望まぬ再会 2
「お嬢様、お待ちしておりました」
生徒が利用する校舎から少し離れた奥にあったちょっとしたホテルのような建物がロードのいる建物だった。
聞けば少し古い建物らしく、元になった建物は明治時代に建てられたのだという。
重々しいドアを開いて出てきたのはヤマトだった。
趣ある観音開きの扉の向こうに現れたジャージにエプロンのへらへらした男はまるで建物の雰囲気に合っていない。
着物位来た方が良いんじゃないかなとひっそりほたるは思った。
「来たかクソガキ」
「いきなりですね理事長。生徒候補の前で猫を被るという選択肢はないんですかね」
「そう言うお前は被りすぎなんじゃないのか化け物」
「その化け物を生んだ父親の父親は誰だ?」
ヤマトが案内したのはふかふかの赤い絨毯が敷かれた部屋だった。
その部屋の扉の前に来るなり椿鬼は苦虫を噛み潰したような表情になった。
それを見たほたるは体調でも優れないのかと思ったがなるほど、これは顔も顰めるだろう相手だ。
いや、実際どういった人物なのかはほたるには初対面であるためわかりかねるのだが、その文句の飛ばし具合を見れば関係は一見してわかる。険悪だ。
来夢学園の学園長――柊牛蒡は年齢70ほどに見える男だった。
しかしその背はまっすぐであり、痩せてはおらず年齢の割には筋肉質であることがうかがえた。
白髪交じりの髪はぴしりとセットされており、髭も整えられている。
遺伝なのか椿鬼によく似た相手を射抜くような目が容赦なくほたるを貫いた。
「君が帆樽健太郎君か。ようこそ、来夢学園へ」
「どうも……」
椿鬼と言いあっていた時の子供のような気配がなりを顰め、上に立つ人間独特の威圧感を牛蒡は放っていた。
しかしそれは誇示するようなものではなく、ほたるを委縮するためにはなっているものではないように感じられた。
「普段ならば我が校の素晴らしい姿を見せることができるのだが――夏休みだからな。来ている生徒も追い込みにかかっているものが多く紹介できる状況でないのが残念だ」
「いっいえ校内見て回りました。楽しかったです」
「よかった」
ほっとしたように牛蒡は目を細めた。椿鬼とよく似ていた。
「理事長、ロードはどこです?」
「客間で寝かせている。……この役立たずが。少しくらいメンタル面も考慮せんか」
一人で外に出させたのは自分ではないのだが――という言葉は椿鬼に飲み込まれた。
過程は問題ではない。
ロードの身柄に関する全ての責任は今、椿鬼にある。
光琉と椿鬼は対等の関係であるのだが、表向き――いや裏向きというべきなのか、形式上は光琉は椿鬼の部下である。
部下のミスはすなわち上司の物。
なお、牛蒡と椿鬼の力関係は実質上司と部下の関係のそれなのだが、こんな化け物など形式といえど部下に置きたくないという牛蒡の一言にこちらは対等である。
「お嬢様たち寝てるだろうなあと思って直接迎えに行ったら公園でお菓子を食べていた彼に会いまして」
案内した後疲れて眠そうだったので部屋で寝かせています。とヤマトは続ける。
「どうして迎えに来たんですか?ロードを襲ったって言う男の話ですか?」
「ええ、旦那様がお帰りになられたので……そうそう、例の男ですがあなたも襲われていますよ。忘れていると思いますが」
「なんだって?」
椿鬼が怪訝な声で聞き返した。
ほたるもヤマトの言い方に何か引っかかり眉間に皺が寄る。
「おいまさか……ほたるの記憶になんかしたのかヤマト」
「旦那様の命令で襲撃周辺の記憶いじくりまして」
「えっ?」
あっけらかんととんでもないことを言われた気がしてほたるは聞き返した。
するとヤマトは同じテンションで二度「記憶をいじくりまわしました」と言った。
理解ができずほたるは助けを求めるように椿鬼を見た。
確かに己には重要だと感じながらも明確に思い出せない、妙な記憶があることをほたるは認識していた。
触れたくないなと思ってあえて触れないでいた記憶があったのは事実である。
しかしまさかそれが?視線の先の椿鬼も自分と同じ顔をしていた。
同じ顔で見合って、ゆっくりとヤマトと牛蒡の方を見た。
「ほたるの記憶に干渉しているだなんて聞いてないぞ!」
「言ってませんしねえ」
「ねえ」
「ジジイがねえ。じゃねえよ!どういうことだヤマト!理事長も!いつそんな指示だしたんだ!」
「もう状況が状況ですし、いちいち説明も面倒ですから記憶戻しますって。はーいほたる様こちらへ~記憶戻しますよ」
