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咲けない華 椿鬼  作者: 明渡雅夢
1 夏休み
16/27

連続自伝殺人事件 2

 街の中心部、駅。駅ビル商店街タクシー……風景は一般的な街の窓口であるそこは観光客の九割が降り立つ場所だ。

 観光客のみでなく県民も頻繁に利用する駅のため、ごった返すという言葉では足りないほどの人口密度である。


 当然ほたるとロードも椿鬼の家に向かう前に一度訪れていたが、その時は目的地にたどり着くのに必死で楽しむところではなかった。

 以前訪れた時には堪能できなかった賑やかさにほたるの胸は躍る。

 あるものすべてを目に収めようとして右に左に視線が迷いふらふらとする、そんなほたるの肩を叩いて正気に戻すと椿鬼は少年を駅の広場へと連れていく。


 最近建て直されたばかりの駅と、隣のデパートを繋ぐように設置されている広場は駅のシンボルの一つだった。

 どこぞのハチ公のごとくこの街定番の待ち合わせスポットであり憩いの場所でもある、まさに市民の広場なのだ。

 駅の広場故に広さはそこまでなく、また緑も少なかったが人の笑い声が絶えない場所だった。


 ここでは日々イベントが行われているのだが、今日は肉祭りなるものが開催されていた。

 広場のあちこちから漂ってくる香ばしい香りや芳醇な肉の臭いが、そこを人によっては天国であり、人によっては地獄のような場所とさせていた。

 鉄板から上がる煙は大火事かと思わせるほどで視界は著しく狭い。

 そんな広場を椿鬼は日々利用している経験だけでまっすぐに突き抜けて、デパートの建物の中へとほたるを引っ張っていく。


「今だったら放火してもバレなさそうだな」

「凄いセリフだ……」


 とはいえ煙たいのは広場だけであり、空調の効いた建物の中に入ると煙は途端に姿を消した。

 人の混雑もそれなりになり、呼吸が一気に楽になる。安心したようにほたるは大きく息を吐いた。


 並ぶ店をすり抜けて建物の端にあるエレベーターに向かう。

 ちょうど降りてきたそれに乗り込んで本屋のある五階のボタンを押して、エレベーターが動きだすまでの間二人は手持無沙汰に立っていた。


 少し考えた椿鬼はもぞもぞしているほたるに窓を見るよう指示する。

 ゴウンと音を立ててエレベーターが吊り上げられていく。

 動き出した籠が二階を超えると、ウインドウの向こうに徐々に景色が広がっていった。

 故郷では見たことがないようなビルや植物が視界の果てまで並んでいる光景に、ほたるの目は釘付けになる。

 椿鬼はほたるのその目に催促されるように、景色に並んでいるものを一つずつ解説していった。


「あのホテルはつい最近できたんだよ」

「泊まったことある?」

「案外ないね。使わない」

「もったいない」

「そう言われても自宅の方が楽だし」


 狭い籠の中で景色を眺めながらあれやこれやとくだらない話に花を咲かせる。

 そんな風に誰かと最後に話をしたのはいつだったか。

 日本の端にあるこの街よりももっともっと田舎の村で、たった二人で過ごしていたほたるにとってその雑談はとても懐かしいものに感じられた。

 もはや息を合わせる必要もない親友も良いが、こんな風にタイミングを互いにすり合わせていくような会話もそれはそれで楽しいのだと、自然と口元に笑みがこぼれる。



 ちぃん、と控えめな音が鳴ってエレベーターが開いた。

 二人は雑談を切り上げてエレベーターを降りる。

 しばらく歩くと、健康的な水着の女性が印刷された看板があちこちに置いてあるのが目に入った。

 下の階で水着のフェアをやっているらしい。

 ほたるが吹き抜けになっている場所を下に覗くと二階のあたりに鮮やかなオレンジや白の水着が少し見えた。

 水着を手に取り楽し気にする女性たちにほたるが気を取られていると、椿鬼が急かすようにほたるの手を取る。


「男の子が中身がない水着だけ見てどうすんの。買うわけじゃあるまいし」

「中身あったら見てもいいの?」

「水着の中身があったら女でも見るよ。さ、行くよ」


 あまりにも自然に手を取られたためになんのリアクションも出来ずにほたるはそのまましばらく歩く羽目になった。

 椿鬼の汗をかかない肌はこの夏の中でも涼しげだ。

 ほたるは自分の肌に残っている乾き切っていない汗をなぞった。

 本人は水気や寒いのが駄目だと言うのに、その手は秋のように涼しげというのが少し奇妙だった。


「ここだ」


 今度もまた普通に椿鬼は手を離した。

 どう反応すればいいのかわからなくなったほたるは無感情な声を返す。

 乾いた肌の感触をなぞりながらほたるはしばらくその手を見つめていた。



 ほたるが連れて行かれたのは五階フロアの四分の一ほどを占める本屋だった。

 少し前まで県内で一番の規模だったこの店は、立地が良いこともあってライバル店が多数生まれた現在も一番の人気を誇っている。


「まずは聞き込みだな。店員に話を聞いてみよう」


 大量に人が出入りする新書コーナーから店員のいる中心部へと椿鬼とほたるは向かって行った。


 


