連続自伝殺人事件 3
それから一時間後、椿鬼とほたるは学園にいた。
他の二チームに連絡を済ませたのち、彼女はほたるを連れてこの場所に逃げてきたのだった。
岩が建物の上から落とされたというイタズラ事件で処理されたのか、変死したいが発見されたという速報は聞かなかった。椿鬼はほっとした気持ちで職員室のテレビを切った。
後のことはわからないが、理事長に連絡さえしておけば漏れることはないだろう。椿鬼は鍵がかかったままの職員室を瞬間移動で後にした。
水で口を濯いでも濯いでも違和感があると苦しむほたるに冷蔵庫から持ってきた炭酸水を椿鬼は渡す。
それを飲んでやっと気が紛れたのか、ほたるは大きな息を吐いて渡り廊下に座り込んだ。
差し込んでいる傾いた陽が妙に眩しくて手で遮る。
それでもまだ眩しくてほたるの目に涙が滲んだ。
眩しさにふっと蘇るのは砕けて舞い上がった女性の遺体。
粉がチラチラと光を反射する様子が思い浮かぶ。
喉に再び女性の遺体の粉が張り付いたような気がしてほたるは喉を掴んだ。
吐き気にせっかく飲んだ炭酸水が逆流する。
やはりそう簡単に気はまぎれるものでは無かった。
椿鬼は炭酸水が吐き出される前にビニール袋をほたるに差し出した。
かろうじて間に合って渡り廊下に嘔吐物をぶちまけるという結果は避けることに成功する。
何度も嘔吐を繰り返して体力を消耗したのか今度こそほたるはへたり込んだ。
冷たい床が心地よくてこのまま眠ってしまえればどれほど良いかと夢想する。
しかし眠れば見るのは悪夢な気がして、肉体の疲労感とは裏腹に目が冴えてしまっていた。
「気持ち悪……」
「深く考えない。後で忘れさせてあげるから」
「どういうこと?」
それがろくでもない話な気がしてほたるは怪訝な顔で椿鬼を伺った。
「ヤマトに後で消してもらおう、その記憶」
「え……」
ほたるは声を漏らした。
ほたるの能力は分かっていたとはいえ今それを言われるとは思っていなかった。
もう事情を知っている知り合いだと思っていたから。
「いや、それはやめてよ」
「どうして」
その椿鬼の言葉に、ほたるの理性ではない部分が「常識が違う」と警鐘を鳴らす。
話が通じない相手と話をしているときの感覚だった。
例えるならばロードを無理やり引きずり込もうとする悪徳宗教団体を相手にしたときの感覚に近かった。
でもそれが気のせいな気がして、そう願いたくて振り払う。
「どうしても何もないでしょ」
「でも嫌な気分だろ」
「いや、でも……」
「でも何だよ」
若干イライラしているのか椿鬼の声が固くなる。
ああこれも、あのときの悪徳宗教団体の態度に似ている。
自分の常識と価値観が否定された時人はこんな態度を取るものだ。
「どんなに嫌でも、自分の記憶は自分のものだろ」
椿鬼は一瞬、傷ついたような顔をした。
それを誤魔化すように椿鬼は笑う。
椿鬼は傷ついた時決まって誤魔化そうとして笑うか怒るかするのだ。
それに気がついてほたるの胸が少し苦しくなった。
今彼女は自分が間違っていると感じている。
「……まあいいよ。無理になったら言うんだよ」
次はその価値観を否定しないであげようと、ほたるは自然と考えた。
再び差し出された炭酸水を、口に一口含む。
しゅわしゅわはいろんなものを押し流してくれたが、それでも根本的な不快感は消えなかった。
でも、やっぱりそれが正しい気がした。
誰かの手によって簡単に消されてしまうよりはよっぽど素晴らしい状況だと思った。
それから学園に人が少ないということで椿鬼は堂々と普段は生徒が利用している教室の一つを占領した。
机の上に資料を並べていく。健全な生徒達の学び舎に悲惨な事件の資料が似合うはずもなく、にぎやかな掲示物との温度差による違和感が凄まじい。
椿鬼が連絡してしばらく、ロードと光琉が教室にやってきた。
全員が集まっていないと見るや否や、まずは菓子をつまもうとチョコの入った小袋を取り出したロードを椿鬼は静止する。
それに不服そうな顔で答えたロードだったが、げっそりとしたほたるの様子を見て嫌々ながらも菓子をしまった。
