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咲けない華 椿鬼  作者: 明渡雅夢
1 夏休み
5/27

夏休みの始まり


 彼方より掛けられる言葉からタオルケットの盾で未だ眠る肉体を守る。

 いつもと違う角度から差し込む光もなんとか同じタオルケットで凌ぎ、覚めかけている薄い眠りを貪る。


 ああ、このまま人生の全てを眠り続けていたい。そんな願望すら湧き上がる幸福な微睡み。しかし、現実というのはかくも厳しいものであるのが常だ。

 薄いタオル地の盾はいとも簡単に奪い取られた。瞬間、厳しい日差しが瞼を焼き強い声が少年の鼓膜を叩く。

 たまらず帆樽健太郎は起き上がった。その目は、目覚めきっていないのかぼんやりとしている。


 そんな彼の前にひょこりと黒い頭が現れた。光にかすむ目を擦ると、つんつん頭の少女がほたるを覗きこんでいた。



「おはよう。昨日の疲れは取れた?そうめん茹でてあるから伸びる前に頼むよ」


 ほたるは一瞬、何が起こったのかわからないという顔で少女の顔を見ていた。

 ん?と優しい声で返事を待ちながら、少女は真っ直ぐにその目を見つめ返す。

 その視線に照れは一切混じっておらず、他になんの意図もないことは見てわかるものだった。


「あ、ああ……もう朝なんだ」

「ロードはもう食べたから。私は光流を起こしてくるから下のリビングで食べててね」


 意図せず同世代の少女と見つめ合う構図となり先に根をあげたのはほたるだった。

 こみ上げる恥ずかしさと同時に頭が完全に起きたのか自分の状況を適切に思い出した。

 椿鬼が客間から出て行くのを待って、ほたるはベッドの上で寝間着のシャツを脱いだ。寝汗をかいていたのか、微妙に肌が湿気っている。


(人の家に泊まってたの忘れてたな……)


 枕元に置いておいたスマートフォンを弄れば時は九時。あまり早いとは言えない時間だ。恐らく飛行機を乗り継いでやってきた自分とロードに配慮して遅い朝にしてくれたのだろう、とほたるは結論づける。


 少女――椿鬼は規則正しく生活しているような、そんな気がするからだ。多分今日も一人早く起きていたのだろう。

 シャツとズボンを着替えてほたるは足早に階段を降りていった。

 ほたるのいた部屋から少し離れた場所から、椿鬼の怒っているような声と光流の駄々をこねる声が飛んできてほたるは思わずくすりと笑った。

 

 13歳の夏休み。帆樽健太郎は親友のロード・ブラッドとともに故郷からはるか南の地にやって来ていた。



 

 

「おはよう」

「おはよう、お前のはそれね。正直もう伸びてるよ」


 ロードのいつもの不機嫌そうな顔を見てほたるの心はようやく落ち着いた。目覚めてから慣れないものばかり目に入っていたせいでほっと息を吐く瞬間がなかった。

 差し込む日差し、音、空気……全てが昨日までのものとまるで違うせいで体も心も落ち着かない。


 この家で慣れているものといえばこの機嫌の悪そうな顔くらいのものだ。

 はあ、とひとごこちついたような顔で自分を見つめるほたるをロードは気味が悪いものを見るようにちらと見た。



 朝からむすりとしているロードに何があったのか、と聞くことはあまり良い手段ではない。

 元々かなり怒りっぽく短気でイライラしやすい性質のせいでロードはごく些細なことで簡単にむすむすしてしまうのだ。


 すでに苛立っている状態で「なんでそんな顔してるんですか」などと聞けば返ってくるのは理不尽な怒り声だ。

 そして理不尽な態度を取ってしまったことにロードは自己嫌悪してさらに苛立ちを募らせるのである。もはや無意味な無限ループ。構うだけ無益である。

 それをよく知っているほたるは眉間が寄った慣れ親しんだ顔をいつもの物として処理して少しコシが無くなってしまったそうめんに手を付けた。



 刻まれたネギの青い香りが鼻を通っていく。

 ネギの香りに混じって鼻に舞い込んでくる甘い香りはロードが家からわざわざ持ち込んできたデザートのキャラメルだ。特にロードはキャラメルが好きというわけでは無いがデザートがなければ食った気がしないと常に甘味を持ち歩いている。

