望まぬ再会 1
静かにロードは目を覚ました。
時計は午前六時を指している。
――とロードは自分が部屋の壁掛け時計ではなく例の文鎮、いや練習用の時計で時間を確認していたことに気が付いた。
無意識のうちに手に取っていた時計をシーツの上に置く。
重さの為に純白のシーツが時計を中心に寄った。
この練習用の時計は気が付くといつも手の中にあった。
別に常に身から話さないようにしているというわけでは無いのだが気が付くと手の中にある。
気味が悪くてうっすらどうしようかと思っていたのだが、椿鬼が言うにはどうやらこれはどこに行ってしまっていても自分のところに飛んでくるらしい。
不可思議な現象だが自分が引き起こしているという確信はあったため受け入れざるを得なかった。
壁掛け時計を改めて見れば時間は午前四時だった。
確かに、八月の六時にしては少々暗い。
ぼふりとロードは再び眠りに落ちようとしたが、どうにも眠れず部屋を出ることにした。
できるだけ音を立てずに、そろりそろりと歩く。
特に気を付けるのはほたるが寝ている部屋の前だ。
ほたるはとにかくカンが鋭い。ちょっとの音や違和感ですぐ目を覚ます。
そろそろと息を殺して戸の前を通り過ぎると、階段を滑り落ちないように慎重に降りた。
一階に降りると更に静かだった。
「お菓子ならないぞ」
機嫌の悪い声がロードの背後から届いた。
ロードが振り返るとそこにいたのは隈を濃くした光琉だった。
寝ていないらしい。
「別に探しに来たわけじゃない。早く目が覚めたんだ。外に出てもいいか」
「この辺りは調査した後だ。出たいなら出てもいいぞ。リスクはゼロじゃないけどな」
眠気が極限まで来ているのか据わっている目で光琉はどこか遠くを見ている。
一日かけて行った調査のためなのか、あまり睡眠をとれていないらしい。
それが限界だったのか、光琉は大きな欠伸をして羽毛布団の上でも歩くようにふわふわと歩いて部屋に帰って行った。
一言だけ散歩に出ると書き残すと、ロードは外に出かけた。
街に目覚めを促す光がとても眩しかった。
「――え、ロードがいないって?」
「いや書置きだけ残されてて。寝てた光琉に聞いたらかなり早くに起きてたらしくて。もう三時間は経ってるんだけど帰って来てないよね?」
椿鬼の問いかけにほたるはゆっくりと頷いた。
現在九時である。
太陽もかなり高いところまで登りアスファルトに影が映りこむのではないかと思えるほどの日差しの強さだった。
起きてロードの残した書置きを椿鬼は見つけた。
書置きに少し心配にはなったものの、光琉が調査したという安心感もあってしばらく家事をこなしていたのだ。
だが一時間経ってもロードは散歩から帰ってこない。
不安を覚えた椿鬼は仕方なくほたるを起こしたのだ。
ほたるが身支度をしている間、椿鬼は光琉にも話を聞きに行った。
光琉は寝ぼけ眼で朝の四時ごろ起きて外に行こうとしていた、と口だけ起きて答えた。
椿鬼が話を聞きに来たことを認識しているか怪しい状態だったが、その言葉ははっきりとしていた。
「迷子かな……」
不安げにほたるが呟いた。
朝の四時なんて開いているのはコンビニ位だ。
しかしコンビニで数時間時間を潰すほどロードはのんびりした性格ではない。
探しに行っても恐らくいないだろうと椿鬼は考えた。
「迷子かなぁ……」
輪唱のように椿鬼もそう繰り返す。
遠出するつもりでなければ携帯も持っていっていないだろう。
ほたるが部屋に確認しに行ったが案の定充電状態の携帯が残されていた。
連絡手段はない。
家の周囲はそれほど複雑な地形ではなくいたって普通の住宅街である。
しかし逆にいえば目印になるような物が少ないともいえる。
間違えてどこかに出てしまってもおかしくない。
もし早朝に出たのであれば道を聞く相手もいないかもしれない。
