3-112.マジュヌーン(64)砂漠の砂嵐 -人間嫌いの歌
午前中、俺の「五人抜きの決闘」を終えてほどなくしてから、昼前までは進軍。
それから軽く野営をして昼飯。昼飯は煮炊きせず、干し肉やらの保存食と水。その水も、奴隷や捕虜には小便を貯めた桶から蒸発させて作った水だとかで、煮沸はしてあるらしいが匂いは残ってる。それを飲まされないだけでも五人抜きをした甲斐があるってもんだ。
で、夕方になる前から再び進軍を開始する。
位置的にはもう廃都アンディルのすぐ近くにまで来ている。夜が明けて明日には攻略開始となるだろう。
タファカーリは俺たちを“黒鼻”のジダール先遣隊の生き残りの独立した部隊として再編するつもりだという。
実際のところ、廃都アンディルの食屍鬼、そして死霊術師の情報を持っているのが俺たちだけな事と、この時点までですでに帝国式でしっかりとした編成をしてある他の部隊に今更再編してもうまく機能しないから、てのが大きな理由だ。
と同時に、俺を含めた“生き残り”を勇士として祭り上げる事で、軍全体の志気を上げようとの考えもあるようだ。
おかげで軍内での安全は確保されたが、逆に言うとちょっとばかし身動きがとりにくくなって来た。
俺の下には、決闘で倒した五人の他にさらに四人の南方人の奴隷がつけられて、貧弱な装備とは言え戦奴扱いで二班の十人隊とされる。
ボルマデフのふりをしたカリブル、同じく生き残りのふりをしたルゴイにもそれぞれ予備兵、また少年兵を四人ずつ編入させられて班を作り十人隊とされる。
頭数だけで言えば、“黒鼻”のジダール隊とほぼ同じ編成に戻るが、あくまで間に合わせの寄せ集めな上、隊としての訓練も何も出来ていないからたいした戦力にゃあならない。
もちろん、俺たちには廃都アンディル攻略戦に律儀に付き合うつもりは全くない。当然、どさくさに紛れて逃げ出す予定だ。
そう言う意味では、独立部隊としての立場を保てたのは都合は良い。だが新たにつけられた部下たちは、邪魔くさい事この上ない。
「痛し痒し……てヤツだな」
兵士、戦奴共には「離れた位置での歩哨」や夕餉の準備をさせつつ、天幕内で額を突き合わせる俺たち。
ボルマデフの妻子は、その後は部隊付きの奴隷と言う扱いで他数人の女奴隷達と同行させられていて、今も食事の支度中。だから連れて逃げるのにはまた合流する必要はあるが、既に話は通してあるのでさほど問題はない。
無口で、言葉も癖の強い犬獣人語しか話せないからコミュニケーションも密には取れてないが、ボルマデフが死に、このままならまた子供と引き離されて別の誰かの奴隷にされるだろう事は理解しているらしく、子供の為にも俺らと共に逃げる事は同意している。
「やっぱり、夜陰に乗じて……とするべきなのかな……」
そう言うルゴイは、背が高く身体も頑強だが、同時にしなやかで隠密働きもなかなか得意なタイプ。俺やアラークブ程じゃないが、カリブルよりかはかなり上だ。
今回も、カリブルがボルマデフのふり、俺が“死霊術師に捕らわれていた生き残りの情報源”のふり、と、それぞれ表立った役割がある分、ルゴイには裏に回っての情報収集をやっててもらった。
「正式な下知はこの後になるだろうけど、明日の朝から午前中には攻撃部隊を編成して廃都アンディルへ攻め入るつもりらしい。
そうなると俺たちへの監視はキツくなる。今夜が最後の機会だと思う」
問題は、まずは「夜陰に乗じて」みたくとも、犬獣人は人間よりも夜でも音と匂いで気配を探れる。
