3-107.マジュヌーン(59)死者の都 -愛おしき死者たちよ
「おい、そっちは場所が違うぞ」
「ああ、だな。
だからおめーは、俺が馬鹿でかい食屍鬼に攫われ、それを追い掛けて探したが殺されてた……とでも言っておけ」
ボルマデフにそう言って、俺は一人町の中心地、宮殿らしき建物へと向かう。
「待て、それでは予定と違う」
「予定は未定、だ。
それに、どーやらあの先遣隊の連中、別段俺たちを探そうってな動きは見せてねーみてーだぜ。俺一人戻らなくてもそう問題はねーよ」
道を歩けば食屍鬼に集られる可能性も高くなるし、あまり時間をかけたくもない俺は、近くの瓦礫の上へと飛び乗って、比較的形の残った屋根づたいに進んで行く。
そこここに食屍鬼の気配があるが、奴らは上手く柱や壁を登る事は出来ない。俺自体も気配は消しているから、さほど気づかれもしないしな。
「中心に進めば進むほどに、古く、魔力の多い食屍鬼の領域になるようですな」
影に紛れて併走するフォルトナがそう注釈をつける。
「つまり、町の中心に行けば行くほどに、ヤバくて強い食屍鬼が増えて行く……ってことだな」
「仰せの通り」
考えようによっちゃ、“災厄の美妃”からすれば、中心に行けば行くほどご馳走が増える……てなことになるか。
「あそこです」
示されたのは、かつては堀と壁に囲まれていただろうひときわ目に付く大きな建物……の、残骸。丸いタマネギみてーな屋根は、半分は壊れて原形を留めていない。
壁にもあちこち大穴が開き、普通の家なら二階分ぐらいになるだろう巨大な石柱も殆ど倒れて崩壊している。
その周りにも何やら蠢く影がある。
パッと見には人間のようなシルエット。ただし全体としては歪。
風船みたいな膨らんでいたり、右腕だけが異常に巨大化していたり、逆に小さな玉みたいに丸くなり、跳ねるように動きまわっていたり、だ。
「こりゃまた、オモシロ食屍鬼博覧会だな」
「多くの生者を喰らい、年を経て魔力が増大、飽和した変異食屍鬼ですな。通常の食屍鬼とは異なる能力を持っております。
まさに主どののおっしゃる通り、異形達の闇の謝肉祭とでも申しましょうか」
「いや、俺はそんな風には言ってねーぞ……」
屋根の上から観察しながらそう話していると、不意に近づく気配がある。
何だ!? と、辺りを見回し気配を探るが、屋根へと登ってくる影はない。それもそのはず、次の瞬間、頭上から飛びかかられのし掛かられる。
「糞ッ!!」
油断した! 下から来る事ばかり気にしていたが、この変異食屍鬼はどうやら異常なまでの跳躍力をもっているらしい。空高く飛び上がり獲物に上空から飛びかかる狩人食屍鬼てところか。
そいつは両手の鋭い爪を振りかざし、猛烈な勢いで組み敷かれた俺を抉ろうとする。
服が破かれ、皮の胴当てを削り、毛皮を貫き皮膚を破る。
その変異狩人食屍鬼が悲鳴を上げてはねのけられたのは、
「まるで蛙ですな」
と、フォルトナが山刀で斬りつけ、蹴り飛ばしたから。
「……マズいな、気付かれたぜ」
「マズい? それは異なことを。
ようやく存分に新たなる芸術を生み出せると言うもの……。
まさに、死と破壊の芸術を……!」
ああ、そうだ。色々あったんで忘れてたが、こいつこういうキャラだっけか。
そうこう言ってる間に、まずはドシンとデカい振動。
「うぬぐっ!?」
右腕が丸太みてーにぶっとくなってる変異食屍鬼が、突進して建物に体当たりをかまやがった。
グラリ揺れると共に明らかに亀裂が走り壊れる音がする。
「こりゃ崩れるぞ」
二人揃って飛び上がり、別の建物の屋根へと移ると同時に、元居た建物が再びの激突音と共にがらがら崩壊。
「厄介ですな。まずは我がしもべに相手をさせましょう」
フォルトナは何やら奇妙に手を動かしつつ、念を込めるかに目をつむり呪文を唱える。
「……闇と暗黒の地の底より、舞い上がりし灰と砂の落とし子よ、我が命に従い立ち現れ、敵を撃ち払わん……」
魔法が使われるシーンを見たことは何度かあるが、ここまで明瞭な呪文を聞いたのは初めてだ。ていうか、こいつが言うとなんか違うもののように思えてくる。
それでもこいつの呪文に応じて、例の小さなつむじ風のようなやつが複数現れ、集合し二つの大きな渦になる。
