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咲けない華 椿鬼  作者: 明渡雅夢
1 夏休み
12/27

望まぬ再会 5

 そのうち廃ビルになるであろう古臭いビルに囲まれた狭い裏道に彼らはいた。

 ほたるをゆっくりと降ろした鳥はぐにゃりと姿を霧に変えると人としての姿を取り戻した。

 妙にまとまりのある黒髪をたゆんと揺らしてヤマトは一歩ほたるの前に出る。

 その前方に人の姿はなかったが、何かがいる気配を二人は感じ取る。


「ほたるさん。ここにいてくださいねー……さあ、出てきてください影男!いい加減にしないと死刑になりますよ!今ならまだなんとかなるかもしれませんから自首しましょう自首!」


 昼だというのに仄暗い奥へと向かってヤマトが叫ぶ。

 ほたるはその叫びに人がいないかと気になり見回すが、唯一使用されている形跡のある窓には破れた麻雀の張り紙と汚いピンクのカーテンがあるだけで人がいる気配はない。

 他の窓はすべて暗かった。


「それじゃ出てこないと思います」


 人がいないことにほっと息をついたほたるが一言突っ込みを入れる。

 ヤマトは小首を傾げた。


「じゃあこうしましょうか。出てこないとお嬢様がまたバラバラにしちゃいますよ!」

「また!?」


 とんでもない一言にほたるの背がぞわりと冷える。

 そういえば確かにそんな光景を見た気がする。


「復讐なんて力の前では無意味ですよ!止めてください!わたしはともかくお嬢様の物理的な強さは日本一ですよ!」

「なんでそんな雑な脅しなんですか!せめて自分の実力で脅してくださいよ!」


 ――はっと二人が息をのんだ。

 何かが迫ってくる気配にほたるの足が竦む。

 ヤマトも同じものを感じ取ったのか、体が強張り動けないほたるを抱きかかえて跳んだ。


 重力に負けない脚力で地を蹴り飛ばし、そばにあったビルの二階の窓枠に手をかける。

 足が離れると同時に爆発音が響く。すると先ほどまで二人がいた場所に軽く穴が二つ開いていた。


「来る!」


 どちらの声だっただろうか。ともかく迫りくる力の気配にヤマトはひらりひらりと跳び回る。

 ほたるはそれにしがみつくのに必死で、今自分がどこにいるのかも理解できなかった。

 目まぐるしく変わる風景に頭が酷く混乱していた。


 彼らがいた場所を、次々爆発が襲っていく。

 古いビルにネズミが齧りついたような小さな穴が開いていった。

 気配が止むのを感じて、ほたるを抱えたヤマトは三階の窓に止まった。


「力をここまで感じるってことはいよいよその辺にいますね……ほたるさん、どの辺にいます?」

「そもそも俺が今どこにいます?」

「しっかりしてください。目を回さないで、ほらしっかり」


 ぐらぐら揺れるほたるの首を支えるようにヤマトはほたるの頬を軽く叩いた。

 それでもほたるの混乱した意識は回復しない。

 何とか平衡感覚を取り戻そうと意識はもがくのだが、ヤマトは今もビルの窓枠に手をかけているためほたるの足は地についていない。

 まさに地に足がつかないとはこのことと言えるだろう。


「!」


 ヤマトは冷気に近い嫌な気配を感じ、窓枠から手を放した。

 次の瞬間、やはりそこには穴が開く。しかし――


「上……いや下っ!?」

「両方です!」


 頭上と足下に同時に冷たい破壊の力が集まっていくのを感じ、ほたるとヤマトはその顔を青ざめさせた。

 頭の上に集まっていく力の気配は位置からして今掴んでいたビルの四階だった。

 恐らくは壁を崩してその破片で攻撃を行おうという魂胆だろう。

 そして足元の力はそれを防御させないための策に違いない。

 このまま堕ちれば挟み撃ちになるのは明白だった。


 しかし、その攻撃を避けるには位置がどうにも中途半端だ。

 ヤマトの脳はらしくもなく忙しなく働いた。


 この挟み撃ちから逃れる手段はいくつかある。

 着地地点を変えるか、防ぐかだ。

 ヤマトは攻撃も防御も得意としていない。そもそもが能力的にも精神的にも戦闘に不向きの能力者だ。

 故に防ぐ、迎撃するという手段はほたるを抱えたこの状態では十分にできそうにもなかった。

 そして、高度が不十分なために落下に逆らうこともできそうにない。

 このまま挟み撃ちを受けたとしても肉体強化を行っているほたる自身はそこまでの怪我を負いはしないだろう。

 だが生身のほたるはどうだろうか――


(段取りを間違えましたね……うっかりをしてしまいました。仕方ない、代償は自分で払いましょう)


