2-149.J.B.- Mask Took He Under.(マスクを取った彼の素顔)
「───それは……無理だ」
ハコブは冷たく、抑揚を抑えた声音でそう言う。
「へッ! 今の俺達に無理なんてもんはありゃあしねえぜ!」
不敵な返しのアダンだが───いや、違う。この声は……いや、いやいや、そうじゃねえ、そうじゃねえだろ? なあ───。
「アダン───無理……だ。無理なんだ……。
もう……遅すぎ……手遅れ……だ……」
ハコブの……そう、間違いなく“悪しき者”ザルコディナス三世の取り憑いた意識がハコブの喉を借りて出している声じゃない。
ハコブ自身、ハコブ本人の声そのものだ。
「───何……が?」
その問いを口にするのが躊躇われるかに恐々とマーランが聞く。
「何が、遅すぎるのさ、ハコブ───?」
問いが終わるか終わらないかの間に、ハコブの足元の渦巻く闇の一つが錐揉みするかにして伸びて槍のように襲い掛かる。それをアダンの“破呪の盾”に弾かれ逸れるものの、切っ先の一部がマーランの腕を掠める。
続けざまに放たれる闇の槍先の半数はアダンの盾が放つ【魔法の盾】により防がれ、残りの幾つかはスティッフィが振り回す【雷神の戦鎚】が散らし、そして幾つかはジャンヌの放った火焔で焼き消される。
その俺達とハコブの間に割り込むかにして駆けて行くのは巨大地豚に跨がるガンボン。
闇の槍の切っ先は今度はそちらへと放たれるが、聖獣たる巨大地豚は【聖なる結界】をより強く放ち闇属性魔力を浄化し消し飛ばす。
「ぬぅ……ぐがぁぁ……!!」
その光に触れ、曝されると苦悶に満ちた声を上げて崩折れるハコブ、いや、ザルコディナス三世。
傍目にゃ間抜けにも見えるが、この豚公の【聖なる結界】は、闇属性魔力と同化している“悪しき者”ザルコディナス三世の意識、怨霊に、そいつが溢れさせている闇の魔力の渦にはかなり効果があるようだ。
「いいぞ、ガンボン! その豚の結界の中に閉じ込めるんだ!」
そうすりゃいずれ、ハコブの中から浄化され消えていくはず───。
「無理なんだ、JB……。
もう俺の……俺の魂……意識の半分は……ザルコディナス三世に“喰われ”ちまった───」
───何だって……?
「……今は、まだ、自分でその感覚を自覚出来る……程度に、意識が、残っている……。
それに、その豚の……クク、豚の結界のおかげで……ザルコディナスの意識が、抑え込まれているから……こうして、話も出来るが……」
その告白に俺たち全員が息を飲み、瞬き一つ出来ない程の緊張……そしてぞわぞわとした恐れが足元から這い上がって心臓を掴み離さない。
「……恐ろしいぜ。自分の意識、記憶、感覚が、どんどんと闇に飲まれて奪われていくのが分かるっていうのは、な……」
がくりと、力無く膝を突く。結界の影響のみならず、ハコブ自身の意志力でザルコディナス三世の意識を抑え込もうとしているのだろうか。仮面を被ったその奥の顔を見ることは出来ないが、その表情が苦痛に歪んでいることは十分に想像出来る。
「ハ、ハコブ、まだ……まだ意識があるなら、何か手はあるはずだ……!」
マーランの悲痛な叫びは、しかしハコブ自身の掲げた手により否定される。
「手はない。抑えてはいるが、今もどんどん自分が消えていくのが分かるんだ。何より……恐ろしいのは、俺はいずれおまえ達のことすら……自分の犯した罪のことすら忘れてしまいそうなことだ───」
犯した罪……。その言葉の意味するところは何なのか知らない。知らないが、それでもそこには不吉なものを感じる。
「イベンダー、お前の言うとおりだ。
俺にとってはこいつらこそが宝だった。その掛け替えのないものを……俺は自分で台無しにしちまった」
突然の告白に、戸惑い以上に不穏なものが伝わる。何だ? 何の話だ?