それから数分後、ヤマトがやって来て全員が集まった。
椿鬼は五人が集まったことを確認して先ほどの出来事について話していった。
突然現れた強い思念を持つ変死体、それを消すように現れた謎の男――しかも、その男は椿鬼の目が正しければ黒衣の男に爆弾を落とした男と同じであるという。
一通りを椿鬼が話し終わると、教室内の空気は冷めきってしまっていた。
ロードも椿鬼が菓子を食べるのをなぜ制止したのかということを理解したのか、間ができても仕舞った菓子を出そうとしない。
先ほどよりもさらに傾いた夕方の眩しい日差しが教室に差し込んでいた。
その眩しさに照らされながら五人はしばらく黙っていたが、ややあってヤマトが話を切り出した。
「遺体の調査結果はしばらく後のようですが、行方不明者の一人で間違いないでしょうね。若い女性――八月に入ってから姿を消した方でしょう」
ヤマトがめくっているのは例の行方不明者リストである。
取り出された一枚にはロングヘアが特徴的な女性が写っていた。
その腕は瑞々しく若々しい。遺体とは似ても似つかない。
「もしかしたら全員、あんな死に方をしてるってことか……ちょっと考えたくないな」
顔をしかめる椿鬼。差こそあれ光琉とヤマトの二名も表情は似たようなものだった。
重く沈む空気が嫌で、ほたるは強引に話題を切り替える。
「椿鬼、そういえば思念ってなに?」
口直し代わりに別の話をしよう――そう言って椿鬼はその問いに答え始めた。
「基本的には強い感情だと思えばいいよ。私は体質の関係で他人の感情を感知してしまってね、時々そういうものを受信してしまうんだよ」
「人の感情を探知することが体質?」
椿鬼は以前話した能力者の肉体についての話をもう一度話した。
能力が肉体に影響し、変質させ特異な性質をもたせてしまうという話である。
その性質は本人の為になることもあれば、害となることもよくあることなのだ。
例えば「炎が使え熱に強い代わりに水に弱い」これはその典型的例と言える。
特に力の強い椿鬼は先ほど述べた例の他にも様々な変化が起こってしまい、普通の人間とはまるで違う肉体となってしまっていた。
「私はエネルギーを吸収する性質も持っていてね。人の感情もエネルギーの一つとして吸収してしまうんだよ」
「感情がエネルギー……」
ほたるの脳裏に浮かぶのは漫画やドラマのシーンだ。
愛の力で瀕死の怪我から立ち上がる主人公、夢への思いが限界を超えさせ、時に奇跡を起こすスポーツ漫画。
自身も確かに感情のままに腕を振った結果思っていた以上の力が出てしまったという記憶はあった。
なるほど、確かに感情にはエネルギーがある。ほたるは頷いた。
「あの死体には強い後悔や恐怖という感情が強く残っていたんだ。あんな死に方をすれば当然だけど。それが捨てられたことを切っ掛けにまた噴きだしたんだ」
椿鬼の目がどこか遠くを見た。
今は姿すら失ってしまった女性の嘆き、悲しみ恐怖――それを見ているのだろうかとほたるは思った。
そうやって、いつも誰かの悲しみをこの少女の脳は受け取っているのだろうか。
その目と同じ先を見つめられないかと沈む椿鬼を見つめる。
椿鬼は視線を感じたのかほたるに向かって寂しく笑った。
「そんな風に捨てられたのはかわいそうだと思いますよ。でも問題はどうしてそんなところにわざわざ遺体を置いたかです。街で一番人が集まる場所に廃棄はどう考えてもおかしいです。いくら土地勘がないと言っても限度があるでしょう」
再び止まりそうになる話し合いをヤマトが強引に続けていく。
椿鬼はヤマトの言葉に合わせて無言で黒板に図をかいていった。
黒板の右上に被害者の女性、その反対に被害者の傍で目撃されているサラリーマン風の男。
その隣に男が持ち歩き、売りつけようとしている本。
本と被害者の間に遺体を捨てていった能力者と思われる男――
「本男と能力者は繋がってるな」
光琉の言葉通りに椿鬼は男と能力者の間に線を引く。一本の線で二つは結ばれた。
