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拝啓、最低女へ  作者: 重村恵
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第1話 また今日も、彼女はそういって決めつけた

「ただいま」

春とは思えない陽気の中、いつも通り本屋でのバイトを終えて家に戻ると、見慣れない靴が一足。

「お兄ちゃん、おかえり。バイトお疲れ様」

腰まである黒い髪を揺らしながら妹の百合がやって来た。

「ありがとう。百合はこれから勉強?」

百合の手には参考書がある。

「うん。この春休みが明けたら中三――受験生だからね。お兄ちゃんと同じ高校に行きたいもん」

そう言って百合は、はにかんだ。そんな妹の笑みを見て、僕もつられて頬が緩む。

「わからないところあったらきいてくれてたら教えるよ」

そう言って百合の頭を撫でると、百合は目を細めて頷いた。

「でもでも、陸部の先輩でお兄ちゃんと同じ東高受かった先輩いるから、今度勉強見てもらう約束したんだよ」

「へー、よかったじゃん。誰?」

東高は県内一の進学校だ。自分も元陸上部だったが、そんな勉強ができる後輩がいた記憶がない。

「えー、どうせ春休み明けたら学校でも会えるからいいじゃん。秘密だよ、秘密」

そう言って百合は口の前で人差し指を立てて笑う。

確かに始業式で顔合わせもする。百合のいうように、学校で会えば分かる。それまでは楽しみにしておくことにした。

「そうだ、百合。千夏はまた来てるのか?」

そう訊ねると、百合は一瞬間を置いてから

「千夏先輩なら、十分前くらいに来たよ」

と答えた。それから百合は冷めた目をして

「お兄ちゃん、どんだけ千夏先輩と仲良いのさ。千夏先輩が家に来るの、春休みになって何度目?」

と聞いてきた。

「うーん」

僕が指を折りながら数えていると、百合はしびれを切らしたのか右手の指を五本、左の指を一本立てて俺に見せてきた。

「春休みに入ってまだ二週間経ってないんだけどね」

そう呟いて、リビングへ行ってしまった。黒い髪だけが小さく揺れていた。


* * *


「あのな、千夏。急に来るなって言ってるだろ」

僕がため息を吐きながら、我が物顔で俺の漫画を読んでいる茶髪の幼馴染――千夏を非難した。すると、千夏は漫画から顔をあげて

「別にいいじゃん。減るもんじゃないし」

と答えた。

こいつ、花崎千夏はいつもそうだ。良く言えば人に流されない、悪く言えば自分勝手。

「てか、この漫画つまんない。もっと面白い漫画無いの?」

勝手に読んでおきながらそんなことをあっけらかんとして言ってくるあたりは、本当に自分勝手だと思う。幼馴染だから許してやってはいるものの、クラスのやつにこんなこと言われたら間違いなくドン引きする。

「勝手に部屋に来ておいて、何様だよ」

わざと聞こえる声で言ったが、千夏は素知らぬ顔で漫画を読んでいた。つまんないと言っておきながら最後まで読もうとする当たりが、実に千夏らしい。

僕が千夏に構うのをやめて、荷物を下していると

「あのさ、皐月」

と声を掛けられた。千夏の方を見たが、漫画から顔を上げていなかった。

「なに」

鞄から携帯を取り出しながら、返事をした。

「ゴールデンウィークにさ、姉ちゃんが帰って来るんだわ」

「うん、知ってる。あやみ姉が言ってたから」

「そっか」

「うん」

「……」

「……」

短い沈黙。

相変わらず千夏はこちらを見ない。

漫画に視線を落としてはいるものの、一向にページをめくる様子はない。

「千夏はすすきさんに会いたくないの?」

そう尋ねると少しだけ間をおいてから、しっかりこちらを見て

「会いたくないよ」

と言った。

少しつり目なはずの千夏の目が垂れ下がっているように見えた。

「あやみちゃんみたいなお姉ちゃんが欲しかった」

そう、低い声で続けた。

僕と千夏は親同士の仲が良かった。なんでも学生時代に同じ学校で、一緒に研究していたらしい。そして、僕の両親も千夏の両親も非常に頭が良く教育熱心だった。そのかいあってか、僕も僕の姉であるあやみ姉も、千夏も千夏の姉のすすきさんも県内一の進学高に余裕で進学できた。中でもあやみ姉とすすきさんは頭一つ抜けて優秀だった。あやみ姉は文学者を目指し、すすきさんは医師を目指し、一昨年東京大学に現役で合格した。二人とも、もうすぐ二年生になる。

昔からあやみ姉と僕と妹の百合と三人仲良くしていたけれど、千夏とすすきさんは違った。物心つく頃には、二人は非常に険悪だった。

「あやみちゃんは優しいし、カッコいいし、勉強教えてくれるし、いいお姉ちゃんだと思うよ」

しみじみと千夏は呟く。

僕はそれを黙って聞いていた。

「姉ちゃんは、人じゃないからさ……」

その言葉を聞いて、いつかあやみ姉が言っていたことを思い出した。

『花崎すすきは、人間じゃないさ』

滅多に人の話をしないあやみ姉が疲れた顔でそう呟いていたのを今でも鮮明に覚えている。

「でもまだ先だよ、ゴールデンウィーク」

僕が言った。すると千夏は目を細めて笑った。

「それはそうだね」

千夏は、弱々しく呟いた。

千夏は昔と比べてずいぶん弱くなったように思う。昔はこんなに僕に会いに来ることもなかった。

百合はつい最近『千夏先輩はお兄ちゃんに頼りすぎな気がする』と呆れ顔で呟いていたが、これは信頼なんかじゃないと思う。じゃあなんなのかと問われても、明確な返答なんてできない。けれども、千夏のそれは信頼や友情なんてきれいなものじゃなくて、もっとずるくて醜いなにかなのだろう。

「そう言えば全然話は変わるけど、彼氏に構わず僕のところにばかり来て大丈夫なのか?」

重くなった雰囲気を変えるために、僕は話題を変えた。すると千夏は一瞬だけぽかんとしてから答えた。

「もう別れたんだけど」

「…え」

予想外の返答が返ってきて、今度は僕がぽかんとしてしまった。

「いやいや、春休み前から別れてたんだけど。逆になんで皐月は知らないのさ」

僕が変だとでも言いたげな雰囲気だった。とはいえ、僕は恋愛話や噂話に疎いので仕方がないと言えば仕方がないかもしれない。

「でも付き合い始めたの、三月の半ばじゃなかったっけ?」

「うん、そだよ」

三月の半ばに付き合いだして、春休みに入る前に別れた…。

「別れるの早くね?」

純粋な疑問を口に出してみたが、千夏は

「いや、早いときはもっと早いし、別に普通じゃないの」

と、心底どうでもいい、と言った表情で答えた。

「それにさ、あっちからコクってくるのに、あっちから振るんだよ。意味わかんなくない?」

「いや、それは……」

確かに千夏に告白する男の気持ちがわからないわけではない。見た目だけで言えば、千夏は今時の美少女だろう。肩までの少しウェーブがかった色素の薄い髪に、気の強そうな大きなつり目。昔運動部に入っていたこともあってか、引き締まった体つきをしている。その上、東校の定期テストでは常に順位が一桁だ。

魅力は十二分にある。ただ――

「でも、しょうがないよ。だって私は『最低女』だからね」

また今日も、そう言って彼女は決めつけた。

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