そいつがこの、瓦礫の廃墟を覆い尽くしてるかのような砂漠の砂の中から立ち上がると、次第に砂そのものを人の形にしたような化け物へと姿を変えた。
「灰砂の落とし子よ、行くが良い」
現れた合計二体の灰砂男は、よたよたとした危なげな動きで右腕肥大の変異突進食屍鬼へと襲いかかる。突進食屍鬼はそれに気づくとぶっとい右腕を振り回し、灰砂男二体を文字通りにかき散らすが、散らされた分は地面の砂を巻き込んで持ち上げ、すぐに再生して動き出す。
そこへ、甲高い笑い声とともに例のボールみたいに小さくなってる変異食屍鬼が割って入る。
小型の食屍鬼は一体の灰砂男の背後から飛びつき、まるで肩車される子供みてーに頭のあたり辺りに乗った。
「ふむ? 妙なまねを……」
灰砂男は頭の上に乗っかってそいつを降り解こうともがくが、奇声を発する小型の騎乗食屍鬼は、がっしり組み付き、離れることなく頭の上で暴れ回っている。
「さっきみたいに砂になって離れられないのか?」
「アレは大きなダメージを受けた時だけです。しかもその度に魔力を失い、弱くなります。無限に砂を自在に使える……というわけではないのです」
フォルトナはそう言いながら弓で騎手食屍鬼を射殺す。
そこへ、暗闇から飛来する何かの音と気配。
素早く避けた空間を、ちょうど女の腕ぐらいの太さはあるかと言う粘ついた触手だか管だかみてーなものが通過し、再び同じ速度で引き戻される。
離れた屋根の上で月明かりにシルエットを描き浮かび上がらせるのは、体格は普通の人間と大差ないものの、首のあたりが妙にぶくぶくと肥大し、そこから煙みたいなものを噴き出させ漂よわせている変異食屍鬼。
さっきの触手みてえなのは、煙たい食屍鬼の長く伸びた舌。肥大化した喉の中に収納されたそれは、それこそまるでカエルかカメレオンの舌みたいに獲物を狙う捕獲用の武器か。
「ククク……! 愚かな化け物め、撃ち合いで私に挑戦するというのか!?」
フォルトナが舌の攻撃を避けつつ立て続けに二矢、三矢と撃ち込むと、見事に急所へと当たりぶっ倒れる。
「まだ居ますな! 良かろう、我が舞いと共に矢を受けるが良い……!」
大仰な物言いに芝居がかった身振り。
そして弓を構えたまま高く跳躍すると、建物の屋根と屋根、あるいは半壊した建物の残った石柱や壁の上などを飛び回りながら、次々と変異食屍鬼達を射抜いて行く。
あの野郎、はしゃいでやがる。サポート役にはイマイチ向いてないが、逆に言えば攪乱しての囮役にゃ向いてるか。
俺がこっちに来たのは、先回りして例の捕らわれた二人とやらを探し、出来れば助け出し……無理なら相応の対応をするためだ。
結局のところ、カリブル含めたあの連中は、その二人を助け出すか、死んだことを確認するまではそうそう撤退なんざしねえだろう。
そして“災厄の美妃”を持つ俺は、食屍鬼退治をするには最適。だが、“災厄の美妃”の事も、“闇の手”のことも、なるべくは他の連中に見せたくねえから、こうして単独行動するしかない。
「ちょっと派手に暴れてて良いぜ。俺はあの宮殿見物に行ってくるわ」
生き生きと暴れまわるフォルトナにそう告げて、目的地へと隠れ進む。
さっきの煙たい食屍鬼は、二人を攫ったとか言う奇妙な食屍鬼と同じタイプだろう。
そういう変異食屍鬼やらの集まる住処、そして攫われた二人が居るらしい宮殿の奥の奥へ……そこへと向かう。
煙たい食屍鬼の舌を除け、寸刻みに切り裂いてからぐいっと引き寄せて喉元へ刃を突き立てる。
狩人食屍鬼の飛びかかりはカウンターで殴り飛ばし、倒れたところを逆に飛びかかって止めを刺す。
右腕肥大の突進食屍鬼の突進は、ラグビー部主将だった大賀を超える速度と威力。しかもあのバカでかい右腕に捕まれば、そこから逃れるのはほぼ不可能だろう。だがそりゃ、逆に言えば捕まらなきゃいいだけの話。軌道は単純、直進からのそれを半身でかわし、かざす“災厄の美妃”に見事切り裂かれるのは奴の方。
ぴょんぴょん飛び跳ね、人様の頭に飛びつこうとする騎手食屍鬼は、近づく前に蹴り飛ばし、踏みつけにしてから最後に止め。
廃宮殿の裏手、大きな亀裂の周りに食屍鬼が集まっている。ほとんどはただ立ち尽くし、またはうろうろとしているだけで、まだこちらを認識しちゃいない。
変異食屍鬼達の殆どは派手に暴れまわっているフォルトナの方へ向かったか俺に殺されたか。
だが……妙だ。なんだこの違和感は?
