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私は、目の前の光景が木々の生い茂る森に移り変わるのを眺めていた。
移動手段が徒歩か獣とエヴィは言ったが、魔法であれば瞬間移動も可能なのではないかと考えた。
私に教えてくれるとはいえ、それが本当であるかは分からないのだから。
結果、私は賭けに勝った。
こんな博打ような危険行為、一生に一度だと思いたい。
ほっとしたのも束の間、次の瞬間、私は身体の奥からぞわぞわとした気持ち悪い感覚に息を詰まらせた。
「う、あっ」
胸をかきむしるように押さえるが、吐き気に似た衝動は収まらない。
頭の中に膨大な量の感情が湧き出る。
なんでなんでなんで私がこんな目に嫌だきもい触るな帰りたい聖女ってなに私はただの女子大生本を読んでただけあのとき扉を開けなければ魔王ってなに自分たちでなんとかしろ気色悪い押し付けるな怖い私の手から火が出る火傷する笑い方気持ち悪い近寄るな聖獣って意味わかんない人間にしか見えない寂しいお母さんお父さん今すぐ帰せ怖い怖い怖いあの目が嫌だ私を舐めるようにみる汚い穢れるお前たちなんかどうでもいいああ醜い私は何故分かってあげれないのそんなのわかるわけないだってここの人じゃない寂しい寂しい怖い1人は嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ早く早く早く味方を私を支えてくれる人を見つけなければこんな孤独耐えられない!
「ちく、しょ」
駄目だ、パニックで頭が回らない!
誰か、誰でもいい。
私の味方を作らなければ、誰でもいい、絶対の味方を!
「ん……まえ、つ……んね」
その時、声が聞こえた。
人だ。誰でもいい。誰か。
1人でいい。私には魔法がある。
魔法で縛ってしまおう。私の味方になるように。
私は声の聞こえる方に近づく。
近付くにつれてその声ははっきりと聞こえてきた。
「奴隷のくせに、役に立たねえ!お前なんかいらねえよ、ここで野たれ死んじまえ!」
奴隷。アランに習った。
主人に仕える存在。絶対に裏切れないよう魔法で縛ることが出来ると。
欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!
「いらないなら、ちょうだい」
気付いたら私は言葉に出していた。
今は何も考えられない。
奴隷が欲しい。
「な、んだよ、お前。…ちょうだいって、もしかしてこいつのこと?」
安っぽい服装をしたなよなよしい男は、横目を向いて地面に跨がっているものを蹴った。
「っ」
ぴくりとも動かないから気絶でもしているのかと思ったら、起きているらしい。
それより、早く。
「そう。その子のこと」
私が地面に転がっているものを指差すと男は薄ら笑いをした。
「じゃあ、対価をもらわなくちゃな」
対価?何だそれは。
私が苛々しているのが分かったのか、「それ、それでいいよ」と男は私の指についている指輪を示した。
これは……ああ、あの茶髪がくれた物だったか。「美しい君には美しい物を身に付ける義務があるからね」とか言って押し付けていった物だ。
物に罪はないから付けていたが、こんなものでいいなら喜んでくれてやる。
私が指輪を投げ渡すと、慌てて掴んだ男は奴隷に何かを言って去っていった。
後に残ったのは私と転がっている奴隷だけだ。
どうするのだったか。ああ、吐き気がする。苛々する頭では奴隷に関する情報が思い出そうにも中々思い出せない。
何せ、奴隷など関係ないと聞き流していたからだ。
確か、そう、確か、アランは「奴隷に付けている首輪に手を翳せば己の所有物だという証になるそうですよ。便利ですよね」と言っていた。
私は無言で奴隷の首輪に手を翳す。
すると、カチッという音と共に奴隷がびくりと跳ねた。
これで、私の物になった?
そう思った途端、少しだけ気分が落ち着いてきた。
……私も相当単純な人間だな。
だけど、本当に私の物になったか分からない。確かめなければ。
「ねえ、君」
話しかけても起きる気配がない。
よく見ると、奴隷の身体は満身創痍だった。
これでは起き上がれないのも無理はない。
私は奴隷に手を翳して癒しの魔法を使った。
暫くすると、奴隷はむくりと起き上がって全身をくまなく眺めた。
とりあえず、全身の傷を癒してみたが、どうやら成功したらしい。
奴隷は、はっと我に返ると頭を擦り付けるようにして土下座した。
いきなりすぎて、びくっとなってしまった。
「こ、この、卑しい奴隷めに、い、癒しの魔法を、使っていただき、ありが、たき幸せに、ございま、す」
自分を蔑むその言葉を口にした声はガラガラだ。
何とか絞り出したという声に、居たたまれなくなる。
だが、それはそれ。これはこれだ。
私は奴隷と目線を合わせるように屈み、「顔を上げて」と言った。
奴隷は恐る恐る顔を上げて、その近さに驚いたようで少し身体を仰け反らせていた。
私はそれを華麗にスルーし、「君は、私の奴隷になったんだよね?」と確認の意味で聞くと、「はい」と掠れていながらもはっきりした声で肯定された。
完全に気分が元通りになった私は、「君、名前は?」と訊ねた。
すると、奴隷は「あの、いえ、この、奴隷めには、名前は、ございません。お好きにお呼び、ください」と予想外の返答がきた。
数秒ほど考えた。名前。
「ライ」
私の去年死んだ犬の名前だ。
だって咄嗟に思い付かない。
「君の名前は、今からライ」
「はい、ご主人、様」
ああ、やっと。安心出来る。
これで絶対に1人は裏切らない。
それでいい。1人でいい。
「ライ」
「はい」
名前を呼ぶ度にびくびくする、目の前の存在に私は告げる。
「君だけは、私を絶対に裏切っては駄目だよ」
裏切ったら、
「殺しちゃうからね」
目を大きく見開くライの顔を最後に、私は意識を手放した。