「毎日売り込みに来てるってこの男はどういう根性してんだよ」


 さあ聞き込みをしようと意気込んでいた二人だったが、その必要もなく聞き込みはすぐに終わった。

 接客をしていなかった女性店員に自分の本を売りに来る男性はいるか、と聞いたところ「いた」と即答したのだ。

 断っても断っても本を置いてくれとほぼ同じ時間に懇願しにくるのだ、と女性の言葉はそのまま続く。

 相当うんざりしていたのか立て板に水という言葉が実に似合う話しぶりだった。

 残念ながら愚痴の途中で女性店員は上司らしき人物に制止されてしまい、それ以上の話は聞けなかったのだが、予想以上の大きな収穫に二人はそれを持て余していた。


「待ってれば来るかな」


 詳しい時間は聞けなかったものの、女性店員の話し方から今日はまだ来ていないと判断したほたるは時計を覗きこんだ。

 いつもならば昼過ぎくらいに来るらしい。

 あと数時間も待っていればその時間は来る。魅惑の娯楽が山盛りの場所で張り込みというのもなかなか修行のようだが、それは仕方のないことだろう。


「まあ今日は無理でも待ってれば数日以内には会えそうだけど……ん?」


 唐突に椿鬼の声が止まった。何か違和感を覚えたようにくるくると見回す。



 何を見つけたのか、椿鬼は冷水を突然浴びせられたかのような顔でわなわなと震えだした。

 周りを見ても人と本しか見つけられないほたるはきょとんと問いかける。


「どうしたの?」


 椿鬼の反応は芳しくない。

 聞いているのか聞いていないのか、自問自答するような言動を椿鬼は取る。

 椿鬼が何を感じているのかわからないほたるだったが、それでも悪いものを予感して肌はぷつぷつと立ち、背中にはぞわぞわと気持ち悪いものが下っていく。

 心配そうに覗き込むほたるを一切感知しないで変わらず椿鬼はここではないどこかを見ていた。


「この強い感情……いやこの思念は」

「思念?」

「こっちだ!」


 ほたるからの問いを無視して突然椿鬼が走り出した。

 まるで弾丸のように走り出したその影をほたるは慌てて追いかける。

 しかし人の隙間を縫うようにしながらも凄まじい勢いで突き進む少女を追い続けることは困難で、ほたるは一旦足を止めた。


「そうだ、あの時みたいにすれば……」


 乱れてしまった呼吸のリズムを改めて、静かな自分を取り戻そうと試みる。

 求めているのは初めての時の感覚。

 黒衣の男の位置が何故かわかってしまったあの始まりの瞬間だ。

 知らない自分がもう一人体内にいて、その人が自分を操作して行くべき場所に導いてくれるような――そんな状態。


 ほたるは鼻と肌とその奥にある感覚を総動員させ雷のような少女を探した。

 すぐにその時の記憶は呼び出された。

 形のない異物が見つけてもらえたことを歓喜しているのを感じた。

 この異物はあれ以来ずっと息を殺してお呼びがかかるのを待っていたのだろうか。

 少しだけ恐怖を感じた。


 しかしその考えは湧きあがる万能感に流される。その感覚が危険なものであるのを承知でほたるは身を委ねた。

 やり方なんて知らないと思っていた。

 ロードがあれほど苦労しているのだから使いこなすなんて無理だと思っていた。

 しかしそんな予想に反してあまりにスムーズに事は進む。

 それをほたるは意図しないまま受け入れた。


 するりと感覚だけが肉体を抜けだしてデパート中を巡った。