 地面と激突するまで数メートル。

 ヤマトはほたるを庇うという選択をした。

 ヤマトの線が揺らぎ姿がクッションのようなものに変わる。

 ヤマトの体だった物はくるりとほたるを包む。

 そのまま、二人は落ちていく――





「――ッだあァ!間に合ったあああああっ」


 それまでで最も強い爆発音、そして一寸遅れてがれきが落下してくる音。

 わけも分からず自分を包む何かにしがみ付いていたほたるは襲い来るであろう痛みと衝撃に備えて固く目を瞑る。

 しかし、待てど待てどもそれは来ない。

 代わりにあったのは何かに支えられて庇われているという安心感。ほたるは自分を包むマットから恐る恐る顔を覗かせた。


「怪我は無い?」

「椿鬼!」


 そこにいたのは逆光の中不敵に笑う椿鬼だった。

 ほたるが椿鬼の突然の登場に顔を緩めたその時――



 どすん。

 時間遅れでがれきが落ちてきたのかと思うほどの衝撃がほたるを襲った。

 体を包むマットが衝撃の大部分を吸収してくれたが、それでも感じたことのない圧迫感がほたるを襲った。


「ろ、ロード……?」

「し、死ぬかと思った……」


 自分に乗る覚えのある重さに無理やり自分の上をほたるが覗くと、そこには目を回した親友の姿があった。

 髪はぼさぼさで、服装も強い風に当てられたように乱れていた。

 まるで空でも飛んできたようだった。


 椿鬼は目を鋭くして言った。


 椿鬼はマットごと姫抱きにしていたほたるをどさりと一メートル下の地面に降ろした。

 ほたるを包んでいたマットは再び霧のようにゆらいでヤマトの姿を取り戻す。

 片膝をついて現れたヤマトは立ちあがった。


「お嬢様助かりました!」

「助かりました!じゃないだろうが!何かを画策するならもうちょっと詰めろよ!大事な客人を怪我させるとこだっただろうが!」


 へにゃへにゃと笑うヤマトを椿鬼が蹴り飛ばす。

 するどい勢いを持った左足はヤマトの体を捉えることなく空振りする。

 霧となって部分的に消えたヤマトの体は椿鬼の左足が自身を通過すると姿を取り戻す。


「くそ、今のであいつ姿を消したぞ」


 椿鬼は立てた指を頭上に向けるとそれをゆっくりと降ろしていく。

 その指先を目で追ったほたるは目が飛び出るかと思うほど驚愕する羽目になった。


「瓦礫が頭の上に――」


 瓦礫が頭上で浮いていた。上から糸で吊られているかのようだった。


「私が支えてたんだよ。偶々うまくいっただけだ」


 椿鬼の指の角度を真似るように瓦礫は動いた。

 ゆっくりとそれを下ろした椿鬼ははあと息を吐くとほたるとロードを庇うように腰を低くする。


「あっ、あのさ、見えてないけど実はまだ近くに」

「わかってるよほたる。ヤマトは反対側……ってロード、何持ってるの後ろに行ってよ」


 ロードは椿鬼の脇をすり抜けて椿鬼によって降ろされた瓦礫を漁っていた。

 手ごろな鉄棒のようなもの――破壊された建物の柵かパイプだと思われるそれを手に慣らすように振り回すと椿鬼の横に並ぶ。


「僕も闘う」

「後ろ下がれ」

「うるさい!どこだほたる!奴はどこにいる!」


 ほたるの視線が四方へ走る。

 そしてある一点でその目が留まった。電信柱の陰だった。

 細い足を全力で前に動かしてロードはそこへ走る。


「そこかッ!」

「馬鹿、止めろ!」


 ロードは躊躇することなく振りかぶった。

 手ごたえを探すようにやたらと振り回すが、何にも当たらない。

 風を切る音ばかりでロードの思考は焦りに染まっていく。

 どこかで何かが砕ける音がした。


「ロードさん、逃げて!」

「な……」


 ヤマトの叫びにロードが上を見上げるといくつものコンクリートの破片が今にも降り注ごうとしているところだった。

 男が攻撃の為に破壊したビルの破片だった。

 慌てて椿鬼がロードの元に駆け寄り抱えて逃げる。


「どこにいるんだ……」


 攻撃をしながら移動を続けているのか、ほたるにもその位置は掴めなかった。

 男のものと思われる、僅かに聞こえる息使いは荒れていて、そのまま走り続けることは難しいように感じられた。


「くそっどこだっ!」

「やめろって馬鹿!」


 椿鬼の腕をすり抜け走り回りながら武器を振り回すロード、それを追いかける椿鬼とは対照的にほたるはその場に留まっていた。

 ヤマトもその傍で武器――刀を構えて待機する。

 本人たちにその意図はないのかもしれないが、ロードと椿鬼の行動は敵をうまく煽っているようだった。

 煽られ焦り、逃げて無駄に体力を消耗したのが仇となったのか、少しずつ気配の移動はゆっくりになっていく。