それに俺達にあてがわれた兵士も問題だ。
奴隷たちはいい。むしろ色々と役に立つし、俺たちが逃げるのを妨害することはないだろう。難しいのは予備兵と少年兵たちだ。
どちらも正式に部隊に組み込むにはまだ未熟な者たちということだが、リカトリジオスへの忠誠心に温度差がある。
カリブルみたいに物心ついた頃に捕虜にされ強制的に少年兵とされた者たちは、まだリカトリジオスへの忠誠心よりも反抗心、敵対心の方が強い。ただ同時に、無力感や絶望感、恐怖心も強い。
逆にボルマデフの子のように、リカトリジオス軍内で生まれ、その後親とは切り離されて訓練を受け続けた少年兵は、言い換えれば生粋のリカトリジオス兵だ。
両親共にカルト宗教にはまり、そのカルトコミュニティーで生まれ育って英才教育を受けたみたいなもんだ。リカトリジオスで教わった価値観しか知らねえし、それ以外の世界も生き方も知らねえ。
人間よりも肉体的に成体になる年齢の早い獣人種だから、10歳にもなりゃあ人間で言やあだいたい中、高校生ぐらい。
前世で死ぬ直前の俺たちくらいの体格の、大人に片足乗っけてるような連中だが、前世の俺たちよりも純粋にリカトリジオスの思想価値観を信奉してる。
カリブルは、そいつらにかつての自分を見ている。だから、
「できれば、あいつらも連れ出してやりたい……」
と、そう言う。
「……だがよ、そりゃちょっと欲張りすぎだぜ」
ボルマデフの妻子を連れて俺たちが逃げ出すのだって、かなり難易度の高いミッションだ。その上、どう動くか分からねえ少年兵に予備兵……。逃げ出す意志があるか、頑なにリカトリジオスへの忠誠を貫くか……そこら辺が予想も出来ねぇ連中をつれて行くのは手に余る。
「……わかっておる、わかっておるが……」
可能なら、奴隷含めた全てを解放してやりたいもんだが、やっぱそりゃあ高望みだ。
だが……。
「……あの」
ルゴイがそこへと口を挟む。
「レイシルド先輩からの連絡です。
準備は整った、半刻後には、こちらに着く……と」
手にしているのは羊皮紙の小さな切れ端。なんでもこれはけっこう高価な魔導具の一種で、特定の相手に遠隔で手紙を届けられる物らしい。前世の感覚で言やあスマホメールくらいなもんで大した事無さそうに思えるが、この世界じゃあそもそも公共の郵便制度なんてのはねぇし、手紙を出すには信頼出来る誰かに手渡しで届けて貰うしかねえ。それを考えりゃあコイツはかなりのシロモン。
で。
問題は、逃げ出せるかどうかだけじゃあねえ。上手く逃げ出せたとしても逃亡兵として追われるのはまずいからな。仮に逃亡がバレるにしても、それまで数日くらいはかかって欲しい。
ベストは、俺たちが逃亡したことになんかかまってられないくらいの混乱が起きること。
なので何かしらの手立ては必要になる。
「───さて、こちらも準備万端、整えとかなきゃな」
「ふん! ありゃ、二度と嗅ぎたくはない匂いだ!」
俺も含めてさんざんぱらあいつらには苦しめられた。操ることはできても制御はできねえ。つまるとこ、俺たちにも危険はあり得るヤバイ手だ。
「……とにかく、予定通りに進めるぜ。バラバラになったら落ち合うのは例の場所か、一番近い“メルベル山の野営地”……てことでな」
頷き合う俺たち。
だがそこに、空気を読まずに一人の使者が来る。
「猫獣人の勇士、タファカーリ閣下からお呼びだしだ。直ちに本陣天幕へ来い」
顔を見合わせる俺、カリブル、ルゴイ。カリブルやルゴイを無視して、俺だけ特別なお呼びだしか?