「遺体をあんな風にしたのもこの男でしょうね」
能力者と被害者を赤いチョークで結ぶ。左から右への矢印が一本できた。
「問題はここからだ」
黒板の下部に一つ「黒衣の男」と書き足された。
椿鬼は能力者の男と、ロードを襲ってきた黒衣の男を青い線でつなぐ。
ロードとほたるの二人に僅かだが緊張が宿った。
手についたチョークの粉をふっと吹き飛ばすと椿鬼は椅子に座る。
「もう一度言うが私の記憶が確かならば今回の事件の能力者とロードを襲ってきた男には繋がりがある」
黒衣の男――ロードを襲い、そして無差別に一般人を狙い、最終的には謎の影に始末されかかった能力者である。
椿鬼はその男と今回の能力者が同一人物であると再び語った。
「確かに顔を見たのか?」
「見てない。でも、気配は同じだった。説明なんて求めるなよ。こういうのって言葉にできない」
「理屈が言えない感覚って言うのは意外と大事っちゃ大事だし別に否定はしないけど」
光琉は納得していないことを隠してはいなかったが、その意見に何か反論をする気はないらしかった。
ロードとほたるは何を言えばいいかもわからず、とりあえず聞いているしかない。
椿鬼の握るチョークがぐるぐると空を迷う。
黒板近くの椅子に座ったまま、チョークを黒板のそばに投げる。
どうやら黒衣の男と能力者の関係をどう描くか迷っていたらしい。
ヤマトが黒板に飛んでいったチョークを拾って相関図に一つ「上司部下?」と書き足した。
そして更に黒板に「ロード」と書きこむとそこに向かって矢印を書き足す。
「もしも今回の方があの時爆弾を落としていった方なら直接の面識はない上司と部下の関係になりますね。でもわざわざ殺して始末までしようとしたのに危険を冒してまでまた来ます?」
「目的は別のところにあるのかもしれないだろ」
椿鬼が二人の意見を叩き切るように言った。
チョークが浮いて能力者二人をつないでいたラインを切断する。部屋が一気に静かになり、居場所無さげにほたるはもぞもぞと動いた。
「別って何?」
「……知らない」
「じゃあ適当言うな!」
ロードの叫び声が教室中に響き渡る。それを真正面から受けた椿鬼は怯むことなく流す。
椿鬼はただ静かに座っていた。
ロードの大声が響いた後だからなのだろうか、微かに聞こえる生徒の声が余計に大きく聞こえてくるような気がした。目を閉じて、一泊置く。
「わかった。今はわからない話は置いておこう。それよりヤマト、お前この間持ってきた本のこと覚えてるか?」
考えていたことを言いきって自分は蚊帳の外だと夕飯のことを考えていたヤマトはいきなり話を振られて慌てた。
わたわたと慌てた後、自分が何の話を振られたのか把握したのか返事をする。
乱れた髪が視線を隠してうっとおしかったのかかきあげた。
「え?ええ。覚えていますよ。あの無駄に分厚い本ですよね」
椿鬼が言っているのは初めてヤマトロードとほたると家で出会った日に持ち込んだ本のことだった。
分厚くしっかりした作りな自費出版の本。表紙は重さを感じさせるしっとりとした赤。
ページ数も常識はずれな量で、その角で頭を殴れば簡単に怪我をさせられそうな一品だった。
人を殺せる本と椿鬼は心の中で名付けていた。今は別の意味で人を殺している本なのだが。
「ああ。あれどこで手に入れた」
「バザーですよ。中古の本のところに置いてありました。一つだけ無駄に大きくてしかも新品だったので思わず買っちゃったんですよ」
「あれ、例の本だぞ」
一瞬の間。
「は?」
目を見開いて、間抜けに口を開ける。
珍しくヤマトが驚きの表情を浮かべた。
作られていない素の表情を初めて見たのかもしれないとほたるも内心驚いていた。
「だから、探している男の書いた本がアレだって話」
椿鬼もその表情に驚いたのか、同じように少し驚いたように眉を上げながら言った。
三つの驚きの表情が妙な三角形を形成する。
それを呆れた顔で見るのは光琉とロードだ。
その呆れが苦笑に代わるころ、ヤマトが驚きの絶叫を上げた。
夕方の校舎に叫び声がこだまする。