 人の身では不可能な速度で椿鬼という存在を探す。

 ある光景がそこにいないほたるの目に映る。



 椿鬼がいた。

 危険なスピードで人混みを移動していく椿鬼を店員や警備員が止めようとするが、だれも椿鬼に追いつけない。

 川のように流れ込んでくる人に思うように進めず、じれったかったのか椿鬼はそこから消えては少し離れた場所に現れる。瞬間移動だ。


 そこまでを見届けて、感覚がほたるの中に帰ってくる。

 いや、肉体を取り戻したといった方が正確だろうか。

 時間にして長くて数十秒の出来事だったが、長らく現実世界から離れてしまっていたかのような感覚だった。

 おとぎ話の浦島太郎のようだとぼんやりしている自分に気が付きほたるは自分自身に喝を入れた。

 足を前に進めていく。



 椿鬼が混雑を抜けるのに瞬間移動すら活用しているらしいことを知ったほたるは急いでエレベーターへと向かった。

 エレベーターに乗り込んだ瞬間、椿鬼の存在が一気に一階まで降りたのを感じ、意味がないと理解しつつも一階のボタンをエレベーターの中で連打する。

 戸が開くと同時にどたどたとフロアを駆け抜け、注意してくる警備員に心の中で謝りながら入ってきた入り口から外に出た。


 そこがある種の戦場であることを忘れていたほたるの鼻を、胡椒と唐辛子とソースの臭いが襲う。

 咳き込みながら、スパイス臭の強い白い煙を掻き分け進む。

 ほたるが煙を脱出した時、椿鬼は駅の隣にある商店街の中を突き進んでいた。

 ほたるもその気配を追って迷わず商店街に入る。

 夜営業の店が多い場所だったのか、そこはもう一つの通りと比べて不自然なほど人が居なかった。

 人のいない道の中に、ただ一人でその空間を満たすような圧倒的な椿鬼の気配を感じそこに向けて走っていく。


「これだ!」


 何ブロックか移動したのち、椿鬼が立ち止まってそう叫んだのが見えた。

 コンクリートブロックに遮られて見えないそれを目に収めようとほたるは走り寄る。

 椿鬼の顔が、向かってくるほたるの姿を見て強張った。

 静止する言葉が届けられる前にそれはほたるの目の中に入ってしまう。


「ひ……」


 何故そんなものがそこにあったのか。

 いたって平凡かつ平和な夏の街中にあって良い代物ではなかった。

 人々の暮らしの中でそれは朽ちていた。


 在ったのは、人。

 元とつけるべきか一瞬迷う程、酷い有様のそれがそこにいた。

 乾いていた。カラカラに渇いていた。長い髪が唯一それを女性であると指し示していた。

 服は着ておらずボロ布がその身を包んでいて、かろうじてその肌を隠していた。

 それはこんな事態を生み出した人間の唯一の良心というよりも、すぐにでも砕けてしまいそうな身を運びやすくするためのもののように見えた。

 布からはみ出した腕や足は骨の形か残った筋肉だろうか、それが綺麗に浮き上がるほど乾いていて、既にいくらか何かの欠片が風に飛ばされて行っていた。


 ほたるはそれを作り物だと思った。

 顔が髪で隠れていた為に精巧に作られた人形だと思ったのだ。

 顔が見えていてもそうだと判断したかもしれない。

 作り物だと思わなければとてもではないが直視に耐えられなかった。なのに、直視に耐えないのに、目が外せない。

 唐突に現れた残酷に、ほたるはそこに縫いとめられる。


「……どうしたの、何があったの」


 椿鬼は躊躇なくそれに近づいた。