……まいったな、よほど気に入られちまったのかね。
▽ ▲ ▽
「よくきた、猫獣人の勇士よ!」
夕餉、と言うよりはちょっとした宴の席、とでも言うか。本陣天幕の中にはタファカーリを真ん中の主席にし、左右を恐らく隊長格のリカトリジオス兵10名程が着座して並んで居る。
折り畳みの野営用の椅子とテーブル。そのテーブルの上には、少なくとも量だけは豪華な肉を中心とした食事が並べられ、その席を囲むようにタファカーリの親衛隊に、給仕、楽隊、さらには踊り子と言う南方人の奴隷たち。
「閣下に、お招き、光栄」
頭と尾を下げ一礼し、カタコトの犬獣人語でそう返す。
「ここへ来い。我が隣へだ」
招かれる先はタファカーリの右隣。賓客も賓客、かなりの好待遇だ。
どうしたもんか、とは思いはするが、ここで断りゃタファカーリの面子を潰す。犬獣人、さらにはリカトリジオスは面子をかなり重視する文化だ。奴の腹の内は分からないが、ここは大人しく従うしかねえ。
おっかなびっくりを隠しながら、隊長格の後ろを通り上座へ向かう。
ちっとばかし視線が痛いが気にしちゃらんねえ。何より一般的な猫獣人の性格なら、犬獣人、リカトリジオスの宴席での着順で序列が決まる、なんて考えは知りもしねぇし、知ってても気にしねぇ。
すとんと折り畳みの椅子に座ると、俺の前には山盛りの飯と、犬獣人用の長い飲み口の付いた杯。鼻面の長い犬獣人は、その吸い口を咥えるようにして飲み物を飲む。人間の使う普通の杯だとうまく飲めない。
「まずは新たな勇士に杯を捧げようぞ」
タファカーリの乾杯の音頭に合わせ、居並ぶ隊長たちが杯を掲げ、ぐいっと飲む。不慣れながらも真似して伸びた吸い口に口をつけると、中には酒ではなく果実水。ある意味砂漠の遠征中には、酒より貴重かもしれねえな。
犬獣人文化にも酒はあるが、猿獣人程に酒好きじゃないし、リカトリジオス軍内では行軍遠征中の飲酒は禁止されるとも聞いている。料理もアティックやカシュ・ケンどころか、猿獣人の一般的な料理にも及ばないものの、犬獣人の、さらには遠征中のものにしちゃあ悪くない。何より、量が凄い。
山盛りにされた肉の皿を運んで来るのは給仕の南方人奴隷。俺の脇に来たのは、まだ年の頃は10代になったばかりかとも思える年頃の女奴隷だ。そして顔には大きな火傷の痕。観ると、他の奴隷達にも多かれ少なかれそう言う傷や欠損が目立つ。
俺は意図せずにその娘の後を目で追っていた。リカトリジオスが奴隷を遠征に引き連れて居る……とは、聞いてはいた。だか、主にそれは戦奴、または荷運びなどに使える屈強な大人の男が中心、と、そう思っていた。
だが、この天幕での給仕奴隷達はほぼ子供か女。しかも、明らかに身体的には弱りきった奴らばかりだ。
「気になるか?」
タファカーリが不意にそう聞いてくる。
「閣下、ツルツル肌嫌い、聞いてる。なぜ、弱ったもの、周り置く?」
忘れちゃいけねえのは俺の設定。つい先日までツルツル肌の死霊術師に囚われていて、だからツルツル肌を憎んでる。
その設定がある以上、奴らに少しでも同情的な目を向けてるところを見られちゃなんねえ。
そう聞かれて、タファカーリは元々他種族からすると表情の分かりにくい、さらには傷だらけの犬の顔ひきつらせるように歪めて、
「だからこそだ。か弱きツルツル肌どもを常に置いておく。
いずれ奴ら全員を奴隷にしてやる為にもな」
と、ゾッとするような声音。
なんとも歪んだ憎しみだ。伝え聞く経歴からも、ツルツル肌を憎んでるだろうことは想像できるが、どうなればここまで深く歪んだ憎しみになるのかまでは分からねえ。
俺はいかにも物事を深く考えねぇ“猫獣人らしい”曖昧な顔でそれに返す。
何にせよ、タファカーリが憎しみから目に付いたツルツル肌を手当たり次第に殺して回るような殺戮狂でないことは、俺たちの作戦には良い影響を与える要素でもある。
その辺りは、“決闘”をした炎の入れ墨をした南方人の男からも確認済みだ。
タファカーリの慢心と歪んだ憎悪から、多くのツルツル肌の奴隷を引き連れて居ることからくる爆弾の存在を、だ。
△ ▼ △
「お前、本当なら何度も、低姿勢からの蹴りを入れられるようなチャンスあったよな?」
宴に呼ばれるより少し前、あてがわれた天幕の中でのやりとりだ。
炎の入れ墨を入れた大柄な南方人へとそう確認をする。
入れ墨南方人は相変わらずの憎々しげな顔のまま黙り込んで、語ろうとはしない。
まあそりゃ仕方ない。奴からすりゃ、猫獣人だろうと犬獣人だろうと、同じような「リカトリジオス軍の獣人」にしか見えねえ。かと言って、ここで易々とこちらの真の目的を話すなんてのは出来ない。奴隷とは言え、奴らがタファカーリ側にチクらない保証はねえし、何より天幕一枚隔てれば敵だらけだ。
さあて、ここからどう話を引き出すか、だ。
「他の奴らもそうだ。どう考えてもお前ら本来の動きじゃねえ。何かしらの技を隠してる。そうだろう?