 鼻腔を漂う砂糖とネギの絡まる複雑な香りにやや胸を悪くしながらもほたるは白い麺を啜った。


「……う」


 不機嫌そうなロード以上に酷い顔でリビングに入ってきたのは椿鬼の義兄―—光流だった。

 寝てないんじゃないかと思うほどの目つきの悪さは殺し屋だと言ってもおかしくないほどだ。


 昨日はあれほど整えられていたボブカットの金髪はもはや原型なくとっ散らかっている。まさに鳥の巣と称するべきだろう。

 昨日は裸眼だったというのに眼鏡を身に着けているということはコンタクトだったのだろうか。しかし身につけられているメガネも斜めにずれていて半分しか機能していない。


 光流はよろよろと食卓にたどり着くとごん、と額を叩きつけて突っ伏した。身につけているよれよれのパジャマも相まってその様相は悲惨の一言である。

 命からがら何かから逃げてきたかのような――実際に朝という現実から逃げ続けているのだろうが――姿だ。

 朝が弱いという弱点に対して、ここまでみすぼらしい姿を見せられるといっそ憐れみすら生まれるものなのだとほたるは初めて知った。



「昨日いつ寝た」

「4時……」

「遅い」


 奥からやってきた椿鬼がパジャマの首根っこを掴んで光流を座り直させた。

 同じ体格の男子相手でも大抵勝てるほたるにとっても、椿鬼のその腕力は驚愕に値した。

 光琉の体重が軽いのだとしても完全に脱力している人間を片手でとは。なんという腕力だ。


 ほたるの視線の意味がわかっていないのか、椿鬼は首を傾ける。その隙に逃げようとした光琉を椿鬼は再び捕まえる。

 椿鬼は光琉が浅く腰掛けている椅子を無理やり奥に押し込み姿勢を正させた。体はそれで角度的には起こされたものの、光流の意識は未だ夢と現実の境だ。


「ほら食べる。光流が起きないから伸びちゃった」

「朝ご飯にそうめんはない……パンが良い……」

「パン出したらご飯が良いとか言い出す癖に。ほら流し込め」


 椿鬼に押し付けられて光琉は嫌々青いラインが特徴的な箸を手に取った。

 緩慢な動きで白い糸が口の中に運ばれていく。

 時間が経ってふやけた麺はわざわざ噛みちぎろうとしなくても良いのだろう。口の中をちいさくもごもごさせながら光流はそうめんを食べていく。


「まるで介護みたいだ」

「あ?」


 ぼそりと思わず呟いてしまったほたるに、今までの寝ぼけ方はなんだったんだと言いたくなるようなスピードで光流が反応した。

 それまでとろんと閉じられていた目はくわりと開かれている。般若だ。


「起きてんじゃん!」

「うるさい!寝ぼけてようが起きてようがオレの勝手だろ!大体九時まで寝てるとか夏休みだからってだらけ過ぎなんじゃないのかお前ら!」


 途端にきゃんきゃんと吠え出す光流にほたるは悪いものでも見るような目で見下ろした。

 それは光琉がだらりと机に伏せっていたのとほたるの身長が光流より高かったために見下ろす形となっただけで、ほたるに見下そうとかそういう意図があったわけではないのだが、喧嘩を売られたらしいと解釈したのかそうめんを早々に食べきり朝食を切り上げた光流は喧嘩を買いにほたるの元にやってくる。


「うわ来た」

「来たってなんだ来たって!」

「はいはいやめろ朝から客に喧嘩売るな光流!客!相手客!」


 出会って二日目、既にきゃんきゃんと騒ぎ始めた三人を傍目に一人ロードは砂糖とミルクがたっぷり溶け込んだコーヒーを啜っていた。

 少し遅い騒がしい朝が過ぎていく。

 



 そう、彼ら四人はであって二日目である。


 事の始まりは四月であった。

 突然、ロードがほたるを旅行に誘ったのだ。「夏休みまるまる友人宅に行かないか」と。周囲の人間に避けられているうえに社会から断絶されているロードにそんな友人がいたのかと驚くほたるが紹介を受けたのは柊椿鬼という少女だった。