 乾いて力無く垂らされた手を握ろうとする。しかし。


「危ない!」


 ほたるが叫んだ。無意識の叫びだった。

 脅威が迫る気配にほぼ本能だけで椿鬼はそこから距離を取った。

 事態を把握する前に地面を蹴り飛ばし、後方二メートルほどの位置に着地する。

 次の瞬間、椿鬼がいた場所に降ってきたのは人の頭大のコンクリートブロックだった。


 落ちてきたその位置に遺体があった事を思い出して椿鬼は遅れて悲鳴をあげた。

 落ちるそれを飛ばせないかと指を向ける。

 しかし間に合わない。ブロックは遺体を巻き込んで地面へと衝突した。

 何がいったい砕けたのだろうか。周囲に異臭の混じる砂煙が上がった。


 舞い上がったそれが何なのか考えないようにしながらほたると椿鬼は口を押さえていた。目はチカチカして開けない。痛みが目を襲う。

 

 瞬時にその煙は晴れた。不自然な風が埃を攫っていく。

 視界が開けると椿鬼は掲げていた右腕を握りしめた。

 風を呼び出した右腕で乱れた前髪を退かし見上げる。

 何度か埃を流す涙を呼び起こすように瞬きをして、それを見定めた。


「……待て、お前あの時の!」


 椿鬼がその言葉とともに姿を消す。


「椿鬼!」


 足音が頭上から聞こえてほたるは視線をそちらに向けた。

 霞む目を凝らすと椿鬼は建物の上にいた。

 柵のない屋上に立っていた椿鬼は苛立ちを足元のコンクリートに叩き込む。

 そのまま建物が真っ二つに割れてしまうのではないかというほどの音が鳴り響いた。


「駅の人混みに紛れやがった!……これじゃ追っても攻撃できない!」


 椿鬼はしばらく苛立ちに息を荒くしていたが、冷静さを取り戻すように一度大きく深呼吸をする。

 感情をうまく切り替えられたのか、再びあげた顔は鋭くも普段の表情に近い。

 椿鬼は下を見やった。ほたるがそこにいることを認めると、屋上の端に足をかける。

 そのまま軽く一メートルほど飛んだ。


 三階の高さから飛び降りた椿鬼はすぐに死体あった位置へと戻る。

 しかしそこにはもうほとんど何も残っていなかった。


 おそらくは遺体の破壊を目的とした攻撃だったのだろう。遺体は粉々に砕け散り、残されていたのは砕けた遺体の一部と、布切れ、ブロックの塊だけ。異常な痛み方をしていた遺体は殆どが砂煙となってしまったようだった。



 遺体の一部を吸い込んだという事実に吐き気がこみ上げ、ほたるは口元を押さえた。

 口からは嘔吐物の代わりに唾液が落ちていくが、その中にも遺体の粉が混じっているのだと思うと、吐き気はマシになるどころか増していく。

 コンクリートブロックが落とされた音で誰かがパトカーを呼んだのだろうか、サイレンの音が近づいていた。

 苛立ちを加速させる耳障りなサイレンに椿鬼は舌打ちをした。

 舌を動かしたことで口の中の不快な臭いが鼻まで巡り、彼女もまた吐き気を催した。

 それでも椿鬼は弱ることなくほたるを無理やり立ち上がらせた。

 タオルでほたるの口を拭う。


「離れるぞ。警察とは協力関係にあるとはいえ、それは話が行っている奴だけだ。末端と接触すると面倒なことになる」


 椿鬼は取り出したビニール袋に残っていた遺体を手早く入れると商店街の奥へと進んでいく。

 ほたるはつなぐ手を頼りに吐き気をこらえながらついて行った。



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