そいつを使えば、勝てるかどうかは分からないが、もうちっとはマシな試合になったハズだ」
二つの意味で、奴らの動きは不自然だった。
一つはもちろん、今言った“地を這うような低姿勢からの蹴り”という大技に行ける流れがあったのにもかかわらず、それをやらなかったこと。
もう一つは、その攻撃方法自体が明らかに、これだけガタイが良く手脚の長い男が、あえて選択する必要もないような技だということだ。
前世の俺みたいな、猫背で背も低くて力も強く無い奴が、相手の視界から消えて大きな技をかます、みてーな意味でなら有用だろう。
不意をつけ、さらにはただのパンチより威力がでけえ。
入れ墨南方人を筆頭に、それぞれに体格のいいこいつらが、そういう力の無さを補いつつ不意打ちをするような技を修練する必要はあまりねえ。
だとしたら何でだ?
そうなるともう一つ考えられるパターンがある。
例えば両手が手鎖や紐で繋がれ、大きく動くことができない場合に、だ。
ある程度の作業が可能な程度にしか両手両足が動かせないような不自由な状態。つまりこいつらがいつも奴隷として働かさせられている時の状態。
その状態で、いつでも戦いに入れるような修練をコッソリと続けていて、それが体に染み付いてる。
だが、そんなことができることをリカトリジオス兵たちに知られてはまずい。だから不自然な戦い方になっていた……。
考えすぎか? まあかもしれねえな。だが、もうちっとココはほじくり返しておきてえトコロ。
「昔、誰かに聞いた話だ。お前らみたいな奴隷たちが、手を鎖で繋がれたまま、それでも戦えるような格闘技を考え出したってな。
もちろん完全に身動き取れないレベルじゃそりゃ無理だ。
ただ、そいつらは格闘技の訓練をしてると主にバレないよう、部族の伝統舞踊のふりをして練習していたらしい。だから、普通に立ち会い向き合って、お互い正面から蹴りや拳をぶつけ合ったり、組みついて相手を引き倒す……ってな技よりも、まるで寝転がったりぐるぐる回ったりってな、一見するとただ派手な踊りみてーな動きの中に鋭い技の型を組み込んでった」
この話にも、入れ墨南方人はむっつりしたまま表情を変えない。だが、その横にいた何人かの他の南方人奴隷達は別だ。中にはわかりやすいくれえにうろたえ、キョロキョロと周りを見回す奴もいる。
つまるとこ、雌伏しながら爪と牙を研ぎ続けるのは、何も獣人だけの専売特許じゃねえってことだ。誰が始めたのかは分からねーが、こいつらの中ではそう言う「いざという時」の為の戦い方が身に付いている。
「お前らが犬獣人語をどこまで理解してるのかは知らねえが、一応言っとくぜ。タファカーリには死霊術師との戦いにお前らを連れてって戦わせるなんてこと言ったが、そんなことするつもりはねぇ。おめーらはおめーらで“勝手に”しろ。
どっちにせよ、じきにここは戦場になる。しかもおそらく、かなりの混乱状態になるハズだ。
そして、俺達はお前らに構ってるような暇も余裕もなくなる。
だから……」
と、俺はその入れ墨南方人の手に、小さなナイフを握りこませる。
大きさ的にはせいぜい人差し指の先から親指の付け根ぐらいの長さの棒。まあ、手に持って戦える武器というよりかは日用品みてーなもん。
だが、俺はこのタイプのやつを、ちょっとした投げナイフ代わりにするため、十本ばかしを常に肌身離さず持つようにしている。渡したのはそのうちの一本。投げナイフとして使うにゃそれなりの修練は必要。だが、ちょっとばかし縛られた縄を切るくらいなら、そう難しくない。
そこで初めて、この入れ墨南方人の表情が変わる。困惑、猜疑……とにかくそう言う感情、思考。
「……ああ、それとな。俺の知り合いにも、お前のそれと似たような入れ墨背負ってる奴がいるんだ。
確かそいつのは、部族の守護神のシジュメルだか何だかって言う神様の加護の入れ墨だってな話だ。
何か知ってたら教えてくれるか?」
そこで、話の流れを少し変えてみる。これを信じるか信じないか……そこは分からねえが、多分関心は引ける。
案の定、入れ墨南方人は訝しみつつもこちらを見て、小さくぼそりと「さあな」と返してくる。
さて、今の「さあな」はどっちだ? 確率的には八対二で、「知ってるがとぼけてる」の方だろうな。
少なくとも、俺の意図がこいつらに対する敵意や悪意じゃねえという可能性を少しでも信じてもらえりゃあ、悪かねぇぜ。あとはどうなるかは……運次第だ。