 息を荒げながら暴れるロードを無理やり椿鬼が抑え込む。

 羽交い絞めにして無理やり建物から離れ、ほたるのいる場所へと引きずっていく。

 頭に完全に血が上ってしまっているロードはその拘束を解こうと必死だ。

 そこを、黒い銃口が狙う。


「ヤマト!」


 黒い銃口に気がついたのは椿鬼だった。

 自分たちの正面に突然黒衣を纏った男――いや、やや老けているが少年と言うべき若さの人間が銃を構えて立っていたのだ。

 すぐに椿鬼はヤマトを呼びつける。

 姿を消したヤマトは返事をしない。薄い霧がロードに纏わりついた。


 男の息は荒く、スタミナを使いきったのか足も震えていた。

 定まらない照準は体力と精神どちらの問題なのか。

 それはわからないが確かに弾丸を吐き出す口は椿鬼とロードの居る方へと向けられていた。


 突然姿を現した男に、ロードは突っ立っていた。

 椿鬼はロードを庇うか攻めるかを一瞬迷い、体から透明の珠を取り出した。

 ビルの間を擦りけるように一筋だけ降り注ぐ日光を受け珠はきらめく。

 それは迷うように形を変えていき、レイピアの形を取った。


 突然現れた黒衣の男の後ろからそれを見ていたほたるは足元にあった小さな瓦礫をつかむと男めがけて投げつける。

 些細だがほたるにとっては全力の攻撃だった。

 ――それは残念ながら外れてしまった。しかし顔をかすめたそれが最後の決め手になったのか正気を失った男は構えた銃の引き金に指をかける。

 狙いも何もあったものではない状態で打ちだされた弾は、撃った主を示すように見当はずれの場所へ飛んでいく。


「行っていいですよ」


 ロードが不敵に笑った。

 それを聞いた椿鬼はレイピアを構えてまっすぐに突き進む。

 ロードも同じく走り出した。

 銃を向けているのに相手が向かってきたという事実にさらに焦りを感じてしまった男は銃を乱射する。


「魔力弾か……弾切れは無いぞ気を付けろ!」


 突っ込んでくる椿鬼に男は再び走り出す。

 銃のように見えたそれはよく見ればモデルガンで、穴はあるもののその奥は塞がれている。

 改めて銃に手を伸ばした男は何かのスイッチを入れた。赤いレーザーが椿鬼の額にあたる。


「それで狙いを定めようってか!やれるもんならやってみろ!人を殺す覚悟があるのならな!」


 塞がれた銃口に光が集まり、弾丸のような小ささの光弾を吐き出した。

 椿鬼は地面をレイピアで切り付ける。


 一瞬、レイピアによって生み出されたラインから上の景色が蜃気楼のように揺らいだ。

 光弾はそのラインを超えると姿を消し――椿鬼とロードの向こうの壁へと着弾した。

 小規模の爆発が壁に穴を開ける。


「魔力弾と爆破能力の合わせ技ですか……」


 ロードはパイプを構えると腰を低くして駆け出す。

 それを狙って男は銃を撃つが、ロードの体は銃弾を避けるように二つに割れて霧となる。

 弾丸が通り過ぎると再びロードは肉体を取り戻した。

 避けられるはずのない物を予想外の形で避けられ男は半ば狂乱状態となる。

 脂汗が滴り、ぼたぼたと焼けたコンクリートに無様な跡を残すが、瞬く間に乾いていった。


 椿鬼とロードの両名は距離を詰めていく。

 それから逃れようと背を向けた男はほど近い場所でほたるが固まっているのに気が付いた。

 初めて見る戦闘に硬直するほたるに舌なめずりをした男はほたるに向かって走る。


「……ひっ?」

「こっちに来い!」


 あと少しで手が届く、歪んだ笑みが浮かんだその瞬間――男の横腹を強烈な衝撃が襲った。


「か――は?」


 体を二つに折るように一本の棒が男の腹を捉えていた。

 遅れてその衝撃が体へと伝わっていき、男の口から粘質な透明の体液が吐き出される。

 やや錆びついたその棒はそのまま横に振り抜かれ、男は無様に吹っ飛ばされた。


「ほたるに手を出すな!」


 そこに立っていたのは男の背後に椿鬼といたはずのロードだった。

 棒を手慣れたように振り回し倒れこんだ男の首に当てる。


「な――あ?」


 腹に入った一撃が効いているのか、地面に伏せて苦しそうに息をする男が混乱したように周囲を見やる。

 前にも後ろにも赤毛の少年がいることに疑問符のついた声を上げる。


「あ……あれ、ロードが二人?」


 同じく混乱するほたるを抑え、椿鬼は改めて剣を構えた。


「説明ならこいつを動けなくしてからね」


 男の四肢が再び、静かに宙を舞った。



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