「───ハコブ、あんた……」
その後に何が続くのか、続けられるのか。珍しいくらいに低く沈んだスティッフィの問いは、途中でかき消されるかにして空へと散る。
「詳しくは……あとでイベンダーに、聞いてくれ。
だがその前に───最後の命令だ。
ザルコディナス三世の意識に、俺の全が喰われる前に───」
「駄目だ! そんな……」
「───奴ごと俺を殺せ……!」
■ □ ■
渦巻く闇と、聖なる結界のせめぎ合うこの空間が、冷ややかな緊張と静寂に包まれる。
対峙する二者───俺たち“シャーイダールの探索者”、ガンボンと聖なる豚に、闇の森ダークエルフのレイフと、それらに囲まれるかに一人うずくまるハコブ。
魔力溜まりを中心とした周りには、レイフの使役している骸骨戦士やグイドにターシャ、そしてニコラウス率いる“悪たれ”部隊達が闇の魔物達と戦い続けているが、ここだけ台風の目のように凪いでいるようだ。
「───でっ……」
言葉を詰まらせながら、マーランが吐き出す。
「出来るわけないだろ……そんな事ッ!?」
「いや、出来る」
マーランの叫びにそう断言して返すハコブ。
「……詳しくは……イベンダーに聞けと、言ったが。
いいか、俺は、お前達をずっと裏切っていた。そしてニキ───」
嫌な、不穏な響きの答え。裏切りの告白。そして───ニキ?
「アリックのことは責めるな。お前には俺を殺す権利がある。ジョス達を殺したのは、俺だ。
シャーイダール……奴をあわよくば殺せると踏んで、暴走するドワーベン・ガーディアンを送り込んだのは、この俺だからだ」
再びの沈黙。絶句。誰も、何も反応できない状況に、なんとか言葉を絞り出したのはまずはニキ。
「嘘だろ……? なあ、そりゃ……マジで、笑えねえ話だぜ、いくら何でもサ……」
言いつつ、ハコブを、そして周りを見、最後にイベンダーを見る。見て、その顔その表情で───答えを知る。
ニキが弩弓を構えるのと、俺達がぶつかり止めようとするのとはほぼ同時。
「待てよ! 嘘に決まってンだろ!? ハコブは、俺達に殺させようとして嘘をついてんだ!
なあ、そうだろ!? なあオッサン!? 仮面の呪いだっつってたよな!? それでおかしなこと言ってンだよな!?」
「そうだ、あの、仮面……仮面さえ奪えば、ハコブも正気に戻る───なんとか……」
縋るようなマーランのその言葉に、俺は走りハコブの被っている“呪われたシャーイダールの仮面”を剥がそうと駆け寄るが、足元から幾本もの赤黒く炎を帯びた闇の槍が襲い掛かる。
それを横跳びに避けて、しかしそれでも数本が太ももを抉る。さらに来る槍先を、光る【魔法の盾】で弾くのはアダン。
「走れるか、JB」
「余裕」
全くの嘘だが、走るに決まってる。呪いの腐食で腐り出す傷口のせいでか、入れ墨魔法の魔力循環もままならねえ。だから魔法の補助で素早く動くことも、“シジュメルの翼”で飛ぶことも出来ねえ。
痛む太股に腕、肩、鼻面。そんなの気にしていられるか。魔力がねえ? 魔葬具が使えねえ? 関係ねーぜ、ふざけんな。俺にはまだ、この両足がありやがるぜ。
進む。闇の槍が両側から攻めて来て、片方はアダンの盾が。そしてもう片方をスティッフィの戦鎚が打ち返す。
進む。闇の槍がスティッフィの足を貫き、肩口に刺さる。崩折れるスティッフィに追撃する闇の槍を蹴散らすのはジャンヌの放つ火焔。
進む。闇の渦へと突入した俺達の横に、地豚と騎乗したガンボン。その聖獣が放つ光が、渦を蹴散らし明るく照らす。
進む。あと一歩、その先に居るハコブ。シャーイダールの仮面、見慣れたはずの、だがそれでも今まで以上に恐ろしく心を萎えさせる効果を現すその仮面へと手を伸ばす。
進む。獄炎の炎。アダンが防ぎ、またケルピーが霧の守りを展開。ガンボンと地豚が俺の盾となり半身を焼かれるが、守りのお陰でかまだイケる。
手を伸ばし、その手が仮面へと触れるかという瞬間、ハコブ……いや、ザルコディナス三世の剣が俺の腕を両断───しようとして、レイフのかけてくれていた石盾の守りがそれを弾き逸らす。
触れた……というのはむしろ逆。俺の指を強かに打つのは仮面そのもの。とっさの頭突きで指をやられる。
だが、それでも残っていた小指一本が、仮面の飾りの角をひっかける。指先一本。それだけでイケるか? いや無理だ。その小指の力だけじゃどうにもならねえ。
そこへ───半身にひどい火傷を負ったばかりのガンボンが掴みかかり、剣を持ったハコブの腕を絡めて引き寄せる。