 曰く、父の友人の娘である。そして成長しない体を治す技術を持っている。その前調べにホームステイをしに行くがほたるも一緒に来ないか――と。


 「もしかしたら僕は体を治すためにこの地域に住むかもしれない」


 二人が過ごす最後の夏かもしれない。だったら、旅行代わりに夏休みに二人で行かないか。

そんな誘いを受け、ほたるは二つ返事でOKを出した。

 幸い、お年玉もお小遣いも使う機会がなく溜まっていたのだ。それを有効活用できる機会となれば、行かないという選択肢はない。

 唯一無二の友人との旅行、そして最後の夏なのかもしれないのだから。


 ほたるの知らないところで計画は事前に進められていたのか、ほたるがしなければなら無かったことは飛行機の乗り継ぎの確認程度であった。

 そんなわけでほたるはロードがこの椿鬼の家に何をするためにやってきたのか、詳しいことを何も知らないままやってきたのである。

 

 

 

 

「と、言うわけでロードにはこれから力のコントロール術を会得してもらいます」

「ん?力?」


 朝食を取り終えたロードとほたるは椿鬼に連れられて地下の一室にいた。

 この住宅は三階構造になっており、地上二階建て、地下一階建てとなっていることになっている。

 実際にはさらなる地下へと通じる入り口があったり部屋が増えたり減ったりすることもあるのだが――安定して存在するのは地上二階とこの地下一階なのだ。


 普段はあまり活用されていないのか、その部屋はほんの少しだけ埃がたまっていた。地下のため当然光もなく、地上の部屋よりも室温が低い。

鼻を擽る埃の臭いにほたるは少し眉を顰めた。


「力って何?」

「あれ?知らない?」


 おずおず手を上げてほたるが声を上げれば、心底意外といった顔で椿鬼は振り向いた。

そのままロードに話をしてないのかと問うと、ロードは無言で首を横に振る。


「そういえば初めに会いに行ったときほたる君寝てたっけ?」

「……うん、まあ」

「ん?何の話?」


 何か自分の知らないことがあるらしい、とほたるは不安になった。

 人間、自分だけが知らないことが存在すると焦るものなのである。知っていなければおかしいのか、と若干の周知とともに焦りがほたるの中に生まれた。


「チカラの話。じゃあこの家に連れてこられた目的もご存じない?」

「ご存じない……けど。えっ何、力?チカラ?」

「じゃあ説明しておくか。理解は難しいかもしれないけれど」


 やれやれと演技がかった動きをした椿鬼が口を開く。


「チカラって言うのは……まあ、信じられないかもしれないがそのまま特殊能力のことだ。魔法、超能力、神通力……いくらでも表現があるけどその辺りの普通じゃない力のことを指す。ロードは特に特殊な力を持っていてね」


 光の入らない地下室。妙なものが入っているらしい箱が詰まれた壁。素性がよくわからない、ミステリアスな少女。

 確かにファンタジーな話をするには持って来いの状況であるが――いくらなんでも浮世離れしすぎている話だった。

 普通ならば「夏の暑さに早速やられましたか?」「中二病ですか」などとばっさり切り捨てられてしまいかねない話だ。


 しかし椿鬼は至極普通な顔をしてその話をしていた。

 熱にやられているようにも、自分の歪んだ夢に魅了されて現実を見ていないようにもみえない。

 少なくとも、ほたるには彼女が日常の延長としてその話をしているように見えた。



「ロードは己の力を制御できていないんだ。そのせいで成長が止まってしまっていると言ってもいい。だからこの家で力を扱う訓練をするためにこの夏休みホームステイをすることになった」