町の中心に近づくほど、魔力が高くなり強力な食屍鬼達が増える、と言う。それはいい。そして魔力が高まった結果、ああいう変異化した食屍鬼にもなる。それもいい。
この宮殿が町のほぼ中心地にあるのも分かる。食屍鬼の行動には、生前の習慣や意識がある程度反映される。そうも聞いている。
となると……ふーむ。
いや、なら……おかしくはねーのか?
まるで変異食屍鬼の多くが、この宮殿を守るみてーに囲っていたことも───。
……と、ヤバいヤバい。飛んできた膜に被われた水風船みてーなもんを危うく避ける。切り裂くことも出来たが、直感的に危険を感じてそれは止めた。案の定、壁にぶつかり弾けたそれからは酸みてーな液体があふれ飛び散り、幾らかの飛沫が身体に着くと焼けるような痛み。
それを吐きかけてきたのは妙に首が伸びた変異のゲロ吐き食屍鬼で、俺は地面に広がった酸の溜まりを壁を蹴ることで飛び越えて、そのままゲロ吐き食屍鬼の首を斬り飛ばす。
それからも、うろつく雑魚食屍鬼を撫で切りにしながら、なるべく細い通りから宮殿の方へ。
ちょっと雑魚食屍鬼が多すぎるな、と、俺は腰のポーチに入れた一つの小瓶を取り出す。
割れないようにとぐるぐるに巻いた衝緩材代わりの乾燥させたスポンジ状のサボテンの葉と縄を解き、目算で距離を測り放り投げる。
ガシャンと割れた陶器瓶から立ち上がるのはお香の香り。
“砂伏せ”特製の動く死体除け、その濃縮された匂いだ。効果は長時間保たないが、効き目自体は強めの調合。
望み通りにその煙を嫌がる雑魚食屍鬼どもは、よたよたのろのろとその場所を離れ、遠くへと移動する。
さあ道は開いた。こっから先は───本番だ。
月の光すら届かぬ闇の中。崩れた壁をくぐった先の宮殿も、屋根は壊れ穴だらけだからそこそこ明るい。
だが、そこからさらに地下へと向かえば、俺の猫獣人の目ですら覚束ない漆黒の闇。
その地下への入り口は、どうやら比較的最近まで瓦礫と土と砂などに埋もれていたように思える。
その先のさらに先の闇の中。特に魔力が強くビンビンと感じられる場所は、地下牢というより半壊
した地下大広間とでもいう感じだろうか。
真ん中にあるのは何やら台座の上に設えられた巨大な水晶球らしきもの。
巨大……と言うが、具体的には直径約2メートル近くてなところか?
その水晶球もどきの中には何て言うか、濁った闇そのものみたいなものがぐるぐると渦を巻き、雲のように刻一刻と形を変えている
何だか分からんがあれはヤベえ。直感的にそう思うが、どうやらあいつは魔力の塊みたいなものらしく、“災厄の美妃”がビンビンに反応してやがる。
そしてさらにはその周り。馬鹿でかい水晶球みてえなそいつの周辺にも、いくつか魔力の反応がある。
闇を見通す猫獣人の目で見るその姿。一つは……あー、やっぱり予想通りだ。話にあった馬鹿でかい食屍鬼。
体格としちゃあ、犀人のダーヴェ、食人鬼の大賀に匹敵するか、てなくらいで、3メートルなるかならないか。ただ、他の変異食屍鬼がそうであるように不自然なまでに筋肉の肥大化した上半身をしている。
そしてのその近く、台座みたいなところに並べて寝かせられてる幾つかの姿。そのうち二人は……ありゃ多分犬獣人と蹄獣人か。装備はいかにも先ほどまで砂漠を旅してきました、って言わんばかりのもので、おそらく連れ去られたカリブルの仲間だろう。他のは、明らかにもう死体だが、この二人は多分まだ生きている。
だが、何よりも気になるのはその真ん中にいる奴だ。
服装は特に変哲もない、紺色をした砂漠の民の長衣に腰帯。頭に被った頭巾に留め紐もお馴染みだ。
だが……俺のこの、物の形がよく見えない近眼気味の目じゃあしっかりと形を見定めることできねーが、“災厄の美妃”が反応してくれてるおかげで伝わってくる。
被ってる木彫りの民芸品みてーな仮面は、恐らく間違いなくシャーイダール仮面のひとつ……そうじゃなくても、それに匹敵する力を持つ魔装具の仮面。
そもそも食屍鬼が何故、人を食わずに攫っていくのか? その時点で不自然だった。
ムーチャに言わせりゃ、食屍鬼は生前の記憶や習慣を残してることはあっても、正気を失い人食い食屍鬼となった場合に、そんな行動をとる理由はねえ。
それにこの宮殿周りの食屍鬼たちの動きに配置。まるでそれこそ王を守る兵士たちのようだ。
そこにあのシャーイダールの仮面の主を当てはめて考えてみる。
奴が強力な死霊術の使い手で、食屍鬼を使役、支配する能力を持っているとしたら……?