その流れるような鮮やかな体術の隙に、俺は空いていた無傷の左手で仮面を掴み、剥がしとった。
その瞬間に、周りで荒れ狂い、また聖獣地豚の放つ光とせめぎ合いを繰り返していた闇の魔力による圧力が、急に減った。
そして仮面による威圧感も無くなり、腕を取られて地に倒されたハコブの姿。だが───。
ぐおあ、というくぐもった悲鳴はガンボンから。何をされたかはすぐに分からなかったが、どうやら右手を固めて動きを封じたはずが、空いた左手でガンボンが腰に差していたミスリルダガーを奪い取り、そのままケツを刺しその隙に逃れたようだ。
『───仮面を……奪われた……とて……我が……力……』
「───殺せ……もう、俺の……意識は……保たない……」
『黙れ……貴様の……意識も……記憶も……知識も……身体も……全て……我がもの……ぞ……』
仮面を失い、膨大な魔力量は半減しても、それでもハコブ自身の戦闘能力に高度な魔術理論。そして常のハコブには無い大量の魔力にザルコディナス三世の悪意を備え、ぬらりとした異様な立ち姿のままこちらへ向き直る。
その仮面の下の虚ろな貌は───あまりにも雄弁に、ハコブの言葉の正しさを物語っていた。
とにかく、その、動きを止める。そうだ、とにかく、止める。盾は無い。だがハコブの手にしているのもダガー一本。まだ手はある。
姿勢を低く、腰だめのタックル。空は飛べずともドワーフ合金製の装甲は健在、ミスリルダガーとは言え傷一つ付きはしない。
そのダガーを構えたハコブは、しかし素早く別の術へと移行する。ミスリルダガーから赤黒い炎の刀身が伸びて長剣の形を作る。
上から振り下ろされる剣先を転がって避ける。いくら魔法抵抗の強いドワーフ合金製でも、魔力の塊みてえな魔法剣を受ければ破損もしうるし、魔力そのもののダメージが来るだろう。
しかし転がりつつもそのまま脚をかける。前のめり気味の姿勢だったハコブはたたらを踏みつんのめる。すかさず二撃目……と行くもののそれはスカされる。
その前方にはアダン。構えた盾をそのまま押し込むようにして踏み込み、弾かれたハコブはさらに態勢を崩す。
これはアダンの必勝パターンの一つ。盾での一撃で崩れた相手にすかさずメイスで追撃。正面きっての戦闘技術は俺たちの中でもピカイチだ。だが今のアダンは腕の骨にヒビが入ってる。押し込む力がまるで足りてない。
崩れたまま後方に跳びすさるハコブがその追撃を封じる。
左手の先がアダンへと向けられて、地面の影から伸びる闇の槍……いや、もう槍とは言えない程度の短剣程度のものが、それでも鋭い切っ先を向けて射出されて腕と脇腹に刺さる。
のけぞり倒れそうになるアダンへの追加の闇の短剣。間に入ったマーランが又も【魔法の盾】で防ぎはするが、その展開させるまでの速度はいつもより遅い。
俺は転がりつつもそのまま地面へと着いた手の反動を利用して倒立をするようにして起き上がる。いや、違う、そうじゃない。
起き上がり構えようかという体勢からもう一度前へと倒れ込む。背負った“シジュメルの翼”は、起動させてない限りにおいては羽根の骨組みも膨らんだ背中に収納されている。つまり現状滑らかな円形のドワーフ合金製の魔装具を背負ってる格好の俺は、その背中を床に着けたまま背で回転をする。
ブレイクダンスと見紛うトリッキーな地面スレスレからの蹴りが、体勢を立て直したばかりのハコブに入る。そのままバネのように跳ね起き追撃の───あびせ蹴り。
再び崩れる体勢を立て直させず、連撃。右からの拳によろめいた直後に左。仰け反ればそれを逃がさず追撃し、反撃の隙は与えない。
動きを止める。そうすれば、何かしらの手があるはず。そうだ、動きを止める。動きを……止まる。
『貴様を───』
「俺を───」
白熱したかの熱を感じる。
『───殺す……!』
「───殺せ……!」
熱さはただの刃傷のものじゃない。ミスリルダガーを術具としての魔法剣。闇と炎の魔力をそのまま刀身にしたその剣で、脇腹を刺され抉られている。
刺したら、ねじれ。ハコブに教わった必殺の教え。それを今実践されて意識が飛びそうになる。
脚の力が抜ける。
音が、視界が、光が、歪んでたわんで渦を巻きぐらりと揺れる。
それでも俺は、最後の力を振り絞り両腕をハコブの腰へと回して組み付いた───。
「───ニキ、今、だ……」
最後に耳にしたハコブの声は、初めて出会った頃そのままの響きがしたように思った。