「ちょっとその辺探してくるか」
「俺も行く!」
寝ている光琉を家に置いて二人は外へと飛び出していった。
ロードが家を出たのが四時だと仮定して行動を開始した二人はまずコンビニに向かった。
この辺り一帯で早朝に開いている施設ははそれしかないためだ。
しかし店員に話を聞くも四時にカウンターに立っていた店員は家に帰ってしまっていた。
連絡も取ることができず、がっかりとした表情を隠すことなく二人は店舗の外に出た。
止まっていても仕方がないと通りすがる人に話を聞いてみるも、流石に目撃情報は集まらない。
二人が困り果ててしまっていたころ、ふるると椿鬼の携帯が震えた。
「もしもし?」
『お嬢様ですか~?ヤマトです』
「ヤマト?」
ほたるの前で椿鬼は小さく驚きの声を上げた。
その後、しばらく話をした後通話を切る。
椿鬼ははあ、と大きな溜息を吐く。
そのまま脱力するように肩から力が抜けていった。
ほたるがその様子に首を傾げていると椿鬼が笑った。
「ロードね、うちの学園にいるってさ」
「は?」
うちの学園、という単語にほたるの脳内には小さな疑問符が飛ぶ。
しかし、すぐに椿鬼がとある学園の学園長の孫であるという話しを思い出してあっと小さな声を上げた。
柊牛蒡が学園長を務める来夢学園。
初等部から高等部まであり、聞けば名前は違うが大学もあるという。
校風は生徒の自主性を尊び、何よりも夢を持つことを推奨している。
スポーツ分野でもそれなりの結果を出しているがどちらかといえば文化分野に強い学園である。
来夢学園は寮もいくつか持っておりそこそこの規模を誇る。
しかし夏休みということもあり今は実家から通っている生徒以外はほぼ帰省しており人は少ない。
「ヤマトがロードを見つけて学園に連れてったんだと。今は客間で寝てるってさ」
来夢学園の敷地内に学園長たる牛蒡は住んでいる。
牛蒡が住んでいる建物にはいくつかの客間があり、内装はちょっとしたホテルレベルはある豪邸だ。
学園に見学に来る人間のうち、何割かは護衛が必要な能力者、あるいはその関係者が混じっている。
彼らを守るためにかつて建てられた施設にロードはいるらしい。
「理事長に会う前に見学させるつもりで迎えに来てたらしいけど……四時に散歩してたロードと遭遇ってヤマトもいったいどんな寝起きドッキリしかけるつもりだったんだか」
「見学?」
「聞いてない?ロードがうちの学園に入学するかもしれないって話」
ほたるは横に首を振りかけるが、ふとロードがこの地域に住むかもしれないと漏らしていたことを思い出した。
なるほど、入学するために地元から引っ越すことになるということだったか。
「どんな学校なの?」
「見たい?」
ロードは恐らく故郷には帰らないという確信がほたるにはあった。
ロードにはあの狭く偏見まみれの故郷で失うものが何もないためだ。
友達も友好的な知り合いもおらず、好きな店も無い。
唯一自分や大吾がいるがロードは別れを躊躇しないだろう。
ロードはそもそも別れが惜しいと選択を躊躇するタイプでもないがそもそも自分が周囲の重荷であると感じている節があった。
僕のことなんて忘れて欲しい。
高校に行くことをやめて一か月のころぼやかれた言葉だった。
そんな言葉をつぶやいてしまうロードがいつか自分を責めて消えてしまうのではないかとほたるは心配で心配で仕方がなかった。
そのために大吾もほたるも必要以上に過保護になっていたのは事実だった。
寂しくないように一人にしないようにしていた。
そうやって彼のために時間を使うことでさらにロードが自分を責める原因になると分かっていながら。
ロードは、どんな学園に通うのだろう。
友達はできるだろうか。気味悪がられたりしないだろうか。
興味と心配が同じくらいこみ上げた。
「行ってもいいの?」
