとはケリがついたのか? とあちらを見ると、無数の死体の重なる中、あと僅かとなった食屍鬼の群れを相手に一人大刀を振るう巨漢の姿。
「うらなりめ、あの程度の敵、決着もつけられんのか!」
重戦車食屍鬼の拳を捌きながらムスタが怒鳴るが、
「おや? ここで我が極炎の供物としてもよろしいのですかな?」
と、またもあの調子ですましてやがる。そう返されたムスタの方も、白けたのか呆れたのか、「ふんッ!」と大きく息を吐いて押し黙る。
「さて、それではここで、別の妙技をお見せいたしましょう」
フォルトナはそう言いながら仰々しく一礼をすると、再び弓に矢をつがえ狙いを定める。放たれたそれは寸分違わずに、半ば暴走するかに大暴れをしている重戦車食屍鬼の背に乗る死霊術師の、血のように赤い髑髏の装飾がつけられた杖を握る右手へ。
死霊術師は「あぁッ!?」と 小さく叫ぶが、射られた手からは血の髑髏の杖かぼとりと落ちる。
落ちたその杖を、悠然とした足取りで近づいて手に取るのはアルアジルだ。
「血晶髑髏の杖……なるほど、かつてのアンディル王族のものを使いましたか。なかなかの出来生えですな」
「き、貴様……! 裏切り者がそれを手にするなど許されんッ!!!」
虚しく響くその声に、今、取り合う者は誰もいない。しかしまあ、これはまた興味深いことを聞いたぜ。
「私の仕事はザルコディナス三世の護衛でも復活でもなく、神代の、神々の遺物を研究、また再現することでしたからね。まあ、貴方が未だにあの愚物に忠誠を誓うというのであれば、それはご随意に」
アルアジルが言うには、王の影として選ばれた何人かの邪術士たちには、それぞれに異なる専門分野があり、それに応じて役割も仕事も違っていたと言う。
今の会話、口ぶりからすると、この死霊術師の担当は、本来は食屍鬼を支配することではなく、 ザルコディナス三世の不老不死の研究か、死んだ後に現世へと復活をさせること……だったんじゃねーかな。
その不老不死研究の為の王の影は、杖を奪われ、さらには挑発をされて怒り心頭。
暴れる重戦車食屍鬼の背から転がり落ちると、這いつくばったまま再び呪文の詠唱を始める。
溢れる闇の魔力が辺りを渦巻き、 さっきまで生きていたタファカーリの親衛隊から、一度死に食屍鬼と化して、さらに魔力を失い動かなくなった死体まで、無数の物言わぬ躯が再び動き出して戦線復帰。
ただし、今は死霊術師の命令しか聞かない操り人形として……だがな。
「ほほぅ、これほど大量の死体を、儀式も強力な術具もなく、詠唱だけで一度に動く死体化し支配下におくとは!
いやはや、『お変わりなく』などと 言いましたが、以前とは比べ物にならないほどの力をつけましたなぁ……!」
感心してるのか嫌味なのかよく分からねえ調子のアルアジルだが、脅威って意味じゃ確かに脅威。
元となる死者の能力や術師の腕にもよるが、一般的には死霊術師が呪文で作り出す動く死体の操り人形は、食屍鬼みてえな邪神の呪いで不死身の化け物になった連中より、個体としての能力は低い。だが、数が数だ。
この一手で完全に、数の上での戦力差は死霊術師の一人勝ち。
すでに孤軍奮闘のタファカーリ。それぞれに凄腕とは言えたった4人の俺たちと、今動けるだけで20から30近くの動く死体を従えてる死霊術師。
普通に考えりゃ絶体絶命。だがアルアジルとて王の影とされる術師なワケだ。何かしら隠し玉の秘術はあるはず。
「おい、手はねぇのか?」
「それは勿論」
「なら、そいつを出せよ」
「貴方の右手に」
視線の先は“災厄の美妃”。
「本気か」
「まさか、出来ぬとお思いで?」
とぼけた蜥蜴ヅラのまま答えるアルアジルは、例の髑髏の杖を使ってにじり寄る動く死体を叩いたり押したりしてはいるが、一発逆転の秘術を使う気はまるでなさそうだ。
糞、そう言う腹かよ!
両腕は切り裂かれて血塗れのズタボロだ。失血もあるが、魔女食屍鬼の攻撃で生命力だか何だかも奪われ疲弊してる。
だが……俺の右手と、握り締めた“災厄の美妃”は、ただ手にして握っているってだけじゃあねえ。何かしらの繋がりがそこにあり、“災厄の美妃”から俺の身体へと妙な力が注ぎ込まれているのもハッキリ分かる。
コイツは厄介な呪いだ。
破滅と死と災厄を呼び込む類のシロモノだ。
だが、今ここでこの状況では、この“相棒”に命を預けてやるしかねえ。
しゃーねえ、いくぜ相棒。
俺は“災厄の美妃”を握る右手に意識を集中させる。すると、それに応えるかのように“災厄の美妃”から俺へと流れ込む妙な力が増幅された感覚。
───歓んでやがる。
戦いに? 破壊に? 多くの魔力を吸い取れる機会に? あるいは……?
いや、今はそんな事ぁどうでもいい。今はそんな考えより、目先の敵に集中しなきゃだ。
“災厄の美妃”からのドーピングで得た力をフルに発揮し、蠢く死体どもを切り刻む。
魔女食屍鬼も動く死体化して再び蘇っているものの、ガワが同じでももはや別物。ただの小さく非力な操り人形だ。
斬る、刺す、殴り、蹴りつけ、のしかかっては踏み潰し、抉り、貫き、再び屠る。
幾度となくそれを繰り返し、気がつけば暴走していた重戦車食屍鬼の頭上から、その頭頂部を貫いた“災厄の美妃”で、頭蓋を抉りその中身を辺りにぶちまけていた。
死霊術師は地面にへたり込むようにして這いつくばっている。
「ア……アルアジル……、貴様、まさか、それは……ほ、本物の……?」
喘ぐようなその言葉の意味するのは、つまりは俺の右手にあるものだ。
やや離れた位置では、タファカーリが満身創痍で立ち尽くし、
「……マジュヌーン、お主は……一体、何者なのだ……?」
と、呆然として吐き出す。
「……言ったろう? ゴミ拾いの猫獣人だよ」
“災厄の美妃”からの魔力も尽きたのか、或いはある種のバトルハイか。やや白濁したような気怠い意識と疲労感のまま、同じく立ち尽くしてそう答える。
「主どの、少々想定していたよりも時間がかかりましたな。申し訳ありませんが、我が下僕たちの砂嵐を維持する魔力が尽きたようです」
気がつくと、灰砂の落とし子の集合体による砂嵐が収まりつつあり、大量の死体と血の匂いが辺りを包んでいた。
陣営全体からも、多くの火の手と無数の死臭。すでに指揮系統も崩壊し、逃げ出しただろう奴隷たちの多くも姿はない。
「マジュー!」
「どこだ、間抜け野郎!」
やや離れた所から聞こえるのは、マハとムーチャの呼び声。
その声を聞きながら立ち尽くす俺の意識は、ゆっくりと重力に押しつぶされるかに沈んでいく。
「さて、我らはひとまず立ち去るとしましょう。
まずは彼等と共に時を過ごし、お身体を癒されると良いでしょう。
後のことは……我らの仕事」
安寧たる闇へと沈みつつ、あの平易でざらついたアルアジルの声が尾を引いて耳に残った。