うすら寒い満面の笑みでろくろでも回すように手を構えたヤマトがほたるを手招きした。
とてもではないが今の牛蒡とヤマトの発言を聞いた後では恐ろしくてそばによることなどできない。
「い、嫌です」
「じゃあそっちに行きますね」
「ひっ!」
ほたるの体がこわばった。
後ろに一歩下がろうとするも、慣れない深い毛の絨毯に足を取られて後ろにすっころぶ。
何かに足を取られて転ぶという構図に既視感を覚えながらも必死にずり下がった。
「ほたるが怖がってるからやめろ!状況ならロードと私が説明すれば大丈夫だから。ロードの記憶は触ってないんでしょ」
「私が怖いならお嬢様の方がもっと怖くないですか?大丈夫ですよ、ねえほたる様」
「こっ怖いです!ヤマトさんの方が!」
傷ついた、と言わんばかりの表情を端正な顔が造る。
しかしどう見てもそれは作られたもので、だからこそほたるは恐ろしかった。
「ええ……じゃあわかりました。寝てる時にでも戻しておきますよ。いいですよね旦那様」
「まあそっちの方が面倒がないな」
「……だって、よかったねほたる」
引きつった顔で椿鬼がほたるに微笑みかける。
――よくない、と言いたかったが恐らく抵抗ができないのでほたるも引きつった顔で微笑んだ。
椿鬼がどんな環境で育ってきたのかを垣間見て、むしろどうやってここまで感覚を一般人寄りにできたのかとまで感じるほどに、目の前の二人は普通では無かった。
人を操ること、人の大切な分野に踏み込むことを何とも思っていないようにしか見えなかった。
一般的にいって彼らは悪人や狂人と言われる類なのではないだろうか。
この地で出会った人間の中で最も自分に価値観が近いとほたるが感じたのは光琉だった。
もし彼がいなければ椿鬼もこの二名とほぼ似たようなことになっていたのだろうかとその苦労を偲ぶ。
「ヤマト、あの少年を呼んで来い」
「わかりました」
ヤマトは興味をなくしたように視線を外しドアから出ていく。
ぱたぱたと走っていく音を見送っていると、貫くような視線を感じほたるは慌てて牛蒡の方を向いた。
その目はじっと見定めるようにほたるを見つめていた。
それにほたるが戸惑っていると、横からその視線に対抗するように敵意――いや、殺意すら滲ませて椿鬼が牛蒡を睨んでいた。
「帆樽君、君は何か変わったか」
「な、なにがですか?」
ほたるは身を守るように固くした。
「光琉君やこの化け物と過ごしてきたのだろう。何か刺激は受けたか?変化はあったのか?」
自分の常識が狭かったことは理解しました。とは流石にいうことはできなかった。
なんと答えればいいのかわからずにゆるゆると首を横に振ることしかできなかった。
それを、やはり見定めるようにじっと牛蒡は見つめる。
気まずい時間がしばらく続いた。
「連れてきましたよー」
「失礼します」
何がそんなに楽しいんだと突っ込みたくなる軽い声と聞きなれた親友の声。
長い別離の末の再開のように感じ、思わず上ずった声をほたるは上げた。
ほたるの妙な態度に眉を寄せつつもロードはその隣に収まる。
「光琉はどうしたヤマト」
「電話したんですけど起きなかったみたいです。昨日ずっと男の気配を探していたせいで疲れたみたいで」
チッという舌打ちの後牛蒡は椿鬼を睨む。
何に勝ったのかはほたるとロードにはわからなかったが椿鬼は勝ち誇ったように笑う。
一瞬の冷たくなるような間をヤマトの気楽な声がカチ割った。
「ええとですね、今朝というか深夜ですね例の男が確認されたんですよ。そこの交差点で」
そこ、というのは学園からの距離であると椿鬼が注釈を入れた。
椿鬼の家からこの学園までは数キロの距離があり、その過程でいくつかの交差点や太い道路がある。
ロードを襲撃した男は椿鬼の家から数キロの範囲で人にまぎれながら観察をしているという。
どうやら普段は自分の力が弱いことを利用して力を完全に隠しているらしかった。
ロードとほたるが椿鬼の家にやってきてからそれほどの距離を離れたのは今日が初めてである。
それまで外出は精々数百メートルが限度で、あまり家からは出歩かなかった。
最後に数キロ以上離れていたのは初日のことである。
つまり駅から椿鬼たちの家に向かった時がその道を通った最後だった。
恐らくはその時追跡していたものの見失ってしまい様子をうかがっていた――というのが牛蒡の推察だった。