フォルトナはあの馬鹿でかい食屍鬼を指して「食屍鬼の王」となぞらえてたが、本物の食屍鬼の王はこのシャーイダールの仮面の術士の方……そう考えることもできる。
山盛りの食屍鬼に、個々に特殊な力を持つ変異食屍鬼、その上、下手すりゃアルアジルに匹敵するかもしれねー力を持つシャーイダールの仮面の術師……。
こりゃダメだ。いくら“災厄の美妃”が敵の魔術を破壊し魔力を奪い取る力を持っていたとしても、何よりまず数が多すぎるし、敵の力も強すぎる。
雑魚食屍鬼達だけなら勢いで押せたが、変異食屍鬼に死霊術師は厄介だ。
先回りして攫われた二人を奪還して、素早く廃都アンディルから退却……てな計画は、もう無理筋だろう。
さてじゃあどうする? どう軌道修正する?
「……申し訳ありません主どの、いささかご報告が」
「ああ、まさにあそこ……あの場所に大問題があるぜ」
「そちらではなくあちらで」
不意にひっそり現れたフォルトナが指し示す方向では、いくつもの魔力の動きが活発になり、さらには明らかな戦闘音。
「……ボルマデフか」
「はい。外の変異食屍鬼は粗方私が片付けましたが、雑魚食屍鬼はまだまだ山ほどおります」
ボルマデフは他のリカトリジオス兵士同様、既に食屍鬼達に殺され、自ら食屍鬼化していることに気がついていない。
本来なら食屍鬼同士なので攻撃されることはないが、ボルマデフから仕掛ければ話は別。
「俺の後を追ってきてたか」
「そのようで。
しかもあの、醜悪なまでに肥満化した巨大な球のような変異食屍鬼……、あやつの汚れた汁を浴びましてな」
「汁……? あの、肉を焼き焦がす熱い汁か?」
「いいえ、それとは違います。あの醜くぶくぶくした食屍鬼は、他の食屍鬼を呼び寄せる臭いを放つ汚汁を体内に溜め込んで居るようです。吐きかけられてもよろしくありませんが、あやつの醜く肥大したブヨブヨの腹を攻撃すると、爆発してその汁を辺りに四散させます。
私は弓で遠くから攻撃しましたから、汚汁を浴びることはありませんでしたが、あの犬獣人は違ったようですな」
……つまり、本来なら同じ食屍鬼からは攻撃されることのないボルマデフが、その汚汁を浴びる事で猛烈な集中攻撃にあっているということか?
「……ちっ、マズいな」
俺がそう一人小さく呟くと、
「何がです?」
フォルトナはそう返してくる。
「むしろ丁度いいじゃありませんか。どちらも穢らわしい食屍鬼同士。お互いがお互いを潰しあってくれるならしめたものです」
フォルトナのその言い分は何一つ間違っちゃいない。いやむしろ正しい。俺だって最初はそう考えてたはずだ。
ボルマデフが食屍鬼なのは間違いねえし、今は良くてもいずれは記憶も正気も失い夜な夜な人肉を求めさまよう人食い食屍鬼に変わっちまう。
だから……いや、糞ったれめ。
食屍鬼を相手にすんのは、だからマジで糞面倒くせえぜ。
「しかし主どの、主どのとしてはもう一つの事柄の方が懸案事項なのではございませんか?」
もう一つ……? そう言われて、俺は匂いを嗅ぎつつ思案する。
まだ遠いい。本来ならかすかにしか感じられない匂い。普通なら具体的には何も分からないだろう匂い。
だが、深く交わり長く付き合っているからこそ、その微細な匂いだけでも俺には分かる。
マハ……そして、ムーチャ、アスバルにアラークブ、カリブル。
ボルマデフが派手に暴れている所へと、合流した援軍達が集まり始めている。