「もちろん!なんだったら入学してもいいよ」
半分ふざけているのか笑いながら椿鬼が言った。
来夢学園は通うためには試験を突破するか推薦されるかしか方法がない。
そうして入学しても推薦された一部の生徒以外は学費を払わなければならない。
ほたるの場合はそれに加えて寮費か下宿費用も要るだろう。
ロードは既に金銭関係の問題はクリアしているのだろうが、ほたるの家は平均的な収入の家である。
ロードと一緒にいたいからと転校できるほど余裕はない。
ロードの通う場所を知る機会はこれが最初で最後だろうか。
「生徒は今ほとんどいないけどね。でも近所に住んでる子や帰省してない子達は来てるんじゃないかな」
「じゃあ、行こうかな。転校はできないかもしれないけどね」
椿鬼はその言葉を聴くとほたるの手を両手で固く握った。
突然の接触にほたるは戸惑う。
瞬間、世界がどんどん滲んでいき全ての色が混ざっていった。
世界が一つになってしまった感覚に吐き気がこみ上げ、くらりとしていると地面を均すような真っ直ぐな声がほたるを現実へと呼び戻す。
「着いたよ」
周りの風景は一変していた。
ありふれた交差点が、見覚えのない校舎のような建物に囲まれた場所に代わっていた。
足元にはコンクリートではなく少し草の生えた土があり、目の前には種類はわからないが開花前の枯れかけた植物が植えられていた。
「誰か水やりさぼってるなー」
その花壇は中等部のとあるクラスが管理している花壇だという。
椿鬼に頼まれるがままほたるはホースで水を撒くことになった。
椿鬼に渡されたホースは自分の通っていた中学校にあるひび割れたホースと違い握ればゴムの弾力があり、水漏れもしない。
ホースの使いやすさに普段の面倒くささはなく、まるで水遊びでもしているようだった。
楽しくなって周りにもふざけて水を撒いていたほたるだったが、ふと気が付けば椿鬼がいない。
見知らぬ場所で一人にされてほたるは周囲を見渡した。
「あ」
椿鬼は不安そうな顔をしてすぐそばの二階の渡り廊下にいた。
……そういえば、水が苦手だったのだったとほたるは頬を少し掻いて水を止めた。
「水やりしてくれてありがとう。助かったよ」
「ううん」
ホースを片付けた後、ほたるは椿鬼に学園内を案内された。
しかしやはり夏休みのためか人の姿は少ない。
今日はスポーツ関係の部活の練習もしていないらしく、広い校庭はがらんとしており校舎内もどこか冷たさを感じさせた。
どこからかミシンを動かす音や、何やら発声練習をする声が聞こえたが邪魔をしてはいけないと椿鬼はしーと人差し指を立てた。
もうすぐで発表会があるのだとまるで自分のことのように話す椿鬼があまりにも楽しそうに笑っていて、思わずほたるも笑顔になる。
今まで見ていた姿の中で一番、自然に笑っているように感じた。
時折カタカタと針の動く音のする方へと椿鬼は目を向けてひっそりと笑う。
それがまた音のない応援のようで、彼らをこうして今までも見守っていたのだと見て取れた。
それが、少女の本質のような気がした。
直接人に教えるというよりは見守り応援している方がよっぽど得意なのだろう。
だからロードに対してあんなに教え方が下手なのではないだろうか。
静かな校舎を案内しながら椿鬼はとにかく口を動かした。
いかに学園が素晴らしいのか、そこで学ぶ生徒が頑張っているのか。
あの賞状は、この旗は、この衣装は作品は――
「うちには別に天才しかいないというわけでは無いんだ。夢をまだ見つけていない子もいるし、むしろ普通の子の方がわりと多いよ。でも、個性的な生徒を受け入れている子たちだからきっとロードのこともさ、拒絶しないと思うんだよ。大丈夫。それにね――」
誇らしげに学園のことを話す椿鬼の様子に、ロードの未来が見えた気がしてほたるは微笑んだ。