このまま隠れていれば見つかることはないかもしれない。
しかしこれからもずっと家から離れないという選択肢は少々現実的ではない。
瞬間移動が可能である椿鬼はともかくとして光琉の顔が割れて追跡されるのは時間の問題である。
結界や椿鬼の力を駆使すれば追跡は逃れられるがそうしてまで逃げ続けるのもうっとおしいというのが椿鬼や牛蒡の総合した意見だった。
「せっかく遠いところまで来たのに引きこもりってのも嫌ですよねえ」
ヤマトの言葉に引き気味ではあるがほたるが同意した。
第一の目的がロードにはあるとはいえ、ほたるとしては親友との最後の夏を過ごしに来たのである。
これが今生の別れではないとはいえ、この学園に転校すると分かった以上は思い出くらいは作りに行きたいのが本音だ。
「潰しにいくのが一番効率が良さそうだな。そもそも一度潰した相手だろう」
「……そうですね。しかし安全に相手を無力化するなら光琉の援護が必要でしょうね、この街中ですと。ですが生憎、光琉は昨日の酷使でダウンしています。四時までは起きてたみたいですから昼過ぎまでは寝てると思います」
「一日待てば男の行動範囲が分かったものを……何故俺の指示も待たずそこまで消耗するような行動をした」
「善は急げという言葉がありますから?」
結果が出なくては意味がないわ!そんな牛蒡の叫びが豪奢な室内に響く。
飾られたトロフィーがカタカタとその身を揺らした。
椿鬼は牛蒡の感情を揺らせることさえできればそれで満足なのか、怒り心頭の牛蒡の表情にも余裕を持って対応していた。
良くない空気を感じ取ったのか、その場は適当にヤマトが誤魔化した。
まるでピエロのように軽い言葉を動きを駆使して空気の色を変えていく。
人を脱力させるヤマトの態度はこう言った場面を解決するために会得された物だったのか、とほたるは一人まじまじとその姿を観察していた。
ヤマトの苦労の成果か、険悪そのものだった空気はやや緩和されて通常の会話までならば許させるような状況になっていた。
ところどころで火花を散らしながらも今後について彼らは話を進めていった。
「今日は瞬間移動で帰りますか?それとも光琉叩き起こしますか理事長。下手したら今朝のロードの移動で家の位置割れてる可能性がありますよ」
「まあな……。居場所が分かっているのだからとっとと叩きたいのだが……もっとうまいこと泳いでくれればよかったもんを。今までは気が付かなかったからアレだが、外に出たら襲撃されるかもしれないと分かってしまってはこの二人も息が詰まるだろう」
しかしすぐに話が進まず停滞するようになった。
ロードとほたるも地理や事情に疎いため意見ができない。
しかしかといって椿鬼と牛蒡が建設的かつ効果的な策を練っているようにも見えず、待つことしかできない二人は不安を募らせていく。
思うように話しが進まない――各人の苛立ちは順調に溜まっていく。
「……これからは襲撃も考えながら全員必ず連絡手段をもって行動、ロードとほたるは必ず私か光琉が同行、でいいんじゃないですか?光琉だったら確実に時間稼げますし、私だったらもう適当に離れたところにワープさせますから。連絡取れたらヤマトが回収に来れるでしょう」
最適な策などどこにあるのだろうか。ああいえばこう言われ、こう言えばああいう。
そんな身のない会話だけが二人の間で繰り返され、とうとう椿鬼は吐き捨てるような言葉でその場を閉めようとした。
内容自体はそれまでにでた案の一部をまとめたものだが、その裏にはうんざりとした気分が詰め込まれていた。
「……攻めに行くのも面倒だしもう普通に過ごすのが楽でいいだろうな」
「適当……」
ロードがぼやくがもう誰も反応しない。
この空間には考えることが苦手なタイプの人間しかいないようだ。
馬鹿と呼ぶなら好きに呼べ、牛蒡と椿鬼の両名からはそんなオーラが発されている。
二名の未成年の身を預かるにはあまりに無責任じゃないのかともロードには思えるのだが、彼らの規格外の力を思えばそれだけ油断していても何とかなるということなのだろうか。
ともかく、この日初めて牛蒡にあったロードとほたるの感想は――「柊家は存外に血が強い」――ただそれだけだった。
多分椿鬼の近しい人物は皆、恐ろしい力を持っていて、考えることが苦手で少し変でそれでも悪人ではないのだろう。
彼らの人格の全体像は掴めないが、なんとなくそれだけはわかった気がした。