「そうなんだ」

「そうそう……ってアレ?普通そんな簡単に信じる?そこにいるロードは話を聞いた瞬間私に孫の手で殴りかかって――いてっ」


 過去の失態を親友にばらそうとする椿鬼をロードは遠慮容赦なく殴りつけた。

 幸いその手は握られていなかったが、生肉を叩き付けたような痛々しい音がほの暗い地下室に響き渡る。


 音の割にはそれほどではなかったのか椿鬼が耐えているのか、それ以上の悲鳴は上げなかった。

 そのかわりに、身長差を生かして自分の肩辺りにあるロードの頭をわしづかみにするとぐいと押して距離を取る。

 距離を取られ追撃をさせてもらえないロードは苛立ちのままに子供のように腕をぶんぶんと振り回す。


「……信じるよ。だってロードがこんなに君のこと信じてるし」

「そうかな……めっちゃ殴られてるけど私」

「ロードが殴るのは殴っていいと思った人間だけだから」

「どういう意味かなそれは。会って結構経つんだけど信用されてないのかな私は」


 にっこりと笑うほたるの言葉にロードが慌てだした。ロードの腕を振るスピードが早くなり、椿鬼は必死に二本の腕で抑え込む。


「ロードがそうやって手を上げるのは怪我してもいいと思う奴か素の自分を見せてもいいと思う人だけだから。君には素の自分を見せてもいいと思ってるんだ。違う、ロード?ずいぶん椿鬼のことを気にいってるんだね」


 ほたるの言葉に僅かに顔を赤くしたロードは体の向きを変えてほたるに向かって喰いかかった。

 それをほたるは慣れた手つきで適当に流すとあははと笑う。一緒に過ごした時の長さを感じさせるそのやりとりに椿鬼は感心する。


「普通なら流石のロードも椿鬼みたいな年下の女の子に手を上げないもんね。だから椿鬼は殴ってもいいと思われてる理由があるってことだ。年上らしく振る舞わなくてもいいと思ってるか、――痛い痛い!流石に痛いからグーはやめて!」

「この女は丈夫なんだよッ!だから殴っても大丈夫なんだ!」

「うわっ!暴れすぎだ!」


 それほど広く無いところにいることを利用してロードは自分の両脇にいる椿鬼とほたるを交互に殴る。

 身長の低さを生かした太ももへの攻撃はロードより十センチ以上背が高い二人に咄嗟に防ぐことができるものではなく、されるがまま椿鬼とほたるは殴られた。照れ隠しには凶悪なそれは確かに他人と呼べる存在に披露できるものではない。


 ほたるはロードが無言で繰り出してきた手を事前にわかっていたかのように避けると前にかがみ脇の下へと手を差し入れ、そのまま立ち上がった。つまり、ロードを抱きあげた。


「バッ……!降ろせ!」

「子供みたいに暴れるからだよ。心が小さいから体も小さいんだ。――で、何の話だったっけ?」

「ああ、ええと……そうだ、力の話」


 じたばたと暴れるロードを強引に二人で抑え込んで椿鬼とほたるは会話を再開した。暴れるロードに対抗するという共通目的を持って妙な一体感が生まれたためか、話は先ほどよりもスムーズに進む。


「端的にいえばロードは能力者なんだ。今までのトラブルのほとんどはそれが原因だと思ってくれてもいい。だから力を制御できるようになるために、彼と同じく生まれた時から能力者の私の家に来ることになったんだ。力の扱い方を覚えるためにね」

「わかった」

「本当に理解が早いね。何か心当たりでも?」

「まあね。ロードが普通の人間じゃないなって言うのは薄々感じてたことだから。

出自不明でどうみても日本人じゃなくて、しかも隠すみたいに山の外に出してもらえなくて。成長もしなければいきなり文字通り燃え出すし。むしろ答えを与えられて納得した。

それに疑うことに関してはロードの方がキツイしね、いろいろと。頭固いから弱い部分もあるけどロードはそうそう人を信じない。……そうだろ、ロード」


 話を自分に向けられてバツが悪そうにロードはふいと顔を背けたほたるはそれに苦笑するとロードを降ろす。頭が冷えたのかロードはもう暴れなかった。


「……しかしいきなり燃え出す、か。力を扱う練習をやるのは構わないけど人目についちゃ駄目だし危ないよ。付けておいたボディガードに声でもかければ練習に付き合っただろうに。

……まあ、でも力の使用場面を見ていたのであれば説明が楽になるな。じゃあ話を聴いてもらおうかな」

 

 椿鬼は指をあごに当てながら、さてどこから話したものかと考え始めたのだった。


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